今回採りあげる古書は、今から 42年前の 1977年にスイスで出版された、ルスダン・メピサシュヴィリとヴァフタン・ツィンツァゼ(Russudan Mepisashwili & Wachtang Zinzdze)というジョージアの建築家と建築史家の夫妻がドイツ語で書き、写真家のロルフ・シュラーデ(Rolf Schrade)が撮影した『ジョージアの美術と建築』("Die Kunst des Alten Georgien")の英語版です。三段組の詳しい本文、大型のカラーおよびモノクロ写真、それに大量の図面と、ぎっしりと内容のつまった、ジョージア美術の 理想的な一巻本の概説書と言えます。アリサ・ヤッファによる英訳版("The Arts of Ancient Georgia")は2年後の 1979年に、ロンドンの老舗出版社 テムズ・アンド・ハドスン社から 同じ体裁で出版されました(ジャケットのデザインのみが異なっています)。
『ジョージアの美術と建築』扉
ジョージアというのはアルメニアの北隣りの国で、以前はロシア語風にグルジアと呼ばれましたが、当事国からの要望もあり、今は日本の外務省でも 英語風にジョージアと呼んでいます。原著のタイトルは "Die Kunst des alten Georgien" であり、英語版のタイトルも "The Arts of Ancient Georgia" ですが、Ancient というのは時代的な「古代」を意味しているわけではなく、本書は古代から中世、近世までを扱っています。全310ページの内 258ページが中世の美術を扱い、古代は30ページにすぎません。『古きジョージアの美術』といったところでしょうか。また中世の美術の7割は建築を扱っています。 建築は美術に含まれますが、 'Art and Architecture' という語もよく使われるので、建築を主とする本書の内容からいって『ジョージアの美術と建築』という邦題にするのが適当と判断しました。
さて ジョージアといっても、どこにあるのか知らない日本人が大半ではないかと思います。アメリカに親しんでいる人は、アメリカ南部の ジョージア州を思い浮かべるかもしれません。『風と共に去りぬ』や マーティン・ルーサー・キングで知られる ジョージア州の名は かつてのイギリス国王 ジョージ2世に由来しますが、中東の「ジョージア国」は 名前の由来が 明らかではありません。4世紀にアルメニアに次いで キリスト教を国教にした国なので、その名前を、ドラゴンを退治する絵で名高い 聖ゲオルギウス(英語では聖ジョージ)に結びつける向きもあるようです。
ロシア語ではグルジアと呼ばれ、日本でも数年前まで それに倣っていました。ジョージア人自身は自分たちを「カルトヴェリ」、国を「サカルトヴェロ」と呼びます。(古代にジョージア東部をカルトリ Kartli と言ったのが語源だと、本書は伝えています)。ラテン語のテキストでは ゲオルギア Georgia と書かれることが多かったようです。
では その位置を知るために、『アルメニアの建築』で用いた地図を援用して、ジョージアを黄色く塗ってみましょう。トルコとアルメニアの北隣りで、さらに北のロシアとは大カフカース山脈で仕切られ、西は黒海に面し、東はアゼルバイジャンに隣接している、ということがわかります。首都はトビリシ(かつての ティフリス)です。
ロシア語のカフカースは、英語ではコーカサス Caucasus と言います。大国ロシアとトルコ、イランに はさまれる三つの小国 ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンは 「コーカサス三国」と呼ばれ、アゼルバイジャンがイスラーム国であるのに対して ジョージアとアルメニアはキリスト教国で、建築的にも兄弟関係にあります。このコーカサス三国をヨーロッパに含めるか、あるいは西アジアに含めるかは議論のあるところで、正式な取り決めはなく、あいまいになっています。
ジョージアの国土面積はアルメニアの約2倍、人口は約1.5倍ですが、両国の首都 トビリシとイェレヴァンは、ほぼ同規模です。両国は 歴史的には良く似た境涯をたどり、兄弟国家と言ってもよいほどですが、民族的にも言語的にも別系統なので、隣りあった小国どうしながら、決して一体化することがありませんでした。アルメニアに次いで4世紀に、世界で二番目にキリスト教を国教とし、5世紀には アルメニア文字のあとを追って、ジョージア文字が創られました。ジョージアの聖堂建築も アルメニア聖堂とよく似ていて、相互影響関係にありましたが、ジョージア人は 建築よりも絵画に より多く才能を発揮した感があります。アルメニア聖堂には 壁画が稀なのに対して、ジョージア聖堂は 基本的に壁画、天井画で満ちています。アルメニア聖堂に壁画がある場合は、ほとんどが ジョージア人の手になります。
ソ連の崩壊による独立後、アルメニアはロシアとは友好的ですが、ジョージアはロシアと国境を接しているために、 国境紛争やチェチェン紛争などを通じて やや敵対的です。上述のように どちらかというとアルメニア人のほうが建築的民族なので、私はアルメニアの方をより重視してきたわけですが、『アルメニアの建築』のサイトで『アルメニア建築ドキュメント』の本のシリーズを紹介しましたので、今回の「古書の愉しみ」では『ジョージアの美術と建築』を採りあげることにしたわけです。
といっても両者は切り離せないので、まず、アルメニアとジョージアの美術と建築が、どのようにヨーロッパや諸外国に知られてきたのかを、この 100年間の欧米における出版活動を通して 見てみましょう。以下は それぞれの美術や建築を全般的に紹介、ないし研究した本の 年代順の配列です。

『アルメニアとヨーロッパの建築芸術 』上下2巻、独語版、1918年
("Die Baukunst der Armenier und Europa")(ウェブサイトより)
ヨーゼフ・ストルジゴフスキ(Josef Rudolph Thomas Strzygowski) 著
ウィーンのアントーン・シュロル美術出版社刊(Kunstverlag Anton Schroll, Wien)
今から 100年前にオーストリアの美術史家 ヨーゼフ・ストルジゴフスキ (1862-1941, Josef Strzygowski) が、西欧人で初めてアルメニア建築に興味をもち、現地調査の上 じっくり研究して、第一次大戦直後の1918年に出版した『アルメニアの建築芸術とヨーロッパ 』 上下2巻です。これはアルメニア建築を深く研究し 丹念に著述した最初の本であり、記念碑的出版ですが、その時期というのは、チャールズ・フェローズ(1799 -1860)が初めてリュキアの文化史跡を探求して『小アジア紀行』に纏めたよりも 80年後にあたり、ジェイムズ・ファーガスン(1808-86)が『インドと東方の建築史』の初版を出版したよりも半世紀後になりますから、考古学的には 比較的新しい、20世紀の本ではあります。
インターネットの初期の時代に この本を世界の古書店に探して数冊見つけましたが、あまりに高価格なので手が出ず、ドイツ語が読めないこともあって、もっと安いものが出るのをずっと待っていた間に、全部売れてしまいました。ところが さらに時が経つと、著作権消滅によってパブリック・ドメインとなり、安価な復刻版が出たので それを購入しました。今ではこの本の内容は、NP のウェブサイト "DIGITAL LIBRARY" の 'Internet Archive' で 全部見ることができます。興味のある方は、次をクリックしてください。 上巻の内容 下巻の内容
しかし この本はドイツ語で書かれていて、ついに英訳されなかったために、私は読めません。そういう人たちにとって 大いに益になるのが 、20世紀の掉尾に書かれた 次の本です。

『中世のアルメニア建築、人種と民族の構築』 英語版、2001年
("Medieval Armenian Architecture, Constructions of Race and Nation")
クリスティーナ・マランツィ (1968- , Christina Maranci)著
24×16×1.5cm、282ページ、ルーヴァンのペータース出版社(Peeters, Leuven)
アルメニア系アメリカ人の女流美術史家、新進気鋭のクリスティーナ・マランツィが 2001年にイスラエルのヘブライ大学・アルメニア研究叢書('Hebrew University Armenian Studies )の第2冊として出版した『中世のアルメニア建築』です。これは建築史というよりは「建築史史」の学術書で、カラー写真などは無い代りに、その幅広い語学力を駆使して ストルジゴフスキの業績と その著作『アルメニアの建築芸術とヨーロッパ 』について特に詳しく解説し、論じています(勿論 トラマニアンやバルトルシャイティスについても 書かれています)。ペーパーバックの軽装本ながら、大変優れた本です(図版 15で、ジョージアのサムタヴィシの聖堂を アルメニアのハフパトの聖堂と取り違えるようなことは あるにしても)。
以下に ほぼ年代順に配列する書籍群は、その両者(ストルジゴフスキの本と マランツィの本)の間の一世紀近くの間に出版されたものです。アルメニアやジョージアの美術や建築を 全体的に扱った本を選んでいます。

『アルメニア建築史探究 』アルメニア語、第1巻 1942年、第2巻 1948年
("Materials for the History of Armenian Architecture", Yerevan)
トロス・トラマニヤン(1864-1934, Toros Toramanyan)の没後に、
彼の論文と研究を集大成して編纂された、最重要な著書。
イェレヴァン、35×28×3cm、404ページ(第1巻)、308ページ(第2巻)
『アルメニア建築史探究』の扉
アルメニア建築史の父は、アルメニア人のトロス・トラマニヤンです。ストルジゴフスキより2歳若いだけの、全くの同時代人ですが、生前に大きな本を書かず、その没後に(ストルジゴフスキの本の24年後に)出版された この本も 全編アルメニア語なので、欧米では ほとんど知られませんでした。アルメニア建築の研究ではストルジゴフスキよりも先行し、彼をアルメニア建築に導いたのもトラマニヤンでしたが、ドイツ語で書かれたストルジゴフスキの本が有名になってしまったので その陰に隠れ、トラマニヤンはストルジゴフスキの補助的役割を果たしたものと みなされがちでした。私もアルメニア語はまったく読めず、せっかくアルメニアの古書店で入手したこの大型本2巻も、昔の悪い印刷の図版を見るのみです(アルメニア語を読める人がいたとしても、今は きわめて入手困難の本です)。その内容と意義を知るには、上掲のクリスティーナ・マランツィ の本に頼るほかありません。
図版の数は、ストルジゴフスキの本に比べて ずっと少なめです。これは トラマニヤンが生前に、自身の多くの写真資料をストルジゴフスキに譲渡してしまったためのようです。

『ジョージアとアルメニアの 中世美術の研究』仏語版、1929年
("Étude sur l'art médiéval en Géorgie et en Arménie")107pp.
ユルギス・バルトルシャイティス(1903-1988, Jurgis Baltruŝaitis)著
『アルメニア建築と オジーヴの問題』 仏語版、1936年
("Le Problème de l'Ogive et l'Arménie")バルトルシャイティス著
23×18.5cn, 70pp. パリの エルネスト・ルルー書房(Ernest Leroux, Paris)
『ジョージアとアルメニアにおける中世美術の研究』は、アンリ・フォションの弟子であり、娘婿でもある ユルギス・バルトルシャイティスの最初の本です。彼はフォション門下生としてヨーロッパ中世の美術について研究し、フォションのオーソドックスな方向に対して、もっと異端的な美術、あるいは独自の観点からの細部を探究して、『幻想の中世』その他、浩瀚な著作を多数発表して、日本でもよく知られています。この本でも装飾に興味が向っていたようです。
バルトルシャイティスは ストルジゴフスキやトラマニヤンよりも60年も若い人でしたが、彼は東欧のリトアニア生まれだったので、ストルジゴフスキの本を読み、トラマニヤンには直接兄事して、東欧〜中東のアルメニアおよび その隣のジョージアに 大いに興味をそそられたのでしょう。わずか 20代でジョージアとアルメニアの美術についての本を書いてしまいました。特に「トロス・トラマニヤンの想い出に」捧げられた『アルメニア建築におけるオジーヴの問題』は、アルメニアと ロマネスク、ゴチック建築との構造的関連(起源の問題)を論じていて重要です。オジーヴというのはフランス語で、ヴォールト下部のアーチ形リブのことです。

『アルメニアの建築 モニュメント』小冊子、英語版、1968年頃
("Armenian Architectural Monuments")ソ連邦アルメニア共和国・
観光局(Department of Foreign Tourism to the Armenian SSR)
恐らく誰も持っていないであろう、戦後の最初期の本、というか 24ページの軽い小冊子の英語版。28 × 13.5cm、G・アヴァキアン(G. Avakian)の手書き線画による、アルメニア各地の建築モニュメント案内です。首都イェレヴァンの始まりとされるエレブニ(Erebuni)の要塞が紀元前782年に建設されたという記録から、"Yerevan is 2750 Years Old" と 表紙の見返しに大きく書かれています。この冊子がその年に発行されたとすれば1968年、あるいはその前年か前々年あたりに制作されたと思われます。
アルメニアについて知りたくて ソ連大使館に行って あれこれ質問していたら、一人の女性館員が奥の部屋を探して、これを持ってきてくれました。きっと 各国のソ連大使館に置いてあったのでしょう。アルメニア建築について ほとんど何も資料がなかった時代に、なかなか楽しく貴重な冊子でした。もっとも ソ連時代には自由に旅行できないと知って、イランとトルコに残る遺跡しか訪ねることができませんでしたが。 私が アニなどのトルコ領と、聖タデウスなどのイラン領の アルメニア建築を初めて訪ねたのは 1980年でしたが、アルメニア本土とジョージアに初めて行けたのは、ずっと後の 2004年になってからです。

『アルメニア建築 ドキュメント 』第1巻(ハフパト)1968年
("Documents of Armenian Architecture", vol.1 Haghbat, vol.2 Khatchkar)
ミラノ工科大学建築学部 +
アルメニア共和国科学アカデミー編
(Edited by the Faculty of Architecture of the Milan Polytecnic
& the Academy of Sciences of the Republic of Armenia)
ヴェネツィアの OEMME出版社刊(OEMME Edizioni, Venezia)
最も早い時期にスタートした、アルメニア建築の個別の本格的なドキュメント・シリーズ。イタリアのミラノ工科大学建築学部 とアルメニア共和国科学アカデミーによる公的な共同調査報告書で、第2巻(ハチュカル)は 1969年、以下 1、2年に1冊づつ出していって、1998年の 第23巻まで継続しました。中心人物はイタリアの建築家でミラノ工科大学教授の アドリアーノ・アルパーゴ・ノヴェッロ (1932-2005, Adriano Alpago Novello)です。アルメニアの建築作品を一つ選んでは じっくり調査して、豊富なカラー写真と実測図面を盛り込んで紹介する このシリーズは、アルメニア建築についての 最も重要な資料集となりました。規模は小さいですが、インドの『考古調査局報告書 A.S.I. REPORT』シリーズに相当します。全巻イタリア語と英語とアルメニア語で書かれています。美術・建築書 輸入店の東光堂の田口さんに このシリーズを教えられて(1980年頃)、当時 のめりこんでいたロマネスク建築との相似に驚き、新刊が出るごとに購入していきました。『アルメニアの建築』のサイトの「アルメニア建築の本」の章で 全巻を紹介してあります。

『アルメニアの美術』("L'Art Armenian")仏語版、1977年
("Armenian Art", Thames and Hudson)英語版、1978年
シラルピ・デル・ネルセシアン(1896-1989, Sirarpie Der Nersessian)著
西欧向けの 最初の アルメニア美術の大型カラー美術書(36.5 × 28cm)。アルメニア美術史のパイオニアというべき シラルピ・デル・ネルセシアンが書いた アルメニア美術の概論です。彼女はストルジゴフスキより34年も若く、教職時代の教え子には アンリ・フォション(後のフランス中世美術史の大家)もいたそうです。この本は彼女の晩年(81歳)の書で、ストルジゴフスキの本の 40年後ですから、写真や印刷は はるかに優れています。上掲の『アルメニア建築ドキュメント 』は まだ数冊しか出ていなかったし、しかも私はまだ知らなかった頃なので、この本で アルメニア建築の全体像が解るかと 大いに期待して、英語版の発行時に 丸善に注文しました。私にとって初めての 本格的なアルメニアの美術・建築の本だったので、届いて わくわくして見てみると、値段の高い大型本のわりには 資料的価値は それほど高くなく、十分に内容豊富でもないので、少々落胆しました。しかし 美術書として、見開きの大きな建築写真には 大いに魅せられました。これで決定的に、アルメニア建築に嵌りこむことになります。(仏語版と英語版は、ジャケットに至るまで まったく同じ体裁です)

『ジョージアの美術と建築』("Die Kunst des alten Georgien")独語版、1977年
今回 採りあげる("The Arts of Ancient Georgia")英語版、1979年
ルスダン・メピサシュヴィリ(美術史家)& ヴァフタン・ツィンツァゼ(建築家)共著
写真はロルフ・シュラーデ(Rolf Schrade)、英訳はアリサ・ヤッファ(Alisa Jaffa)
28x25x3cm、310ページ、チューリヒのアトランティス社(Atlantis, Zurich)
ここでやっとジョージア建築の本の登場で、上掲の シラルピ・デル・ネルセシアンの『アルメニアの美術』と同年の出版ですが、内容的には、こちらの方が はるかに詳しく、資料的価値も高い、非常に優れた一巻本です。 584点もの図版を用いて、ジョージア建築の全体像と歴史が示されました。ソ連内の不自由な時代に これほど詳細な調査・研究・出版ができたのは、二人の著者が ジョージアの実力者だったからでしょう。デル・ネルセシアンの本がフランス語で書かれたのに対して こちらはドイツ語で書かれましたが、どちらもすぐに(1、2年後に)ロンドンのテムズ・アンド・ハドスン社から英訳版が出ました。この英語版刊行の1、2年後に 神田の一誠堂で見出し、アルメニア建築と似たジョージア建築の存在を知って驚き、喜んで買ったと記憶しています。この『ジョージアの美術と建築』の英訳版が、今回採りあげた「古書」です。

『アルメニアの建築アンサンブル集』 ロシア語+英語版、1980年
("Architectural Ensembles of Armenia, 8c.BC- 19c.AD")
O・Kh・ハルパフチアン(O.Kh. Khalpakhchian)著
モスクワのイスクーストバ(芸術)出版社、21×26.5×3 cm
函入り、折り畳み写真集つき(Iskusstuvo Publishers, Moscow)
写真は A・アレクサンドロフ (A. Alexandrov) と V・コチャル (V. Kochar) の撮影
ソ連邦の一自治共和国だったアルメニアの古典建築について モスクワから出版された、おそらく唯一の 内容豊かな本です。著者の オガネス・ハチャトゥロヴィチ・ハルパフチアン(1907- , Oganes Khachaturovich Khalpakhchian)はアルメニア人で、タマニアンのアトリエなどで働いた建築家であり、トロス・トラマニヤン賞を受賞した建築学者です。本書の写真は全部モノクロですが 良く撮られていて、主要な史跡や修道院を「建物群(アンサンブル)」として捉え、詳しく紹介し 論じた、480ページの優れた本です。横使いの上下開きという変わった造本ですが、本文もキャプションも すべてロシア語と英語の両文併記なので、ソ連邦内だけでなく、欧米にも輸出したのでしょう。私は最初のアルメニア旅行時に、イェレヴァンの書店で購入しました。

『中世ジョージアの美術と建築』 英語版、1980年
("Art and Architecture in Medieval Georgia")520ページ
ベルギーの ルーヴァン・カトリック大学(L'Université Catholique de Louvain, Publication d'Histoire de l'Art et d'Archéologie)からの学術出版。
(Translataed into English by Nancy Holloway) 32×24×5cm、3.2kg
上述のアドリアーノ・アルパゴ・ノヴェッロをはじめとする6人のメンバーが 主にイタリア語で分担執筆しましたが、英訳して 出版されました。(イタリア語版も出たのかどうか不明)。本の後半はアルパゴ・ノヴェッロによる 地名のアルファベット順による 詳細な「ジョージア聖堂建築案内」('Catalogue of Churches')となっています。アルメニアから手を広げて、今度はジョージアというわけです。学術的にも資料的にも立派な本ですが、大きくて重いせいか (?) あまり世の中に 出回っていないような気がします。ネットで探して、オランダの古書店から入手しました。

『アルメニアの美術』 ("Les Arts Arméniens")パリ、仏語版、1987年
マズノ (Mazenod) 出版社 'L'Art et les Grandes Civilisations' シリーズ
("Armenian Art")ニューヨークの Harry N. Abrams 出版社、英語版、1989年
ジャン・ミシェル・チエリー(1916-2011, Jean-Michel Thierry)著
32×26×5cm、623ページ、3.8kg、1,000点近くの図版(カラーが174点)
フランス文化省の援助を受けた出版で、分厚い「世界の大文明の美術」シリーズの一冊。これはシリーズの他の巻と異なって アルメニアという小さなエリアの美術を扱った巻なので 大変に詳しい。大判のカラー写真群も見事な、贅沢な本で、重すぎるのが難。じきに英語版が出ると知りながら 待ちきれずに仏語版を買い、2年後に出た英語版も買い求めました。本巻でアルメニア美術の詳細な通史を書いている フランスのジャン・ミシェル・チエリーの師にあたる、デル・ネルセシアンが 序文を書いています。仏語からの英訳は セレスチーヌ・ダール (Célestine Dars)。
この出版の4年後の 1991年12月にソ連が崩壊して、アルメニアやジョージアを含む全ての連邦構成共和国が主権国家として独立しました。これで自由にアルメニアとジョージアを旅行できるかと思ったら、アルメニアは ナゴルノ・カラバフ地方をめぐってアゼルバイジャンと全面戦争状態になり(ナゴルノ・カラバフ戦争)、私が最初のアルメニア本土の旅行をしたのは 休戦後の復興が進んだ 2004年のことです。その時には 本書中の 134ページ分もある、パトリック・ドナベディアン (Patrick Donabédian) による、地名のアルファベット順の「アルメニアの主要な建築作品」('Principaux Sites Arméniens') の章が 大いに役立ちました(全部コピーをとって持参)。

『アルメニア建築案内』2分冊、ローマ、イタリア語版 1988年
("Architettura Armena")デルーカ書房(Deluca Editore, Roma)
パオロ・クネーオ(1936-1995, Paolo Cuneo)著
25×22cm、上巻 ×5cm、710ページ(建築案内)、2.4kg
下巻 ×2cm、216ページ(比較図面集、細部写真集、年表、文献、索引)
上掲書の「アルメニアの主要な建築作品」の章より はるかに詳しく 悉皆調査し カタログ化した 素晴らしい本で、周辺国も含めたアルメニアの建築作品のすべてが地理的順序でわかる本です。折り畳みの詳細地図も きわめて有用。ただし 初心者には詳しすぎて(イタリア語でもあるし)上述の「アルメニアの主要な建築作品」の章の方が 便利かもしれません。
建築家で建築史家のパオロ・クネーオが 他の4人の建築家の協力を得て完成させました。アルメニア建築について、私の『インド建築案内』よりも詳しい浩瀚な書ですが、私の本がすべてカラー写真なのに、残念なことに こちらは すべてモノクロ写真です(今は消失した建物の古い写真も 収載しています)。第2次、第3次のアルメニア旅行では 大いにお世話になりました。

『ジョージアの中世美術、他』 モスクワ、ロシア語版、1990年
("Iz Istorii Srednevekovego Iskusstva Gruzii")25×17.5cm、
ギオルギ・チュビナシュヴィリ(1885-1973, Giorgi Chubinashvili)著
『ジョージアの建築遺産』 モスクワ、英語版、1996年
("Architectural Monuments of Georgia") ノダル・ジャンベリゼ(Nodar
Janberidze)& イラクリ・ツィツィシュヴィリ (Irakly Tsitsishvili) 共著
A4判、376ページ、ストレイズダット出版社(Stroyizdat, Moscow)
アルメニア美術史の シラルピ・デル・ネルセシアンに相当する ジョージア美術史の大家が ほぼ同世代の ギオルギ・チュビナシュヴィリで、彼は 1947年に "Monuments of Georgian Architecture" というロシア語のシリーズを編纂して モスクワから出版したらしいですが、詳細不明。本書『ジョージアの中世美術、他』は、彼の没後に編纂された9編の論文集です。ロシア語なので、これも私は 本文を読めません(内容を確かめられず、うっかり ネットで買ってしまいました)。図版は巻末にまとめられ、チュビナシュヴィリが写っている写真も 10枚ほど。
『ジョージアの建築遺産(アーキテクチュラル・モニュメンツ)』の方は それより少し後の出版で、モスクワの出版社から出たのにもかかわらず 英語で書かれています。しかし 主として、時代順に並べられたジョージア建築遺産のカラーおよびモノクロの写真集であって、今回採りあげた『ジョージアの美術と建築』ほどの有用性はありません。

『アルメニア建築史』 イェレヴァン、アルメニア語版、1992年
("History of Armenian Architecture", Yerevan) 27×21×3.5cm
ヴァラザト・ハルチュニヤン(1909-2008, Varazdat Harutyunyan)著
この『アルメニア建築史』は、薄手の用紙に 小さな活字で2段組 540ページにおよぶ大著で、写真が 90ページ付されています。アルメニアの建築家で建築史家のヴァラザト・ハルチュニヤンが それまでの仕事を集大成した、最晩年(83歳)の本で、イェレヴァンで出版されました。巻末の写真集よりも 本文中に挿入された大量の図面がすばらしく、アルメニア語の本文は読めませんが、「アルメニア建築史図集」としても 大いに価値があります。イェレヴァンの書店で、えらく廉価で購入しました(国外で入手するのは困難でしょう)。これの英語版が出ていたら、どんなによかったことか。

『不可視の鏡、ジョージアの壁画と建築(6-15世紀) 』 仏語版、1996年
("Miroir de l'Invisible, Peintures Murales et Architaecture de la Géorgie")
タニア・ヴェルマン(Tania Velmans)& アルパゴ・ノヴェッロ 共著
『中世のアルメニア、人々と建築』ジャン・ミシェル・チエリー著、仏語版、2000年
("L'Arménie au Moyen Age, L'Hommes et les Monuments", Zodiaque)
『不可視の鏡』と『中世のアルメニア』は、ロマネスク美術の出版で名高い、フランスのゾディアック出版所が 20世紀の終りに、遅ればせながら ジョージアとアルメニアの美術の大型本を「レ・フォルム・ド・ラ・ニュイ叢書」の2冊として出しました。それぞれA4判、296ページと345ページです。ジョージア(フランス語では ジェオルジ Géorgie)の巻は壁画に重点を置いていますが、出版意図がやや不鮮明。アルメニア(フランス語では アルメニ Armenie)の巻は 上述のジャン・ミシェル・チエリーが、13年前の本では扱わなかった 地域や聖堂を織りこみながら 新しい通史を書いています。
21世紀になると 半世紀前とは 大いに時代が変わり、世界中の「知られざる」「珍しい」文化、建築に目がそそがれるようになり、アルメニアや ジョージアの美術、建築の本も多く出版されるように なりましたが、ここでは すべて省略。

私のホームページ では、2005年の1月に 初めてアルメニア建築を採りあげました。それは『中外日報』に連載していた「世界の宗教建築」の 第12回(2005年1月3日号)に書いた「ヴァガルシャパト(アルメニア)の 聖エチミアジンと諸聖堂」の記事を転載したものです。後にそれは『アルメニアの建築』の第1章「ヴァガルシャパト、聖エチミアジンと諸聖堂」のページになります。また同年5月12日号には 第13回として、グルジア(ジョージア)の「アハルツィヘのサパラ修道院」をとりあげました。これは その月に、HPの『世界建築ギャラリー』に載せました。
2008年には『アルメニア建築・写真ギャラリー』というサイトを作って、日本で初めて 120枚のアルメニア建築カラー写真集を公開しました。そして4年後の 2012年には それを大巾に拡大して 写真の数を 600枚に大倍増し、アルメニア中の建築遺構を網羅する『アルメニアの建築』という 独立したウェブ・サイトにしました。英語版("ARCHITECTURE of ARMENIA")も作っていますので、世界中からアクセスがあります。 2026年には イタリア語版も できました。

『ジョージアの歴史建築』
ヴァフタング・ベリゼ,篠野志郎訳,藤田康仁編,2018年,彩流社
昨年、日本ではじめてジョージア建築 (史) の本が出版されました。これは、篠野氏がジョージア語から直接翻訳した という労作ですが、半世紀前に出版された原書の写真図版は捨てて、すべて編者(藤田氏)の写真に置き換えたそうです。 私は原書を見ていませんが、モノクロの劣悪な写真印刷だったのでしょうか。それにしては 訳書のカラー写真の印刷が いまいちです。 出版社や印刷所が 写真集に慣れていれば(あるいは デザイン事務所が かんでいれば)、写真の色や明るさの調整をしてくれるでしょうが、そうでない場合は、撮影者が 自ら行わねばなりません。 "フォトショップ" などで 色と明るさの調整をしていれば、ずっと魅力的な本になったことでしょう。 ( 2019 /11/ 01 )
『 ジョージアの美術と建築 』
" THE ARTS OF ANCIENT GEORGIA"
『ジョージアの美術と建築』英語版 表紙
さて今回の『ジョージアの美術と建築』が チューリヒで出版されたのは1977年ですから、大戦後 30年以上が経っています。この英訳版がロンドンのテムズ・アンド・ハドスン社から出たのは2年後の 1979年なので、今から ちょうど 40年前の古書です。しかし ジョージア建築の定番の本としてよく売れたらしいので、今も古書店で入手するのは容易です。私がジョージアに撮影旅行をした時も、もっぱら この本のお世話になりました。ヨーロッパでそれまで出版されていた種々の建築、美術の本と比べて特別優れた書物というわけではないにせよ、なにしろ それまで未知の領域だったジョージアの美術と建築の全貌を、はじめて一巻本で世界に知らしめた、重要かつ 有用な本でした。
1977年というのは、日本では、いわゆる「戦後」が終わって「高度成長期」が一段落し、世界の経済大国になった時代であり、山下事務所で私が担当したフロム・ファースト・ビルが建築学会賞をもらった年です。そんな頃になって、やっとジョージア建築の全貌を伝える本が出版されたのかと、今となっては奇異な感じもしますが、それほど ジョージアやアルメニアは 辺境国と見做されていて、その地域の建築史などに、欧米の建築界は ほとんど関心を払ってこなかった というわけです。(わずかに バーナード・ルドフスキーの『建築家なしの建築 』("Architecture without Architects", 1964) によって スワネティ地方の塔状住居の集落群が知られましたが、そこには ジョージアという国名すら 書いてありませんでした。(といっても ソ連邦内の自治共和国の時代でしたが。)
もちろん それぞれの国内では建築史の研究も行われていましたし、古典建築作品の保存活動も 戦後は少しずつ行われていました。ジョージア美術史の泰斗とされるのが 前述のギオルギ・チュビナシュヴィリですが、本書が出る前に世を去っています。本書の共著者 ルスダン・メピサシュヴィリ(1913-2002, Rusudan Mepisashvili)と ヴァフタン・ツィンツァゼ(1915-1993, Vakhtang Tsintsadze)は その衣鉢を継ぐ人で、チュビナシュヴィリの名を冠した美術史研究所の設立メンバーでもあります。2人は夫婦でもあり、妻の建築史家 ルスダンは この出版時に64歳、夫の 建築家 ヴァフタンは66歳でした。この出版によって国際的に知られるようになるまでには、長い研鑽期間があったわけですが、ヴァフタンは建築の分野だけでなく、ジョージア国の「経済と持続的発展省」の大臣なども努めた、国内の有名人だったようです。
それでも本書を、ソ連のモスクワからロシア語で出版するのではなく、トビリシからジョージア語で出版するのでもなく、スイスのチューリヒからドイツ語で出版したのは、西欧にジョージア文化を知らしめたいという思いもあったでしょうが、ソ連内の厳しい統制もあったのかもしれません。
この浩瀚な本の構成はというと、全体の目次は、次の通りです。
序文、序説 5 ページ
古代の美術 11
中世の美術( 5-18世紀の世俗建築 ) 41
中世の美術( 5-18世紀の宗教建築 ) 59
中世の美術( 5-18世紀の美術と工芸 ) 221
参考文献、索引 299
西ヨーロッパの建築・美術の様式変遷の歴史が 世界の建築・美術史の標準と思い込んでいる我々にとって、5世紀から18世紀までを、全部「中世」で一括していることに奇異な感がするのを否めません。しかし、ヨーロッパ以外の世界のどの地域も 大体そうだったのです、中国しかり、日本しかりです(インドだけは、中心となる宗教の変遷によって 大きく時代区分がなされますが)。ヨーロッパの場合には ルネサンス以降、あらゆる分野で大きな展開をし、世紀ごとにその様相を変えていきましたが、ジョージアでは長い時代にわたって、美術・建築のスタイルに、それほど大きな変化はなかったのです。
『ジョージアの美術と建築』 内容
本書は写真家の撮影になるだけあって、建築写真も優れています。建物や遺跡の図版は歴史順に配列し、 同一ページ あるいは見開きページに 写真と図面を組み合わせ、長めのキャプションを添える というレイアウトも、便利で好ましい。すべての図面は、本書のために 統一した図法で 新規にインキング制作されたようです。ジョージアの建築については これ一冊あれば用が足りる、といった趣の本と言えましょう。もっと わかりやすく詳しい地図が付いていれば、申し分なかったですが。
* * *
『ジョージアの美術と建築』の紹介というよりも、ジョージア建築とアルメニア建築に関する本の 出版史 のような記事になりましたが、アルメニアやジョージアの建築について 多少とも詳しく知りたい人にとっては、有意の古書情報と言えましょう。
( 2019 /11/ 01 )
< 本の仕様 >
"THE ARTS OF ANCIENT GEORGIA" 『ジョージアの美術と建築』英語版、1979年
ルスダン・メピサシュヴィリ + ヴァフタン・ツィンツァゼ著
Written by Rusudan Mepisashvili & Vakhtang Tsintsadze,
Translated by Alisa Jaffa from "DIE KUNST DES ALTEN GEORGIA"
初版の独語版はチューリヒのアトランティス社(Atlantis, Zurich) 1977年
英語版はロンドンのテムズ・アンド・ハドスン社(Thames and Hudson, London)
写真はロルフ・シュラーゼ(Photographs by Rolf Shradse)
独語版、英訳版とも 28cm x 25cm x 3cm、310ページ、1.8kg
図版 584点 (カラー98点) 、布装ハードカヴァー、ダスト・ジャケット付
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BOOKS on ARMENIAN ARCHITECTURE - II
ミラノ工科大学建築学部 +
アルメニア共和国科学アカデミー編
Faculty of Architecture of the Milan Polytecnic &
Academy of Sciences of the Republic of Armenia
DOCUMENTS OF ARMENIAN ARCHITECTURE
23 volumes, 1968-98, OEMME Edizioni, Venezia
神谷武夫
”Documents of Armenian Architecture"
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アルメニア建築に関する本はずいぶんと多い。その言語は、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、アルメニア語と幅広いので、一人の学者が 主要な本すべてに目を通すのは不可能に近い。アルメニア人はユダヤ人と同じように離散の民(ディアスポラ)となり、世界各地に散っている。特にフランスとアメリカに多いと言われているが、意外なことに アメリカで出版されたアルメニア建築の本は、あまり多くない。さらに意外なことは、イタリアで重要な本が 多く出版されていることである。このサイトの、アルメニア建築の本を紹介するシリーズで、今回 第1回として採りあげるのも イタリアの本で、ミラノ工科大学建築学部 とアルメニア共和国科学アカデミーの、30年にわたる 共同調査研究の報告書(ドキュメント)シリーズである。
『アルメニア建築ドキュメント』第 13巻 ハガルツィン
1968年に第1巻『ハグパト』が出てからちょうど 30年後の 1998年に最終巻の『ヴァガルシャパト』の刊行まで、全部で 23巻を出したので、1〜2年に1冊
ずつ出していたことになる。大判の正方形の判型で、カラー写真満載なので、ほとんど写真集のように見えるが、各巻にイタリア人とアルメニア人の研究者が概要を記し、論を展開する学術書である。最も目を見張らせるのは実測図で、大判の誌面いっぱいに(時には折りたたみで)大きな美しいインキング図面が掲載されている。といっても基本的には すべて一般図であって、詳細図は ほとんど無いが、それでも こうした正確な図面が たっぷり収録された建築書は、ほとんどが未知の建物であっただけに、たいへん貴重である。

写真の撮影も おおむね優秀で、こちらは微に入り細を穿って、個々の建物を 実にていねいに紹介している。10巻目が出た時に、それまでの10冊を収納する 黒い布装の箱が、それまでの購読者にサービスとして配られた。私も1個を、当時の美術・建築書輸入店の東光堂書店を通じてプレゼントされた。20冊目の時には そうした箱は作られなかったようだ。最終巻の『ヴァガルシャパト』のみ、ごく柔らかい紙の函が付いている(柔らかすぎて、あまり実用的ではないが)。
第1〜10巻と 第23巻は 黒い函に入っている。
テキストは イタリア語と英語とアルメニア語の3ヵ国語表記である。第17巻まではイタリア語が大きく 英語が小さく、同一ページに並べられていたが、第18巻からは逆転して、学術的な書物は英語が世界語になってしまったのに合わせて、英語の方が大きくなった。アルメニア語は、常に巻末に 単独で置かれている。執筆者は多岐にわたり、長年月だったので、総勢で30人に及ぶ(英語はもちろん、アルメニア語かイタリア語のどちらかは 翻訳である)。
ヴィジュアルな建築調査報告書としては、理想的な出版物だと思う。アルメニア建築に深い興味を抱いた人は、このシリーズの本を1冊でも多く買い揃えることを お勧めする。 (2014 /01/ 01)
Documents of Armenian Architecture, No.1
ハグパト

第3版 1974年 (初版は 1968年)、27×27cm、63ページ(図面 11ページ分)
アルメニア北部のハグパト修道院について、ステファン・ムナツァカニアンとアドリアーノ・アルパゴ・ノヴェッロによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.2
ハチュカル

第3版 1977年(初版は 1969年)、27×27cm、75ページ
アルメニア独自の十字架石(ハチュカル)について、レヴォン・アザリアンとアルメン・マヌキアンが、各地の実例写真に基づきながら解説する。図面なし。
Documents of Armenian Architecture, No.3
サナヒン

第2版 1980年(初版は 1970年)、27×27cm、71ページ(図面 10ページ分)
アルメニア北部のサナヒン修道院について、O.Kh.ガルパフチアンとアドリアーノ・アルパゴ・ノヴェッロによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.4
聖タデウス・ヴァンク

第2版 1974年 (初版は 1971年)、27×27cm、71ページ(図面 9ページ分)
イラン北西部(アゼルヴァイジャン地方)の聖タデウス修道院の遺跡について、ヴォルフラム・クライスとフシャン・セイフンによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.5
アンベルド

第2版 1978年(初版は 1972年)、27×27cm、55ページ(図面 7ページ分)
アルメニア西部のアンベルド城塞と、カテドラルについて、ニコライ・M・トカルスキーとアドリアーノ・アルパゴ・ノヴェッロによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.6
ゲガルド

第2版 1978年(初版は 1972年)、27×27cm、73ページ(図面 21ページ分)
アルメニア中部のゲガルド修道院について、アレクサンドル・サヒニアンとアルメン・マヌキアンによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.7
ゴシャヴァンク

1974年(第2版は 1982年)、27×27cm、57ページ(図面 11ページ分)
アルメニア北部のゴシャ修道院についてアルメン・ザリアンとヘルマン・ヴァフラミアンによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.8
アフタマール

1974年、27×27cm、113ページ(図面 9ページ分)
トルコ東部、ヴァン湖のアフタマール島に残る聖十字架聖堂遺跡について、ヘルマン・ヴァフラミアンと、シラルピ・デル・ネルセシアンによる概要と、年譜、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.9
イェレルーク

1977年、27×27cm、71ページ(図面 9ページ分)
アルメニア西部、アニペンザのイェレルーク・バシリカ遺跡について、パスカル・パブジアンとアドリアーノ・アルパゴ・ノヴェッロによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.10
聖ステファノス

1980年、27×27cm、71ページ(図面 9ページ分)
イラン北西部(アゼルヴァイジャン地方)の聖ステファノス修道院遺跡について、ハトムート・ホッフリヒターとガブリエッラ・ウルホギアンによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.11
ケチャリス

1982年、27×27cm、59ページ(図面 7ページ分)
アルメニア中部、ツァグカゾールのケチャリス修道院について、ムラド・ハスラティアンとアドリアーノ・アルパゴ・ノヴェッロによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.12
アニ

1984年、27×27cm、103ページ。
アルメニアとの国境沿いのトルコ東部に残る、かつての首都アニの遺跡について、パオロ・クネーオ、アルメン・ザリアン、ガブリエッラ・ウルホギアン、N・チエリーとジャン・ミシェル・チエリーによる概要と、写真。ソ連との国境地域での実測作業は困難(危険)だったのか、図面は あまりない。
Documents of Armenian Architecture, No.13
ハガルツィン

1984年、27×27cm、59ページ(図面 7ページ分)
アルメニア北部のハガルツィン修道院について、アルメン・ザリアンとアルメン・マヌキアンによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.14
アマグ・ノラヴァンク

1985年、27×27cm、63ページ(図面 9ページ分)
アルメニア南部の アマグ村の近くにあるノラ修道院について、アドリアーノ・アルパゴ・ノヴェッロとジュリオ・イェーニによる概要と、写真、実測図。頂部の鐘楼がまだ再建されていなかった。
Documents of Armenian Architecture, No.15
カサグ川流域のヴァンク

1986年、27×27cm、75ページ(図面 15ページ分)
アルメニア西部のカサグ川流域にあるホヴハナ修道院とサグモサ修道院について、アレクサンドル・L・ヤコブスン、カロ・ガファダリアンとジョヴァンニ・クラトーラによる概要と、写真、実測図。Vanker は Vank の複数形。
Documents of Armenian Architecture, No.16
プトゥグニ と アルッチ

1986年、27×27cm、75ページ(図面 11ページ分)
アルメニア西部、プトゥグニの聖堂遺跡とアルッチ(タリッシュ)の聖堂遺跡のほかに、ホール型の聖堂を集成している。フランチェスコ・ガンドルフォとアルメン・ザリアンによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.17
ガンザサール

1987年、27×27cm、67ページ(図面 4ページ分) ナゴルノ・カラバフのガンザサール修道院について、バグラト・ウルバビバグラト・ウルバビアンとムラード・ハスラティアンによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.18
セヴァン

1987年、27×27cm、87ページ(図面 8ページ分)
アルメニア中部のセヴァン湖に面するセヴァン修道院について、ステパン・ムナツァカニアンによる概要と、写真、実測図。他にゲガルクニク県の小聖堂を集成する。
Documents of Armenian Architecture, No.19
カラバフ

1988年、27×27cm、109ページ
ナゴルノ・カラバフの村と橋、そして聖堂を総覧する。セトラグ・マヌキアン、マリア・アデライーデ・ララ・コムネーノとパオロ・クネーオによる概要と、写真。図面は平面図のみ。
Documents of Armenian Architecture, No.20
ソルフル

1989年、 27×27cm、111ページ(図面 5ページ分)
イランの北西部(アゼルヴァイジャン地方)のソルフルに残るレンガ造の聖堂および、アゼルヴァイジャン地方の諸聖堂を総覧する。アドリアーノ・アルパゴ・ノヴェッロによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.21
ノール・ジュルファ

1992年、 27×27cm、123ページ(図面 17ページ分)
イランのイスファハーンにあるニュー・ジュルファ地区(アルメニア人地区)に残る、イラン型のレンガ造の諸聖堂を総覧する。アルメン・ハフナザリアンとヴァハン・メフラビアンによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.22
マカラヴァンク

1994年 27×27cm、63ページ(図面 9ページ分)
アルメニア北部のマカラ修道院について、ヴァラザト・ハルチュニアンとフランチェスコ・ガンドルフォによる概要と、写真、実測図。
Documents of Armenian Architecture, No.23
ヴァガルシャパト

1998年(最終巻)27×27cm、155ページ(図面 14ページ分)
アルメニア中部のヴァガルシャパトの、エチミアジン大聖堂をはじめとする諸聖堂を総覧する。アルメン・ザリアン、アラ・ザリアンとアナヒデ・テル・ミナシアンによる概要と、写真、実測図。最もページ数の多い巻。

『アルメニア建築ドキュメント』第 23巻「ヴァガルシャパト」 の函
シリーズの最終巻を記念してか、この巻にのみ ソフトな紙の函が付いている。
< 本の仕様 >
”アルメニア建築ドキュメント DOCUMENTI DI ARCHITETTURA ARMENA"
ミラノ工科大学建築学部 + アルメニア科学アカデミーの編著、
全23巻、1968〜1998年、ヴェネツィア、OEMME社
正方形サイズ、27cm x 27cm x 0.5〜1cm、各 50〜150ページ
ソフト・カヴァー、折り返し表紙、各巻 豊富にカラー写真と実測図を載せる。
『 アルメニア建築ドキュメント 』第1〜10巻と 布装の函
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