● いよいよ 核戦争 が起きそうなケハイです。 トランプとキムは ハッスルし、アベは 扇動し続け、チンピンとプーチンは 日和見を決めこんでいます。 我々は キューブリックの映画:『 博士の異常な愛情 または 私は如何にして心配するのを止めて 水爆を愛するようになったか 』でも見て、心の準備をしているべきかもしれません。 某某のペシミスティックな心底は、これによって、もう そろそろ 悪の権化である人類が 滅亡するのも 悪くないかもしれない、と 観じているような フシがありますが、今回の「古書の愉しみ」では、あまり愉しかったとは言えないけれど、学生時代に読んで 強い衝撃を受けた『原爆体験記』を紹介 することにします。ここをクリック すると「古書の愉しみ 」の中の『原爆体験記』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 ( 2017 /12/ 09 )
● やはり高校生の時に購入した本、栗田勇の『現代の空間』は、内容もさることながら、その造本が 私の心をすっかり とらえました。それは杉浦康平のデザインで、本というのは こんなにも面白い形に作れるのかと、本の 読むだけでない、ものとしてのブック・デザインの魅力を教えられました。今から 53年前の古書です。ここをクリック すると「古書の愉しみ」の中の『現代の空間 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 ( 2017 /11/ 01 )
● 高校生の時に初めて読んだ二冊の本、矢代幸雄の『太陽を慕ふ者』と 中勘助の『銀の匙』は、それ以来 私の最も愛読する書となって、若い頃には どちらも 年に一度か二度は 必ず読み返したものでした。『銀の匙』は もっぱら岩波文庫で読み、廉価なので よく人に プレゼントしたものです。『太陽を慕ふ者』のほうは 初版を古書店で手に入れ、その装幀も気に入ったので、私の愛蔵本となりました。今から 92年前の本です。ここをクリック すると「古書の愉しみ」の中の『太陽を慕ふ者 』のページが 別のウィンドウに開きます。 ( 2017 /10/ 01 )
● もしも「世界で一番美しい民家はどこの民家か?」と尋ねられたら、私なら ためらうことなく「トラジャ族のトンコナン・ハウスだ」と答えます。インドネシアのスラウェシ島にそれを見に行ったのは、もう 30年も前のことですが、その感動は忘れられないので、「世界建築ギャラリー」のサイトに掲載しておくことにしました。ここをクリック すると『トラジャ族のトンコナン・ハウス 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 ( 2017 /09/ 01 )
● ユネスコ世界遺産に、ひとりの建築家の作品群が一括されて一件として登録されるという、非常に珍しいケースがあらわれました。タイトルは 「ル・コルビュジエの建築作品、近代建築運動への顕著な貢献」というもので、その構成資産は7ヵ国の17作品にわたっています。日本から東京の国立西洋美術館が含まれているので、だいぶ話題になりました。インドにはアフマダーバードにもル・コルビュジエの作品がいくつもありますが、今回の登録資産としてはチャンディーガルのみです。といってもチャンディーガルにはル・コルビュジエの建物が多数あるので、そのどこまでが含まれるのか判然とせず、様子見をしているうちに1年がたってしまいました。結局その範囲は追求しないことにして、この HP では「チャンディーガル建築案内」というのを2つ載せてあったので、”旅行人版”を「世界建築ギャラリー」のサイトから「ユネスコ世界遺産」のサイトに移して、大幅に増補することとしました。 ここをクリック すると「インドのユネスコ世界遺産」のサイトの『ル・コルビュジエの建築作品』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 ( 2017 /08/ 01 )
● 「古書の愉しみ」のサイトは、私の蔵書の中から ある一冊の本を選んで、その内容と造本、装幀、図版などについて、関連書籍を交えながら紹介するのを基本としていますが、時には「本のシリーズ」を採りあげます。
前に紹介した『ラ・ニュイ・デ・タン叢書』と並んで 私の最も好きな叢書は、やはりフランスの "BIBLIOTHÈQUE DE LA PLÉIADE" (ビブリオテック・ド・ラ・プレイヤード)で、「プレイヤード叢書」と訳されます。 「古書」とも言いがたいこの叢書を採りあげるのは、「愛書家」として、この叢書の造本や装幀に非常に惚れこんでいるからに ほかなりません。ここをクリック すると『プレイヤード叢書 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 ( 2017 /07/ 01 )
● 講談社の『ユネスコ世界遺産 ー インド亜大陸編』 (1997) からの、パキスタン の第4回は、タッタとその周辺にある『タッタの歴史的建造物』です。これも「世界建築ギャラリー」ではなく「イスラーム建築の名作」のサイトに掲載しました。インド亜大陸最古のモスク跡から、カラチ〜タッタ間にあるイスラーム墓地の墓廟群、そしてタッタの金曜モスクを紹介します。 ここをクリック すると「世界のイスラーム建築」のサイトの『タッタの歴史的建造物』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 ( 2017 /06/ 01 )
● 「古書の愉しみ」の第38回は、ジェイムズ・ファーガスンを批判したことで知られるインド美術史家、アーネスト・ビンフィールド・ハヴェル の『インド美術の理想』を採りあげます。今から 100年以上前の 1911年に、ファーガスンのほとんどの本を出した ロンドンのジョン・マリー社から出版された本で、日本のインド学者たちにも ハヴェルの代表作としてよく知られた本です。併せて ハヴェルの一連の本と、反・ファーガスンの伊東忠太が喝采を送った様子も紹介します ここをクリック すると『インド美術の理想 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 ( 2017 /05/ 01 )
●● 昨日、アフリカのナイジェリアからメールが届きました。 カイロに次ぐ アフリカ第二の都市 ラゴスに住むという、ウスマーンさんからです。 この HP の 英語版 を読んでくれていて、特に「マリのイスラーム建築」には西アフリカの「土のモスク」のことが書かれていますので、私に相談してみる気になったのでしょう。メールの訳と原文を 下に掲げます。
ブルキナファソから送ってきたというモスク案が どんなものか わかりませんが、中国でそうであるように、新しいモスクは 伝統的な土着のスタイルではなく、おそらく「正統的な」中東のドーム式のモスクにしたいのでしょう。モスクは、その土地の材料を使い、その土地の伝統的なスタイルで建てるのが一番良いのだとは、『世界のイスラーム建築』の中に何度も書きました。ウスマーンさんは、そのことがよく解っているようです。しかし 私はアフリカの建築家は誰も知りませんので、たいして助力もできません。私がブルキナファソに出向いて設計するわけにもいきませんし、現地を見ずに絵だけ描くようなまねも、する気はありません。どなたか、この計画に助力していただける方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。 ( 2017 /05/ 13 )
● 講談社の『ユネスコ世界遺産 ー インド亜大陸編』 (1997) からの、パキスタン の第3回は、パキスタンの第2の都、ラホールにある『ラホ−ル城と シャーラマール庭園』です。これは古代ではなく、近世のムガル朝が造営した城塞と庭園なので、「世界建築ギャラリー」ではなく「イスラーム建築の名作」のサイトに掲載することにしました。 ここをクリック すると「世界のイスラーム建築」のサイトの『ラホ−ル城と シャーラマール庭園』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 ( 2017 /04/ 01 )
● 3月に ここに書いた「設計事務所の モラルと プロフェッション」の記事(2017/ 03/ 01)は 少々長いので、単独のページに変換しました。 ここをクリック すると、そのページが 別のウィンドウに開きます。
● 講談社の『ユネスコ世界遺産 ー インド亜大陸編』(1997) からの、パキスタン の第2回は、古代インダス文明の『モヘンジョ・ダーロの考古遺跡 』です。今から 17年前の 2000年に『世界四大文明』展というのが 各地の博物館、美術館で開催された時には大きな話題となり、たくさんの本が出版され、考古学者たちは大忙しでした。ここに載せるのは モヘンジョ・ダーロのごく簡単な紹介にすぎませんが、A.S.I.の報告書など からの 地図・図面も 何枚か転載しました。
ここをクリック すると「世界建築ギャラリー」の『モヘンジョ・ダーロの考古遺跡』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 ( 2017 /02/ 01 )
● 昨年の「謹賀新年 2016」で、「アルメニアの建築」のサイトの 個々の聖堂の解説については、今年こそ 全部を書き終えたいものと思っている と書きましたが、そういうわけには いきませんでした。というのは、昨年の春に、グーグルで 私の3つのホームページ(インドと イスラームと アルメニア)を検索すると、いずれにも「モバイル・フレンドリーではありません」と表示されるようになったのです。私はもっぱらデスクトップのパソコン(23インチ・モニター)で HPを作り、見てきましたので、ノート・パソコンやモバイル機器での閲覧の便宜は 無視してきました。ところが 世の中では、コンピュータの小型化が 急速な勢いで進み、今やインターネットは、スマートフォン や ケイタイ や タブレット端末 で接続する人のほうが 多くなってしまったようです。
● 講談社の『ユネスコ世界遺産』、「インド亜大陸編」(1997) からの、パキスタンの第1回は、ガンダーラ美術の『 タクシラの 都市遺跡 』です。古くは 40年近く前に撮影した写真群とともに、最も優れた案内書である ジョン・マーシャルの "A Guide to Taxila" (4th ed. 1960) からの 地図・図面も 何枚か転載しました。
ここをクリック すると「世界建築ギャラリー」の『タクシラの 都市遺跡』のページが 別のウィンドウに開きます。 ( 2017 /01/ 01 )
![]() ●● 前から読もうと思っていた『帝国の慰安婦、植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版)を、この正月にやっと読みました。読む時間が取れずにいた間に、この著作が 韓国の検察庁から起訴されてしまい、これは まずいと思っていたら、突如、昨年末に 日韓両政府が 慰安婦問題を終結させる合意に達したというので、たいへん驚きました。それが本当に うまくいくのかどうか 予断をゆるしませんが、その成り行きを見守るためにも、この優れた本を読んでおくことは大切なことだと思います。日韓関係 を ここまで悪化させた最大の要因は「慰安婦問題」にあり、その解決は ほとんど絶望的かと思われましたが、朴 裕河 (パク・ユハ) さんは その歴史的経過を追いながら、日韓双方の主張や思い込みの誤りを正しつつ、あるべき解決の道筋を さぐっていきます。非常に筋の通った論理構造を、外国人が書いたとは思われない 正確で端正な日本語で説いていることにも感心しましたが、その高潔な精神にも 感銘を受けました。 (2016 /01/ 06)
●● 2017年1月25日、ソウル東部地裁で「帝国の慰安婦」を書いた朴教授に無罪判決が出されましたので、ひとまずは、ホッとしました。しかし、韓国では、在釜山日本総領事館前に慰安婦像が設置されて、日韓関係は再び険悪化しています。日本政府は韓国を非難していますが、相変わらず日本政府の大臣が韓国侵略の戦犯を合祀する靖国神社を参拝して、韓国 国民の神経を逆なでしているのですから、問題解決が進捗するわけがありません。 ( 2017 /01/ 25 )
● 「古書の愉しみ」のサイトでは、今まで種々の建築関係の古書を紹介してきましたが、たまには 都市計画、あるいは 都市設計 の本も採りあげようと思い、私の蔵書の中から 最も美しい本として『アーバン・デザイン・マンハッタン』を選びました。今から 47年前の 1969年に ニューヨークと ロンドンで出版された本ですから、まだ半世紀に満たず、特に希少な古書というわけではありませんが、私の学生時代に、その見事なグラフィック図面と造本に魅了されたものです。 ここをクリック すると『アーバン・デザイン・マンハッタン 』のページが 別のウィンドウに開きます。 (2016 /12/ 02)
● かつて講談社が『ユネスコ世界遺産』の全集を出版した時、国際出版でしたが、本文原稿はスペインで(著者名なしで)作成されたものを、日本版は日本なりに自由に手をいれて作りました。ところが編集部では、ヨーロッパをはじめとするほとんどの国の世界遺産については何とか纏められるものの、「インド亜大陸編」だけは手に負えないと言って、私のところに依頼してきました。そこでスリランカは早稲田の黒河内さんにまわし、インド、パキスタン、バングラデシュは私が文をリライトし、写真を加えて完成させました。「神谷武夫とインドの建築」のホームページを作ったときに、インド編はすべて「ユネスコ世界遺産(インド)」のページにいれたのですが、他の国のものはそのままになっていました。そこで、それらをひとつずつ、「世界建築ギャラリー」のページに入れていくことにしました。最初はバングラデシュの「パハールプルの ソーマプラ大僧院」です。
ここをクリック すると「世界建築ギャラリー」の『パハールプルの ソーマプラ大僧院』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2016 /11/ 01)
● 私は「INDIAN ARCHITECTURE インド建築」と「ISLAMIC ARCHITECTURE イスラム建築」という二つの「フェイスブック・ページ」(以前は「ファン・ページ」と呼ばれていました)を作っています。私のホームページ、あるいはこれらのページに「いいね」をしてくれた方々(インドは、1,800人余、イスラムは1,100人余)の眼の保養のために写真アルバムを用意して、毎週1枚づつ スライド・フィルムをスキャンして投稿してきました。 ![]() ![]()
● HP『世界のイスラーム建築』の中の「イスラーム建築の名作」のページに、未刊の『イスラーム建築』の第1章(同名の章)の21の名作を 全部いれたものとばかり思っていましたが、ムルターン(パキスタン)の「シャー・ルクネ・アーラーム廟」のみが まだであることに気がつきましたので、今回、これをいれておくことにしました。
ここをクリック すると「イスラーム建築の名作」の『シャー・ルクネ・アーラーム廟』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2016 /09/ 01)
● 前回の 「古書の愉しみ」 は、日本で最初にインド建築やイスラーム建築を調査研究した伊東忠太 (1867ー1954) の 『伊東忠太建築文獻』 を採りあげたので、忠太のあとを追った建築史家・天沼俊一 (1876-1947) の本も採りあげないわけにはいきません。忠太は単行書としてのインド建築の本を書きませんでしたが、天沼俊一はインドをはじめ、東洋建築関係の本を5冊も出版しました。今回の「古書の愉しみ」は 『印度旅行記』をはじめとする その全容を紹介します。 ここをクリック すると「天沼俊一の『印度旅行記』」のページが 別のウィンドウに開きます。 (2016 /08/ 01)
● 伊東忠太とジェイムズ・ファーガスンの関係を軸にした「インド建築史の黎明」というサイトを先月アップしたことに関連して、「古書の愉しみ」の第35回は『伊東忠太建築文献』を採りあげることにしました。といっても全6巻を紹介するのではなく、私の専門に関する第4巻「東洋建築の研究 下」を主とします。 伊東忠太は1903年(明治 36) から1906年(明治 38)にかけて世界旅行をし、日本の建築家あるいは建築史家として初めてインドや中東の建築を調査し記録しました。しかしその成果を単行書として刊行することはなく、雑誌や新聞、学会誌や美術全集の解説として書くのみでした。それらインドからトルコに至る東洋建築史関係の忠太の論考を集成したのが、この巻です。ここをクリック すると「伊東忠太の『東洋建築の研究 下』」のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2016 /07/ 01)
● インド建築史が研究され始めてから 約 170年になります。それは 初めの一世紀間の英領時代に、ジェイムズ・ファーガスンを始めとする イギリス人の建築史家や考古学者によって推進され、大きな発展をとげました。 一方、日本から最初にインド建築の調査に出かけたのは 伊東忠太 で、1902年(明治 35)のことですから、今から 100年以上も前のことです。しかしその後 欧米志向の日本では 長いこと、インド建築は ほとんど建築界の関心の外となり、『インド建築案内』が出版されるまで 100年近くの間、研究の停滞が続きました。 今回 作成したページでは、世界と日本における インド建築史研究 の 黎明期の一断面を、ジェイムズ・ファーガスンと伊東忠太という 二人の建築史家を中心に見ていきます。 ここをクリック すると「インド建築史の黎明」のページに とびますので、興味のある方は ご覧ください。 (2016 /05/ 10)
● 前回の「古書の愉しみ」に アンリ・ド・レニエの小説『二重の愛人』を紹介しましたが、今回は 同じレニエの 散文詩集 を挿絵本にした『古代神話情景集』を採りあげます。厚さが前回の 1/3(印刷ページ数では 1/8)という軽量のヴォリュームながら、これもまたモロッコ革で製本された美麗本で、私にとっては 珠玉の一冊です。というのも、挿絵を描いているのが、「古書の愉しみ」の第7回『青い鳥』で紹介した アンドレ・エドワール・マルチで、しかも全ページが 銅版画(エッチング)なので、挿絵本というよりは、マルチのオリジナルの 版画集 とも言えるのです。
日本の 挿絵本コレクターには、アンドレ・マルチの挿絵本を愛好する人が多いのですが、この 銅版画集は 350部と部数が少ない上に、 革装本となっていることが多いので 値も張り、最も入手が困難になっています。 ここをクリック すると「レニエ + マルチの『古代神話情景集』」のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2016 /03/ 01)
● 南青山のフロム・ファースト・ビルは、山下和正建築研究所に勤務していた20代の後半に、基本設計から現場常駐監理まで、3年にわたって すべてを担当しました。かつて私が設計した建物のうちで一番大きなもので、 これは 1976年度の日本建築学会・作品賞を受賞しました。建築史家の 鈴木博之氏が『日本の名建築 167』(日本建築学会賞受賞建築作品集|1950-2013)(技報堂出版、2014)という本に、フロム・ファースト・ビル について書いているのを 最近読んで 懐旧の情にとらえられ、かつて『建築知識』1976年 11月号の「私のエスキース作法」特集に、「フロム・ファースト・ビルの場合」として書いた記事を思い出しましたので、建築作品のページに再録しておくことにしました。 ここをクリック すると『フロム・ファースト・ビル』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2016 /02/ 01)
● 昨年の「謹賀新年 2015」で、「アルメニアの建築」のサイトにおいて、各地の解説を充実させるとともに、「地名索引」を 昨年のうちに作成するつもりであることを 書きました。 解説は、量が多いことと、十分な時間がとれないために なかなか進捗しませんが、周辺国を含めて 160ヵ所を越えた地名 の索引 は、なんとか完成させました。 これで、トップ・ページから即座に 所要の聖堂に飛び、また索引に戻ることができるようになりましたので、多少なりともアルメニア建築を調べよう という方、またアルメニアを旅行しようと思う方には、知りたい聖堂の写真を たやすく見ることができますので、大いに役立つことでしょう。 個々の聖堂の解説については、今年こそ 全部を、第8章「 アニの都市遺跡 」ぐらいの密度で 書き終えたいものと思っています。 (2016 /01/ 01)
● 今回の「古書の愉しみ」は、 アンリ・ド・レニエが書き、ジョルジュ・バルビエが挿絵を描いた、20世紀初頭のフランスの挿絵本『二重の愛人』を採りあげます。フランスの挿絵画家の中でも最高峰と評価される バルビエの代表作で、A. & G. モルネー書房から「美麗本」叢書の一冊として出版されました。これは19世紀後半から20世紀前半の流行作家、アンリ・ド・レニエの長編小説で、18世紀のフランスとローマを舞台にしています。その内容にふさわしく、クラシックな装幀で豪華にモロッコ革で製本された本です。 ここをクリック すると「レニエ + バルビエの『二重の愛人』」のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2015 /12/ 01)
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● 2020年の東京オリンピックのための 新・国立競技場 の 国際コンペ が行われ、ザハ・ハディド の案が一等に選ばれましたが、日本政府は そのザハを引きずりおろして、国内のゼネコンに主導権を与えるコンペを行う という言語道断な蛮行を演じました。私は オリンピックにも競技場にも 無関心でいましたが、この問題が大きくなった7月半ばから、断続的に「フェイスブック」に意見を投稿しました。それらの記事をまとめて 日付順に再録しましたので、興味のある方は ここをクリック して ご覧ください。 (2015 /10/ 24) ![]()
●● 東京大学名誉教授(インド史)の 辛島昇 さんが、11月26日、82歳で逝去されました。近年は種々の病気で入退院を繰り返されていたようですが、それでも毎年のようにインドに行かれて、研究のついでに旅行をされていました。いつも私の『インド建築案内』を持っていかれて、「たいへん重宝しています」と書いた葉書なども頂戴しました。
● 西インドのラージャスターン州には、ラージプートの城塞が多く残っています。その中で、町から屹立して聳える丘の上の城塞群が、昨年、ユネスコ世界遺産に登録されました。今回、やっとこれを『インドのユネスコ世界遺産』のページに載せました。ただ、そこに選ばれたのは6ヵ所で、チトルガル、クンバルガル、ジャイサルメル、 アンベール、ランタンボル、ガグロンから成りますが、私はランタンボルとガグロンは未訪で、写真も撮影していません。そこで、むしろその2件よりも有名でありながら 選に入っていない ジョードプル と グヮーリオルの城塞を、<参考> として紹介することにしました。しかし6ヵ所の遺産を詳しく紹介していると ページ数がかさみ過ぎるので、城郭を主とした概要を示すにとどめざるをえません。それでも これだけの数の城郭を一瞥すれば、「丘陵城塞」のイメージは よくつかめることでしょう。ここをクリック すると、『 ラージプートの丘陵城塞 』のページに とびます。 (2015 /10/ 03)
● 西インドのグジャラート州、パータンにある『王妃の階段井戸(ラーンキ・ヴァーヴ)』は、数ある階段井戸の中でも 最大のものです。11世紀に造営されたあと、数十年後に土砂に埋もれ、その後 800年もの長きにわたって、名前だけは知られていたものの、それを実際に目にすることはできませんでした。発掘と修復が行われて、その全貌が明らかになったのは、20世紀も末のことです。2年前には ユネスコ世界遺産の文化遺産にも登録されました。だいぶ遅れをとりましたが、この度 やっと写真と原稿をまとめましたので、階段井戸(ステップウェル)の説明とともに、「インドのユネスコ世界遺産」のページに載せました。ここをクリック すると、『 パータンの 王妃の階段井戸 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2015 /09/ 04)
● 「古書の愉しみ」 の第 32回は、前回の 『ラ・ニュイ・デ・タン叢書 -3 ヨーロッパ南部編』24冊に続いて、『ラ・ニュイ・デ・タン叢書 -4 ヨーロッパ北部編』として、15冊を扱い、さらに特定主題の巻4冊を加えて 19冊とし、『 ラ・ニュイ・デ・タン叢書』全 88巻の紹介を完結させます。また 関連図書として、ゾディアックが出版した「ロマネスク美術入門」や『ロマネスク美術用語辞典』 など5冊も紹介して、4回にわたったゾディアックのロマネスク・シリーズを 終わりにします。ここをクリック すると、『ラ・ニュイ・デ・タン叢書 -4 』のページに とびます。 (2015 /08/ 02) ![]()
●● 昨年の9月、インドのアムリトサルの黄金寺院を舞台にした映画『聖者たちの食卓』を東京で公開した時に、封切をした渋谷のアップリンクという映画館で 小さなトーク・ショーをしましたが、その時の最後に 司会の斉藤さん(プレイタイム)から、私がそれまでに見たインド映画の中で 一番好きなのは何ですか?と問われて、『チャルラータ』です と答えました。タゴールの原作を『大地の歌』三部作の サタジット・レイ が監督して作った映画で、一般的なインド映画の陽気なイメージとは全く異なった、むしろロシア文学の チェホフ や プーシキン のような詩的な世界を、実にしっとりと描いた映画です。主人公の チャルラータ を演じた女優、マドビ・ムカージーも良い。
● 「古書の愉しみ」 の第19回で『シトー会の美術』を採りあげた折に、その本は ロマネスク美術を扱う ゾディアック出版所の「ラ・ニュイ・デ・タン叢書」の1巻であることを書き、いつか 全 88 巻の叢書の全容を一挙に紹介したい、と書きました。それを やっと実現することとなり、「一挙に」とまではいきませんが、その第1回として、「フランス北部編」のページを作りました。 日本では『ゾディアック叢書』と呼ばれることが多いですが、ゾディアックというのは出版元の名前なので、今回からは 正しく、「ラ・ニュイ・デ・タン叢書」の名で呼びます。何度も書きましたが、ロマネスク建築というのは、音楽でいえば、バッハの音楽に相当します。まだ古拙なところがありますが、その内面的な美しさの価値は、その種の精神の人々の心を とりこにします。ここをクリック すると、『 ラ・ニュイ・デ・タン叢書 -1 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2015 /05/ 01)
● 中世南インドのタミル地方にはチョーラ朝という大帝国が栄え、その国家規模にふさわしい大寺院建築を発展させました。現代に至るまでその代表として多数の信者、巡礼者を集めてきたのが、最大規模を誇る タンジャーヴールのブリハディーシュワラ寺院 で、1987年に ユネスコ世界遺産に登録されました。しかしタミル地方には他にも多くのドラヴィダ寺院建築の遺産があるので、紆余曲折をへた後、大規模な ガンガイコンダチョーラプラム のブリハディーシュワラ寺院、および ダーラースラム のアイラーヴァテーシュワラ寺院を タンジャーヴールと合わせて、「チョーラ朝の大寺院」として、2004年に 拡張 再登録 されました。
● 2年前に「アルメニアの建築」のサイトを作った当初は、アルメニア建築を よりよく理解するために、「グルジア共和国内の グルジア聖堂」 および 「アナトリアにおける 初期キリスト教建築」の章を設けるつもりで、目次にもそう書いていましたが、時間的にも労力的にも そこまでの余裕はないと悟り、それは やめにして、「周辺国におけるアルメニア聖堂」の章のみを 昨年作成して、1月1日にアップしました。しかし どうも それでは物足りなく感じられ、アルメニア建築の兄弟ともいうべき グルジア建築を 多少なりともこのサイトに載せて、サイトの訪問者の便をはかるべきだと 考え直しました。
● 昨年の「謹賀新年 2014」で、「アルメニアの建築」のサイトに、アルメニア 周辺国(グルジア、トルコ、イラン)の各地に残る聖堂建築の章を 昨年のうちに作成するつもりであることを書きました。そして、その予告どおり、写真を 150 枚 スキャンし、それぞれの地域の 地図 も作成して、アップロードしました。 アルメニア建築に興味をもっていながらも、アルメニア共和国には まだ行けないが、トルコやイランには旅行する機会がある という方には、大いに役立つことでしょう。 ![]()
この「周辺国の章」を作成するのに、1年間も かかってしまいました(昨年の前半は、私家版『イスラーム建築』の製作に かかりきりでしたので)。アルメニア共和国内の各章と同じく、それぞれの聖堂や遺跡の 解説 を書く時間は まだとれていませんので、今年は それを充実させるべく努力し、また、「インドのイスラーム建築」 や 「中国のイスラーム建築」のサイトにおけるような <地名索引> を作成して、検索の便を はかろうと考えています(地名の項目数が、すでに 130 近くにもなっていますので)。
ここをクリック すると、『周辺国のアルメニア建築』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2015 /01/ 01) ![]()
●● イタリアの映画監督 フランチェスコ・ロージーが1月10日に亡くなったそうです。92歳といいますから、十分に生きたと言えるでしょうが、でも、ジョセフ・ロージーと違って寡作の人でした。 今から 30年ほど前に『エボリ』という映画を見て、深く感動しました。カルロ・レヴィの小説『キリストはエボリに止まりぬ』を映画化したもので、反ファシズムの作家・画家がイタリアの最貧の地に追放され、そこでの生活を坦々と描いたものです。
● この HPの「インドのユネスコ世界遺産」のサイトには、ユネスコに登録されたインドの文化遺産のうち、すべての 建築遺産 を紹介していましたが、新規に登録されたものは、ムンバイの 「チャトラパティ・シヴァージー駅舎」 でストップしていました。実は 2007年にデリー城が登録されたときに、それを書き始めたのですが、単に城だけでなくデリーの都市の歴史まで書こうとしたら、それを調べることに時間を費やしてしまい、途中まで書いたところで中断してしまいました。いったん中断すると、なかなか再開できないもので、ずっと そのままになってしまいました。何とかしなければいけないと、やっと腰をあげて、今回 最後まで書きあげました。 ここをクリック すると、「インドのユネスコ世界遺産」 の 『 デリー城(レッド・フォート)』 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /12/ 01) ![]() ●● フェイスブック に、インド建築とイスラーム建築の「フェイスブック・ページ」をもっています。どちらにも 「写真アルバム」 があり、それぞれ週に一枚、建築写真を載せています。フェイスブックでは これをストックしてくれるので、過去にアップした写真を イスラムは 国別のアルバムで、インドは テーマ別のアルバムで、見ることができます(写真だけで、解説はありませんが。)現在は、『イスラム建築』は「チュニジアの建築」を、『インド建築』は「仏教建築」を、延々と続けています。
フェイスブックに アカウント登録をしている方は、それぞれのページの一番上にある「いいね」ボタン を 押すと、毎週一枚ずつ、新しい写真が届くことになります。HPの『神谷武夫とインドの建築』や『世界のイスラーム建築』のトップページの「いいね」ボタンを押しても同じです。 (2014 /12/ 15)
● 「古書の愉しみ」の第25回 「私家版『イスラーム建築』」に書いたように、『イスラーム建築』の印刷のために買った エプソンのプリンター において、インクに関するエプソンの 悪徳商法 のために、ひどい目にあいました。買ったインクの半分が、印刷に使われずに「 廃インク吸収パッド」に捨てられて、どんどん新しいインク・カートリッジを買わされるのです。(限定 100部を印刷するために、全部で 50万円インクを買ったうち、半分の 25万円分は、ドブに捨てたられたことになります。廃インク吸収パッドが 何と10回も満杯になり、その都度 未吸収のものに交換したのです。)そのために、本の頒価も高くなってしまいました。 100冊の印刷が終わった8月初旬以降は、このプリンターをほとんど使っていませんが、それまでは 「廃インク吸収パッド」の交換をするたびに、インクを印刷に使わずに捨てる理由を説明するようエプソンに求め続けました。しかし エプソンの社員は誰一人としてそれを説明せず(できず)、現在調査中であるとか 問い合わせ中であるとか言い逃れをして、現在に至るまで、一切の説明をしていません(金もうけのために、消費者をだましてインクを捨てさせ、新しいインクを ジャンジャン買わせるためだ、などとは白状できず、さりとて、もっともらしい嘘の説明を でっちあげることもできないわけです)。 私に問い詰められた一人一人の社員は、心の中では これが 会社の悪事 だと知っても、会社を告発することはできず、会社をかばうために 自分の良心を犠牲にして、嘘をつき続ける わけです。これが会社への「忠」であり、封建時代のサムライの立場と似たようなものであって、これが「武士道」の倫理の成れの果てかと思うと、何とも やりきれません。 エプソンの対応のいくつかは「私家版『イスラーム建築』」のページに載せましたが、大岩根 という社員は、「廃インク吸収パッド」を2〜3回交換した頃に電話をしてきて、自分がこの件の責任者だから、損害を弁償するなり何なり、自分が責任をもって解決する、と大見得をきっておきながら、上司に一喝されるや、結局何もせずに、説明責任からも逃げ回っていました。 こちらは 100部の印刷がすべて終わって、「廃インク吸収パッド」の交換をすることもなくなり、エプソンの下請けの修理員も来なくなったので、もう 何も言わずにいました。
すると1週間ばかりたった頃に、エプソンの代理人たる「国広総合法律事務所」の中村という 弁護士 から郵便がきて、私からの苦情で エプソンの担当者(大岩根)が「深刻な精神的打撃を被っている」ので、私からエプソンへは一切 直接連絡をしないよう、「本件に関して通知、連絡、申し出等がある場合には、当職らに対し書面をもって行うように」 と言ってきました。そして、「本件に関しましては、現在、通知人(エプソン)において 解析作業 を進めているところであり、解析作業が得られた時点で、貴殿宛に 書面にて回答いたしますので、今暫くお待ちいただきたい」と書いていますが、この通知が来たのは8月1日です。 ![]()
●●● エプソンの代理人たる 国広綜合法律事務所の 中村弁護士 から 10月22日に、2回目の郵便がきました。 エプソンによる 「調査報告書」 と称する2枚の紙を送ってきたのです。 「新渡戸稲造の『武士道』 」のページに書いたように、エプソンが一向に「解析作業」の結果の「書面」を送ってきていないということを知って、それでは 弁護士が 嘘をついたことになるので、急遽 エプソンに書かせて、弁護士サイドから送ってきたわけです。ところが その内容たるや、私のエプソン・プリンターと同程度の使い方をエプソン社内でしてみたら、確かに たくさんのインクが「廃インク・パッド」に捨てられることを確認したので、私のものは故障ではなく正常だ、というのです。当たり前じゃないか。 そのように 悪事をはたらくよう 設計されているのだから。 なぜ インクの半分も、印刷に使わずに 無駄に捨てるのか、という 最初からの問いには まったく答えない(答えられない)わけです。これが、5ヵ月も 費やした「解析作業」の結果だとは、滑稽 というほかは ありません。 説明責任 も果たさずに こんなものを送ってくるとは、日本の弁護士も 地に堕ちたものです。(正義と人権を守るという 弁護士のプロフェッション は どこに行ったのか?)
(2014 /11/ 01)
● 前回の「古書の愉しみ」に 新渡戸稲造の『武士道』について書いたあと、その昔 読んだ、杉本鉞子(すぎもと えつこ)の『武士の娘』を思い出しました。当時の「筑摩叢書」の大岩美代訳で読みましたが、大変に面白かったので、後に 挿絵入りの英文初版をアメリカの古書店から購入しました。ざっと見たあと 書架に仕舞ったままになっていたのを、今回 引っぱり出して読み初めたら、日本人にとっては読みやすい英語なので、全編を通読しました。今から 80年前に出版された この本の 装幀や挿絵について、「古書の愉しみ」の第 28回として、簡単に紹介しましたので、興味のある方は、ここをクリック して ご覧ください。
(2014 /11/ 01)
● 前回の「古書の愉しみ」は 岡倉覚三の、『茶の本』をはじめとする英文三部作を紹介しましたが、明治の日本人で、英語の著作を外国で出版した人といえば、誰しも、岡倉覚三と並んで 内村鑑三と 新渡戸稲造を思い浮かべることでしょう。今回は、岡倉の本より わずかに早く出版された、新渡戸稲造の、有名な『武士道』を採りあげます。岡倉の英文三部作の初版を入手したあと、新渡戸の 『武士道』 も架蔵したくなって調べたら、英文の初版は『東洋の理想』よりも3年早い 1900年(明治33)に フィラデルフィアのビーズ&リドル社から出版されたのですが、これは入手困難で、ほとんど古書市場にも出ません。それでも折にふれてチェックしていると、米国版の直後に、日本の出版社の 裳華房 (しょうかぼう) が 原出版社から版権を買いとったらしく、英文のままで 同年のうちに国内出版しています。そして、わりと保存のよいものがアメリカの古書店にあることを知り、これを入手しました。ここをクリック すると、「新渡戸稲造の 『武士道』」 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /10/ 03)
● 私家版『イスラーム建築』は、印刷(コピー)するのにたいへん時間がかかりますので、前の 50冊を製本に出したあとも、ずっと印刷を続けていました。8月初旬に 次の 50冊分の増刷ができましたので、それに折りをいれて 製本に出し、末日に やっと出来あがりました。これで、私家版『イスラーム建築』は、全部で 100部の 限定出版 ということになりました(これ以上 増刷することはありません)。その内の 90冊が頒布用です。ご希望の方は、私家版『イスラーム建築』のページをご覧の上、メールで神谷までご連絡ください。 (2014 /09/ 01)
● 「古書の愉しみ」の第 26回は、岡倉覚三の『茶の本』を採り上げました。岡倉覚三は、「天心」の雅号で知られていますが、本の著者名は、本名の「覚三」です。 彼の生前の著書は全部で 3冊ですが(『東洋の理想』、『日本の覚醒』、『茶の本』)すべて英語で書かれ、今から100年ほど前に イギリスやアメリカで出版されました。ずっと後になって 日本語に翻訳され、特に『茶の本』は、今では 10種類以上の翻訳が 出版されています。 私のところには 英文の初版本 が 3冊ともありますので、それらがどんな造本と装幀で出版されたのかを、詳しく紹介します。 ここをクリック すると、「岡倉覚三の『茶の本』」 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /09/ 01) ![]()
● 遅ればせながら、若杉冽(わかすぎ れつ)の 『原発ホワイトアウト』(講談社、2013)を読み終わりました。これは 原子力発電所の再稼働 をテーマにした小説ですが、建設マフィアに並ぶ 電力マフィアの実態と行動を 実にリアルに描いていて、非常に興味深く読めました。 おりしも原子力規制委員会は 9月10日に、九州電力の川内(せんだい)原発が新規制基準を満たしているとする「審査書」を出しました。日本は再び、悪夢の道を突き進むのか。 この小説は、全国民の必読書と思います。
「著者、若杉冽氏が明かす“モンスターシステム”とは」 (2014 /09/ 11) ![]()
● 続いて、橋本英樹(埼玉県熊谷市の見性院住職)の『お寺の収支報告書』(祥伝社 2014)を読みました。私はインド建築やイスラーム建築など、宗教と深く関係する歴史的建築文化を研究してきましたが、それにつけても、日本仏教の堕落ぶりに、本当に情けない思いをしてきました。その昔読んだ 岩波新書『仏陀を背負いて街頭へ』の妹尾義郎以後、日本仏教を改革しようとする人が 全く現れない らしいことに 絶望していましたが、この本を読んで、現代的で合理的、かつ 本当の仏教をめざして活動する 橋本英樹 師の豪快な記述と主張に 深い感銘を受けました。もしかすると、まだ日本仏教にも未来があるのかもしれないと、思わされます。願わくは、橋本さんのあとを追いかける若い仏教者が 続々と現れることを。 Amazon 『お寺の収支報告書』 (2014 /09/ 12) ![]()
● 北インドのパンジャーブ州に、シク教 の聖地、アムリトサル の都があります。そこには大きな池 アムリト・サーガル(甘露の池)があり、その中央に浮かぶように ハリ・マンディル(神の寺院)が建っています。日本の金閣寺のように金箔で覆われているので、俗に ゴールデン・テンプル(黄金寺院)と呼ばれています。ここには巡礼者のための無料の食堂があり、ボランティアの信者たちが、毎日 10万人分の食事を作って提供しています。これを見て感動したベルギー人 フィリップ・ウィチェスと ヴァレリー・ベルトー夫妻が ドキュメンタリー映画『聖者たちの食卓』を作り、2年前の東京国際映画祭では ドキュメンタリー部門のグランプリを受賞しました。これを 小映画館ながら、渋谷の アップリンク で 9月27日から、商業上映することになりました。(その後、全国各地で。)映画には説明が ほとんどなく、ゴールデン・テンプルや調理風景などの映像が 坦々と写し出されているばかりなので、9月28日(日)の 1時の回の上映のあと、2時5分から 30分ばかり、私が寺院建築の説明をし、質問にも応じることになりました。
● 「古書の愉しみ」の第 25回は、私の第7冊目の本、第 21回で採りあげた『イスラーム建築、その魅力と特質』を、再び採り上げます。というのは、何度も書いているとおり、これはマフィアの圧力によって 全ての出版社が出版拒否をして「幻の本」となってしまいましたが、たった一部だけ ゲラ刷りが残りましたので、これを両面コピー(印刷)して 手製本することによって、ついに 私家版『イスラーム建築』として、典雅な布装本の 実際の書物にすることが できたからです。全部で 50冊作りましたので、保存用の 10冊を除いた 40冊を、御希望の方に 実費(1万円)でお頒けすることにしました。 ここをクリック すると、「私家版 『イスラーム建築、その魅力と特質』 」 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /07/ 06)
● 「古書の愉しみ」の第 24回は、私が最初に出した本、アンリ・スチールラン著、神谷武夫訳の 『イスラムの建築文化』 を採りあげます。『イスラムの建築文化』の初版が原書房から出版されたのは、今から 27年前の 1987年 11月ですから、それほどの古書ではないのですが、原書房はその 2年 3ヵか月後の 1990年 2月に増刷し、その半年後に普及版を出した後は まったく増刷していませんので、これもまた 今では入手困難な「稀覯書」になってしまいました。そこで、本の内容と造本を、この『古書の愉しみ』の第 24回として 紹介しておこうと思います。 ここをクリック すると、「アンリ・スチールランの『イスラムの建築文化』」のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /06/ 01)
● 書棚の引き出しの中味を整理していたら、今から 23年も前に『建設通信新聞』の神子さんに慫慂されて書いた、「アジアの建築」という記事のコピーが出てきました。そういえば、この随想は HPに載せたことがなかったな、と思いながら読み返してみると、まだ 『インド建築案内』 も書いていなかった頃のもので、将来の 出版に対する夢 のようなことを、しかし正論として書いているので、現在とは やや状況が違い、いささか古すぎるという気がしないでもないですが、今月は これを再録することにしました。ここをクリック すると、「アジアの建築」 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /05/ 01)
● 「古書の愉しみ」 の第 23回は、今から 130年近く前に出版された豪華本、ギュスターヴ・ル・ボンの『インドの文明』を採りあげます。フランス人のギュスターヴ・ル・ボンは不思議な人で、著作家としての出発時に図版のたくさん入った『アラブ人の文明』や『インドの文明』を出しているのに、その後は『群集心理』で代表されるような 社会心理学の本を多く書き、インド文化やイスラーム文化とは ほとんど縁がありませんでした。『インドの文明』は、イギリスのインド政府考古調査局による報告書を別にすれば、19世紀におけるインド関係の出版物の中では、最も豪華な本です。 ここをクリック すると、「ギュスターヴ・ル・ボンの『インドの文明』」のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /04/ 01)
● 「古書の愉しみ」の第 22回は、そのタイトルにふさわしい、ヨーロッパの長い造本芸術 (Relieur, Bookbinding) の歴史上にある、2冊の美しい ハーフ・レザー の古書を採りあげます。本は、近代フランスの詩人を代表する二人、ポール・ヴェルレーヌ (1844-1895) とアルチュール・ランボー (1854-1891) の詩集です。前者は、19世紀の「典型的なデカダンスの詩人」と評されたりする ヴェルレーヌの最も名高い詩集『叡智』で(『知恵』とも訳されます)、獄舎で回心してカトリック教徒となった詩人の、透明な心境を詠ったものです。入獄の原因となったのは、若いランボーとの同性愛、逃避行、そして発砲事件でした。そのランボーの散文詩集としては『地獄の一季節』と『イリュミナシオン』の 2冊がありますが、それ以外の彼の韻文詩作品のすべてという意味で『全詩編』と題されているのが、後者です。 2冊とも 偶然ながら、今から約 90年前の 1925年に出版された古書ですが、それよりも ずっと後になって モロッコ革で製本された、まるで新品のように きれいな書物です。要するに私は、稀書・珍品・初版本のコレクターというのではなく、「美しい本」を求める「愛書家」だということです。 ここをクリック すると、「ヴェルレーヌの『 叡智 』と ランボーの『 全詩編 』」のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /03/ 02)
● 「 『イスラーム建築 』の本は、あいかわらず出版されていません。と言うより、どこの出版社も マフィアの要請に応えて、私の本の出版を拒否していますので、この『イスラーム建築』の出版は、ほとんど 絶望的になりました。」と この「お知らせ欄」に書いたのは、1年半前のことです。その本来の出版元の彰国社で『イスラーム建築』の編集を担当した三宅氏は 数年前に退職していますが(三宅氏は取締役でしたから、定年があったわけでもないでしょうが)、かつて どうしても出さなかった色校のゲラ刷りを(印刷会社から彰国社へは 3部提出されていました)、処分してしまう前に 一部だけ 引き渡してくれました。その後、あとの2部は 会社が破棄してしまったそうなので、今では これだけが、『イスラーム建築』という本の印刷内容を伝える、唯一の「形見」となってしまいました。で、最近になって、もう(どこの出版社も言論の自由、出版の自由を守ろうとしない)堕落した この国で、この本が出版される可能性はないのですから、この 唯一残されたゲラ刷りを全部スキャンして、HP上で公開しておくのも、日本の建築界と出版界の腐敗を記録しておく 一つの手段かなと思い至りました。それを、やや奇妙な話ながら、「古書の愉しみ」のページに載せることにしたのです。といっても、すべてを読めるように できるわけではありません。ただ、全ページのレイアウトを示して、そのヴィジュアルな内容を見てもらい、こういう、日本人に縁遠かった イスラーム文化を理解する上で有用な、イスラーム建築 の概説書が出版されないことが いかに理不尽なことかを知ってもらえるでしょう。ここをクリック すると、『 イスラーム建築 その魅力と特質』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /02/ 01)
● 昨年の 「謹賀新年 2013」で、「アルメニアの建築
![]() そういうわけで、アルメニアの建築を紹介するサイトとして、次にやるべきは、周辺国(グルジア、トルコ、イラン)におけるアルメニア聖堂の写真をスキャンして、地図とともにアップロードすることでしょう。特別な支障が起きないかぎり、今年1年をかけて、それをやり遂げたいと思っています。アルメニア建築に関心をもつ人は、インドやイスラームに比べて、ずっと少人数でしょうが、私の言う 「建築の原型」としてのアルメニア聖堂を記録しておくことは、是非とも必要なことと考えます。今回、海外の人のために、英語版のサイト も作りました。
さて、『アルメニアの建築』のサイトの 当初の予定としては、『神谷武夫とインドの建築』、『世界のイスラーム建築』におけるのと同じような、詳細な「文献目録」を作成するつもりでしたが、そこまでの需要は あまりなさそうなので、むしろ アルメニア建築についての代表的な本を順に採りあげて、詳しく紹介するほうが良いのではないかと思うに至りました。そこで、第1回として、最もヴィジュアルで 見るに楽しく、しかも豊富な実測図が載っていて 学術的にも大きな価値のある『アルメニア建築ドキュメント』(ミラノ工科大学建築学部 + アルメニア共和国科学アカデミー編)のシリーズを採りあげることにしました。アルメニア建築に深い興味を抱いた方は、このシリーズの本を1冊でも多く買いそろえることをお勧めします。ここをクリック すると、『アルメニア建築ドキュメント』のサイトに とびます。 (2014 /01/ 01)
● 前回の「古書の愉しみ」で『シトー会の美術』を採りあげましたが、 1978年にこの本を購入してから、ひと通り翻訳をしました。ところが、まだ これを推敲する前に、次第に『イスラムの建築文化』の翻訳にシフトしてしまいましたので、翻訳草稿は机の中に仕舞われたままに なってしまいました。今後も 私の本は マフィアの圧力で出版されませんので、この機会に アンセルム・ディミエ による総論部分だけを、今回の 「古書の愉しみ」で公開することにしました。ここをクリック すると、『 シトー会の美術 (翻訳)』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2013 /12/ 01)
● 前回の「古書の愉しみ」で『堀辰雄全集』 を採りあげた折に、江川書房版の『聖家族』に代表される「純粋造本」が、建築でいえば シトー会の修道院 にあたると書きました。時々私が シトー会の建築に触れるわりには、それが実際にどんなものかを詳しくは書いていませんので、「古書の愉しみ」の第 19回は、それほど古い本ではありませんが、ロマネスクの美術と建築の一大シリーズ、「ゾディアック叢書」の中の『シトー会の美術 』、フランス編と ヨーロッパ編の 2冊を採りあげることにしました。フランス編の初版が出版されたのは 1962年ですから、前回の『堀辰雄全集』の 4年後のことです。今から半世紀前になりますから、その後の、カラー写真満載の大型本に比べれば 確かに 古めかしい古書ですが、シトー会の修道院建築を紹介した本としては、今でも最も優れたものと言うことができ、私の愛蔵書です。 ここをクリック すると、『 シトー会の美術 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2013 /11/ 01)
● スタジオ・ジブリの『 風立ちぬ』が、宮崎駿 監督の 最後の 長編アニメーション映画になってしまいそうだ ということが 話題になっています。DVDになったら買おうと思っていたので、まだ 私は見ていませんが、これは 戦前の同時代を生きた、ゼロ戦の設計者の 堀越二郎 と、「風立ちぬ」を書いた小説家の 堀辰雄 とを 重ね合わせてモデルとしたストーリーだそうです。 これに事寄せて、「古書の愉しみ」の第 18回は、『 堀辰雄全集 』 を採りあげました。 建築書ではありませんが、私が今までに手に取った和書の中で、最も美しい造本・装幀の本です。ここをクリック すると、今から半世紀以上前の 1958年に出版された 新潮社版『 堀辰雄全集 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2013 /10/ 01)
● 「古書の愉しみ」の第 17回は、今から 200年近く前の 1817年に最初に出版された、トマス・リックマンの『 英国建築様式を判別する試み 』で、その 1825年の第3版、仔牛革装の やや 派手な製本の書です。オーガスタス・ウェルビー・ピュージンの『キリスト教建築の正しい原理』と並んで、イギリスの ゴチック・リヴァイヴァル の牽引役となった トマス・リックマンの この本は、ジェイムズ・ファーガスンが建築史研究を始めた当時、最も影響を受けた書物で、リックマンにならって、インドの建築、そして世界の建築の様式分類をしていきました。 ここをクリック すると、『英国建築様式を判別する試み 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2013 /09/ 01)
● 「古書の愉しみ」の第 16回は、全3巻の革装本です。フランスのゴチック建築の修復建築家であった ヴィオレ・ル・デュクの『 建築講話 』です。復刻版は何度か出版されていますが、オリジナルは 上巻と図版集が 今から ちょうど 150年前の 1863年に、下巻は その9年後の 1872年に出版されました。修復の体験とその理論化については彼の主著『中世建築事典』全 10巻が
ありますので、これは ヴィオレ・ル・デュクの建築論 と見ることができます。鋼版画と 木口木版の図版がたくさん入った 魅力的な本です。 ここをクリック すると、『 建築講話 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2013 /08/ 01)
● この 2年あまり、「アラブの春」と呼ばれた 中東の政治・社会情勢が、今も揺れ続けています。チュニジアで始まった 市民による異議申し立ては エジプト、リビア、アルジェリアから、現在はトルコにおよんで イスタンブルやアンカラで首相退陣要求デモが続いていますが、イランでは選挙によって、平和裏に穏健派のロウハニ氏が 新大統領に選ばれました。その中東における近代建築というのは、日本ではまったく知られていませんが、ハッサン・ファティ(1900-89)という エジプトの建築家が 大きな役割を果たしました。現在 再び騒然としているエジプトの情勢にちなんで、『世界のイスラーム建築』のサイトの「イスラーム建築入門」の章に、「ハッサン・ファティの仕事」というページを付け加えました。これは、中東に劣らず腐敗した日本の、マフィアの圧力のもとで、すべての出版社が 足並みそろえて 出版拒否している 拙著『イスラーム建築』の 第5章、「イスラーム建築と現代」の中の一部分です。 小さな紹介記事ですが、ここをクリック すると、「ハッサン・ファティの仕事」のページに とびますので、興味のある方は ご覧ください。 (2013 /07/ 01)
● 「古書の愉しみ」の第 15回は、前回と同じように古書の復刻版です。今は稀覯本となっている、ウェンディンゲン版と ヴァスムート版の『 フランク・ロイド・ライト作品集 』です。オリジナルのヴァスムート版は今から 100年ほど前の 1910年にベルリンで出版されました。ウェンデインゲン版は今から 88年前の 1925年にオランダで出版されました。ライトの 初期の作品集である ヴァスムート版の図版の多くを描いたのは、マリオン・マホニー・グリフィンという、長くライトの助手を勤めた女性建築家でした。 ここから、前回のジェシー・マリオン・キングの挿絵本との ひそかな関連をあぶりだします。 ここをクリック すると、『 フランク・ロイド・ライト作品集 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2013 /06/ 01)
● しばらくぶりに、「古書の愉しみ」のページに、新しい1冊を加えました。建築書ではなく、挿絵本です。以前に取り上げた挿絵本は いずれもフランスの本でしたが、今回は イギリスの挿絵画家、ジェシー・マリオン・キング による『 幸福な七日間 』 (セヴン・ハピイ・デイズ) です。
● 日本建築学会の編集で岩波書店から1993年に出版された『建築学用語辞典』という本があります。しかし 全く利用したことがなかったので、いったい どんな辞典だろうかと、1999年の第2版を図書館から借りてきて調べてみたら、これは、『建築大辞典』であるよりも 、建設工学(ビルディング・サイエンス)についての 用語辞典であることがわかりました。どうして 日本では そういうことになるか については、「文化の翻訳―伊東忠太の失敗」に詳しく書いたので、ここで 繰り返すことは しません。ただ、この辞典の ほんの わずかの項目を引いてみただけで、これが 日本の「建築学の英知を結集して 編纂された」辞典かと、目を疑ってしまったので、そのことだけを 書き留めておくことにします。興味のある方は、ここをクリック して、ご覧ください。 (2013 /04/ 01)
● 今まで、イスラーム建築に関する記事で、モスクのタイプに 「アラブ型」、「ペルシア型」、「トルコ型」、「インド型」という名称を使ってきましたが、それらについて詳しく記述したページがないので、消化不良の感じを抱いている方も いると思います。そこで、『世界のイスラーム建築』のサイトの「イスラーム建築入門」の章に、「モスクの分類と典型」というページを付け加えました。これは、すべての出版社が 足並みそろえて 出版拒否している『イスラーム建築』の 第2章 「イスラームの礼拝空間」の中の一部分です。モスクはどのように分類することができるのか ということと、その典型と見なされる 四つの型(タイプ)について、詳しく解説しています。 ここをクリック すると 「モスクの分類と典型」 のページに とびますので、興味のある方は ご覧ください。 (2013 /03/ 01)
● 昨年の秋に、東ヨーロッパの ブルガリア に行ってきました。今までほとんど紹介されることのなかった 東欧のイスラーム建築 の代表として、ブルガリアのイスラーム建築を訪ねて撮影してくるためでした。 ブルガリアは のんびりした国で、非常に物価が安く、まるで「おとぎの国」のようなところでした。 東欧は、長くオスマン帝国に支配されていた時代に無数のモスクやマドラサ、ハンマームやテッケが建てられましたが、19世紀末にオスマン朝が衰退してから東欧の大部分はキリスト教圏にもどり、イスラーム建築の大半は放棄されたり、破壊されたり、他の用途に転用されたりしてしまいましたから、一級品が残っているわけではなく、大きな建築的感動というもののない旅でしたが、東欧のイスラーム建築とは、どんなものかということは良くわかりました。すなわち、ミニチュア版の「オスマン建築」だということです。
● このサイト『神谷武夫とインドの建築』を 最初にインターネットに載せたのは、1997年の 10月ですから、もう 15年も続けていることになります。日本人が建築を学び、あるいは研究するといえば、明治以来、それは もっぱら ヨーロッパと アメリカの建築であったことに反発し、アジアの建築、なかんずく インドの建築を研究してきましたので、インターネット上でも、それを できるだけ詳しく、ヴィジュアルに紹介しようと 思い立ったのです。私が始めた頃には、まだ 充実したホームページというものが 少なかったので、私のHPには ずいぶん多くのアクセスがありました(といっても、インターネット人口自体も 少なかったのですが)。累計で、このサイトへのアクセス数は、30万を超えています。 一方、インドとも イスラームとも ちがう、もう一つの建築分野に、若いときから関心を払ってきました。それは、ロマネスク建築 です。私が最も深く感動した建築のジャンルは、実は ロマネスク建築だったのです。しかし、これは ヨーロッパ建築であり、その研究は「西洋建築史」において、ゴチック建築や バロック建築と並んで、多数の人々によって行われてきましたので、あえて私は 深い研究はせずにいました。ところが、このロマネスク建築と非常に親近性のある アルメニア建築 に引き込まれ、これは日本では ほとんど知られていず、しかも アルメニア本土がソ連邦の一員であったことから、現地の取材や研究も むずかしかったのです。それが、ソ連の崩壊によって、また その直後の、ナゴルノ・カラバフをめぐる アルメニアと隣国アゼルヴァイジャンとの戦争が休戦になって、初めてアルメニアに 自由に取材旅行に行けるようになりました。
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アルメニアに すっかり惚れ込んでしまった私は、2004年、2007年、そして2008年の3回、それぞれ3週間ずつ滞在して、アルメニアの ヴァンク(修道院)を訪ねまわり、撮影を してきました。そして、これをまとめて本を出版することを意図したのですが、何度も言うとおり、マフィアの圧力によって、すべての出版社が私の本を出すまいとしていますので、これは不可能となりました。そこで、インターネット上に発表しようと思ったのですが、イスラームとインドに ほとんどの時間を取られ、買い集めたアルメニア建築の書物を じっくりと読む時間もとれず、「お知らせ」欄で予告したきり、いつまでたっても纏まりません。
ある地域の建築を研究する 第一歩というのは、その地域の どこに どんな建物があるのかを明らかにし、記録することです。それがあってこそ、相互の比較研究ができ、他の地域の建築との違いも明らかにでき、また建築史を構成するための 基礎資料ともなるからです。拙著『インド建築案内 』も、HP『世界のイスラーム建築』のサイトの中の 「中国のイスラーム建築」も、そうした意図のもとに 纏めたものです。これらを基にして、若い人たちが インドの建築やイスラーム建築の研究を 発展させてくれることを 大いに期待するものです。
● 月遅れの建築雑誌を パラパラとめくっていたら、『新建築』の10月号に、横河健(横河設計工房)が設計した 「ドナルド・マクドナルド・ハウス・東大」という、奇妙な題名ながら、爽やかな建築作品が 目につきました。 東大病院で手術を受ける難病患者や長期入院患者の 家族のための宿泊施設を、企業メセナによって建てた施設ですが、ここで取り上げるのは、その優れた設計内容ではなく、建築家としての 横河氏の「愚痴」についてです。設計者の横河氏は その作品説明の中で、次のように書いています。(太字引用者)
たいていの建築家は この文章を読んで うなずき、同感の意を示すことでしょう。しかし一般の人が これを読んでも、あまりよく わからないのではないでしょうか。 横河氏は「建築」という言葉を、おおむね「建物」の意で用いているのですから、「建築の竣工式であるにもかかわらず 建築のケの字もなければ」というのが 何を言わんとしているのか、一般の人には 理解しがたいと思います。
今回取りあげるのは、むしろ後半の文にある「建築家と 設計業者の違い」ということ についてです。この問題についても 何度となく書いてきましたので(『原術へ』の「解題」 や、「何をプロフェスするのか」、「あいまいな日本の建築家」)簡単に書きます。 このフレーズで 横河氏が 何を言わんとしているのかというと、自分は建築家であって、設計業者ではない。 それゆえに、この建物の竣工式における「全くの業者扱い」は 心外である、ということでしょう。
では、横河氏は どうなのでしょうか? インターネットで 横河氏を検索すると、株式会社・横河設計工房 の 代表取締役 とあります。つまり、営利企業としての 株式会社の社長であるのですから、まぎれもなく「設計業者」です。設計業者であるのに「業者扱い」に苦情を言う というのは、矛盾しています。もちろん、利潤追求を最大目的としていたのでは、横河氏のような 質の高い設計活動を続けることはできません。そこでは 多分に、利益を犠牲にしてでも、人々のために 質の高い建物を設計しようとする プロフェッション意識に突き動かされている はずです(若い所員の安月給による 経済的犠牲もあることでしょうが)。
以前にも こうした待遇に「愚痴」を言っていた建築家がいたな、と調べてみたら、それは きわめて尊敬すべき建築家の 坂 茂氏でした。『新建築』の 2010年7月号に、国際コンペで選ばれて実現させた、フランスの ポンピドー・センター・メス という美術館を載せた折に 坂氏が書いた解説文においてです。 氏は、
と書いています。これが意味しているのは、フランスでは 建築家の事務所は 株式会社などではありえないし、したがって 世の中から「業者扱い」は されていず、弁護士や医師のような プロフェッション として、また 作曲家や映画監督のような 芸術家 として、認知されていることです。
建築家のプロフェッションの確立のために 最大の寄与をした 前川国男氏でさえも、戦後まもなく 建築士法が成立した時に、単なる税法上の実利から(税理士に勧められて)、前川国男建築設計事務所を 株式会社として、事務所登録 してしまいました(「伊東忠太の失敗」と並ぶ、「前川国男の失敗」と言うべきです)。そこから巣立った 錚々たる建築家たちは、古巣が そうであったのだから、独立時に何の疑問もなく、新しく設立する自分の事務所を 株式会社にしてしまいました。そこから巣立った建築家たちも・・・・ 以下同様で、しかも 現在の日本建築家協会は、さらに それを (設計事務所の株式会社化を)推し進めてきたのですから、「業者扱い」や「設計入札」に、苦情を言うことなど できません。
● 9月から10月にかけて、ブルガリアとトルコに行っていましたので、先月は新しい記事を載せられませんでした。ブルガリア に行ったのは、今まで あまり情報のなかった、東欧のイスラーム建築の調査・撮影のためです。現在、写真を整理中ですが、そのうちに「ブルガリアのイスラーム建築」の報告が できると思いますので、乞う、ご期待。
● 『世界のイスラーム建築』のサイト中の「中国のイスラーム建築」は、知られざる中国の 清真寺(モスク)を 日本で初めて、総合的に紹介するものですが、全部で 86ページにもわたる 長大なものとなりました。 全体を3部構成とし(南部、西部、北部)、さらに それぞれを 前後のパートに分けたにも関わらず(あるいは、そのゆえに)ある地のモスクを探すのに、各章を えんえんとスクロールしなければ なりませんでした。
![]() ● 先月(7月2日)、東京都 現代美術館の 学芸担当課長と称する、長谷川裕子さん という人から、次のようなメールが届きました。
ところが、週の前半どころか、後半になっても 一向に電話がなく、メールが来るでもないので、もしかすると 誰かの「いたずらメール」だったのかとも思い、7月13日に、もらったメールが付いたままの、次のような 返信メールを送ってみました。
もし 誰かの「いたずらメール」だったとすれば 当然、そんなメールを 自分は出した覚えはない、自分のメール・アドレスから何から知っている 身近な者の「いたずら」のようだから 調べてみる、とでもいった返事が来るだろう と思っていました。 ところが、何の返事もありません。 でも 考えてみれば、誰かが こんな「いたずらメール」を 私に出しても、何の益もないことです。わたしの返信メールは きちんと届いている ようですから、やはり これは「いたずらメール」などではなく、本人が、東京都 現代美術館の 担当課長 として、私にメールを よこしたのでしょう。
● 『イスラーム建築 』の本は、あいかわらず出版されていません。 と言うより、どこの出版社も マフィアの要請に応えて、私の本の出版を拒否していますので、この『イスラーム建築』の出版は、ほとんど 絶望的になりました。マフィアを恐れて(あるいは マフィアと つるんで)、言論や出版の自由を守ろうともしない 日本の出版界を見るにつけ、(また、その姿勢に同調している新聞社や放送局の姿を見るにつけ)、多くの日本人が非難している中国や北朝鮮や、その他の全体主義的国家による 人権や言論の弾圧 と なんら変わらない この国の状況を見、この国の将来を考える時、暗澹たる気持に ならざるをえません。(東京大学 までマフィアの支配下にあるのですから、新聞やテレビの報道も マフィアの圧力で歪められていることは 自明の理です。) ![]()
「アンコール王朝の建築」の下の方に、シェムリアプ市の 風雨橋 の写真を載せ、「中国南部の 三江近辺の少数民族、トン族の 風雨橋 に倣ったものだろう」と書きましたが、何のことやら わからなかった方が 多かったかもしれません。 そこで、「世界建築ギャラリー」のページに、「建築作品」というべき 中国南部のトン族の「風雨橋」を 紹介しておくことに しました。ここをクリック すると、「中国南部の風雨橋」のページに とびますので、興味のある方は ご覧ください。
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● 『 インド建築案内 』が、なんと 絶版 になります。この本は、1996年の秋に TOTO出版から、初版1万部で 出版されました。多くの新聞や雑誌で紹介されたこともあって、大評判となり、たちまち 売り切れに近くなりましたので、翌年の春には 第2刷りとして 5,000部が 増刷されました。インド全域の建築作品を 古代から現代まで網羅して カラー写真とともに紹介した本というのは、インドにも 無かったので、2002年に英訳されて、英語版 ("The Guide to the Architecture of the Indian Subcontinent") 1万部が、インドで出版されました。さらに 2003年には、日本で 第3刷りが 4,000部 増刷されました。日本で 建築書が1万部以上売れるというのは 異例なことで、今までに TOTO出版が出した本の中では、第4位の 売れ行き だそうです。 < 古書についての参考事項 > : 初刷り (1996) は「無線綴じ」なので、へビーな使い方をすると、本のページが バラバラに なってきます。でも、インドに よく旅行する方で、旅行の都度、この本の 必要な部分のみを バラして持っていく という人には、初版の方が 却って便利だと言う方も います。第2刷り (1997) から「糸綴じ」になりましたので、相当 乱暴な使用にも耐えます(バラバラに なりません)。第3刷り (2003) には、小口に、辞典のように、州ごとの「見出し」が付いていますので、旅行だけでなく、研究などにも便利です。 古書を購入するときには、巻末の 奥付けで、刷り数(発行年度)を お確かめください。
● 2月に カンボジア に行ってきました。アンコール・ワットを はじめとする アンコール文明の建築と遺跡を撮影するためです。意外に思う方もいるでしょうが、私が アンコールの建築 を訪れたのは、今回が最初です。かつて何度も行こうとしながら 紛争に妨げられて行けず、近年は イスラーム圏を主としていたために、インド圏とは やや縁が薄くなっていたからです。やっと腰を上げて シェム・リアプに行ってみたら、戦火とは はるかに遠く、今では そこは 楽園のようなところでした。 簡単な報告として、「アンコール建築・写真ギャラリー(アンコール王朝の建築)」を作りましたので、興味のある方は、ここをクリック して ご覧ください。 (2012 /03/ 01)
● 今年もまた、昨年と同じ挨拶で事足りますので、ほとんど そのまま 再録します。
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