東大の常識は世間の非常識

● 『建築史家たちのアジア「発見」』 という本を出すので、「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」 について論文を書いてほしいと、編著者である東京大学の助手、村松伸氏から依頼されたのは、今から4年前(2000年)のことです。 私は建築の設計・監理を本業としていますので、仕事にとりかかるには 「設計監理契約」を結んで、トラブルを未然に防ぐよう努めています。 また、それが建築界の常識です。そこで、刊行時期や印税について しっかり取り決めた上でなら書きましょう と答えました。それに応じた編著者と出版社から、それらを明記した正式な執筆依頼状を 翌春受け取ったので、原稿を執筆し、2001年の7月初めに送付しました。 ところが、それから3年以上たつのに、本はいまだに出版されていません。その間、再三にわたって(何十回も)、早く出版するよう、契約を守るよう 要望しましたが、それは無視され続けました。
 その最大の原因は、編著者の村松氏自身が自分の原稿を書かず、編者としての役割も果たさず、その事情説明さえもしない という異常な行動にありました。 そこで思い余って、彼の所属する東京大学 生産技術研究所々長、西尾茂文氏 および 東京大学総長、佐々木毅氏に手紙を出しましたが、驚いたことには、大学自体が彼の行動を容認しているのです。 東大には優れた教授がたくさんいることは確かです。しかし一方、そのエリート意識と特権意識のもとに、よその研究者を愚弄するような行動をとる教員も散在し、またそれを当然のように考えている 管理層も存在します。 それが具体的にいかなるものであるかを示すために、東大に送った書状をここに公表して、世間の認識の一端に寄与したいと思います。   (2004/12/07

●● 東京大学総長、佐々木毅氏に質問状を送ってから4ヶ月近くになりますが、いまだに返事はなく、本も出版されません。学内の教官による こうした無法行為を容認している東大総長が、法学部の教授 だというのですから、あきれるほかはありません。学生たちは、こういう教師たちから 何を学ぶのでしょうか。   (2005/03/01



HORSE SENSE OF TOKYO UNIVERSITY

東大の常識は世間の非常識

神谷武夫

佐々木毅への手紙

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佐々木毅 東京大学総長への手紙

( 2004年 11月 10日 )

 突然お手紙を差し上げる失礼 を お許しください。 貴大学の助教授の 村松伸氏についてご質問させていただきたく存じます。

 今から4年前(2000年)に、村松氏が編著者となって 『建築史家たちのアジア「発見」』 という本を出すので、ジェイムズ・ファーガソンとインド建築について 原稿を書いてほしい という依頼を受けました。 世の中には、そうした出版計画が 企画だおれになったり、いつまでも出版されなかったりする ということが間々あるようなので、出版社からきちんとした執筆依頼状をもらって、本当に出版するということを確認したうえでなら執筆する という返事をいたしました。 2001年の4月になって、村松氏および出版社の風響社から正式な執筆依頼状が届き、秋に刊行する ということでしたので了承し、約束どおり3ヵ月で原稿を書き、7月4日に郵送いたしました。

 ところが 本は一向に出版されず、原稿を渡してから すでに3年以上がたちました。 この間、何度も何度も 繰り返し催促をいたしましたが、まるで 「拉致問題」 における北朝鮮のように、のらりくらりとした返事ばかりで、村松氏は そのつど 約束したことも一向に守りません。

 東京大学助手(当時)の肩書きで人に論文を書かせておきながら、編者としての義務を果たさず、ひたすら出版を先延ばしにして 説明責任も果たさないというのは、常識では考えられない 異常な性格と言うべきでしょうか。 あるいは、東大の教員にとっては、こうしたことは珍しくもない 日常的なことなのかもしれませんが、私は村松氏の契約不履行と 不誠実きわまりない行動によって、依頼された論文が長年印刷されないという損害と、多大な精神的苦痛を蒙りました。 さらに、氏が東大教員の肩書きによって人々を信用させ、論文を書かせながら、自らの分担原稿は書かず、ついに それを放棄するというに及んで、あいた口がふさがりません。 氏の所属する 生産技術研究所の 西尾茂文所長に手紙を書き、ご相談をいたしましたが、生研では 村松氏のこうした行動を 容認する姿勢であることがわかりました。

 そこで、あらためて東京大学総長である 佐々木先生に ご質問いたします。
1. 今回の件についての 村松氏の一連の行動を、東大では容認するのでしょうか?
2. 彼のような 無責任かつ 欺瞞的な人間が 東大助教授にふさわしいと、東大では考えるのでしょうか?
 今回の「不出版のプロセス」を記したもの(下記)を1部お送りいたしますので、これを検討していただき、公開しうるものとして お答えいただければ幸いです。




『 建築史家たちのアジア 「発見」 』
「 ジェイムズ・ファーガソンとインド建築 」
不出版のプロセス

2000

9月 15日 村松伸より神谷武夫に出版企画のメール
こんにちは。 次のようなものを 刊行したいのですが、いかがでしょうか? ご検討ください。

関係者各位  お元気でしょうか。
1.
発端 ; 1998年夏、神戸で第2回アジア建築シンポを おこないました。 ぼくが主催 (あんまり自覚的ではなかったのですが) したパネル 「建築史と政治」 の一部を、バージョンアップや 新しい執筆者に加わっていただき、単行本にしたいと思っています。 出版元は、風響社という アジア関係のものを出しているところです。 ひょんなことから社長の石井雅さん (とは言っても 個人経営でしょうが) と懇意になり、出していただけることになりました。
2.
タイトルと趣旨 ; タイトルは、『建築(史)家たちのアジア「発見」』 です。 98年の際とは やや異なります。 その時が やや総花的になったことへの反省です。 建築(史)家たちがアジア各地で、さまざまなものを発見し、それが誤解を生み出したり、新たな国民国家建築の基盤になったりします。 また、ある地区、国の 「建築史」 は 当然ながら、なんらかの 「政治的」 な意図によって 捏造されたわけです。 日本では もう はやりませんが、それでも国外から、たとえば安藤忠雄さんの建築を 「日本的」 だという際の 「日本」 が いかに 「欺瞞」 に満ちたものか、などという場合として残っています。 各国、各地で、建築史家 (建築家) が いかに建築を 「発見」 していったか、そこに込められていた 「政治性」 を 分析することによって、従来の建築物の羅列、建築家の偉人伝とは違って、そこにおける 文化一般とのかかわりを 知ることができるはずです。 ピンポイントの研究ですが、広い視野を獲得できるでしょう。
3.もくじ ;
(0) 総説 ; 建築史家たちのアジア 『発見』 (村松伸; 東京大学生産技術研究所助手)
(1) ファーガソンとインド建築 (神谷さん; 建築家)
(2) 建築のシンハラ性―スリランカ (黒河内宏昌さん; 早稲田大学)
(3) フランス人のベトナム発見 (大田省一; 東京大学生産技術研究所博士課程)
(4) トルコと建築のナショナリズム(?) (青木美由紀; イスタンブール工科大学)
(5) 関野貞と朝鮮 (韓三建;韓国うる山大学副教授)
(6) それぞれの中国建築―伊東忠太、マーフィ、梁思成 (M)
(7) 中国少数民族建築史と政治学 (包慕平; 東京大学生産技術研究所博士課程)
(8) 「琉球建築」をめぐって―発見と併合 (登谷伸宏; 京都大学)
(9) 南洋民家の発見―千々岩と台湾 (黄蘭翔; 台湾・中央研究院)
(10) タウトと白川郷―民家の発見 (禅野靖司; コロンビア大学)
(11) 伊東忠太とヘレニズム (青井哲人; 建築史家)
4. 統一規格 ;
・ 必ず、建築(史)家を ひとり(以上) 登場させ、建築とは関係ない人にも 興味があるようにする。
・ 枚数 ; 400字 × 40枚前後
・ 写真・図版 10点ほど
・ 締め切り ; 2001年3月末

9月 16日 神谷より村松伸への返事メール
基本的にはOKですが、98年の 「建築史と政治」 というのを知りませんので、基本的な文脈が、しかとはわかりません。 「政治」 という言葉に どのような意味がこめられているのかに よりますが、場合によっては私の手にあまるかもしれませんね。

9月 16日 村松伸より神谷への返事メール
「政治」 というのは、つまり、学問は純粋なものではなく、何か意図によって創られた という意味です。 必ずしも、新聞などをにぎわす 「政治」 ではありません。 神谷さんにお願いしたいのは、ファーガソンなど イギリス人建築史家たちが、インド建築をなぜ研究し、何を発見しようとし、実際何を発見し、さらにそれが インドの当時の建築のデザインに どう影響したかということです。 よろしくお願いします。

9月 17日 神谷より村松伸への返事メール
趣旨はわかりました。 E・H・カーが、歴史とは事実ではなく歴史家によって作られるものだというようなことを書いていましたが、それと似た話のようで、それを政治と呼ぶのは 算数を数学と称するような印象もありますね。 初め、大英帝国によるインド支配の リアル・ポリティクスとインド建築史研究との関係を論ぜよ、ということかと思いました。

9月 17日 村松伸より神谷への返事メール
もちろん、本当の政治とインド建築史は関係があったはずですから、そこのところもよろしく。


2001


2月 17日 建築学界の東洋建築史部会で 村松伸と会う。 原稿を書いているか と問われ、出版社からの執筆依頼状が来ないので、まだ書いていない。 編者からの依頼だけでは 本当に出版されるのかどうかわからない。 出版社より正式の執筆依頼状をもらって、確かに本になることを確認してからでなければ書かない、(設計監理契約を結んでおかないと、設計しても建たないことがあるので、必ず契約を結んでから設計をするのと同じである) という旨を伝えると、では 出版社と相談して、依頼状を執筆者たちに出すと言う。

4月 5日 村松伸よりメールで、原稿依頼状の案が届く
お元気ですか。 本の件です。 風響社の石井さんが、以下のような、契約書? を準備してくれました。 日程等 やや違いますが、いかがですか。 ぼくとしては、この本のメインのひとつは、神谷さんの ファーガソンとインドの関係だと思っています。 何か問題がありましたら ご連絡ください。 また、契約書? の送付には、住所が必要なので、住所もお知らせください。

執筆依頼書
前略 すでに編者の村松先生からの依頼により、ご執筆も終えられた頃と存じますが、版元として 遅ればせながら 執筆依頼状を お送りさせていただきます。 この間のご無礼を ご容赦の上、今後ともよろしくお願い申し上げます。
なお、今回は 前後が逆になっておりますので、本状とご執筆の形式に相違があっても そのままお進め下さい。 統一は 校正の段階で行いたいと存じます。

1 書名
 建築史家たちのアジア 『発見』
2 趣旨・内容 (村松先生のメールより)
 1998年 日本建築学会でおこなった 第 2回アジア建築国際交流会議の 「建築史」 の成果を利用し、さらに 若干新しい論文を加える。 タイトルは、98年の際とは やや異なります。 その時が やや総花的になったことへの反省です。
 建築(史)家たちが アジア各地で、さまざまなものを発見し、それが誤解を生み出したり、新たな国民国家建築の基盤になったりします。 また、ある地区、国の 「建築史」 は当然ながら、なんらかの 「政治的」 な意図によって捏造されたわけです。 日本では もうはやりませんが、それでも国外から、たとえば安藤忠雄さんの建築を 「日本的」 だという際の 「日本」 が いかに 「欺瞞」 に満ちたものか、などという場合として残っています。
 各国、各地で、建築史家 (建築家) が いかに建築を 「発見」 していったか、そこに込められていた 「政治性」 を分析することによって、従来の建築物の羅列、建築家の偉人伝とは違って、そこにおける 文化一般とのかかわり知ることができるはずです。 ピンポイントの研究ですが、広い視野を獲得できるでしょう。
3 枚数
 枚数 ; 400字 × 40枚前後
 写真・図版 10点ほど (人物肖像、建物写真など含む)
 建築家の年譜・各地区の近代建築年表
4 締め切り・作業手順
 2001年 3月末、原稿締切
 2001年 5, 6月、初校をまわし読みして、改定
 2001年夏、再校・索引語指定
 2001年秋、刊行
5 出版条件
 初版 : 発行部数 × 定価 × 8%に相当する書籍を 執筆者の人数均等割り
 再版 : 上記に相当する金額
 献本 : 各版ごとに各1冊
 買上 : 定価の 80% (出版契約書を必要とされる方には 個別に締結いたします)
 判型 : 部数: 四六判・上製カバー・400頁・初版 1000部 (予定)
 定価 : 3000円代を予定
 (以下、略)
----------------------------------------
風響社 URL: http://www.fukyo.co.jp/
----------------------------------------

4月 7日 神谷より 村松伸への返信メール
今回は内容が届きました。 その中で、
> 初版:発行部数×定価 × 8%に相当する書籍を執筆者の人数均等割り
という部分の <書籍> というのは <印税> の誤記でしょうか。 また、
> ご執筆も終えられた頃と存じます
とありますが、私はこれから書きますので、2〜3ヶ月かかりますが、それでもよろしいのでしょうか。 もしよろしければ、原稿締め切りと印税についての部分をご訂正の上、出版社から送ってもらってください。 「出版契約書」でなく、「執筆依頼書」 で結構です。

4月 11日 風響社の石井雅より郵便で、印刷した 上記の 「執筆依頼状」 が届く。

5月 14日 村松伸より 神谷その他へのメール
建築史家たちの 「アジア」 発見、執筆者のみなさま
第一号、黒河内さんの原稿が入りました。 本文と注を、添付してお送りします。 とてもいい論考だと思いますが、御意見を。 また、御参考に。 ぞくぞくと送られてくることを期待しています。

6月 6日 村松伸より 神谷その他への原稿督促メール
建築史家たちのアジア発見、執筆者のみなさまお元気でしょうか? しめきりの 5月末が過ぎました。 いかがでしょうか。
現在までに、黒河内さん 包さん 深見さん 青木さん (簡易バージョン) が来ています。 みなさん、力作で、とても よい本になりそうです。 進行状況を、Mまでお知らせください。 できれば、夏にどこかに集まって、討議会をひらきたいのですが。 8月から 9月のご予定も、お知らせください。

6月 7日 神谷より 村松伸への返信メール
原稿遅くてすみません。 出版社から執筆依頼状を受けましたのは 4月 17日なので、(2〜3ヶ月で書く約束なので) なるべく今月中に書くようにいたします。

6月 7日 村松伸より 神谷への返信メール
ありがとうございます。 インドがないと やや精彩にかけるので、是非おねがいします。 7月 4日 風響社に 完成原稿 「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」 を郵送する。

7月 4日 神谷より 風響社・石井雅へのメール
遅くなりましたが、「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」 の原稿ができあがりましたので、本日郵便でお送りしました。 明日か明後日には着くと思いますので、よろしくお願いいたします。

7月 6日 風響社より 神谷への返信メール
昨日原稿を拝受しました。 ありがとうございます。 早速、村松先生にも転送し、編集作業に入らせていただきます。 今後ともよろしくお願いいたします。とりいそぎ。

それから 4ヵ月以上もたった 11月 13日 神谷より風響社へのメール
7月 6日に 「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」 の原稿を受け取った というメール以来、何の音沙汰もなく、4ヵ月以上もたつ というのに、いまだにゲラ刷りも送られてきません。 本の発行は 2001年秋ということで、村松さんからは原稿の督促も受けたものですが、一体どのような状況になっているのでしょうか。

11月 13日 風響社より 神谷への返信メール
すっかりご無沙汰して 大変申し訳ございませんでした。 こちらも気にしておりましたが、一部原稿が遅れていたりしまして、全体の造本計画など滞ってしまいました。
仮組みの形でなら早々にゲラをお送りできますが、村松先生と打ち合わせてみますので、今しばらくお待ち下さい。 私としましても、小社の新しい分野として 大変大事な企画と考えております。 夏過ぎてと思っているうちに あっという間に時間が経ってしまいました。 怠慢のお叱り ごもっともと存じますが、ご容赦頂ければ幸いです。 取り急ぎ、お詫びとご連絡第一報まで。

11月 13日 村松伸より 神谷へのメール
風響社の件ではお世話になっています。
お叱りの件、ごもっともです。 あと ふたつの原稿が送れています。 年内には、集められそうなので、その時点で、感想を書いて、その先に進めたいと思います。 来年の 3月 をめどに原稿の整理の完成としたいのですが、いかがでしょうか。

11月 14日 神谷より 村松伸への返信メール
2001年の秋に出版するということで執筆依頼状をいただき、それにもとづいて原稿を書きましたので、遅くともこの冬には刊行されるものと信じております。

11月 14日 風響社より 神谷への返信メール
現在の入稿状況では 依頼状の予定通りというのは困難な状況ですが、遅れを取り戻すべく、詰められるところは詰めて参ります。 この間の連絡不備につきましては本当に申し訳なく存じております。 村松先生とも打ち合わせ、文字部分だけでも 早急にゲラを出すように手配いたしました。 今しばらくお待ち下さい。 どたばたしているようで恐縮至極ですが、どうかお見捨てなく、よろしくお願い申し上げます。

11月 14日 神谷より 風響社への返信メール
2001年の秋に出版するということで執筆依頼状をいただき、それにもとづいて原稿を書きましたので、遅くともこの冬には刊行されるものと信じております。

12月 11日 風響社より 仮ゲラが届く。 送り状には、
大変遅くなりましたが、『建築史家たちのアジア “発見"』 の仮ゲラを作成いたしましたので お送りいたします。 当初お願いしたスケジュールから随分遅れており、この段階でも まだ 「仮ゲラ」 の状態でおりますこと 深くお詫び申し上げます。
仮ゲラと称しましたのは、全体の原稿が揃っておらず、組み方や図表・写真の扱いが 最終決定していないことと、先生のゲラを組み体裁の見本として 編者やブックデザイナーと打ち合わせさせていただく、という二つの意味からです。 したがいまして、あらためて 初校をお届けする段階で、組み方・写真・図表の扱いなどが 若干変更される可能性があること、あらかじめ ご了承いただきたくお願い申し上げます。
もちろん、この組み方を基本にと考えておりますので、上記のこと お含みの上、この段階で校正していただけるようでしたら、お願いいたします。 全体の組み方が確定次第、訂正した上で 改めて 「初校」 をお送りいたします。 (大変恐縮ですが、初校の作業は来春にずれこんでしまいますこと、あらかじめ ご了承 頂きたくお願い申し上げます。)
年末のご多忙中、こんな内容で申し訳ございませんが、どうかよろしく ご寛恕のほど お願いもうしあげます。 草々


2002


2月 2日 神谷より 風響社へのメール
もう 2月半ばになりました が、いまだに初校ゲラをお送りいただけません。 (「仮ゲラ」 というのをチェックしている時間はありませんので、中身を見ていません。) 遅くとも この冬には刊行ということでしたが、一体いつになったら出版されるのでしょうか。 (契約というのは双務的なものです)

2月 15日 風響社より 神谷への返信メール
村松先生に確認しましたら、大変申し訳ありませんが、3月中には 原稿が揃い、編集作業も済ませられる予定 です、とのことでした。 仮ゲラを校正していただく必要は もちろんありません。 作業進行の管理がゆきとどかず 大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません。 いましばらく お待ち下さいますようお願い申し上げます。

2月 16日 神谷より 風響社への返信メール
お返事をいただきましたが、出版時の明言がありません。 だいぶ遅くなりそうです。 「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」を、一足早く私のホームページに載せてもよろしいでしょうか。

2月 16日 風響社より 神谷への返信メール
版元としましては困る部分もありますが、刊行が遅れておりますので、著作者のご意志に沿いたいと思います。 なお、いずれ小社のHPからリンクさせて頂きたい とも思っております。 刊行の時期につきましては、原稿が揃った (揃う期日が確定した) 時点で、あらためてご連絡申し上げます。 大変ご迷惑をおかけしておりますが、どうかよろしくお願いいたします。

2月 24日 神谷より 風響社へのメール
先日ご了解をえましたので、「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」 を 私のHP上に先行アップロードしましたので、お知らせいたします。 アドレスは、 http://www.kamit.jp//08_fergusson/fergusson.htm です。 ビジュアルなHPの性格上、読者を退屈させないように、図版の数をふやしました。 本の刊行よりも先に インターネットで公開するというのは、21世紀ならではのことかもしれません。 「版元としては困る部分も」 あるかもしれませんが、私のHPを見る人に対しては本の宣伝になる、という効用もあります。

2月 24日 風響社より 神谷への返信メール
お知らせ有難うございます。 綺麗な頁で 読者を楽しませてくれますね。 旧来の版元として 「困る」 部分と、ネットと紙の端境期に生きる 「21世紀」 の版元として こうした試みに 「賛同」 してしまう部分が交錯します。 小社の出版形態も 専門書や雑誌の一部はネットのみに 「進化」 していくことが予想されますが、その場合 「商業」 出版が成り立つかどうかは きわめて疑問です。 先生のHPには いろいろな可能性が潜んでいると思いますが、なによりオリジナルな情報を持っていることが 強みだと感じます。 情報の二次使用だけの版元ではなく、編集や提示によって 独自の付加価値をどれくらい加えられるか、について もっと強く追求しなければならないと考えています。 大変ご迷惑をおかけしておりますが、今後ともよろしくご指導のほどお願い申し上げます。

それから 1年近くたった 12月 15日 神谷より 風響社へのメール
このたび事務所が転居するとともに、名称も変更しましたのでお知らせいたします。 ダンボールに 100箱以上の本の箱詰めと取り出しで 少々体をいためてしまいました。 本の整理と配列し直しは まだこれからです。
「建築史家たちのアジア発見」 は、その後 1年経ちますが、音沙汰がありません。 どうなっているのでしょうか?

12月 16日 風響社より 神谷への返信メール
ご連絡有難うございます。 私も この前久しぶりに運動をして腰を痛めたところです。 お大事にして下さい。 また、「アジア発見」 につきましては 本当に申し訳ございません。 作業的には 原稿が遅れている方がいるとのことですが、村松先生にあらためて連絡をいたしました。 6月に家族が入院したため 公私ともに スケジュールが詰まってしまっておりますが、原稿が揃えば 最優先で刊行まで進めるつもりですので、どうかよろしくお願いいたします。

12月 26日 神谷より 風響社への返信メール
本はいつ出版されるのでしょうか? 1年半も原稿の遅れを待つ必要はまったくないと思いますが。 以下は 1年前にいただいたメールです。
> 村松先生に確認しましたら、大変申し訳ありませんが、3月中には原稿が揃い、編集作業も済ませられる予定です、とのことでした。

12月 26日 風響社より神谷への返信メール
わたくしもそう思うのですが、村松先生はまた海外なのかお留守のようで、ご返事がありません。 もう少ししたら、また連絡してみますので、今しばらくお待ち下さい。


2003


2月 2日 神谷より 風響社へのメール
もう 2月になりました が、連絡がありません。 どうなりましたでしょうか。

2月 3日 風響社より 神谷への返信メール
村松先生からは こちらにも返事がありません。 国分寺に引越されたようですが、NTTに届けがないようです。 メールを出しましたが、今度は手紙を出してみます。 申し訳ありません。

3月 1日 神谷より 風響社へのメール
また 1ヶ月がたってしまいました が、どうなりましたでしょうか?

3月 1日 風響社より 神谷への返信メール
あっという間に ひと月です。 申し訳ございません。 すぐに手紙をお送りしたのですが、なしのつぶてです。 長期海外かもしれません。 東大の方にも尋ねてみますが、恥ずかしながら、小社にとって初めての分野ですので、この企画で面識のある方は皆無です。
  とりいそぎ。

3月 2日 神谷より 風響社への返信メール
こちらから何度問い合わせても、いつも同じような答えというのは理解できません。 また、こちらから問い合わせないかぎり、連絡も説明もないというのも 理解できません。 編者と出版社が連絡をとれないというのは、一体どういうわけなのですか? あまりにも不可解なので、もう少し納得のできる説明を いただけないでしょうか?

3月 5日 風響社より 神谷への返信メール
ようやく村松先生から 連絡がありました。 今インドで、11日には帰国されるとのことでした。 このところ頻繁に海外調査に出ておられる様子で、うまく連絡がとれません。 編者としての仕事が遅れていることもあり、連絡が途絶え勝ちになっているのかとも思います。 こちらはこちらで 私事ですが、昨年夏から家人が長期入院したため 公私ともに混乱してしまい、いろいろな仕事が滞っております。 何分 一人企業ですので、揃っている仕事で期限が切られているものを優先して、年度末までの仕事を 何点か片づけつつあるところです。 ともに、納得していただけるような説明とはなりませんが、11日以降には 編者から改めて 具体的なスケジュールを示していただく積もりでおります。 なんとも 申し上げる次第もございませんが、とりあえずご報告まで。

3月 14日 神谷より 風響社へのメール
村松さんは帰国されたことと思いますが、遅れの納得できる説明はえられたでしょうか? 私も 16日にインドにでかけます。 その前に、この春には出版するというスケジュールをお知らせください。

3月 14日 風響社より 神谷への返信メール
メールの件、村松先生にお伝えしました。 わたくしの方は 前回のメール以上のご説明はできませんので、編者より直接 お答え頂くようお願いしました。 インドへは長期でしょうか。 予定は 第一義的には村松先生の作業次第となります が、ゲラのやりとりもありますので、他の執筆者のスケジュールにも左右されます。 こちらとしましては、原稿が揃わないと 予定を申し上げるすべがありません。 申し訳ございませんが、よろしくご了承願いたく存じます。

4月 25日 村松伸から何の連絡もないので、風響社の石井に電話をして話を聞く。
風響社の石井が 村松と会ったのは1度だけ。 大平賞受賞で知り合い、その後 今度の本の企画をもらって引き受けた。 石井は かつて建築家志望だったこともあり、今度の本は是非出したい。 2001年に、村松から言われて、今度の本に関する執筆依頼状を 郵便で送ったのは 神谷だけ。 あとは村松からメールで送ったはず。 石井は執筆者たちの連絡先さえ もらっていない。 最初の 1年ぐらいは きちんと動いていたが、その後はメールに返事をくれなくなった。 村松は転居したようだが、転居通知をもらっていないので、自宅の電話番号も知らない。 今度の執筆者の一人でもある太田に 事情を聞こうとしたがつかまらない。 藤森研に電話をしたら 女性がメールを転送してくれて、やっとインドから村松の返事がきた。 神谷に直接、説明をするとのことだった。 原稿がまだ届いていないのは、村松、太田、禅野 の 3人である。

4月 28日 神谷より 村松伸へのメール
「建築史家たちのアジア発見」 は いまだに出版されませんが、どうなったのでしょうか? 風響社に何度か問い合わせましたが、村松さんの方から直接説明がくるとのことでした。 しかし、連絡ひとつないのは 少々不可解です。>4月 28日 村松伸より 神谷への返信メール
ごぶさたと御無礼をしています。 すみません。 さて、御指摘の本の件です。 これは、全面的に村松のせいで遅れています。 石井さんは むしろ被害者です。 ただ、内容やその方向に関しては、現在でも強く関心をもっていて、ぜひ、刊行をしたいと考えています。 ここまで引き伸ばして、神谷さんにご不興をかっていることは重々承知しております。 私の考えでは、神谷さんがよろしければ、仕切り直しをして、今年いっぱいで原稿 (まだ、ないのがふたつあります。 私のと、禅野さんの) の見直しをして、来年の上半期には風響社さんに出してもらいたい と思っているのですが。 もっとも、もう風響社の石井さんは 匙をなげているのかもしれませんが。 神谷さんの御意見をお待ちしています。

4月 28日 神谷より村松伸への返信メール
理解しがたいお話です。 なぜ すぐに原稿を仕上げて出版しないのですか? お電話いただけないでしょうか。

4月 28日 村松伸より 神谷に電話がくる。
神谷 : さきほどもらったメールでは、1年後に出版と書いてあったが、どういうことか? こちらは、きちんとした執筆依頼状によって、本当に本になると確認しなければ原稿を書かないと言い、そのあと依頼状をもらったから、約束どおり 2〜3ヵ月で書いた。 人々に催促までして原稿を書かせておきながら、自分は書かずに出版を遅らせ続けるというのは どういうことか、きちんと説明してほしい。
村松 : 自分の怠惰のせいである。 原稿は半分くらい書いてある。 1週間では無理だが、1ヶ月以内に必ず書く。 8月までには必ず出版する。 風響社と連絡して、出版スケジュールを決めて連絡する。

5月 6日 村松伸より 執筆者全員にメール
関係各位 : ながらく ごぶさたしております。 御推測だとは思いますが、村松伸の怠惰の故に、遅れにおくれましたが、いよいよ、仕切りなおして 発刊に向けて動き出そうと思います。
1.下記に成績表があります。 5月末までに、執筆、加筆、訂正、図版、注、年表などを加ええて、風響社宛てにお送りください。
2. 6月いっぱいでゲラにします。 その間、村松が総説の執筆と、それぞれの原稿のチェックをいたします。
3.刊行は、それ以後、できるだけ早く ということになります。
4.なお、それぞれの方の連絡先を石井雅さんにお知らせください。
遅れましたこと かえすがえす お詫びいたします  村松伸

建築史家たちのアジア 『発見』 (風響社) 001003 村松伸
○○ 総説;建築史家たちのアジア『発見』(村松伸;東京大学生産技術研究所助手)
第一部 西洋人のアジア建築発見
●●(1) ファーガソンとインド建築 (神谷さん; 建築家)
●●(2) 建築のシンハラ性―スリランカ (黒河内宏昌さん; 早稲田大学)
○○(3) フランス人のベトナム発見 (大田省一; 東京大学生産技術研究所博士課程)
●●(4) ペルセポリス発見 (深見奈美緒子; 東京大学東洋文化研究所)
●○(5) 19世紀の万国博覧会とトルコ建築 「発見」 の発見 (青木美由紀;イスタンブール工科大学)
第二部 日本の東洋建築
○○(6) 李明仲 820忌と建築の 「中国」(村松伸)
●○(7) 関野貞と朝鮮 (韓三建; 韓国うる山大学副教授)
●○(8 )南洋民家の発見―千々岩と台湾 (黄蘭翔; 台湾・中央研究院)
○○(9) さまざまなプロビンシヤ城 (黄士娟: 東京大学博士課程)
第三部 内なるアジア建築
●●(10) 「琉球建築」 をめぐって―発見と併合 (登谷伸宏; 京都大学)
○○(11) ペリアンと日本 (禅野靖司; コロンビア大学)
●○(12) 今和次郎と民家 (黒石いずみ)
●○(13) 中国少数民族建築史と政治学 (包慕平; 東京大学生産技術研究所博士研究員)

5月 26日 村松伸より 執筆者全員にメール
みなさま : そろそろ 5月末です。 原稿の方、よろしくおねがいします。

5月 31日 神谷より 風響社へのメール
村松さんより、5月末までに 加筆原稿を風響社に送るようにと連絡をもらっていますが、「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」 に加筆はありませんので、前の原稿のままで お進めください。 ずっと以前に 「仮ゲラ」 を送っていただきましたが、あれは版型がずいぶん小さいようです。 私の場合、「ジェイムズ・ファーガソン著作年表」 が小さくなりすぎて字が読めなくなってしまいそうですので、なるべく版型を大きくしていただくよう、希望いたします。

6月 2日 風響社より 神谷への返信メール
おかげさまで 作業が回り始めたようで、原稿が届きつつあります。 ほぼ揃った段階で こちらの作業も開始したいと思っております。 判型の件は、原稿が揃った段階で、デザイナーとも相談し、よく検討してみます。 企画内容と原稿の分量から、当初、四六判で定価も安く と考えましたが、細かな図版も多く、たしかに四六判では小さいようです。

それから 4ヵ月近くたった 9月 25日 神谷より 村松伸へのメール
ごぶさたしています。 「建築史家たちのアジア発見」 4月 28日の電話では 8月には必ず出版する というお話でしたが、いまだにゲラ刷りも送ってきません。 一体どうなっているのでしょうか?

9月 26日 村松伸より 神谷への返信メール
外国人の著者の論文の訂正、日本語の直し (めいるではありますが、意図がなかなか つたわらず、ということも多々あります) などが 思ったより多く 手間取ってしまっています。 ではありますが、8割方原稿はあつまっています。 私の努力を汲み取って、もう少し お待ちいただけませんでしょうか。

10月 22日 神谷より 風響社へのメール
お久しぶりです。 5月初めの村松さんのメールでは、
>6月いっぱいでゲラにします。 その間、村松が総説の執筆と、それぞれの原稿の チェックをいたします。
ということでしたが、もう秋たけなわ というのに、いまだにゲラ刷りも いただいていません。 いつ お送りいただけるのでしょうか?

10月 22日 風響社より 神谷への返信メール
すっかりご無沙汰いたしまして申し訳ございません。 いただいた原稿分は すでにゲラの形にしておりますが、一部原稿が差し替えとなったり、海外で遅れている方などがいて、こちらとしましては 全体が揃っておりません。 完成稿の方から 校正を開始していただく方向で、見切り発車をするかどうか 村松先生にも連絡をしてみます。 こちらも、いろいろありまして、すっかりスケジュールの調整が抜けており 大変失礼いたしました。

12月 3日 神谷より 風響社へのメール
もう、1ヵ月以上たちました が、どうなりましたか?

12月 5日 風響社より 神谷への返信メール
ゲラは出来ております。 目を通して週明けにも お送りいたします。 遅くなって申し訳ございません。 ただ、原稿はまだ揃っておらず、全体の進行については 改めて村松先生に問い合わせてみます。

12月 9日 風響社より 神谷への返信メール
出張から戻りましたが、雑用が飛び込んできて仕事に入れません。 申し訳ございませんが、お送りするのが数日遅れます。 ご容赦ください。

12月 15日になって、やっと風響社からゲラ刷りが届く。 送り状には 次の文面
ゲラ全体に目を通しておりませんので、この送り状の内容は 仮のものとさせて下さい。 村松先生が かなり調整して下さったものの、各執筆者でスタイルが異なっております。 大変遅くなりましたが、これで動かない部分が 動いてくれることを期待しております。 力不足で 大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません。

12月 28日 校正済み原稿を 風響社に返送する。


2004年


それから 3ヶ月たった 3月 29日 神谷より 風響社へのメール
校正をお送りしてから 3ヵ月がたちました。再校は 3月、刊行は 5月とありましたが、どうなりましたでしょうか?

3月 30日 風響社より 神谷への返信メール
まだ 全部揃っておりませんが、初校は ほぼ戻ってきておりますので、図表など整理しているところです。 少し遅れますが、来週いっぱいを めどに再校をお送りしたいと思っております。 申し訳ございませんが、いま少しお待ち下さい。

4月 14日 風響社より 再校ゲラが届く。 送り状には 次の文面
ようやく最後の論文が届きました。 年表や細部の調整が残っておりますが、とりあえず本文のみ、再校をお送りいたします。 いろいろ ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

4月 16日 風響社に 校正済み再校ゲラを返送する。

5月 17日 神谷より 風響社へのメール
図版・年表のゲラがまだ届きませんが、どうしたのでしょうか。

5月 18日 風響社より 神谷への返信メール
申し訳ございません。 未着の方が数人いて、督促をしているところです。 先生のは 独自のパターンですので、通常の年表形式の他の方と調整する必要 (余地) はないのですが、いちおう全体が揃ってからと考えて、遅くなっております。 現在、一番遅れていた方の原稿がようやく入り、村松先生も総論というか 序論部分を月内に仕上げるという、これまた申し訳のないスケジュールですが、なんとか完成の見通しがついたところです。 まことに恐縮ですが、いましばらく お待ち頂けたら幸いです。

5月 19日 神谷より 風響社への返信メール
私の年表は大きいので、本への載せ方が気になります。 もうできているはずですので、お送りください。 「未着の方が数人いて」 というのは、何が未着なのですか?

5月 19日 風響社より 神谷への返信メール
未着というのは 年表・年譜です。 最初からお願いしているのですが、のんびりした方が多くて、いまだに送っていただけていない方がいま。 これは外注に出しますので、全体の統一や作業の段取りから、一括で出したいと思っており、保留になっております。
前便でも申し上げましたように、先生のは 1点だけかなりスタイルが異なりますので、全体とのバランスをあまり考えなくてもいいとも思いますが、それでも全体を一括して 頼みたいということで止めていた次第です。 でも、見切り発車で、今ある分だけ 先行して進めるようにいたしますので、少しお待ち下さい。

6月 22日 神谷より 風響社へのメール
あれから 1ヶ月たちます が、いまだに図版・年表のゲラが届きません。 どうしたのでしょうか。

6月 24日 風響社より 神谷への返信メール
出来てきております。 頁枠ぎりぎりまで組んであり、検討の余地がありますが、とりあえずお送りいたします。 まだ、最後の原稿が入らないままでおり、催促はしておりますが、いまモンゴルに行かれているようです。 力不足で申し訳ございません。

6月 26日 神谷より 風響社へのメール
年表ゲラいただきました。 あの大きな年表を、小さなページに どう収めるのだろうかと思っていましたが、やはりうまくいかないようですね。 A3弱の紙にオリジナルどおりに印刷して、四つ折りにしたものを付録にでもつけるほか ないのかもしれません。 あれは世界初の 「ファーガソン著作年表」 ですから、インド建築史以外の方にも役立つでしょう。 その場合には、「インド建築史の形成」 を、その裏に印刷するとよいですね。
 4月 5日付けのメールには、「現在、一番遅れていた方の原稿が ようやく入り、村松先生も総論というか 序論部分を月内に仕上げる...」 とありました。 再校ゲラを送っていただいたときの 4月 13日付けの手紙にも、「ようやく最後の論文が届きました」 とあります。
ところが、今度のメールでは、「まだ、最後の原稿が入らないままでおり...」 とありますが、不思議な話です。  いったい、いつ発売になるのでしょうか。

7月 2日 風響社より神谷への返信メール
最後の論文は入ったのですが、編者の総論がまだ ということです。 春の時点では すぐに仕上げてくれるとのことでしたので、そうお話しもし、小社のHPにも近刊扱いとしたのですが……。 連絡はしましたが、今のところ返事がありません。 また どこかにお出かけなのかもしれません。 こちらとしましては、催促しながら待つ以外 手がない状況です。
さて、年表を付録にするという案ですが、論文集ですから、当該論文の中に配置する必要があります。 文字の大きさは 7ポ〜8ポ程度で統一したいと思いますので、どの程度の大きさになるか、やり直してもらうようにします。

7月 3日 神谷より 風響社への返信メール
村松さんというのは、よほどタチの悪い人のようですね。 今までのプロセスを すべてHP上で公開してもよろしいでしょうか?

7月 4日 風響社の石井雅より 神谷への返信メール
お怒りは もっともと思いますが、HPに、というのは少し 「過激」 ではないでしょうか。 編者も、それなりに 理由 があるでしょうし、遅れていた方にも 個々の理由があると思われますが、結果として それらの事情が積み重なって現在に至ったと思われるからです。 また、一般論で言いますと、ネットの世界は 「公」 の世界ですから、こういう個対個の問題を載せるのは疑問があると思います。 それに、私の知る限り 出版の世界では原稿が遅れることはわりと日常的で、小社の範囲でも、期日までに原稿をくれる執筆者の方が少数派 というのが実状です。 春の時点で お知らせしましたように、一番遅れていた原稿が ようやく届き、編者も総論にとりかかることができ、近日中にもらえるというところまでこぎ着けました。 その総論が約束より遅れていて、今のところ連絡がつかない というのが現状です。 これも困ったことですが、編者にも何か理由があるものと思われます。 ともかく、お気持ちは 前便でも編者に伝えましたが、もう一度編者にメールして 直接事情を説明して頂くよう お願いしておきます。

● それから 3ヵ月もたつが、村松伸から何の説明もなければ、風響社からの修正年表もこない。 どんな泥棒にも殺人にも、それなりに理由があるだろう。 理由さえあれば何をしても許されるというのなら、契約も法律も不要である。 東大の人間というのは、自分勝手なことをして人の信義を裏切り、説明責任さえも果たさないで、平気でいられる人種なのだろうか?


● 村松伸という男は まったく信用できない人間だ ということが わかったので、もう 彼および、すべて彼の指示でしか動かない風響社に出版の催促をすることは止め、彼が所属する東京大学・生産技術研究所 (以下、生研) の所長へ手紙を書き、上記のプロセスのコピーを添えることにする。

10月 15日 東京大学 生産技術研究所、西尾茂文所長への手紙
 貴研究所の助教授の 村松伸氏について ご相談いたします。
 今から 4年まえに、村松氏が編者となって 『建築史家たちのアジア 「発見」』 という本を出すので、ジェイムズ・ファーガソンとインド建築について原稿を書いてほしい という依頼を受けました。 世の中には、そうした出版計画が企画だおれになったり、いつまでも出版されなかったりする ということが間々あるようなので、出版社からきちんとした執筆依頼状をもらって、本当に出版するということを確認したうえで執筆する という返事をいたしました。
 2001年の 4月になって、村松氏および出版社の風響社から 正式な執筆依頼状が届き、秋に刊行する ということでしたので了承し、約束どおり 3ヵ月で原稿を書き、7月 4日に郵送いたしました。
 ところが 本は一向に出版されず、原稿を渡してから すでに 3年以上がたちました。 この間、何度も何度も催促をいたしましたが、まるで 「拉致問題」 における北朝鮮のように、のらりくらりとした返事ばかりで、村松氏は そのつど約束したことも一向に守りません。
 東京大学助手 (当時) の肩書きで人に原稿を書かせておきながら、編者としての義務を果たさず、ひたすら出版を先延ばしにして 説明責任も果たさないというのは、常識では考えられない 異常な性格と言うべきでしょうか。 こうした人が 東大の助教授の名にあたいするのでしょうか。 あるいは、東大の教官は、こうしたことを当然のように考えているのでしょうか。
 こうした人が相手では、私にはもう なすすべがありません。 今回の 「不出版のプロセス」 をまとめたものを 1部お送りいたしますので、これを検討していただき、東大生産技術研究所・所長としての 先生のお考えを お聞かせ願えれば幸甚です。

10月 19日 東大・生研、西尾茂文所長よりメールでの返事
 メールにて失礼致します。 この度は、本所 村松伸助教授の出版編者の件につき、ご注意をいただき、有難う御座いました。 いただきました資料の拝読 ならびに状況調査などをさせていただきますので、ご返事につきましては 少しお待ちいただければ幸いです。 宜しく御願い申し上げます。

10月 19日 村松伸より神谷へのメール
 ご無沙汰しております。 本日、勤務先であります 東京大学生産技術研究所の西尾所長から、神谷様からお手紙があったこと、本の出版の遅延に対するご叱正とご意見があったことの指摘と、さらにそれに対して 私が速やかに 的確に対応すべきこと 等の助言等を受けました。
 遅延には種々の理由があったことはたしかでありますが、神谷様のお怒りは ごもっともであると強く認識しております。 幸いながら、すべての原稿、年表、図版などがそろいました。 残るのは私の総説だけであります。ですから、以後、責任はすべて私にあります。 本日、風響社の石井氏に連絡し、すべてのゲラを私に送付して欲しい旨を伝えました。 私の総説は、他の方々の内容を踏まえ、原稿用紙で 50枚ほどを書くことを予定しております。 11月末までには完成する所存であります。
 さて、以上のことをできれば、神谷様の所に、風響社の石井氏とともに訪問し、直接ご説明したく考えております。 私は、10月 24日から 31日まで上海に出張を予定しており、また、石井氏と事前に打ち合わせしましたところ、あいにく、私の出張以前ですと、22日(金)の午前中だけが 神谷様を訪問できる時間になってしまいます。 その日のご都合は いかがでしょうか? もし、その日が不都合であります時は、11月 1日、4日 (ただし、これらは、まだ、石井氏とは調整しておりません)、は いかがでしょうか?
 お詫びと共に、早急に出版の実現に向けて努力していきたく、神谷様にはその趣旨をふまえ、私どもの訪問に、ご理解とお時間の調整を お願いするものであります。 また、できましたら、伺うべき場所を指定していただければ幸いであります。 以上、よろしくお願いいたします。

10月 20日 西尾茂文所長より再メール
 再び、メールにて失礼致します。 いただきましたお手紙等を拝読させていただきますとともに、東京大学の一員である 本所の信頼にも関わることと判断し 村松助教授より状況説明を受けました。 当方からは、特に、編者として 神谷様を初めとする執筆者の方々に 出版状況の連絡が不十分であったと思われることを指摘し、誠実に対応し 今後は著者の方々の状況をも踏まえ 今回の経験を生かすよう話を致しました。
 村松助教授も 出版の遅れに対しては大変気にしており、また反省もしております。 本人も早期の出版に努力し、また神谷様にも 直接にお詫びに伺うと申しておりますので、ご理解をいただければ幸いです。 ご指導いただきましたことを感謝申し上げます。 取り急ぎ、ご報告申し上げます。

10月 20日 神谷より 西尾茂文所長への返信メール
 お手数をおかけいたしました。 村松氏よりメールが届いていましたが、それによると、これから自分の原稿を書くのだそうで、今まで私にたいして嘘をつき続けていたことが はっきりしました。 こんな人間に会いたくもありません。 本当に反省しているのであれば、ただちに原稿を書いて、必ず 11月いっぱいで刊行するという念書でも 西尾所長にいれるべきだと思うのですが。

10月 22日 西尾茂文所長より 神谷への返信メール
ご返事をいただき、有難う御座いました。 村松助教授には、早期刊行に向けてスケジュールを明らかにし、神谷様にもお伝えするよう指示いたしました。 ご迷惑をお掛けいたし、申し訳ありませんでした。

10月 24日 村松伸より 神谷へのメール
1.もともと、私も一本原稿を書くつもりでいました。 ただ、それよりも、監修の原稿に絞った方が 内容が濃くなると考え、そう 計画を変更 いたしました。 監修の原稿は、できれば、全部の原稿、図版、年表などがそろってから、書きたいと考えていました。 ところが、 1)青木女史が妊娠、出産し、イスタンブールから実家の福岡へと移動し、資料の捜索に手間取っててしまったこと、 2)禅野氏が、重い持病の発生で大幅に原稿が遅れたこと、 3)何人かの著者が調査で長期不在になったことが、後半部分に発生し、 4)出版者との意思不統一から、図版、年表の整理が遅れたことが、大幅に遅れたことの一端であります。 もちろん、以上、および、それにもかかわらず、督促を強くおこなわず、速やかに出せなかったこと、私自身の原稿の遅れなどもちろんですが、ひとえに監修者である私の責任であります。
2.神谷さんのお怒りはもっともであり、同時に 私も風響社も早急に出版したいと考えています。 現在、すべき点を整理いたしますと、以下のようであります。 1)村松の原稿の完成、 2)村松の原稿の校正、 3)その他の著者:再校、年表の統一、注・文献の統一、 4)索引の作成、 5)装丁
3.以下、風響社とご相談して出た結論の日程であります。 1)村松原稿:11月末、 2)村松校正、12月中旬、 3)再校・念校:10末に各執筆者に送付、なるべく 11月末までに返送していただく (その際、年表の統一、注・文献表記の統一など調整する)、 4)索引;再校・念校に索引語をマークしてもらい、編者と小社で調整して作成、 5)装丁:再校・念校ゲラで ほぼ頁数を予測し、デザイナーと打ち合わせる、 6)刊行:全ての原稿が責了となってから索引作業など入りますから、印刷・製本の完成まで少なくとも 2ヶ月はかかります。 風響社も年度末の助成金出版を 5点ほどかかえておりますので、実際にはもう少し余裕が欲しいところだそうです。
4.神谷さんにおかれましては、私たちの提案にご理解いただき、よろしく お取り計らいいただくことをお願いたします。

10月 26日 神谷より 西尾茂文所長へのメール
 私は、貴研究所・村松氏の 3年以上にわたる、あまりの不誠実さと、人を愚弄する姿勢に、とうとう愛想をつかし、西尾先生にお手紙をさしあげ、この件について東大・生産技術研究所・所長としてのご意見をうかがいました。 しかし、きちんとしたご返事がなく、かわりに、私が もはやなんら信用をしていない 村松氏からのメールが届きます。 そこで、あらためて西尾先生に、メールでのお手紙を ここに したためる次第です。
 まず土曜日の深夜 (10月 24日) に届いていた村松氏のメールについて申し上げます。 これを読んで驚いたのは、彼が自分自身の分担の原稿を書くのを やめてしまったということです。 彼が書くことになっていた (と、彼の企画書にある) のは、「それぞれの中国建築―伊東忠太、マーフィ、梁思成」 というものです。 2003年の 4月 28日の電話では、「原稿は半分くらい書いてある。 1週間では無理だが、1ヶ月以内に必ず書く」 と言っていたものです。 あれは、真っ赤な嘘だったわけです。 東大助手 (当時) の肩書きで他の研究者たちを信用させて、それぞれに論文を書かせておきながら、しかし自分は何ら担当分を書かず、書いているとか、1ヶ月以内に仕上げるとか嘘をついておいて、ついには書くのを放棄し、自分の責任を果たさないというのです。 まことに信じがたい 「編著者」 が、東大には いるものです。
 しかも、その理由として、自分の担当の原稿は書かずに 「監修の原稿に絞った方が 内容が濃くなると考え」 たという、実に人を馬鹿にした言い方ではありませんか。 東大では、こういう責任逃れの詭弁が 通用するのでしょうか? また、全員の論文がそろってから 総論を書こうと思った ということですが、今年の4月 14日には、風響社から、最後の原稿が届いた というメールをもらっています。 それから もう半年もたっているのに、(その間、早く出すように催促をされてもいるのに)、まったく ほっぽらかしであったというのです。 東大では こういう仕事ぶりが通用するのでしょうか?
 私は、彼が私に言うことには信用をおいていませんが、生研所長としての西尾先生は立派な方であろうと思っていましたので、生研所長として、11月いっぱいで本を出版させることを約束していただける というなら、これで問題の決着にしてもよいと思っていました。 ところが 村松氏のメールでは、これだけの不始末をしているにもかかわらず、総論を書くのに 1ヶ月、校正をするのに半月などとうそぶいています。 本当に 「反省している」 のであれば、他の仕事はストップして、ただちに原稿を書き、校正すべきではないでしょうか。 そして、年表や文献の統一などは、出版社が同時並行してやれば いいだけの話です。 しかも、すべてが終わったあとに 「装丁」 をする などといっているのは 噴飯ものです。 装丁は 本の編集と同時に進めるのが常識です。
 要するに、彼は反省しているどころか、今までと何ら変わりなく、自分の義務を果たさず、嘘をついて、ひたすら本の出版を 無際限に先延ばしにしているのです。
 東大の教授に、わざわざ こんなことを言うまでもありませんが、学者の本分は、論文を書き、それを素早く発表することでしょう。 ところが 人に論文を書かせておきながら、その出版を妨害し続けるというのは、学者の かざかみにもおけません。 本は、本当に出そうと思うなら、11月いっぱいで出せるはずです。 「反省した」 編者が 奔走すればよいだけの話です。 もしも、生研が村松氏に、あのような欺瞞に満ちたメールを書かせて、お茶をにごそう としていたのであれば、はななだ問題です。
 最後に、もう一度お尋ねします。
 村松氏のような 無責任 かつ欺瞞的な人間が 東大助教授の名にあたいする と お考えでしょうか?
今回の件についての 彼の一連の行動を、東大・生産技術研究所は容認するのでしょうか?
土曜日の村松氏のメール内容は、生研の総意であると判断して よろしいでしょうか?

それから 10日もたった 11月 5日 西尾茂文所長より 神谷への返信メール
 ご返事が遅くなり、申し訳ありませんでした。 また、今回もメールによる御返事とさせていただきましたこと、お許しください。
 きちんとした返事がないとのご指摘ですが、今回の件につきましては、神谷様のご指摘を受け、村松助教授の対応に不十分・不適切な点があったと判断いたしましたので、御返事申し上げましたように、事情を直接にご説明すること、早期の出版を実現することを含めまして誠実に対応申し上げるよう村松助教授に話しをいたしました。 ご要望には沿っていないかも知れませんが、これが当方が下した当面の結論であり、看過したつもりは御座いません。 無論、これは生研の総意というものではなく 私の判断で御座いますし、東大あるいは生研の教員として 誠実に対応し 善処すべきと判断いたしました結果で御座います。
 一般的に申し上げますと、大学の教員の研究教育活動の基本は 自律性にあると思います。 無論、この自律性は無前提に認められるわけではなく、自己責任を伴うとともに、自律性の範囲につきましては アプリオリに決まるものではなく 可塑的対話を続ける以外には方法はないとも思っております。 したがいまして、自己責任として、上記のような対応を取るべきと 村松助教授に話した次第で御座います。
 確かに、今回の出版遅れなどにつきましては、状況説明の不備など 村松助教授の対応に手落ちがあったと思っております。 村松助教授も責任を感じておりますので、ご理解を賜りたく存じます。 ご理解いただければ幸いに存じます。

● つまり、大学の教員は 契約を守らなくとも、嘘をついて人の論文発表の妨害を続けようとも、自分の責任分担を放棄しようとも、研究活動の自立性のゆえに許されることだ、ということらしい。 したがって、今回の件についての 村松氏の一連の行動を 東大・生産技術研究所は容認するし、東大助教授の名に あたいする行動だと考えているらしい。 東大の常識は世間の非常識、というところか。 とうてい理解のできない話ではある。


佐々木毅への手紙

● 以上の 「不出版のプロセスの記録」 を添付した冒頭の手紙に対して、佐々木毅 東大総長の返事はない。 手紙をもらっていない と言われても困るので、念のため、11月 29日に 配達証明付きで再度送り、次の手紙を添えた。

 11月 10日に 貴大学の助教授について、質問状としての お手紙を差し上げましたが、いまだに お返事がいただけません。 手紙が着いていないと いけませんので、念のため、もう一度お送りいたします。
 今までのプロセスを ホームページにて公開しようと思います。 もしも 異議がございましたら、ご連絡ください。

● 異議は ないようなので、ここに公開することにした。(2004年 12月7日)

● その後 半年以上たっても 東大総長から返事はなく、本も出版されない。 あまりにも悪質なので、すべて 実際の手紙どおりに、実名に改めた。(2005年7月5日)



「東大の常識は世間の非常識」 − その後

( 2006年 2月 20日 )

● 東京大学総長からは その後も返事がなく、本も出版されない。 そこで昨年 (2005年) の 9月 23日に 文部科学省の高等教育局、国立大学法人課 に 「東京大学助教授の不祥事と 東京大学の対応について」 と題する、次のような手紙を出して相談をした。 今までの経過を記した このサイトのページを 全部プリントアウトして製本し、資料としてつけた。

文部科学省 高等教育局 国立大学法人課 御中

国立大学法人の 東京大学についてご相談いたします。
 今から 5年前に、東京大学・生産技術研究所の助手(現在は助教授)の村松伸氏が編著者となって 『建築史家たちのアジア「発見」』 という本を出すので、ジェイムズ・ファーガソンとインド建築について 原稿を書いてほしい という依頼を受けました。 それに対して、出版社からきちんとした執筆依頼状をもらって、本当に出版するということを確認したうえでなら執筆する という返事をいたしました。
 2001年の 4月になって、村松氏および 出版社の風響社から 正式な執筆依頼状が届き、秋に刊行するということでしたので了承し、約束どおり 3ヵ月で原稿を書き、7月 4日に郵送いたしました。
 ところが 本は一向に出版されず、原稿を渡してから すでに 4年以上がたちました。 この間、何度も何度も 繰り返し催促をいたしましたが、まるで「拉致問題」における北朝鮮のように、のらりくらりとした返事ばかりで、村松氏は そのつど約束したことも一向に守りません。
 東京大学助手(当時)の肩書きで 人に論文を書かせておきながら、編者としての義務を果たさず、ひたすら出版を先延ばしにして 説明責任も果たさないというのは、常識では考えられない 異常な性格と言うべきでしょうか。 あるいは、東大の教員にとっては、こうしたことは珍しくもない 日常的なことなのかもしれませんが、私は村松氏の契約不履行と 不誠実きわまりない行動によって、依頼された論文が長年印刷されないという損害と、多大な精神的苦痛を蒙りました。
  さらに、氏が東大教員の肩書きによって 人々を信用させ、論文を書かせながら、自らの分担原稿は書かず、ついにそれを放棄するというに及んで、あいた口がふさがりません。
 民間の会社であれば、こうした無責任 かつ欺瞞的な行動をとった社員は ただちに処分され、その上司が相手に謝罪するとともに、契約事項の敏速な履行をはかるものです。 そこで、村松氏の所属する生産技術研究所西尾茂文所長に手紙を書き、相談をいたしましたが、生研では 村松氏のこうした行動を 容認する姿勢であることが わかりました。
 そこで、思いあまって、東京大学総長である 佐々木毅氏に手紙を書きましたが、総長は 返事さえもよこしません。 こうした 東京大学の対応を、国立大学法人の監督機関である文部科学省は、どのように判断されるのでしょうか。 東京大学への手紙および、これまでの経過を記したものを同封いたしますので、ご検討の上、適切に対処していただくことをお願いいたします。

文部科学省への手紙

● その後 文部科学省から返事がないので、11月 24日に問い合わせの電話をしたところ、国立大学法人支援課の企画係・相場氏が対応した。 しかし彼が調べたところ、そういう相談を受けたという記録がないので、手紙と資料をもう一度送れという。 やむをえずもう一度プリントアウトし、次の追記をして再度送った.
「相場禎臣様 9月 23日に送付しました 手紙と付属文書を 紛失してしまったらしい ということですので、再度お送りいたします。 2005年 12月 1日」
 相場氏より、文書が届いた旨の電話があり、東京大学には事情説明をしたという。 しかし 東大からは何も言ってこないので、12月 21日に 再び文部科学省に電話をすると、相場氏は病欠だといって、企画係長樋口氏が対応した。 氏が調べ直したところ、9月の私の手紙は確かに届いていて、相場氏の前任者の高久氏が、東大事務局の総務課宛に 送っていることがわかった (そのコピーが残っているとのこと)。 そして相場氏も、私の手紙を受け取ったあと、改めて東京大学に文書を送り、問い合わせた。 そして 12月 16日に再度 東京大学に問い合わせたところ、東大事務局から、上層部の人が 教授たちの話を聞きながら 調査している、という返事だったという。
 にもかかわらず、私のところへは、相変わらず 東京大学からは何の連絡もないので、またまた文部科学省に電話をすると、相場氏は やはり休みで (居留守を使うのが好きらしい)、今度は法規係秋山氏が対応した。

 秋山氏の ていねいな説明によると、国立大学が法人化してからは、文部科学省は 学長の任命権をもつだけで、他の監督権限はすでになく、すべては 民間の会社組織と同じで、社長に相当する学長が すべての決定権をもつのだという。 したがって、文科省は国立大学法人に対して、助言や注意はできるが、命令することは 権限逸脱になる。 ただ 今回の問題は 大学教員の倫理上の問題であるので、東大の事務局総務課中野課長に きちんと対処してほしい旨の申し入れをしたところ、現在、東大では理事たちが 生研の西尾茂文所長も含めて、対応を協議している最中だ、という返事だった。 そこで、年内に神谷氏に連絡をするよう 要望しておいた、という。
 けれども、年内はおろか、年が明けても、さらに 2月の半ばを過ぎても、東大からは一言のあいさつも無い。 論文を渡してから、もう 5年に なんなんとしているのに、本は出版されず、その責任を負うべき 村松助教授は処分もされないし、そうした欺瞞社員の雇用責任のあるはずの大学側は、文科省から注意を受けても、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるのである。 東京大学には、まったく 自浄能力というものがないらしい。

 世の中では、ホリエモンやら、姉葉建築士やら、防衛施設庁の官製談合やら、倫理感の欠如ぶりは 目をおおうばかりだが、近代日本の指導者を製造してきた東京大学に 倫理感が欠如していることこそ、その根本的原因だったのかもしれない。
 世間に 社会的不祥事の事件が起きると、新聞やテレビに東大教授が出てきて、評論や批判をすることが多い。 自分が属する 東大自体の倫理不在を棚にあげておいて、平然と よその組織の批判をするというのは、どういう精神なのだろうか。


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