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お知らせ-1
1998~2011
神谷武夫

お知らせ・神谷武夫


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ラスキン『 建築の七灯 』

『建築の七灯』

● 「古書の愉しみ」の第9回は 建築の古書に戻って、ジョン・ラスキン(1819-1900)の名高い 「建築の七灯」です。ラスキンは美術評論家として出発し、「近世画家論」や「ヴェネツィアの石」を書いて、若くして有名になり、その後も多くの本を出版しました。次第に社会思想家となり、明治時代の日本では、むしろその方面でよく知られていました。「建築の七灯」は彼の最初の完結した本であり、何度も繰り返し重版された建築書です。 ここをクリック すると、今から 100年前に出版された「建築の七灯」のページに とびますので、興味のある方は お読みください。   (2011 /12/ 01)

マルグリットの『 七日物語 (エプタメロン)

『エプタメロン』

● 「古書の愉しみ」の第8回は、前回に続いて フランスの 「挿絵本」を採りあげます。建築書ではありません。 ただし前回の「青い鳥」とは、さまざまな意味で対照的な「七日物語(エプタメロン)」です。15世紀、フランス王家に生まれて、スペインのナヴァーレ王と再婚したことから ナヴァーレ王妃・マルグリット と呼ばれる、当時有数の知識人であった閨秀作家が書いた 艶笑譚集です。 これに 20世紀のフランスの挿絵画家・シェリ・エルアールが、ポシュワールによるエロティックな挿絵を描いて、魅力的な本にしました。ここをクリック すると、「エプタメロン」のページに とびますので、お読みください。   (2011 /11/ 01)


ヒンドゥ教の建築

●● 今から18年前に、ジョージ・ミシェル の『ヒンドゥ教の建築』を翻訳して、鹿島出版から出版しました。(当時は発音を間違えて、ジョージ・ミッチェルと書いてしまいましたが。)彼はその後も 精力的に本を書き、共著を含めれば 数十冊の本を出版しています。世界で最も活躍するインド建築史家と言えるでしょう。そのジョージが、友人のアメリカ人の建築史家、ジョン・フリッツとともに来日し、先週、私の事務所を訪ねてくれました。彼が今書いているのは、イスラーム時代のインドの ヒンドゥ教やジャイナ教の寺院建築の本で、今まで誰も手をつけていなかったテーマだと言っていました。
一方日本では、私の本がマフィアの妨害で出版されないこと、日本の建築界は本当にひどい状態になっていること、などを説明すると、たいへん驚いていました。イギリスやアメリカの建築界に、次第に話が伝わっていくことでしょう。

メーテルリンク『 青い鳥 』

『青い鳥』

● 「古書の愉しみ」のページは、今まで6回にわたってジェイムズ・ファーガスンの本をはじめ、硬い建築史の本ばかりを採りあげてきました。そこで、しばらく建築の専門書を離れて、純然たる「古書の愉しみ」にふけろうと思います。まず採りあげるのは、メーテルリンクの『青い鳥』です。おそらく誰でもが知っている、チルチルとミチルの兄妹が 青い鳥を求めて夢の世界を旅する という物語です。 あまりにも有名なこの話は、子供向けの「絵本」として世界中で無数に出版されてきましたが、今回採りあげるのは 子供向けの「絵本」ではなく、大人向けの「挿絵本」です。「絵本」とはちがう「挿絵本」とは何か。それを、すべての図版ページとともに紹介します。 ここをクリック すると、「青い鳥」のページに とびます。   (2011 /10/ 01)

古書の愉しみ 6. 『 歴史的探究 』

『歴史的探究』

● 「古書の愉しみ」の第6回は、またまた ジェイムズ・ファーガスンの本です。前回紹介した『フリーマン建築史』と同年の 1849年に出版された『芸術、とりわけ建築美に関する 正しい原理への歴史的探究(An Historical Inquiry into the True Principles of Beauty in Art, more Especially with Reference to Architecture)』です。 最初に「世界建築史」を書いたのは誰だろうか、という問いに対する、私なりの回答編というわけです。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2011 /08/ 20)

古書の愉しみ 5. 『フリーマン建築史 』

フリーマン建築史

● 「古書の愉しみ」の第5回は、ファーガスンの『世界建築史』よりも もっと早く書かれた「世界建築史」です。後にイギリスを代表する歴史家となる エドワード・オーガスタス・フリーマン が、弱冠 24歳で書いた、『建築史』 なので、ここでは第3回の『フレッチャー建築史』にならって、『フリーマン建築史』と呼ぶことにします。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2011 /07/ 10)

ブハラの 「 サーマーン朝の廟 」

ブハラ

● 『イスラーム建築 』の本は、あいかわらず出版されていません。 大震災のあと、「日本は ひとつ」というような標語が だいぶ流れましたが、日本の建築界は ひとつどころか、ますますマフィアに分断・支配されていて、人々は 人間的な言葉ひとつ 発することができなくなっています。『イスラーム建築』の、出版契約さえ無視して 出版拒否をしている 彰国社 ばかりでなく、マフィアを恐れて(あるいはマフィアとつるんでいて)、言論や出版の自由を守ろうともしない 日本のすべての出版社も、私の本を 出そうとはしません。
さらに、多くの友人にも裏切られました。(よくまあ、あんな生き方ができるものだ とも思います)。でも、そうした人たちは、その後 たいした仕事をしなくなってしまいました。 心に 後ろめたさたが残る生き方をしていると、(もっと大袈裟に言えば、悪魔に 魂を売り渡してしまうと)、その言説にも 作品にも、筋の通った主張が できなくなってしまうのでしょう。(サラリーマンで、そういう生き方に耐え切れずに、会社を辞めていく人も、時には いますが)。
そこで 今回は、『イスラーム建築』 の第1章「イスラーム建築の名作」の中から、「ブハラのサーマーン朝の廟」(ウズベキスタン)を、『世界のイスラーム建築』のサイトの 同名ページに載せました。 この 10世紀初めの廟は小品ながら、以後の中央アジアからインドにかけて 大発展する廟建築の先駆となった、重要な建物です。お読みになりたい方は ここをクリック してください。   (2011 /05/ 15)



●● 春、ゴールデンウィークも終わって、大震災や原発の被害が一段落とは とても言えませんが、大学は やや遅れて新学期が始まりました。 新しい気持ちで 建築を学ぼうとしている「建築科」や「建築学科」の学生諸君には、このHPの中の、「原術へ」 のページの「解題」を ぜひ読んでほしい。そして「文化の翻訳」、「何をプロフェスするのか」、「あいまいな日本の建築家」を読んで、「アーキテクチュア」とか「アーキテクト」の意味を知ってほしい。そして これらについて、友人と議論してほしい、と願っています。

古書の愉しみ 3. 『 フレッチャー建築史 』

『フレッチャー建築史』

● 「古書の愉しみ」の第3回は、ファーガスンの『世界建築史』と覇を競った、『フレッチャー建築史』です。フレッチャーの死後も改定を重ねて、現在 第 20版が出ていますが、ここでは 古書としての第5版と、その邦訳版を採りあげます。ここをクリック すると、フレッチャーのページに とびます。   (2011 /04/ 24)

古書の愉しみ 2. 『 世界建築史 』

『世界建築史』

● 「古書の愉しみ」の第2回は、前回と同じく ジェイムズ・ファーガソンの本で、『インドと東方の建築史』と並ぶ主著の『世界建築史』す。まだ東アジアや中南米が不十分だったとはいえ、ひとつの著作の中に 世界中の建築が大量の図版とともに詳解された、最初の建築史の書物です。
 ファーガソンの発音は、正しくはファーガスンですが、日本における慣例で(たぶん綴りが -son なので)、ファーガソンと書くことになっています。シンプスンが シンプソンと書かれるのと同様です。しかしながら、かつてジェームズと綴られたのが、今ではジェイムズと正しく書かれるようになったように、スンというのが日本人にとって発音しにくいわけではないので、今に ファーガスンと表記されるように なるかもしれませんが、今のところ 私の本とHPでは、慣用に従って ファーガソンと表記することにしています。ここをクリック すると そのページに とびます。   (2011/03/01)

 「ファーガソン」の表記は、世間の足並みにそろえ、2019年9月に「ファーガスン」に変更しました。   (2019 /09/ 01)

中東の市民革命エジプト

タハリール広場

● 中東が、今 大きく揺れています。チュニジアで始まった 市民による 政治的異議申し立ては、エジプトやイエメン、そして湾岸諸国に広まり、さらに リビアとアルジェリアを揺すぶっています。 エジプトでは、ついに 市民による民主化革命が成就し、2月11日に ムバラク政権が倒れました。乾杯です。
 私が 初めてエジプトに行ったのは 1977年末から 78年始めにかけてですから、もう 33年前のことです。 当時 エジプトの大統領だったサダトが、中東和平のために 歴史的なエルサレム訪問をした直後だったので、カイロ市民をはじめ エジプト人は、誰もが興奮ぎみの明るい顔で それを祝い、外国人の私にも 誰かれとなく「サダトの行動を どう思う?」と問いかけては、素晴らしいでしょうと、誇らしい 祝祭気分になっているようでした。
 4回にわたる中東戦争で国は疲弊し、人々が厭戦気分に満ちていたところに、やっと 平和への希望を与えられたからです。サダトは イスラエルのベギン首相とともに ノーベル平和賞を受賞しましたが、しかしイスラエルとの和解は、逆にパレスチナへの裏切りとも見なされ、3年後の 1981年に暗殺されてしまいました。 この時、副大統領からの繰上げで大統領になったのが、ムバラクです。 サダト政権末期は 国民から離反し、ひどい状態だったので、ムバラクならば もっと良くなるのではないか、と 期待もされました。

 ところが それから 30年間、ムバラクは政権に居座り続けました。ひとつの政権が 10年も続けば 腐敗するのは当然です。まして 30年ともなれば どんなことになるか。30年前には、トルコとエジプトは 似たような印象の国でした。つまり、典型的な後進国で、貧しさが目につき、すべてが うまく機能していない という印象でした。 ところが それから 30年の間に トルコは着実に発展し、今では欧州連合(EU)の一員になろうとしています。停滞するエジプトとの差は 歴然としてしまい、カイロの街の 相変わらずの汚さと対比的な、現在のトルコの街々の 日本並みの清潔さには 驚くばかりです。その差は、ムバラクによる 政権維持のための圧制と、自由への抑圧が もたらした結果でしょう。今、エジプトの人々はムバラクを倒して、あの 33年前と同じ 熱気と祝祭気分に包まれているに ちがいありません。

 今回の市民革命の中心地となったのは カイロのタハリール広場ですが、ここから ヒルトン・ホテルとエジプト博物館に囲まれた 広大なオープン・スペースが、タハリール広場に含めて呼ばれることが多く、33年前には、それは巨大なバス・ターミナルとなっていました。ある日、ここからバスで 南の郊外に行きましたが、帰ってくる時 バスに乗りかけて、念のため、このバスはタハリール広場に行きますねと、運転手に尋ねました。ところが彼は 私が何を言っているのか わからず、私が 何度 タハリール・スクエアと言っても通じず、まわりの乗客も 困惑と恐怖の表情を浮かべるばかりです。

 そのうちに一人の乗客が、あ、もしかすると この人は、タハリール広場のことを言っているのではないか、と言うと、人々は、そうだ タハリールだ、タハリールだ と口々に言って、一斉に安堵の胸をなでおろし、明るい顔をとりもどしました。で、私も安心して乗り込むと、笑顔の乗客が、「あんた、タハリールじゃないよ、タハリールだよ」と言うのですが、私には、その違いが 全く わかりません。まあ、外国を旅していると、こういうことは よくある笑い話です。
 で、終点のタハリール広場で バスを降りて歩いていくと、一人の若者が追いかけてきて、私に英語で話しかけてきました。同じバスに乗っていたらしく、「さっきは、不快な思いをさせてしまって、たいへん申し訳ありませんでした。皆、悪気があったわけでは ないのです。ただ 外国人の発音に慣れないもので、あんなことを してしまったのです。本当に すみませんでした」と言って、しきりに謝るのです。私は 思わず笑ってしまいましたが、外国で こんなことは よくあるとはいえ、その私の失敗を 自分たちの罪のように考えて、現地の人が謝りに来た というのは、後にも先にも この時だけです。エジプト人というのは、何と心優しい、良い人たちなんだろう、と思ったものです。

 その 心優しく 温和なエジプトの民衆が、市民革命を起こすとは! 実に大きな驚きでした。一方、私の住む日本では、羊のように おとなしい日本人が、マフィアの横暴に何の抵抗もせず、むしろ その手先になったり、その おこぼれに あずかって生きているような姿は、見るに耐えません。こうした中東のイスラーム国の、紛争ではない、平和な文化としての『イスラーム建築』の本を書いても、出版社は マフィアの圧力によって、出版契約も無視して、出版拒否を続ける ありさまです。
 現在はリビアで、市民革命が成就寸前です。その動きは、さらに中東全体に広がりそうです。そうした民主革命の成功のあとにも、大いなる困難が待ち受けているでしょうが、先人の言ったように、「未来の世代に属する人たちが、人間の生活から、すべての悪、すべての抑圧、すべての暴力を拭い去り、そして そのすべてを享受するように」と、願わずには いられません。    (2011 /03/ 10)

古書の愉しみ 1. 『インドと東方の建築史』

『 インドと東方の建築史 』

● 長年 インドやイスラームの建築を研究していると、新刊書ばかりでなく、多くの古書を蒐集してしまうことになります。インド建築史やイスラーム建築史が研究され始めたのは19世紀半ばなので、200年以上前の本というのはありませんが、100年前、150年前に出版された本というのは 珍しくありません。19世紀には現在のような写真製版がなかったので、中の図版は銅版画や石版画、木版画でなされました。 表紙が革装の美しい本もあり、単に読むだけではない、古美術品のような趣も呈します。
 一般に 古書の話は文学書に傾きがちですが、このサイトでは、インドやイスラームの建築書を シリーズで紹介していくことにしました。本の内容もさることながら、ヴィジュアルな造本や装幀についても 詳しく扱おうと思います。世の中は、紙の本からディジタル本へと移行する動きが活発ですが、図版のたくさん入った本には、ディジタル本にはない、「もの」としての紙の本の魅力があります。それらを所有することは、愛書家にとっての 無上の喜びでしょう。「古書の愉しみ」と題する所以です。
 とりあげる古書は、インド建築史を最初に体系化した ジェイムズ・ファーガスンを研究してきた関係上、彼の著書を多く所蔵していますので、当分は 彼の本が中心になります。 そこで 当然のことながら、第1回は ファーガスンの『インドと東方の建築史』です。 ここをクリック すると そのページに とびますので、今から 100年以上も前に出版された古書をご覧ください。   (2011 /02/ 01)

謹賀新年 2011

レギスターン広場

● 今年もまた、昨年と同じ挨拶で始まります。 『イスラーム建築 』 の本は、彰国社が4年にわたって出版拒否をしていますので、いまだに出版されていません。建築界は相変わらず腐りきったままで、沈滞ムードにあるのは、経済の停滞からくる ばかりではありません。東大は村松伸 准教授(生産技術研究所)の無法行為を容認したままですので、私が彼から依頼されて書いた「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」を収録する『建築史家たちのアジア「発見」』も、原稿を渡してから9年半になりますが、いまだに出版されていません(風響社)。
 彰国社は、「ビジュアル版・建築入門」(編集代表・布野修司)の第 1、2巻も出版しません。私が 編集部からの依頼で執筆した「エローラーのカイラーサ寺院」(藤森照信 編集担当の第1巻に収載)と、「ヒンドゥ建築」(中川武 編集担当の第2巻に収載)との原稿を渡してから、もう 10年になります。これらすべてが 出版契約無視、どんなに催促されようと非難されようと、マフィアの命令である以上、出版社は 平然と出版拒否を続けるのです。また、私が翻訳した、イスラーム建築史の最良の本『イスラムの建築文化』も再版されず、どこの出版社もマフィアの要請に応えてスクラムを組み、神谷の本は決して出さないと決めているので、この大政翼賛会の下、言論弾圧は徹底しています。建築界の人間は皆、マフィアを恐れて 沈黙するのみです。
 そういうわけで、日本における イスラーム建築への一般の理解は、諸外国にくらべて遅れるばかりですが、今月は、『世界のイスラーム建築』のサイトに、『イスラーム建築』の第1章「イスラーム建築の名作」の中から、「サマルカンドのレギスターン広場複合体」を転載することにしました。サマルカンドは ブハラ、ヒヴァと並んで、中央アジアで 最もイスラームの建築遺産の多い街で、レギスターン広場の写真は、誰でも一度は見たことがあるでしょう。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2011 /01/ 01)

アルメニアの音楽 など

アラックス

● 前に、アルメニアの歌手 を断続的に紹介していましたが、長い中断のあと、久しぶりに新しい CDを紹介します。今回は 歌手というよりは器楽のグループで、ベルギーの アラックス(ARAX)という名のグループで、アルメニア人の男4人、女1人の編成です。チェロやフルートやギターなど 西洋楽器を用いますが、中心になるのは、ヴァルダン・ホヴァニシアンによる ドゥドゥク という、アルメニアの民族楽器です。オーボエに似た木管の縦笛で、実に繊細で 哀愁に満ちた音色を奏でます。私は昔 ブロックフレーテ(リコーダー)で バッハなどのバロック音楽を吹いていましたので、アルメニアに行った時に試みてみましたが、ドゥドゥクは 音を出すのが はるかにむずかしく、買ってくるのを あきらめました。
 アラックスのホームページは こちら です。この「クロッシング」(CROSSING)と題するアルバムには 12曲が収められていて、その内2曲に、ローラ・ウォーターズという女性歌手が加わっています。 この2曲は 実に しっとりと心にしみいる、泣けるほどに美しい曲です。アマゾン でも 買えるようになりました。 アルバムの中の 2曲 "Ashxaroums" と "Khnki tsar" は、ユーチューブで聴くことができますので、試みてください(どちらも、歌のない曲ですが)。

● アルメニア音楽に のめりこんでから6年。毎晩 寝る前には アルメニアの歌を聴くのが習慣となって、今も続いています。CDは 70枚ほども溜まりました。 その中で、私にとっての ベストの歌手と曲を あげると、次のようになります(ただし、女性歌手だけですが)。[ ] はアルバム名で、トップの3人は、2曲ずつです。
    ■ ロズィ・アルメン (Sar Tarter と、Hove)[Rosy Armen]
    ■ ヘギーネ (Gisherain Yert と、Iriknamut)[Heghine]
    ■ リリット・カラペティアン (Legenda o Tebe と、Bud's so Mnoy)[Shala la la]
    ■ アラクシア・ヴァルデレシアン (Tou im Sroum est)[Veradardz]
    ■ エレメント (Sareri Hovin Mernem)[Yev o Phe]
    ■ エミー (Mi Pah)[Emmy]
    ■ ザヒル・ババヤン (Cilicia)[The Road to ...]
    ■ アラクシヤ・カラペティヤン (Huso Argast)[With my Voice]
    ■ クリスティーヌ・ペペリヤン (Kgnam)[About Me]
    ■ フーシェレ (Yeraz)[Provenance]
 何度も書きましたが、アルメニア人は悲劇の民族なので、その苦難の歴史を反映して、多くの歌の根底には 深い悲しみが流れているように思えます。これらの歌を、一枚の音楽 CDにまとめてみました(昔はテープで編集したものですが、今は パソコンで簡単に音楽 CDが作れるようになりました。 便利になったものです)。これらの歌のはいった 元の CDアルバムの多くは、今では入手困難になっていますので、これを是非聴きたいという方は、メールで ご連絡ください。CDのコピーを お送りします。



ざくろの色

●● 映画芸術の愛好家なら、パラジャーノフ の名作、『ざくろの色』という映画を ご存知でしょう。DVDが売切れとなって、中古 DVD市場では えらく高い値段がついていましたが、このたび、やっと新版が デジタル・リマスター版として発売され、入手しやすくなりました。
 映画監督の セルゲイ・パラジャーノフというのは ロシア風の名ですが、本来の名を サルキス・パラジャニアンという、アルメニア人です(アルメニア人の姓は、アンを語尾とすることが多い)。18世紀のアルメニアの詩人、サヤト・ノヴァの生涯を描いた この映画は、演劇的であるよりは 絵画的な映画として、そのきわめて美しい画面構成によって世界中から賞賛された、映画史上に残る傑作です。
 しかし、その超現実的ともいえる象徴的な手法は、あまりにも前衛的であるとして ソ連の保守層には理解されず、映画は上映禁止とされ、危険思想の持ち主として 政府から激しい弾圧を受け、投獄されること3回に及びました。映画制作の機会を奪われ、生涯に4本の映画しか完成させることができなかったといいます。
 それは タルコフスキーと似た境涯であり、また 今回 ノーベル平和賞を受賞しながら、投獄されたまま、その授賞式にも出席できなかった 中国の人権活動家、劉暁波(リウ・シアオポー)氏とも 共通する 悲運の人生です。私のHP『アレクサンドル・ゲルツェンとロシアの風景』に、もう一つの風景として書くべき人でした。

 そうした彼の美術家としての作品集としては、フランスで行われた彼の展覧会の 図録 がありますが、実物が見られる 彼の私設美術館 が、アルメニアの首都 イェレヴァン にあることは、あまり知られていません。それは、彼が世を去った翌年の 1991年に 自宅を改装して、彼の作品のみを展示する美術館としたものです。2階建ての小さな美術館ですが、所狭しと飾られた、それら 自由奔放な興味深い作品群を見ていると、時のたつのを忘れます。上に、サイト上の展示をしましたので、各写真をクリックして ご覧ください。(『アルメニアの建築』のサイトの、「アルメニア雑纂」 のページに移設しました。 (2011 /01/ 01)


続・パキスタン建築紀行

バードシャーヒ・モスク

● 9年ぶりに パキスタン に行ってきました。短期間の旅でしたが、ラホールのイスラーム建築や、インダス文明の遺跡を 撮影し直してきました。インドの経済的躍進と比べて、パキスタンは対テロ戦争や政情不安、そして この夏の大洪水による災害もあって、経済的には沈滞しています。古建築もスモッグに覆われて悲しげでしたが、簡単な報告を、9年前の「 パキスタン建築紀行」に、続編として付け加えました。ここをクリック して お読みください。    ( 2010 /12/ 01 )

「 インドイスラーム建築史 」の完結

ラージプート

● 新潮社の改訂版『新潮世界美術辞典』の項目による「インド・イスラーム建築史」は、前回の「ムガル時代」に引き続いて、「その他の項目」および「イスラーム以後のインド建築」の項目 を加えて 完結しました。写真は全部で 110点あまりを、新規に スキャンしたことになります。
 また、ページのトップに「索引」として表をつけ、どの項目にもワン・クリックで飛べるようにし、さらに 解説文中の項目名からも ワン・クリックで すぐさま その説明を読めるようにしました。まさに リンクの網による「ウェブ辞典」といった体裁になりました。 (ただし、Mozilla Firefox を ウェブ・ブラウザにしている場合は、「索引」から各項目へのリンクが働きませんが。) ここをクリック すると、そのページにとびます。『新潮世界美術辞典』の改訂版は、来年出版の予定ということです。   ( 2010 /11/ 01 )

辞典項目による「 インドイスラーム建築史 」

新潮美術辞典

● 今年の冬、新潮社の『新潮世界美術辞典』の改訂稿を執筆していました。 この辞典が出版されたのは 1985年のことですから、もう 25年も前のことです。世界的に見ても優れた美術辞典だと思いますが、25年間 まったく改訂をしていなかったので、少々内容が古くなってしまいました。特にイスラーム美術やコロニアル美術の項は、当時は十分な扱いを受けていません。私は インドのイスラームと その後の建築の項の改訂を担当しました。
 その辞典項目を時代順に並べると、簡潔な「インド・イスラーム建築史」となることに気がつきました。今回 出版社の了解を得て、多くの写真を加えながら ここに掲載することとしました。項目相互の つながりを 重視して執筆しましたが、もともと一つの論文でもないので、少々不連続な流れは ご寛容を。 『新潮世界美術辞典』の改訂版は、来年出版の予定ということです。ここをクリック すると、そのページにとびます。
 インドのイスラーム建築の歴史は、デリーに イスラーム政権が誕生して以後、ムガル朝成立までの 各地の スルタン朝下における、300年にわたる「中世後期」と、ムガル朝がインドの大部分を支配した、やはり 300年にわたる「近世」とに二分されます。今回は 前者に含まれる項目をアップしますので、直線的な歴史の流れであるよりは、並列的な各地の 地方様式 ということになります。ムガル建築ばかりが取り上げられがちな インド・イスラーム建築においては、初心者には 少々物珍しく感じられる内容かもしれません。 この続きの近世ムガル朝時代の項目は、来月 アップする予定です。  ( 2010 /09/ 01 )

スルタンハヌキャラヴァンサライ

スルタンハヌ

● 夏 たけなわですが、『イスラーム建築 』 の本は、あいかわらず出版されていません。どうぞ、出版社(彰国社)に強く抗議してください。
 今月は その第1章 「イスラーム建築の名作」 の中から、トルコの スルタンハヌにある「キャラヴァンサライ」を、『世界のイスラーム建築』のサイトの同名ページに載せます。 キャラヴァンサライ(隊商宿)というのは、鉄道ができる以前の街道に設けられていた、交易のための隊商の宿泊施設で、イスラーム世界で最も発展しました。特に オスマントルコ時代に アナトリア地方に多く建設され、その地理的位置が 情報活動上でも重要なものは、スルタンによって 国営施設としてつくられました。その場合には名前も スルタンハーン(王立隊商宿)と名づけられます(キャラバンサライ は、トルコ語では ケルヴァンサラユ あるいは(むしろ)ハーンと呼ばれました)。スルタンによるもので 特に名高いものは二つあり、ひとつは コンヤ〜アクサライ間の街道、もうひとつは カイセリ〜スィワス間の街道にあり、今回紹介するのは、アクサライの近くの スルタンハーンです。お読みになりたい方は ここをクリック してください。   ( 2010 /08/ 05 )

『 建築と社会 』7月号の 「インドの石 」

バラーバル丘の石窟寺院

● 関西の建築関連団体に「日本建築協会」というのがあります。大正 6年に「関西建築協会」として設立された、90年の歴史をもつ老舗団体です。 当初は 関西の建築家を大同団結しようとする組織でしたが、次第に 広く建築・建設関係のゆるい団体となったようです。その機関誌『建築と社会』の 7月号が、「建築と石」という特集をしています。執筆者は、長尾重武、三宅理一、神谷武夫、渡辺明次、倉片俊輔、竹内良雄、新見隆、黒田龍二の諸氏です。
私は「インドの石」と題して、インド最初の石窟寺院であるバラーバル丘の石窟寺院と、タージ・マハル廟などの白大理石のドーム屋根について書きました。お読みになりたい方は ここをクリック してください。  ( 2010 /07/ 11 )

スペインイスファハーン

ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ

● 毎月1日か2日に、この「お知らせ」欄に 新しい記事を載せるようにしていますが、しばらく スペインに行っていたために、今月の初めには 書くことができませんでした。ポアされたわけでは ありません。22年ぶりに訪れたスペインは、その後 オリンピックや万博を経て高度経済成長を遂げ、EUに統合されて、ずいぶんと様変わりしました。当時は 物価の安い旅行者天国で、ひなびた町や村を 存分に旅することができましたが、今はそういうわけにいきません。それに 観光客の激増で規制が厳しくなり、有名なところは 写真を撮るのも むづかしくなっています。撮影禁止、三脚使用禁止、常時閉鎖、曜日や時間による入場制限、バスの本数減、タクシー代の高騰 等々で、持っていったフィルムの三分の一は 使わずじまいでした。
 今回の旅行の目的は、スペインのイスラーム史跡を しらみつぶしに探訪して 撮影することでしたが、そのルート上にある ロマネスク建築も若干再訪しました。ところがロマネスクの修道院や聖堂は 大都市から離れたところにあることが多く、訪ねるのが 大変に困難な状況となっているので、今では 若者がロマネスク行脚をするのも むずかしく、ロマネスクの素晴らしさに 目覚めることもないでしょう。思えば、私は 世界の どの国へも 一番良い頃に旅をしたようです。もちろん当時も大変でしたが、ゾディアック叢書で調べたロマネスク建築を スペイン、フランス、イタリアと存分に見て回って、大きな感動を得たものでした。現在の 混雑をきわめるアルバンブラ宮殿でさえ、25年前には 三脚を使って撮影できたし、入場料も安いものでした。

 スペインは 日本よりも はるかに大きな国土面積をもっていますが、経済や人口の面では 日本よりも小国です。それにもかかわらず、旅行者の目には 日本よりも むしろ豊かに見えます。 それは 町々が美しいからです。ヨーロッパに比べて、日本の都市は醜いと、誰もが そう思うでしょう。 そうなった原因のひとつ、それも大きなひとつは、日本に建築家の制度が確立しなかったからです。建築教育(建設教育ではない)が 工学部で 工学教育の片手間に行われ、建築家は「設計技師」あるいは「ビルダー」としてしか 社会から認識されず、工務店や建設会社が設計部をもち、設計部員が社会への貢献よりは 会社の利益のために働き、「建築」という言葉が「アーキテクチュア」ではなく「ビルディング」や「コンストラクション」の意味に定義され、設計事務所は営利企業の株式会社となり、建築書(工学書ではない)が 書店の理工学書売り場に置かれるために一般の人の目にふれず、そもそも 私の書いた建築書は マフィアの妨害によって 出版さえも妨害され、建築界の人間は 誰もがマフィアを恐れて押し黙ったままという、こんな国で 美しい都市が造られるはずも ありません。
 日本の建築界(建設界ではない)は、じきに 韓国や中国やインドに追い抜かれるばかりでなく、早晩 崩壊するのではないでしょうか。近年の建築雑誌を見ていても、その流れは明らかです。そして 私が最も危惧するのは、このマフィアが支配する建築界の構図が 次第に世界に輸出され、将来、世界から 建築家が いなくなってしまうのではないか、ということです。
 スペインを旅行中に、日本の首相は 鳩山由紀夫氏から 菅直人氏に変わっていました。小沢一郎氏も退陣して、民主党が 当初の期待にそった クリーンな政党になり、国民への目線を堅持することになりそうなのは、喜ばしいことです。この閉塞した日本の社会も いよいよ変わっていくかもしれない という期待を、いくらかでも持たせてくれます。それに比べて、日本の建築界には 一向に改革の動きが現れず、マフィアの支配に黙したまま 自滅の道を たどろうとしているのは、情けない限り と言うべきでしょう。  ( 2010 /06/ 16 )



イスファハーンの王のモスク

●● 私の書いた本『イスラーム建築』は、奥付の 著者略歴欄に 私のホームページのアドレスや住所を載せようと しているから、という 誰にも信じられない理由で、出版社の彰国社が 出版契約も守らずに、出版拒否したままで3年以上が経過しています。 私は非暴力主義者ですから、テロに訴えることはなく、ただ HP 上で、言論によって 世の中に訴えています。で、今回も その第1章「イスラーム建築の名作」から、イスファハーンの「王のモスク」(イスラーム革命によって王制が倒されてからは「イマームのモスク」と呼ばれている)の項を この HP に載せて、本の内容を 皆さんに判断していただきたいと思います。お読みになりたい方は ここをクリック してください。

最近の本から (細密画入り写本)

ISLAMIC ART

●● ヨーロッパを旅していると、美術館や修道院が所蔵する 古写本の細密画を見て、写真では十分に伝わらない その美しさに魅了されます。そうした細密画が 最も発展したのは、イスラーム世界だといえましょう。細密画というのは 独立した絵画作品として描かれることもありますが、本来は 本の挿絵として生まれたものです。偶像崇拝が禁止されていることから、モスクやマドラサなど、公的施設、とりわけ宗教建築においては まったく絵画(壁画)がありませんので、絵画は、裕福な人が私室でプライベートに楽しむ 写本の挿絵として描かれました。
 最も盛んだったのはペルシア (イラン) と インドだったと言えます。日本では、そうしたイスラームのミニアチュールに接する機会がないので、あまり知られていません。で、その魅力を知るには、欧米で出版された良い画集を見ることです。 向こうでは沢山の本が出版されていますが、初心者への入門書の決定版 とでもいうべき豪華本が、2年前に出版されました。『イスラーム美術の名作』という本で、イスラームの建築と美術の権威、オレッグ・グラバールが執筆しています。36cm×28cmという大型本に、目の覚めるような すばらしいカラー印刷で 各地方の名作が掲載されています。なかでも、中世アラブの語り物として名高い『マカーマート』につけられた、アル・ワシティの作と伝えられる 13世紀の細密画が 19点も載っているのは圧巻です。(「騙しの長老アブー・ザイド行状記」というべきピカレスク小説の本文の訳は、平凡社・東洋文庫『マカーマート』全3巻に、堀内勝氏の名訳と注で出版されています。)
 この本は、イスラームの細密画とは どんなものか知りたいという方に、最もお勧めです。 本はアマゾンでも買えますが、安く買うには 古書店を さがすことです。私は新品を、送料とも 4,300円で買いました。
MASTERPIECES OF ISLAMIC ART, The Decorated Page from the 8th to the 17th Century : Oleg Grabar, English ed. 2009, Prestel Verlag, Munich, London, New York.



カルパ・スートラ表紙

●●● 「ジャイナ教の建築」の中の「『カルパ・スートラ』の写本」の章は、気軽に書き始めたものの、正確を期すために、所蔵する多くの本を読みながら書いているうちに どんどん長くなり、時間が足りなくなりで、いまだに完成せず、未定稿のまま載せてあります(申し訳ない)。『カルパ・スートラ』という聖典名については、初めて耳にする方が多かったことでしょう。インドに何度か行かれた方は、どこかの美術館で 目にされているはずですが、『カルパ・スートラ』という名前を知らなければ、あまり記憶に残らなかったかもしれません。で、そうした方、あるいは ジャイナ教に興味のある方に、本を紹介しておきます。
 残念ながら『カルパ・スートラ』あるいは ジャイナ教の細密画について、上記のイスラームのミニアチュールの本のような 見ごたえのある美術書というのは、インドでも欧米でも出版されていません。経典としての『カルパ・スートラ』の訳本は、日本では 今から 90年も前に 鈴木重信氏が翻訳して、『耆那教聖典』の中に「聖行経」の題名で、他の聖典とともに収められています。これは改造社が「世界聖典全集」という大規模な出版をしたので 可能になったことです。今でも古書店で入手可能です。英訳本は、K.C. ラルワニ訳 " KALPA SUTRA OF BHADRABAHU SVAMI" が通常 用いられていて、多少の図版が入っています。

カルパ・スートラ

もっと、見ても楽しい『カルパ・スートラ』が 1977年にインドで出版されていたらしく、4年前に新版が出たのを 今年になって初めて知り、取り寄せました。インドにしては きれいな造りの上製本で、プラークリット語の原文と ヒンディー語訳、英語訳が対訳で載せられていて、そこに、ムンバイの プリンス・オヴ・ウェールズ博物館所蔵の 16世紀の古写本『カルパ・スートラ』からの、細密画の複製 36点が貼り込んであります。この複製が 日本の美術印刷並みであれば 申し分ない本になったのですが、残念ながら 少々 写真製版と印刷のレベルが低いのが難点です。
 とはいえ、『カルパ・スートラ』の本を1冊持っていたい、という方には お勧めです。本の大きさは 27 x 14.5cmという横長の本で、古写本のように、ページを下から上に めくっていきます。私は古書店で、送料とも 3,100円で買ったのですが、しかし今 調べてみると、4年前の本だというのに、アマゾンその他、現在はインターネット上で この本を扱っているサイトは無いようです。入手希望の方は、インドに行った時に さがしてみてください。現地なら 1,500円 くらいで買えるでしょう。
KALPASUTRA : Mahopadhyaya Vinayasagar (ed. and tr. to Hindi), Mukund Lath (tr. to English), Chandramani Singh (on Paintings), 3rd ed. 2006, Prakrit Bharati Academy, 440pp.



バルビエ表紙

●●●● ヨーロッパにおける 細密画入り写本の伝統を受け継いでいるのは、文学者と画家の組み合わせによる、近代の「挿絵本」です。オーブリー・ビアズリーの絵で飾られた ワイルドの『サロメ』や、ウィリアム・モリスのケルムスコット本で バーン・ジョーンズが挿絵を描いた『チョーサー作品集』は、19世紀末の最高傑作に数えられます。しかし それらは いずれもモノクロの絵であって、カラーの挿絵が普及するのは アール・デコ(1925年に展覧会)の時代です。それを代表するのが、日本の浮世絵版画の影響を強く受けたフランスの画家、ジョルジュ・バルビエ (1882-1932) です。彼は ファッション画で名をなしましたが、私は むしろ彼の挿絵本に魅了されます。ゲランの 『散文詩』、ピエール・ルイスの『ビリチスの歌』、ラクロの『危険な関係』、アンリ・ド・レニエの『ラ・ドゥーブル・メートレス』など、約 30冊の挿絵本を制作しました。これらは一種の「写本」と言うこともでき、いずれも 半ば手製なので、小部数の出版でした。
 荒俣宏氏や鹿島茂氏は、こうした 19世紀末から 20世紀初めのフランスの挿絵画家たちを 著書で紹介していますが、その最高の画家であると 誰もが認めるバルビエについて、あまり詳しくは書いていません。その原因は、バルビエに関する評伝や研究書が 1冊も出版されていなかったからです。挿絵画家やファッション画家は 二流の芸術家と見なされていたのでしょう。近年 彼らの再評価が進み、特にバルビエは 2008年から 2009年にかけて、イタリアの ヴェネチア市立美術館で回顧展が行われ、その記念に出版されたのが、この本です。バルビエについての 最初のまとまった本で、『ジョルジュ・バルビエ、アール・デコの誕生』と題され、10人の研究者が執筆し、多くの作品がカラーで掲載されています。優雅で、ちょっとエロティックな現代の「細密画」の作品集として、お勧めです。アマゾンは こちら をご覧ください。古書店をさがすと、もっと安く買えます。     ( 2010 /05/ 01 )
GEORGE BARBIER, The Birth of Art Deco : Barbara Martorelli (ed.), 2009, Marsilio, Musei Civici Veneziani, 28 x 21cm-176pp.

『 カルパ・スートラ 』の写本と < 株式会社 >

カルパ・スートラ

● 昨年の春に、アンドレア・マルコロンゴという イタリアの修復建築家からメールがきて、ラーナクプルのアーディナータ寺院 の実測をして、精巧なCAD図面にまとめたという。その主要なものを 論文とともに送ってくれたのを見て、図面の美しさに感銘を受けました。そこで、もし彼が希望するなら、私のホームページの中の「ジャイナ教の建築」のページに、それを紹介するスペースを提供する と申し出たところ、彼は喜んで、ぜひそうしたいとのことでした。ところが、またしても マフィアから圧力がかかり(彼らは すべての私の電話を盗聴し、メールを盗み見ています)、彼は図面も英訳論文も送ってこず、音信を絶ってしまいました。(こういうことが しばしば起こ るので、こちらは馴れっこになっていて 驚きませんが。)
 そこで、「ジャイナ教の建築」の付録として せっかく用意したスペースは、私が所蔵する『カルパ・スートラ』の写本の紹介に充てることとしました。『カルパ・スートラ』というのは ジャイナ教の聖典で、マハーヴィーラを はじめとする ティールタンカラの伝記を描いたものです。写本には しばしば細密画(ミニアチュール)が描かれていて、インドの絵画史において 重要な役割を果たしました。 インドを旅行していると、各地の美術館で 時々目にするものですが、日本では まずお目にかかることがないものです。
 解説を3月中に書き終えるつもりでいましたが、例によって、書き始めると次第に長くなってしまい(「ジャイナ教の建築」の中で、一番長い章となってしまいました)、時間足らずで まだ未定稿ですが、ここをクリック すると、そのページに とびます。   ( 2010 /04/ 02 )



●● 月遅れの建築雑誌をパラパラとめくっていたら、『新建築』2月号の巻頭エッセイに、建築家の仙田満氏が「創造性を喚起する社会へ」という文を書いているのが目につきました。仙田氏は 日本建築家協会や 日本建築学界の会長も務めた方です。
 建設省をはじめとして、公共建築の設計者(設計事務所)を選ぶのに、設計料の入札で決めていることを嘆いていますが、では、本当に それを なくしたいと思っているのでしょうか。日本では 驚くべきことに、大多数の設計事務所が 株式会社 の形態をとっています(有限会社でも同じことです)。 これは 建築家が、自分の事務所が 営利企業であることを宣言していることになります。こんな国は、日本以外に 世界のどこにもありません。
 設計事務所の人は 工事会社やメーカーを「業者」と呼びますが、官庁では、営利企業のことを「業者」と呼んでいます。そうであれば 株式会社の設計事務所も「営利業者」の扱いになるわけですから、そうした「設計業者」を選定するのに、最低価格で入札をする「会社」を選ぶことに、矛盾はありません。
 病院(医院)や 法律(弁護士)事務所は 株式会社となることはできませんから、「業者」とは呼ばれません。それらは、金儲けを目的とする業務であってはならないからです(そういう、公共に奉仕する業務を、本来は「プロフェッション」と呼びます)。したがって、これらを選定するのに、価格競争の「入札」など しません。また、画家や音楽家のような 芸術家もそうです。彼らは「業者」ではないのですから、価格競争ではなく、その仕事にふさわしい 才能をもった人が選ばれます。
 建築家が、株式会社の社長をやっていながら、弁護士や作曲家の場合と同じように 建築家を選んでほしい というのは、筋が通りません。仙田氏の事務所も、株式会社なのでは ないでしょうか。

 「私たち建築家 および建築関係者は 日本を「創造性を喚起するシステムを持つ国」 に変えるべく、粘り強く発言し続けていかねばならない」と、本当に そう思っているなら、まず 株式会社であることを やめるべきです。建築家を設計料の 入札で選ぶ(つまり、最も設計の手を抜く、と表明する設計事務所を選ぶ)という、世界のどこにもない、日本だけの堕落したシステムは、大多数の設計事務所が株式会社であるという、世界のどこにもない 堕落したシステムに 対応しているのです。
 春、4月となって、大学も 新学期が始まりました。新しい気持ちで 建築を学ぼうとしている「建築科」や「建築学科」の学生諸君は、このHPの中の、「原術へ」のページの「解題」を ぜひ読んでほしい。そして「文化の翻訳」、「何をプロフェスするのか」、「あいまいな日本の建築家」を読んで、「アーキテクチュア」とか「アーキテクト」の意味を知ってほしい。そして これらについて、友人と議論してほしい、と願っています。

 どうぞ、何でも ご意見をお寄せください。メールはこちらまで kamiya@t.email.ne.jp

「 エルサレム岩のドーム 」

岩のドーム

● 今月もまた 『イスラーム建築 』の第1章「イスラーム建築の名作」 の中から、「エルサレムの 岩のドーム (イスラエル) を、『世界のイスラーム建築』のサイトの 同名ページに載せることにしました。これは、イスラームが誕生してから、最初に建てられた本格的なイスラーム建築です。しかしモスクではなく、キリスト教の殉教者廟にならった 円堂(ロトンダ)で、太古からエルサレムの神殿の丘(モリアの丘)にあった「岩」の上に、ドーム屋根を架けたものです。その岩というのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教ともに先祖と認めるアブラハム(イブラーヒーム)が 息子イサクを神への犠牲として捧げようとした岩であり、また『クルアーン』の中で 預言者ムハンマドが「夜の旅」をして、そこから天へ昇天したという伝説の岩です。私が訪れたのは、もう 24年も前のことですが、当時も今も パレスチナは紛争地で、安定した平和は訪れません。こういう世界は、いったい いつまで続くのでしょうか? ここをクリック すると、「岩のドーム」のページにとびます。   ( 2010 /03/ 01 )

● 出版拒否が続いている間に、当の出版社から、火事場泥棒のようにして 本を出す人がいるのには 驚きました。

謹賀新年 2010

カイラワーン

● 21世紀も 早や10年目にはいりましたが、今年もまた 昨年と同じ挨拶で始まります。『イスラーム建築 』の本は、彰国社が3年にわたって出版拒否をしていますので、いまだに出版されていません。長年続いた自民党政権が民主党政権に変わりましたが、建築界には変化がなく、腐りきったままです。東大は村松伸准教授の無法行為を容認したままですので、私が彼から依頼されて書いた「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」を収録する『建築史家たちのアジア「発見」』も、原稿を渡してから8年以上になりますが、いまだに出版されていません(風響社)。
 また、私が翻訳した、イスラーム建築史の最良の本『イスラムの建築文化』は、長いこと絶版になっているために入手困難で、古書店で 10万円もの値段がついています。 そこで、需要にこたえるべく、もっとサイズを小さくした廉価版を出版してほしいと、鹿島出版会に 4年前から頼んでありますが、一向に実現しません。 建築界の人間は皆、マフィアを恐れて沈黙しています。 実は、建築界だけでは ないのです。マフィアの圧力は日本の あらゆる分野に及んでいますので、一般書の出版社でさえも 手出しができないのです。 北朝鮮の全体主義を非難できるような国では ありません。
 そういうわけで、日本におけるイスラーム建築への一般の理解は、諸外国にくらべて遅れるばかりですが、今月は、『世界のイスラーム建築』のサイトに、『イスラーム建築』 の第1章 「イスラーム建築の名作」の中から、「カイラワーンの大モスク」を転載することにしました。カイラワーンはチュニジアの京都ともいうべく、建築遺産の多い古都で、私の好きな町です。その中でも 大モスク(シディ・ウクバ・モスク)は、イスラーム初期の重要なモスクです。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   ( 2010 /01/ 01 )



コナーラク

●● TBSテレビで 毎週 日曜日に放映されている『 THE 世界遺産 』のシリーズ番組で、11月に「タージ・マハルとアーグラ城」の監修をしましたが、続けて インドの「コナーラクの太陽神寺院」の監修をしています。この HPのトップ・ページの写真としても使っている、スーリヤ寺院です。「ユネスコ世界遺産」の中の コナーラクのページは こちら を ご覧ください。TVの放映は、今月、1月 24日の夕方6時です。   (2010/01/10)


マリイスラーム建築

ジェンネ

● 11月に、アフリカの マリ共和国 に行ってきました。今までエジプトやアルジェリアなど、アラブ・アフリカへは何度も行っていますが、ブラック・アフリカに行ったのは初めてです。土の文化圏におけるイスラーム建築の調査と撮影が目的でした。マリの第一印象は、30年前の南インドに よく似ている、ということでした。暑さも天候も、町の様子も、人々も。通貨が固定相場なので 両替率が悪いのと、公共交通の不便なのには閉口しましたが、治安がよいのには感心しました。 有名な ジェンネの大モスクに行ったら、ユネスコ世界遺産に登録されているにもかかわらず、一部が破壊されているのに驚きました。それは、なぜだったのでしょうか? 詳しくは、『世界のイスラーム建築』のサイトに「マリのイスラーム建築」というページをつくり、概要を載せましたので、お読みください。 ここをクリック すると、そのページに飛びます。  ( 2009 /12/ 02 )



Rokia Traore

●● マリの歌姫、ロキア・トラオレ を紹介します。アフリカ音楽というと ドラムを中心としたにぎやかな音楽を思い浮かべる人が多いと思いますが、ロキア・トラオレは むしろ静謐な、心に響く歌を歌う シンガー・ソング・ライターです。1974年生まれというから、今 35歳。初めて聴いたのは、昨年の春にモロッコに行った時、エッサウイーラの街に流れていた美しい歌を、そのレコード屋で歌手の名を尋いたら、それはモロッコではなく マリの歌手だとわかりました。当時は知りませんでしたが、マリは音楽活動の盛んなところで、彼女のほかにも サリフ・ケイタを初め、世界に知られた歌手が多くいます。その時買ったのは 『BOWMBOI 』で、すっかり感心しましたが、後半の録音が悪いのには参りました(海賊版だったのだろうか)。彼女は 4枚のCDを出していて、イギリスやフランスでいろいろ賞をとっていますが、おすすめは 最新の『チャマンチェ』で、アマゾンでも買えます。彼女のホームページは こちら です。

コルドバのモスクと TV番組 THE 世界遺産

メスキータ

● 『イスラーム建築 』の本は、いまだに出版されていません。そこで、今回は その第1章「イスラーム建築の名作」の中から、「コルドバのメスキータ(大モスク)」 (スペイン) を、本のデモンストレーションとして、『世界のイスラーム建築』 のサイトの同名ページに 載せておくことにしました。 かつてイスラーム圏に属したスペインの 最初のイスラーム建築作品で、アルハンブラ宮殿と並んで、南スペインに旅行する人は必ず訪れる建物です。お読みになりたい方はここをクリックしてください。建設段階を示す平面図も載せました。  ( 2009 /11/ 01 )



タージ・マハル廟

●● TBS テレビで 毎週日曜日に、連続番組『 THE 世界遺産 』が放映されています。もう 13年以上も続いている長寿番組で、以前は夜の 11時半からでしたが、今は新シリーズとなって、夕方の 6時からの放送になっています(中高年向けの教養蕃組から、若い世代向けの番組への変化ということでしょうか)。そこで新シリーズとして、かつて取り上げたサイトも作り直すことになり、10年前に私が監修した 「タージ・マハルとアーグラ城」も、再度 私の監修で、新たに制作することになりました。今回は 四分庭園 を造園している細密画や、この HP の「ユネスコ世界遺産(インド)」中の「タージ・マハル廟」で作った、上の写真も出てきます。放映は今月、11月 22日の夕方 6時です。

中国北部と、 このサイトへの リンク

開封・清真寺

● 「中国北部のイスラーム建築」は、大同(だいどう)のあとを受け、太原(たいげん)、沁陽(しんよう)、鄭州(ていしゅう)と進んで、やっと最後の開封(かいほう)まで 書き終りました。 これで「中国のイスラーム建築」は、個別の建築サーヴェイの記述を全部終わりました。 ずいぶん長いこと かかりましたが、これで 中国の知られざるイスラーム建築の主要なものを すべて、日本で初めて紹介したことになります。
当初の心づもりよりも かなり詳細になってしまいましたので、各章を前後2つのパートに分割して、ダウンロードの時間を軽減しました。分量としては、中国南部の Part-1 が 12ページ、 Part-2 が 11ページ、中国西部の Part-1が 12ページ、Part-2が 22ページ、中国北部の Part-1が 15ページ、Part-2が 14ページ、全部を合計すると 86ページにもなります。
あとは総論として、「中国伊斯蘭教建築の特質」を書いていく予定です。 これも 写真を駆使した ヴィジュアルなものになる予定ですので、ご期待ください。 ここをクリック すると、『世界のイスラーム建築』のサイトの「中国北部のイスラーム建築」のページに跳びます。  ( 2009 /10/ 01 )

衆議員選挙 と、< マフィア >

衆院選

● 8月 30日に4年ぶりの 衆議院選挙 が行われ、民主党が圧勝しました。民主党は、党のメンバーの由来を見ても、自民党と それほど違いがある政党とは思えませんが、しかし、政権を担う与党と 内閣の構成員がガラリと入れ替われば、政官業の癒着を 一時的にせよ、かなり 断ち切ることができることでしょう。そして日本のよどんだ建築界にも、多少は凛とした風が吹いてくるかもしれません。そう 期待したいところです。
 箱物行政を見直すこと、企業の政治献金を禁止すること、官僚の天下りを廃絶すること、これらが実現すれば、日本の社会も 建築(建設)界も どれほど良くなることか。(民主党の前代表が 西松建設とツルんでいたことを考えると、いったい何ほどのことができるのかと、心もとなくも思えますが)。
 政治の世界で一向に変革が起こらず、閉塞的な情況が長く続いた日本で、こうした思いがけぬ大変動が起こったのは、ひとつには 若い世代への、昨年のアメリカの大統領選挙の影響が 大きかったからに違いないと思います。前職の大統領とネオコンの政治が あまりにもひどかったので、若者たちが立ち上がって 民主党のオバマを当選に導いたことは、若者たちの 異議申し立て が 社会を変えるひとつの力になるということを、日本の若者たちの心に強く印象づけました。 似たような情況にある日本でも 意思表示をしようと、それまで選挙に無関心だった若者たちが 投票所に行ったのに違いありません。
 思い出すのは、今から 40年ほど前、日本の若者たちが フランスの学生の反乱(5月革命)に大きく影響されて、全国各地で立ち上がったことです。独創性に欠けながらも 世界の動きに反応して、世の中に、大学に、異議申し立てをしたのです。 当時の大学町だった神田を、日本のカルチェ・ラタンにすると叫びながら。しかし その全共闘世代も 今はすっかり活力を失い、かつて自分たちが異議申し立てをしたところの 順応主義者、守旧勢力となってしまったのは、情けない話ではありますが。   ( 2009 /09/ 01 )



●● 私のHPにおいて、マフィア というのが 何のことか解らない、というお便りをいただくことがあります。日本のマフィアと言えば、暴力団のことを思い浮かべる人が多いでしょう。しかしながら、私のいうマフィアは、暴力団とは 直接の関係はありません。
 マフィアの定義は 人によって いろいろですが、社会の暗部で、さまざまな(反社会的な)秘密工作 をする組織を、ここでは マフィアと呼んでいます。たとえば、坂本弁護士一家を殺したり、地下鉄サリン事件を起こしたりしたのは、ある宗教マフィアです(あとで オーム真理教と わかりました)。朝日新聞の神戸支局を襲撃して 記者を殺害したのは 政治マフィアでしょうが、日本の社会には 大小さまざまなマフィアがあります。
 戦後の日本で 特に発達したのは 業界マフィアで、多くの業界にあります(談合などをします)。巨大な業界マフィアは 政界に多大の政治献金をしたり、官庁からの天下りを 多数受け入れたりすることで、 政治家も官僚も、そしてジャーナリズムも あやつり、またその業界利益を守るためには、CIAや戦前の特高のような 秘密機関によって、業界の不利益になる言動をする者(つまり、正しいことを言う者)を迫害し、言論を封じる(抹殺する)のです。

ファーガスンインド建築 」の英訳

ファーガスン

● 東大・生産技術研究所の村松伸 准教授から、『 建築史家たちのアジア 発見 』という本を 風響社から出版するので、建築史家の「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」について書いてほしい、という依頼を受けたのは 2000年のことです。これは、近代において、建築史家たちによって アジア諸国の「建築史」が形成されていった過程を、現在の建築史家たちが分担執筆するものです。
 ところが、2001年の7月に原稿を渡したにもかかわらず、それから8年たった今も、出版されていません。 何度も催促したにもかかわらず、彼はそれを無視し、しかも、この東大教員の無法行為について相談した、東大・生産技術研究所の 西尾茂文 所長は、「大学の教員は、契約を守らなくとも、嘘をついて人の論文発表の妨害を続けようとも、自分の責任分担を放棄しようとも、研究活動の自立性のゆえに 許されることだ」と主張して、村松准教授の無法行為を擁護しました。
  さらに 当時の東大・佐々木毅 学長に手紙を書きましたが、これはまったく返事もせずに、同じ態度を示しました。戦時中に 大政翼賛会を主導した日本の最高学府は、現在もなお マフィアの言論抑圧に手を貸している というわけです。 その詳しい経過は、「東大の常識は世間の非常識」 に記録してありますので、ここをクリック して お読みいただければ幸いです。
   この 出版されていない「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」を 関心のある方々に読んでもらうために、この HP に載せてありましたが、このたび、その英訳を 全部終えました。すでに できている 韓国語訳 とあわせて、日・英・韓の3ヵ国語版が ネット上に出そろったわけです。本国のイギリスでも出版されていないファーガスン論が、どんな風に英米で受け止められるか、反応が楽しみです。興味のある方は、ここをクリック して ご覧ください。   ( 2009 /08/ 01 )

中国西部と、HPの英語版

カシュガル

● 今年のはじめから、毎月1日にサイトを更新して「お知らせ」欄に載せることにしてきましたが、4月1日に「サイトの編成替え」について書いたあとは、そのことに膨大な時間を費やしてしまったあとなので、5月はお休みとなってしまいました。実を言うと、4月にエジプトとトルコに撮影旅行に出かけ、そのスライドの整理と書き込みに、またしても 大きく時間をとられてしまったのです。で、だいぶ時間がかかってしまいましたが、「中国西部のイスラーム建築」が やっと全部終わりました。 当初は 簡単に HP に載せるつもりだった「中国のイスラーム建築」が、書いているうちに次第にエスカレートし、写真枚数も増え、図面も載せるようになってしまいました。この「中国西部」は、最もイスラーム教徒の多い地区なので、扱う建物数も多く、「中国南部」が全部で 21ページだったのに対して、33ページにも 増大してしまいました。 時間が かかったのも むべなるかなです。これから 中国北部の続きを書いていきますので、請う ご期待。 ここをクリック すると、『世界のイスラーム建築』のサイトの「中国西部のイスラーム建築」のページに跳びます。   ( 2009 /07/ 01 )



Q&A page

●● この HP は 英語版 もつくっていますが、英訳は なかなか進みません。 韓国語版もそうですが、かつて協力してくれた人、協力しようとしていた人たちが、マフィアの脅しにあって、あるいは その報復を恐れて、逃げ出してしまうからです。 そして今回、インド関係のサイトと イスラーム関係のサイトを分離してみたら、今まで英訳したのは すべてインド関係であったことに気がつきました。そこで、今年は 私自身がイスラーム関係の記事を英訳していくことにし、まずは「イスラーム建築入門」の中の、第1番目の「イスラーム建築 Q&A」を英訳しました。

 日本では、私の書いた『イスラーム建築 』が 彰国社の出版拒否にあって、一般の人々に読んでもらえず、イスラーム文化への理解が進みませんが、欧米では たくさんの美術書が イスラーム建築の本として出版されていますので、いまさら入門編でもない とも言えましょう。それでもアメリカでは バラク・オバマ氏が大統領に就任したことによって、イスラーム諸国との対話ムードも醸成されてきました。で、まあ 世界の初心者のために、 私のイスラーム建築入門編の 英語版にも 意味があるかなと思っています。どうぞ 外国のお友達に 紹介してください。これから続けて、「イスラーム庭園」をはじめ、以下の章も英訳していく予定です。ここをクリック すると、『INTRTODUCTION TO ISLAMIC ARCHITECTURE』 のサイト中の、「QUESTIONS and ANSWERS」 のページに跳びます。

サイトの編成替え ( HP アドレスの変更 )

世界のイスラーム建築

「神谷武夫とインドの建築」のサイトは、年々ページが増えて 全体の容量が大きくなりすぎてしまったために、インド関係のサイトと イスラーム関係のサイトに 分離することになりました。
このたび新しいドメインを取得しましたので、「神谷武夫とインドの建築」の新しいアドレスは、シンプルな http://www.kamit.jp/ となりました(kamit は Kamiya Takeo の略です)。 このサイトに リンクしていただいている方々や団体は、リンク・アドレスの変更を お願いします。



●● 旧アドレス http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/ は、新設の「世界のイスラーム建築」というタイトルのサイトとなりました。 この分離に伴い、文献目録も二つに分け、イスラーム関係の書籍は「イスラーム建築・文献目録」として そちらに入れ、国別の項目を立てています。 「お知らせ」欄は、今までどおり「神谷武夫とインドの建築」のみに置いて、イスラーム関係の新しい記事も ここから跳ぶようにします。



● サイトの分割と新設に 膨大な時間をとられ、「中国のイスラーム建築」の執筆は、またしても お休みとなりました。今月はまた カイロとイスタンブルに出かける予定なので、いったい中国は いつになったら終わるのやら。分割した2つのサイトは、まだ ページ相互のリンクの不具合などがあるかもしれませんので、お気づきの方は メールで 御一報ください。   ( 2009 /04/ 01 )

謹賀新年 2009

コナーラク

● 新年を迎えて、トップページのデザインを変更しました。今年の トップ写真は コナーラクスーリヤ寺院 です。今から 32年前に 初めてインドに旅行したとき、カルカッタ (コルカタ) から入国しましたが、その日の夜行列車でブバネーシュワルに行ったところ、何かの祝典があるとかで宿がとれず、さらに足を伸ばして コナーラクのトゥーリスト・バンガローに泊りました。このバンガローが新築なったばかりで、まあ清潔な建物であったのは、インドで最初の宿泊地としては幸いでした。そしてすぐ近くの スーリヤ寺院 は まだ それほど観光化されていず、廃墟であるにもかかわらず 実に魅力的で、すっかり心を奪われたものです。   ( 2009 /01/ 01 )


イスラーム建築

●● 『イスラーム建築 』の方は、彰国社が 相変わらず 出版契約も無視して、2年にわたって 出版を拒否しています。 この二つ下の欄をご覧ください。
また、『ジェイムズ・ファーガスンとインド建築』(風響社の『建築史家たちのアジア発見』)は、原稿を渡してから7年半になりますが、編者であり、私に原稿執筆を依頼した東京大学・生産技術研究所の 村松伸 准教授は、いまだに本を出版しません。詳しくは、ここをクリック してお読みください。
さらに「ヒンドゥ建築」(彰国社の『ヴィジュアル版 建築入門 第2巻』)と、「エローラーの カイラーサ寺院」(同じく『ヴィジュアル版 建築入門 第1巻』)は、依頼された原稿を渡してから8年以上になりますが、やはり彰国社は出版しません。
こうして(私の場合 ばかりでなく)、日本の建築界は マフィアによって 際限なく歪められていきますが、マフィアの報復を恐れて 口をつぐんでいる 建築家や評論家(今の日本には 建築評論家は不在ともいえますが)、大学教授や ジャーナリストたちも、情けない限りです。



●●● ところで 建築(アーキテクチュア)の本というのは、外国の書店では「美術と建築アートアンドアーキテクチュア)」の売場に並べられます。ところが日本では、世界標準とは異なった、大学(工学部)における エンジニア教育中心の「建設・建築 教育システム」および その学会の構成を反映して、アーキテクチュアの歴史やデザインの本も「建設工学(ビルディング・エンジニアリング)」に分類されてしまい、「理工学書売場」に並べられてしまいます。しかし一般の人は、書店の美術書売場には行きますが、理工学書売場になど 決して行きません。したがって、せっかく一般読書人や美術愛好家にも 興味をもってもらえる建築書が、一般の人の目に触れません。そのために、わが国における一般人の建築的教養が ますます欠けることになります。私が今までに出した本は すべて歴史やデザイン分野なのですが、やはり 理工学書売場に置かれてしまっています。

また、かつては たくさんあった建築雑誌も、廃刊や休刊になって数が少なくなりました。そして、かつての建築雑誌は すべて1ページの「書評欄」をもっていて、新刊書の中から 毎月1冊を選び、外部の建築家や評論家に依頼した「書評」を載せていて、それが 若者たちの読書意欲を そそったものでした(自社の本の、手前味噌な「宣伝書評広告」とは 違います)。それが どんなものであったかを示すために、建築雑誌における 私の本への書評を(今まで 遠慮していましたが)、今回一括して「著書・訳書」の それぞれのページに 載せさせてもらうことにしました。また、建築雑誌以外のものも2つ入れています。それぞれの書評者の名前をクリックすると、そのページに飛びますので、興味のあるところを お読みください。批評の仕方を 読み比べるのも 興味深いでしょう。

『イスラムの建築文化』石山修武『建築文化』 1988年 6月号
『イスラムの建築文化』木島安史『AJAMES』 1988年
『楽園のデザイン』有村桂子『日経アーキテクチュア』 1989年9月4日号
『楽園のデザイン』羽田正『史学雑誌』 1989年 8月号
『楽園のデザイン』松枝到『建築知識』 1989年 10月号
『ヒンドゥ教の建築』黒河内宏昌『 a t 』 1994年 2月号
『インドの建築』黒河内宏昌『 SD 』 1996年 12月号
『インド建築案内』藤森照信『建築文化』 1997年 3月号


解題 」の後編 と、ヴァルジアン、ハコビヤン

● 「原術へ」の「解題」の後編を、やっと書き終わりました。「文化の翻訳」が JIA によって握りつぶされたあと、いかに復活し、その続編である「あいまいな日本の建築家」が書かれたか、それを契機にマフィアの迫害が いかに激しくなったか、などを記録しています。日本の建築界の腐敗ぶりに興味のある方は、ここをクリック して ぜひ お読みください。   ( 2008 /12/ 08 )



ヴァルジアン

●● アルメニアの歌手の紹介 9. 今回は、一度に2人の女性歌手を紹介します。ソニヤ・ヴァルジアン Sonya Varoujian と シルヴァ・ハコビヤン Silva Hakobyan です。アメリカ在住のアルメニア人であるソニヤの歌は、まだユーチューブに載せられていません。ギターを伴奏にするその歌声は、昔のモダーン・フォークのジョーン・バエズを思い出させます。今までに3枚の CD を出していますが、現在買えるのは ”JANAPAR" だけで、彼女のホームページからも注文できますが、アメリカの アマゾン でも買えます。 
 もう一方のシルヴァは大型 新星で、3年前に"Gisher" が シングルで出て、大いに人々を期待させました。ユーチューブで聴けます。ところが なかなかアルバムが出ずに やきもきさせましたが、今年になって "SILVA" が出るや、たちまち大ヒットしました。その多くはユーチューブで聴けますので、Gisher の右側のコマをクリックしてください。この CD はアメリカの アマゾン で買えます。

『 イスラーム建築 』出版

イスラーム建築

● 昨年の 「謹賀新年 2007」 では、『イスラーム建築 』 の本が間もなく出版されると予告しましたが、出版社の彰国社は、本の奥付に私のHPのアドレスを載せるのは認められない、という実に奇怪な理由で色校のゲラ刷りを出さず、原稿を受け取ってから半年以内に出版するという出版契約も守らずに、2年近くにわたって出版拒否を続けています。こんなことが本当の理由であるはずはありませんが、神谷の本は出版するな というマフィアの圧力に社長が屈してしまったために、現代世界で焦点になっている イスラーム の建築文化の概説書が、日本の読者に届かなくなっています。
 こうした言論の封殺が行われているのに、それを ジャーナリズムも学会も無視しているというのは、たいへんに 恐ろしい社会 です。どうぞ、このホームページを見た方は、このことを友人や知人、特に出版人やジャーナリストに この事実を お知らせください。そして出版社 に強く抗議の電話、FAX、メールをお送りください。ホームページや ブログを お持ちの方は、このことを お書きください。この HP へのリンクをお張りください。大学の教授や講師の方々は、学生たちに このページを読むように言ってください。
 こうした闇の構図が何十年も続いているのに、学者も評論家も出版人もジャーナリストも、マフィアを恐れて それに目をつぶっているこの国では、建築家のプロフェッションの確立 など できるわけもありません。建築家を志している若い学生諸君は、こうした日本の腐った建築界の現実を認識して、できれば外国へ出て行ったほうが良いでしょう。私の若い頃に比べれば、それはまったく自由で容易になりましたから。  ( 2008 /10/ 06 )

●● こうした状況について 詳しくお知りになりたい方、何とかしたい と思っている方、また 建築家のプロフェッションの確立について考えている方、どうぞ 私の事務所をお訪ねください。じっくりと お話をしましょう。ジャーナリストの方は特に歓迎ですが、学生さんでも 遠慮なくどうぞ。
 Tel:03-3949-9409、 Mail:kamiya@t.email.ne.jp



鬼頭梓 と『 建築家の自由

鬼頭梓

● アルメニアに滞在していた間の8月 20日に、建築家の鬼頭梓 さんが亡くなられたことを知りました。また、その2ヵ月前に鬼頭さんの本『建築家の自由』が出版されていたことも知りました(鬼頭梓の本をつくる会編、建築ジャーナル刊、1,800円)。鬼頭さんといえば、建築界の良心、建築家のプロフェッションの確立のために尽力された方として、つとに知られています。その目指したところが実現されずに、というより、もっと悪化したままに亡くなられたことは、さぞかし心残りだったことでしょう。ご冥福を祈ります。
 さて、この HP の中の「原術へ」のページの論文にからんで、鬼頭さんと私の間にひとつの接点がありました。ポール・ヴァレリーの ひそみに倣って、「原術へ」の詳細な「注解」や「解題」を自分で書こうと思いながら、その機会がないままに何年もたってしまいましたが、鬼頭さんの遺著とでもいうべき本を読むにつれて、その発端と経過についてだけでも書いておきたいと思い立ち、「原術へ」のページに加えることとしました。今回は「解題」の前半部のみですが、興味のある方は ここをクリック してください。  ( 2008 /11/ 13 )

全共闘世代 のこと

この夏、ある同世代の友人にメールを出したついでに、次のようなことを書きました。
 近頃、楡周平の『ワンス・アポン・ア・タイム東京』という小説を読みました。全共闘世代の その後の生き方、とかいう広告につられて読んでみたら、小説として面白くはあったけれど、これは当時の全共闘世代の心情に即したものではなく、むしろ その世代の滑稽さを戯画化して描いたものでした。10年前の藤原伊織の『テロリストのパラソル』が、その世代の心情をひきずっていて、共感と愛惜の念をもっていたのとは対照的です。
 それも当然のことで、藤原伊織は 1948年生まれで、去年 60歳になるのを待たずに癌で死んでしまったのに対して、楡周平は 1957年生まれで、全共闘世代を批判的に眺めてきた世代の作家ですからね。
 それに 実際のところ、全共闘世代は当時、反体制だとか 実存だとか 主体性だとか叫んでおきながら、ひとたび社会に出るや たちまち体制に順応して、というより その積極的な推進者になってしまったわけですから、次の世代から批判され、戯画化されてしまうのも 無理はありません。
 昨年、一昨年あたりは、定年まぎわの団塊、全共闘世代がもてはやされ、定年になって会社の くびきを脱すれば、いよいよ初心を貫いて、続々と意義ある仕事、主体的な活動を始めるかのごとき アドバルーンが打ち上げられていました。ところが、いざ定年になった全共闘世代は、長い会社人間の生活で すっかり骨抜きにされてしまったようで、何の叫びも、新しい活動の息吹も聞こえてきません。ただ老後を心配して、カラオケで うさでも晴らす、というのが関の山のようです。ジャーナリズムのほうも すっかり愛想をつかしたようで、団塊の世代への期待の記事も まったく途絶えました。
 無惨 の一語のような、現代の停滞した気分の時代を 突き抜けて 生きていくような「老年世代」は、現れないものでしょうか。

●● すると、その友人から、まるで ひとごと のような、次の返事が来ました。
 「全共闘世代」が話題になったのは、マスコミの買いかぶりというか、幻想のようなものでしょうね。
 どの世代でも 他の世代とは違う時代を生きるわけですが、社会の枢要な場所から離れて、多くが何か新しい生き方を模索するなんて、われわれの親の世代を考えても、考えにくいことです。
 「全共闘世代」の場合は、行動に参加した若者は多いけど、深く傷ついた者の多くは、ずっと沈黙を守っているか、畑仕事でも やっているんじゃ ないでしょうか。多くが、あいかわらず カラオケに興じているのは、もともと その程度の影響しか 受けていなかったんでしょう。
 せっかくの体験を 深化できなかった世代ってことかな。不勉強な世代 と言って いいかもしれません。初心を貫いている人など ほんの一握りで、どの世代でも こんなものでしょう。

●●● 建築にたずさわる 全共闘世代の人々よ、定年を迎えたら、この国の後世の建築界のために、建築家のプロフェッションの確立に 挺身しては どうか。 そして、高橋和巳や 埴谷雄高や 吉本隆明を読みふけった人々よ、「人間の尊厳」を蹂躙する マフィア勢力との闘いに 立ちあがっては どうか。       ( 2008 /10/ 20 )

アルメニアの建築 と、 ペペリヤン

ゴシャ・ヴァンク

● アルメニアに行って来ました。これで、アルメニア建築の撮影が ほぼ完了しました。3年前に この欄に、アルメニアの建築を順次紹介していくと書きながら、なかなか その時間が作れず、時々歌手の紹介をするばかりでしたので、今回は、せめて 写真ギャラリーを開設して、アルメニア建築の素晴らしさを伝えようと思い立ちました。写真キャプション以外には 総論や解説なしですが、各地域から代表的な修道院や遺跡を選び、全部で約 120枚の写真をスキャンしました。ご覧になりたい方は ここをクリック してください。中国のイスラーム建築が終了したら、本論を書く予定です。(首都イェレヴァンの都市計画をした建築家、タマニアンについても。) ( 2008 /10/ 06 )


クリスチーヌ

●● アルメニアの歌手の紹介 8. 今回は、最も人気のある女性歌手のひとり、クリスチーヌ・ペペリヤン Christine Pepelyan です。彼女は 1980年のイェレヴァン生まれで、いろいろ家庭の不幸があって苦労したようですが、24才で初めてCDの単独アルバムを出してから人気が出ました。今までに3枚のCDを出していて(Vor Hishes 2004, About Me 2005, Live in Concert 2007)、それらは例によってNarek.comで注文できますが、最近 送料が高くなってしまいました。ネットで探せば、もっと安い送料のところもあると思いますが、早くアマゾンなどが扱うようになってほしいものです。  ( 2008 /10/ 06 )

マグリブと、アラクシア

トレムセンの大モスク

● 5月半ばから6月半ばまで、1ヵ月間の マグリブ地方 の調査・撮影旅行を無事に終えて帰国しました。マグリブとはアラビア語で西方の意で、エジプトより西のイスラーム圏、すなわち現在のリビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコをさしますが、リビアを除いた 3ヵ国をまわってきました(エジプトから東はマシュリクと言います)。チュニジアとアルジェリアは 17年ぶり、モロッコは実に 23年ぶりの訪問です。 当時は十分な知識がなく、見過ごしたものが多かったのですが、今回はどこのモスクも中にはいって、マグリブ型モスクの細部を つぶさに観察してきました。マフィアによって 発表の場が閉ざされていますが、将来「マグリブのイスラーム建築」を HP 上に載せたいと思っています。  ( 2008 /07/ 06 )

中国南部イスラーム建築

寿県

● 2005年から 中国のイスラーム建築について調査・研究を 続けてきました。今年は そのまとめの段階にはいっていますが、資料が十分でなく、難航しています。この HP で紹介するために、中国全土を南部、西部、北部の3地域にわけて、まずは 中国で最も古いモスクの多い 南部 を書いていましたが、ついに時間ぎれとなりました。というのは、明日からマグリブ諸国のイスラーム建築を調査、撮影に出かけるからです。で、全部は終っていませんが、オリンピックを前に 中国への関心が高まっていますので、とりあえず、8割方できた「中国南部のイスラーム建築」を公開することにしました。 ご覧になりたい方は ここをクリック してください。
 中国のイスラーム建築の 全体像を紹介するのは、日本で初めてのことですので(外国にも 満足すべきものはありませんが)、どうぞ ご意見、ご感想を お寄せください。   ( 2008 /05/ 10 )

ハスミク・カラペティヤン

ハスミク・カラペティヤン

アルメニアの歌手の紹介 5. 今回は 私の最も好きな女性歌手の一人、 ハスミク・カラペティヤン Hasmik Karapetyan です。前に紹介した リリット・カラペティヤンと同姓ですが、姉妹というわけではありません。ハスミクは 1977年生まれ。グラゾール大学でジャーナリズムを専攻したそうですが、音楽が天職と知り、イェレヴァンの音楽学校に入りなおし、さらにアメリカに渡って シンガー・ソング・ライターになりました。
 ユーチューブ では 彼女の歌   が聴けます。この歌には終末論的な映像が付いています。シュシャン・ペトロシアンとデュエットで歌っている美しい歌 SIRO ASHKHARH も聴いてみてください。彼女は CD を3枚出していますが、"MY SOUL" (Hasmik The Best) と"RAIN" はArmenian Music Center のサイトから注文できます。"STRANGE WORLD" はベスト・アルバムと重複が多いので、買う必要はありません。   ( 2008 /01/ 01 )

講座 「 インド 秘めたるパワー知ろう

● 東京都の目黒区が「冬の社会教育講座」のひとつとして、「インドの秘めたるパワーを知ろう」という、インド入門講座を開催します。1月 19日から2月 23日の毎週土曜日、全6回から成りますが、その第2回目の1月 26日に「インド建築の特質」と題する講演をします。インドの宗教建築が、他の文明の建築と比較して どのような特徴をもっているのかを、スライドを写しながら説明します。2時から4時までの2時間ですが、申し込みは 全6回通しのみです。無料。講座全体の内容と募集要項は、   。 ただし、受講対象者は目黒区在住・在勤・在学の方のみだそうです。申し込みの締め切りは1月8日で、抽選となります。



●● 『ジャイナの教え』という本が、三笠書房から出版されました。「信用と成功を手にする一番簡単な法」というサブタイトルがあるように、実利的な観点を手引きにして インドのジャイナ教への関心を誘う、超入門者向けの本です。前回紹介した本の著者・渡辺研二氏が監修して、上林龍永氏が やさしく書いています。A5判、140ページ、三笠書房、1,300円。   ( 2007 /12/ 20 )

アルメニアの歌手の紹介 4.アルトゥール・メシアン

メシアン

アルメニアの歌手の紹介 4. 今まで女性歌手ばかり紹介してきましたので、今回は男性歌手、それもアルメニアの最高の歌手、アルトゥール・メシアン Arthur Meschian です。彼はイェレヴァン工科大学で建築科の学生だった 60年代末に「APOSTLES」というバンドを結成して音楽活動を始めた シンガー・ソング・ライターです。初めに建築家を志しながら、そのうちに 心に響く歌を 作り 歌う ミュージシャンになったという点で、アメリカのサイモンとガーファンクル、日本の小田和正にも似ています。ソ連時代には演奏を禁じられもしましたが、1989年にアメリカに渡ってアルバムを制作し始めました。それらを集大成したのが 2001年に発売された、4枚組みの素晴らしい「HIT COLLECTION」です。
「ユーチューブ」のサイトでは 彼の歌が 演奏風景のビデオつきで聴けますので、ここをクリック してください。右側の小さい写真をクリックすると、他に何曲も聴けます。 これほどの歌手が 日本でまったく知られていないというのは、もったいない話です。   ( 2007 /11/ 15 )

ロズィ・アルメン

ロズィ・アルメン

アルメニアの歌手の紹介 3. 現代のアルメニアの歌手のうち、リリット・カラペティヤンとヘギーネを紹介してきましたが、最近 すばらしい歌手を発見しました。ロズィ・アルメン ROSY ARMEN という、フランスに帰化したアルメニア人です。かなり年配の歌手らしく、シャルル・アズナブールと同じ頃の世代ではないかと思います(彼もまたアルメニア人で、本名はシャルル・アズナブリアンといいます)。しかし、日本ではシャルル・アズナブールは有名ですが、ロズィ・アルメンは まったく知られていません。
彼女のHPでは、MULTIMEDIA のページで 彼女のシャンソンを聴くことができ、これは まさに昔なつかしいフレンチ・シャンソンです(特に "La Plus Jolie Saison du Monde" が典型的)。それが 晩年になってから アルメニア語でアルメニアの歌を歌い、録音するようになったようです。それを手に入れようと さんざん探したあげくに、やっと最後の CD "MI SIRDE OUNEM" だけを取り寄せることができました。これは 2001年のリリースです。
  たいていの歌手は 歳とともに声量が衰え、声のツヤや輝きが失われていくものですが、不思議なことに ロズィ・アルメンはその逆らしく、この CD において素晴らしい声量と張りのある美声で、まるでオペラのアリアのように、朗々と歌いあげています。アルメニアの最高の女性歌手では ないでしょうか。
 しかし その力強い歌声にもかかわらず、それらのアルメニアの歌は深い悲しみをたたえていて、とりわけ 8曲めの "MI SIRDE OUNEM (Inside my Heart)," 9曲目の "HOVE (The Wind)," 10曲目の "SAR TARTER (Mountains of Pain)" の3曲を繰り返し聴いていると、深く胸を衝かれて、しばしば涙があふれます。 今までに、これほど泣かされた音楽はありません。アルメニアの音楽は、本当に不思議な音楽です。   ( 2007 /09/ 16 )

「 アルハンブラ宮殿 」

ミルテの中庭

● 『イスラーム建築 』の本は まだ出版されていません。そこで、今回は その第1章「イスラーム建築の名作」の中から、「グラナダの アルハンブラ宮殿(スペイン) を、本のデモンストレーションとして、この HP の「世界のイスラーム建築」のサイトに載せておくことにしました。世界に名高い イスラームの宮殿建築の簡潔な紹介ですが、写真をお楽しみください。

●● 彰国社(後藤社長)は、[出版の自由」という理念をないがしろにして、出版契約さえも守らずに、平然と出版拒否をしています。どうぞ、出版社に抗議の電話、FAX、メールをお送りください。また 人々、特に出版人やジャーナリストに この事実を お知らせください。ホームページや ブログを お持ちの方は、このことを お書きください。大学の教授や講師の方々は、学生たちに このページを読むように言ってください。
 イスラームの報道は、相変わらず自爆テロや タリバンによる韓国人人質などの話題ばかりで、わが国における イスラームのイメージは低下しています。その建築文化を紹介して イスラームのイメージアップに資する本が 不当にも出版されないことに対して、日本のイスラーム教徒の人々や イスラーム関係者は、もっと怒っても よいのではないでしょうか。
 それにしても、彰国社というのは 大手出版社とちがって 官僚的な大組織ではなく、ひとりひとりのスタッフの顔が見える 小規模な専門出版社です。そこには「出版の志」というものがあり、編集者は プライドをもって仕事をしている筈でしょう。ところが、会社が著者に 本の執筆を依頼し、2年間かかって ほとんど校了にまでもっていきながら、最終段階になって出版を拒否する というようなことを しているのに、社員の編集者たちは 平然としていられるのでしょうか?
 『イスラーム建築』の担当者であった三宅氏はもちろん、依頼した原稿を受け取ったあと、嘘をつき続けて7年間も出版せずにいる『ヴィジュアルア版 建築入門』(第1巻の 「エローラーのカイラーサ寺院」と、第2巻の「ヒンドゥ建築」)の担当者であった 中神氏や 尾関さんも、良心の痛みを感じないのでしょうか? 三宅氏の後任になった富重編集本部長も、こうしたことに 知らぬ顔の半兵衛を決め込んで いられるのでしょうか?

 私は会社勤めというのを あまり経験していないので、会社員が自分の意に反して会社命令に服従するという心情を、十分には わかりません(それが いやだからこそ、苦しくとも、貧乏しても、独立の道を歩んできたわけですから)。新聞や TV では しばしば、社会倫理に反した活動をした企業や官庁の事件が 報道されます。そうした時に いつも思うのは、たとえトップの人間がそういう決定をしたとしても、社員たちは どうしてそれに唯々諾々として従ってきたのだろか(時には犯罪行為でさえ)、と 不思議に思います。保身のためには、上司の意向に異議申し立てをすることなど、絶対に できないものなのだろうかと。
 それが 大きな組織になるほど むずかしいであろうことは想像できますが、人間的連帯の上になりたっているような小組織、それも文化的な事業をしているような会社では、スタッフのもつ価値観や倫理観が 事業に反映されるのではないかと思うのですが、それは 私のような自由業の人間の抱く 幻想にすぎないのでしょうか? 企業も官庁も、所詮は、上官の命令に絶対服従の 軍隊のようなものなのでしょうか?
 そしてまた、自分の良心や倫理を裏切って行動する、そうした会社の幹部や役人や、また担当者たちは、自分の子供をどのように教育しているのだろうかと、いつも 不思議に思います。
 もう一つ 不思議に思っていることは、『ヴィジュアル版 建築入門』や『建築史家たちのアジア発見』の共著者たちは、原稿を渡してから6年も7年も、契約に反して本が出版されなくとも 平気なのでしょうか? 出版社や編者に 抗議をしないのでしょうか? 自分が書いた原稿は たいしたものではないので、出版されなくとも構わない とでも考えているのでしょうか。日本の学問や出版の世界には、あまりにも 契約の精神が欠けていると、常々私は感じています。



●●● 検索エンジンでは、ヤフーのキーワードに「インド」といれても「建築」といれても、私の HP は まったく検索されないように されてしまいました。この HP が人々に見られることを、マフィアは よほど恐れているようです。   ( 2007 /08/ 10 )

ジャイナ教概説書

「ジャイナ教」   「ジャイナ教入門」

● ジャイナ教の概説書が出版されました。
このサイトには、今から 14年前に建築雑誌に連載した「ジャイナ教の建築」を載せてあり、建築を通じてこの稀有な宗教のことを伝えてきました。 当時はジャイナ教の一般向け概説書が出ていなかったので、建築論の中に宗教の解説を、一章分としてではなく、連載の各回の中に分散して盛り込むことに苦労しました。 何しろ、インドにジャイナ教という宗教があるということすら知らない人がほとんどでしたから(仏教の兄弟宗教だというのに)。
 そこで、日本におけるジャイナ教論理学者の草分け、広島大学の宇野惇教授に、ぜひジャイナ教の入門書を書いてくださいと勧めたのですが、氏は それを果たさないまま世を去りました。その後を受けて ついに本を出版したのが、渡辺研二氏です。(近代建築史の渡辺研司氏とは別人)。日本の大学では、仏教の講座はいくらでもあるでしょうが、ジャイナ教の講座をもうけるところはなく、渡辺氏は専門以外の非常勤講師も諸大学で務めながら ジャイナ教の研究を続けてこられ、本を、それもほとんど同時に 2冊を出版したのです。ともにジャイナ教の全般的な概説書で、一方は 『ジャイナ教入門 』(現代図書、新書版、1,500円)、もう一方は 『ジャイナ教 』(論創社、A5判、3,990円)です。両者は重複する部分も多く、異なった場所で展開したそれぞれの概説書ですが、初めての人には入門のほうをお勧めします。私が連載の中で簡略に書いた教義が、両書では詳しく説明され、論じられています。
 平和憲法を改悪しようとする動きが強くなっている現代の日本において、この絶対的な平和宗教の内容と歴史は 広く知られる必要があると思います。どちらか1冊を、ぜひお読みください。(といっても、そういうことに焦点を当てた本では ありませんが)。

 世界の歴史は、差別の撤廃の歴史でもあります。奴隷制度を廃止し、貧者にも市民権や選挙権を与え、人種差別や男女差別を撤廃してきました。 しかし今もなお動物差別は存在し、同じ生物である動物は虐待され、人間によって虐殺されています。奴隷や貧民や低カースト民や黒人や女性にも 自由に生きる権利があるように、動物にも、虐待されずに生きる権利があります。それを 2,500年前から主張してきたジャイナ教は、世界の思想史上で最も進んだ、根源的な博愛思想だと言えるでしょう。
 なお 渡辺さんの本には美術・建築の章がありませんので、ジャイナ教の建築についての簡潔な概説については、私の『インド古寺案内 』の中の「ジャイナ教」の章(p.72〜89)を、併せてお読みください。



●● 明日から また4週間、中国に建築の調査旅行に出かけます。一昨年の西部中国、昨年の南部中国に続いて 今回は北部中国で、これで中国のイスラーム建築調査を終了させる予定です。   ( 2007 /06/ 17 )

近況 (5月21日)

ヴァンク・カテドラル

● しばらくこのサイトに新しい記事を載せなかったので、神谷は マフィアにポアされたのではないか、と思った方もいたかもしれません。今からちょうど 20年前に 坂本弁護士一家が宗教マフィアに惨殺され、朝日新聞・阪神支局が右翼 (?) マフィアに襲撃されて 小尻記者が射殺されたように。しかし、私はまだ健在です。3月から4月にかけて イランに調査旅行に出かけていました。今回も 1,000枚ばかり、イランのイスラーム建築 その他の写真を撮ってきましたので、その整理と、マウントへの書き込みに1ヵ月を要しました(未だに ディジタルではなく、フィルムで撮影しています)
 3年半前に 地震で倒壊した砂漠都市・バム にも行ってきました。遺跡は その後ユネスコの危機遺産に登録され、大部分を立ち入り禁止として修復工事を進めていますが、崩壊した日乾しレンガ造の街並み全体を元通りにするというのは至難の業です。この先 10年かかっても終わらないのではないかと思いました。(ページ下方に 現状写真 2枚追加)



イスラーム建築

●● 『イスラーム建築』の本はまだ出版されていません。彰国社に最終原稿を渡したのは昨年の 11月13日ですから、彰国社との出版契約書にある「原稿の引渡し後 6ヶ月以内に出版」という期限を過ぎました。しかし出版社は契約も履行せずに本を出版せず、私のところから持っていったままになっている 本やスライドも返却しません。どうぞ、出版社に抗議の電話や FAX、メールを出してください。そして、このことを 広く友人の方々にお知らせください。ホームページや ブログを お持ちの方は、このことをお書きください。
 イスラーム報道は 毎日のように新聞やTVでなされていますが、その大部分はテロ関連のものであり、出版も 宗教や経済、政治分析に偏っており、文化の紹介が きわめて限られています。そのために 日本人のイスラーム認識は、テロを行い、大仏を破壊し、女性を抑圧する、野蛮な宗教とその人々、とでもいった 偏見に満ちたものとなっています。しかしイランやトルコ、エジプトなど 中東を旅してみればわかるように、イスラーム諸国の人々の生活は 何ら暴力的なものではなく、我々のものと同じように 平和で文化的なものです。それだからこそ、彼らは 誰もが日本を好きだと言います。我々のイスラーム理解も、文化を通じてなされねばなりません。イスラームでは偶像崇拝が厳しく禁じられてきたがために、絵画や演劇や音楽は十分な発達を遂げたとは言えませんので、イスラーム文化を代表するものは 建築と庭園と書道になります。『イスラーム建築』は、日本人のイスラーム理解のために、ぜひとも出版されなければ ならないのです。

 ただ、この出版を妨げているのは、マフィアの圧力です。私が原稿を書いた『建築史家たちのアジア発見』(「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」)や、『ヴィジュアルア版 建築入門』(第1巻における「エローラーのカイラーサ寺院」と、第2巻における「ヒンドゥ建築」)が、原稿を渡してから6年以上たつのに(しかも 何度 催促しても)出版されないのも、同様です。
 このサイトを定期的に見ていただいている方は、建築界とは そんなに恐ろしい世界なのかと思うかもしれません。実は そうなのです。 言論の自由が封殺される 恐ろしい世界です。
 建築というのは、本来 ほんとうに素晴らしい仕事のはずです。このサイトは、インドや第三世界の建築を通じて、そのことを書いてきました。ところが、日本の建築界は あまりにも腐敗堕落していて、建築の仕事を 汚しきっています。何よりもいけないことは、マフィアに支配されていることです。その支配力に逆らうものは 建築界から抹殺されます。そのブラック・リストに載った建築家の作品や論文は 建築雑誌に掲載されませんし、設計活動も 研究活動も妨害されます。まるで戦前の翼賛体制のように、出版社も、編集者も、評論家も、大学教授も、マフィアが恐ろしくて手出しできず、むしろそれに協力しています。マフィアに逆らった雑誌は、つぶされてしまいます。マフィアに抵抗して(レジスタンス)、建築界から去っていった編集者を、私は知っています。「進歩的」と見なされた人たちさえ、マフィアを恐れて 口をつぐんでいます。東大の教員までが マフィアの手先となる始末です。戦争中に大政翼賛会の旗を振った東大は、戦後 その反省をしたはずでは なかったのでしょうか。



アルメニアの歌手・ヘギーネ

●●● アルメニアの歌手の紹介 2. 前に書いたように、音楽では、3年前からアルメニア音楽の とりことなっています。「アルメニアの歌姫」として、以前に リリット・カラペティヤンを紹介しましたが、この頃 ぞっこん惚れ込んでいるのは、ヘギーネ という歌手です。
 アルメニア人は悲劇の民族なので、その音楽の根底には深い悲しみが横たわっている と書きましたが、その最たるものがヘギーネの歌です。彼女は リリットほど若くはなく(1973年生まれ)、イェレヴァンの外語大でフランス語を専攻したということです。結婚して子供もいるらしいのに、どうしてこれほど悲しい歌を歌うのか不思議ですが(おそらく彼女たちには、悲しい歌を歌っているという意識はないのでしょう)、2枚のアルバムのどの曲もが 陰陰滅滅として、胸のうちの深い悲しみを かきむしるように、嫋嫋と歌い上げます。まるで埴谷雄高と高橋和巳を合わせたような印象の、暗く美しい歌です。世界に、これほど悲しい歌があるでしょうか。夜、寝る前に ビールを飲みながら「HEGHINÉ 」と題する CD を聴きはじめると、つい最後まで聴き入ってしまいますが、最後の ”Kami” という(偶然にも私の名前と同じ)歌を聴いていると、これはもう たまらん。
(Kami というのは「そよ風」という意味です。アルメニアで一日タクシーを雇うと、運転手はすぐに私の名を覚えて、私のことを いつも カミー(そよ風さん)と呼びます。)
   ( 2007 /05/ 21 )

謹賀新年 2007

イスラーム建築地図

● 新年を迎えて、トップページのデザインを変更しました。今年の写真はインドではなく、ウズベキスタンのブハラの旧市街です。というのも、ここ数年、インドだけでなく イスラーム建築の全体と取り組んでいるからです。前回予告しましたように、まもなく『イスラーム建築、その魅力と特質』という本を 彰国社から出版します。本当はもう出ているはずだったのですが、マフィアの圧力によって1ヵ月ぐらい遅れています。
今回は その前紹介として、第1章「イスラーム建築の名作」に付される地図を公開します。クリックすると、大きく拡大されます。01〜21 の赤数字の地名には どんなイスラーム建築の名作が選ばれているか、予想してみてください。    ( 2007 /01/ 01 )

「 東大の常識は 世間の非常識 」−その後

● 東京大学総長からは その後も返事がなく、本も出版されない。そこで昨年の 9月 23日に 文部科学省の高等教育局、国立大学法人課 に「東京大学助教授の不祥事と 東京大学の対応について」と題する、次のような手紙を出して相談をした。今までの経過を記したこのサイトのページを全部プリントアウトして製本し、資料としてつけた。

文部科学省 高等教育局 国立大学法人課 御中

国立大学法人の東京大学についてご相談いたします。
 今から5年前に、東京大学・生産技術研究所の助手(現在は助教授)の 村松伸 氏が編著者となって『建築史家たちのアジア「発見」』という本を出すので、ジェイムズ・ファーガソンとインド建築について原稿を書いてほしい という依頼を受けました。それに対して、出版社からきちんとした執筆依頼状をもらって、本当に出版するということを確認したうえでなら執筆する という返事をいたしました。
 2001年の4月になって、村松氏および 出版社の風響社から正式な執筆依頼状が届き、秋に刊行するということでしたので了承し、約束どおり3ヵ月で原稿を書き、7月4日に郵送いたしました。
 ところが本は一向に出版されず、原稿を渡してからすでに4年以上がたちました。 この間、何度も何度も繰り返し催促をいたしましたが、まるで「拉致問題」における北朝鮮のように、のらりくらりとした返事ばかりで、村松氏は そのつど約束したことも一向に守りません。
 東京大学助手(当時)の肩書きで人に論文を書かせておきながら、編者としての義務を果たさず、ひたすら出版を先延ばしにして 説明責任も果たさないというのは、常識では考えられない異常な性格と言うべきでしょうか。あるいは、東大の教員にとっては、こうしたことは珍しくもない 日常的なことなのかもしれませんが、私は村松氏の契約不履行と 不誠実きわまりない行動によって、依頼された論文が長年印刷されないという損害と、多大な精神的苦痛を蒙りました。
  さらに、氏が東大教員の肩書きによって人々を信用させ、論文を書かせながら、自らの分担原稿は書かず、ついにそれを放棄するというに及んで、あいた口がふさがりません。
 民間の会社であれば、こうした無責任 かつ欺瞞的な行動をとった社員は ただちに処分され、その上司が相手に謝罪するとともに、契約事項の敏速な履行をはかるものです。そこで、村松氏の所属する 生産技術研究所 西尾所長 に手紙を書き、相談をいたしましたが、生研では 村松氏のこうした行動を容認する姿勢であることがわかりました。
 そこで、思いあまって、東京大学総長である 佐々木毅氏に手紙を書きましたが、総長は返事さえもよこしません。こうした東京大学の対応を、国立大学法人の監督機関である文部科学省は、どのように判断されるのでしょうか。東京大学への手紙および、これまでの経過を記したものを同封いたしますので、ご検討の上、適切に対処していただくことをお願いいたします。


●● その後 文部科学省から返事がないので、11月 24日に問い合わせの電話をしたところ、国立大学法人支援課の企画係・相場氏が対応した。しかし彼が調べたところ、そういう相談を受けたという記録がないので、手紙と資料をもう一度送れという。やむをえずもう一度プリントアウトし、次の追記をして再度送った.
「相場禎臣様9月 23日に送付しました手紙と付属文書を 紛失してしまったらしい ということですので、再度お送りいたします。 2005年 12月1日」
 相場氏より、文書が届いた旨の電話があり、東京大学には事情説明をしたという。しかし東大からは何も言ってこないので、12月 21日に再び文部科学省に電話をすると、相場氏は病欠だといって、企画係長 樋口氏が対応した。氏が調べ直したところ、9月の私の手紙は確かに届いていて、相場氏の前任者の高久氏が、東大事務局の総務課宛に送っていることがわかった(そのコピーが残っているとのこと)。そして相場氏も、私の手紙を受け取ったあと、改めて東京大学に文書を送り、問い合わせた、そして 12月 16日に再度東京大学に問い合わせたところ、東大事務局から、上層部の人が教授たちの話を聞きながら 調査している、という返事だったという。
 にもかかわらず、私のところへは、相変わらず東京大学からは何の連絡もないので、またまた文部科学省に電話をすると、相場氏は やはり休みで、今度は 企画係 秋山氏が対応した。

 秋山氏のていねいな説明によると、国立大学が法人化してからは、文部科学省は学長の任命権をもつだけで、他の監督権限はすでになく、すべては民間の会社組織と同じで、社長に相当する学長がすべての決定権をもつのだという。したがって、文科省は国立大学法人に対して、助言や注意はできるが、命令することは権限逸脱になる。ただ今回の問題は 大学教員の倫理上の問題であるので、東大の 事務局 総務課中野課長にきちんと対処してほしい旨の申し入れをしたところ、現在、東大では理事たちが 生研の西尾所長も含めて、対応を協議している最中だ、という返事だった。そこで、年内に神谷氏に連絡をするよう 要望しておいた、という。
 けれども、年内はおろか、年が明けても、さらに 2月の半ばを過ぎても、東大からは一言のあいさつも無い。論文を渡してから、もう5年になんなんとしているのに、本は出版されず、その責任を負うべき 村松助教授は処分もされないし、そうした欺瞞社員の雇用責任のあるはずの大学側は、文科省から注意を受けても、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるのである。東京大学には、まったく 自浄能力というものがないらしい。

 世の中では、ホリエモンやら、姉葉建築士やら、防衛施設庁の官製談合やら、倫理感の欠如ぶりは目をおおうばかりだが、近代日本の指導者を製造してきた東京大学に倫理感が欠如していることこそ、その根本的原因だったのかもしれない。
 世間に社会的不祥事の事件が起きると、新聞やテレビに東大教授が出てきて、評論や批判をすることが多い。自分が属する 東大自体の倫理不在を棚にあげておいて、平然とよその組織の批判をするというのは、どういう精神なのだろうか。

●●● 最初からの、全部のプロセスをお読みになりたい方は ここをクリック してください。   ( 2006 /02/ 20 )

アルメニアの歌姫、リリットカラペティヤン

アルメニアの歌手の紹介 1. リリット・カラペティヤン LILIT KARAPETYAN といっても、知る人はほとんどいないことでしょう。このサイトの「世界建築ギャラリー」で紹介した 中東の小国・アルメニアの女性歌手です。
 アルメニアは、今から 30年ほど前に 洋書輸入店の東光堂の田口さんから、発行されたばかりのアルメニア建築シリーズ(ミラノ工科大学建築科と アルメニア科学アカデミーの共同調査報告書)の第1冊を紹介されて以来、私にとって一種のあこがれの地でした。しかしソ連領であったために 自由に旅行をしたり写真を撮ったりすることができなかったので、もっぱら、かつての大アルメニア領で、今はトルコやイランに残るアルメニア聖堂や、かつての首都アニの遺跡を訪ねるばかりでした。1991年にソ連が崩壊して いよいよ自由化するかと思ったら、ナゴルノ・カラバフ地方をめぐって 隣国のアゼルバイジャンと紛争状態になってしまい、アルメニア本国の旅は さらに延び延びになってしまいました。近年この紛争がおさまり、国土の復興が進められつつある昨年、やっとアルメニア本土を旅することができました。
 アルメニア建築は 期待どおり素晴らしいもので、このサイトで おいおい紹介していこうと思っていますが、国内の長距離のバスやタクシーの中で聞いた アルメニア音楽にもまた心を惹かれたのは意外でした。それらはクラシックでもなく、いわゆる民族音楽でもなく、現代のアルメニアン・ポップスですが、幾たびも国を失い、離散の民となり、民族虐殺の憂き目にもあった悲劇の民族であるからか、ポップスの歌でさえも その根底に深い悲しみをただよわせているような音楽が 心に沁みました。時には、「涙と悲しみ」の日本の歌謡曲とも そっくりな歌があることにも驚きました。現地のカセット・テープは安いので たくさん買い込んできて 毎日聴いているうちに、その中の リリット・カラペティヤン の歌声にすっかり惚れ込んでしまったというわけです。彼女の曲はいつも独特の凝った音作りがなされていて、一つのスタイルを作っています。少しハスキーな、しかし独特な美しい発声も魅力的です。    ( 2005 /11/ 20 )

 リリットのホームページは    。 かつては そこですべての曲を聴くことができましたが、今はできなくなりました。彼女は4枚の CDを出しています。最初の(私家版?)"SHALA LALA" の中の "LEGENDA O TEBE" と "BUD'S SO MNOY" が一番良いのですが、この CDは今では手に入りません。2枚目の "FOR YOU" が実質的なデビュー・アルバムです。 ベスト・アルバムが 2枚出ていて、 できます。2004年の "YOU ARE MY HOPE" は 19曲も収録したお買い得アルバムですが、。もう 1枚の "THE BEST" は 2007年の最新版で、15曲を収録しています。    ( 2008 /02/ 25 )



●● アルメニアの歌を一日中放送しているアルメニア・ラジオ放送がありますので、紹介しておきます。首都の名をとった「イェレヴァン・ナイト」というサイトで、アメリカ在住のアルメニア人が運営しているようです。お聴きになりたい方は こちらをクリック してください。ここでは演奏中の歌手名、曲名、アルバム名が出ますので、気に入った曲のアルバムをメモして、上記のサイトから注文することができます。アルメニアの歌は 心にしみいるようなものが多いので、私はしばしば聴いています。CDも、もう 30枚ぐらい買いました。    (2006/10/20)

●●● ちなみに、以前に私が惚れ込んだ歌手は、中島みゆき(今から 20年ほど前)、フランスのシャンソン歌手・イザベル・オーブレ (その 10年前)、クラシックのソプラノ歌手・伊藤京子(さらに 10年前) でした。

ジャイサルメル 「 飾窓 」

● 鹿島の社内報「Kajima」に、景観デザイナーの伊藤清忠さんが「風景のかけら」という連載で 世界の都市・集落を紹介しています。その第3回に インドのジャイサルメルが採りあげられましたので、「飾窓」と題する文を寄せました。ご覧になりたい方は ここをクリック してください。文は、「世界の建築ギャラリー」のページの 「ジャイサルメルのハヴェリー」に加えました。  ( 2006 /03/ 30 )

インド建築案内 』の 英語版

インド建築案内の英語版、"THE GUIDE TO THE ARCHITECTURE OF THE INDIAN SUBCONTINENT" は、3年前にインドで出版されました。しかし、それは誤訳だらけだったので、出版者のクンナ氏は、翻訳をやり直し、インドの代表的建築史家である M・A・ダキー氏によって監修してもらって、改訂版を出版することを約束しました。ところがその約束を果たさず、英文に手を入れただけで第2版を出してしまいました。
したがって未だに多数の誤訳や省略をかかえていますが、インド建築の全体を紹介する初めての本なので、かなり世界中に 出まわっているようです。
アメリカにおける委託販売はワシントン大学出版局が引き受けています。そのページをご覧になりたい方は ここをクリック してください。
● アマゾンUSAで注文することもできます。定価は 50ドルになっています。 注文ページは こちらをクリック してください。 ( 2003 /09/ 16 )
アマゾン USAは、アメリカのみの販売のようです。インドのヴェーダム・ブックス などで 注文できます。

『 カーサ・ブルータス 』 インドモダニズム邂逅

● 一般向けの建築雑誌『 カーサ・ブルータス 』が、3月号で 現代インド の特集をしましたので、そこに「インドとモダニズムの邂逅」という原稿を書きました。インドにおける シュースミス、レイモンド、ライト、コルビュジエ、カーンと続く モダニズムの系譜を概観しています。お読みになりたい方は ここをクリック してください。(マガジンハウス社、2005年 3月号、880円)   ( 2005 /03/ 10 )

東大の常識は 世間の非常識

● 『建築史家たちのアジア「発見」』という本を出すので「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」について論文を書いてほしいと、編著者である東京大学の助手から依頼されたのは、今から4年前のことです。私は建築の設計・監理を本業としていますので、仕事にとりかかるには「設計監理契約」を結んで、トラブルを未然に防ぐよう努めています。また、それが建築界の常識です。そこで、刊行時期や印税について しっかり取り決めた上でなら書きましょう と答えました。それに応じた編著者と出版社から、それらを明記した正式な執筆依頼状を 翌春受け取ったので、原稿を執筆し、2001年の7月初めに送付しました。ところが、それから3年以上たつのに、本はいまだに出版されていません。その間、再三にわたって(何十回も)、早く出版するよう、契約を守るよう 要望しましたが、それは無視され続けました。
 その最大の原因は、編著者自身が自分の原稿を書かず、編者としての役割も果たさず、その事情説明さえもしない という異常な行動にありました。そこで思い余って、彼の所属する東京大学に手紙を出しましたが、驚いたことには、大学自体が彼の行動を容認しているのです。東大には優れた教授がたくさんいることは確かです。しかし一方、そのエリート意識と特権意識のもとに、よその研究者を愚弄するような行動をとる教員も散在し、またそれを当然のように考えている 管理層も存在します。それが具体的にいかなるものであるかを示すために、東大に送った書状をここに公表して、世間の認識の一端に寄与したいと思います。お読みになりたい方は ここをクリック してください。   ( 2004 /12/ 07 )



●● 東京大学総長に質問状を送ってから4ヶ月近くになりますが、いまだに返事はなく、本も出版されません。学内の教官による こうした無法行為を容認している東大総長が、法学部の教授 だというのですから、あきれるほかはありません。東大の学生は、こういう教師たちから 何を学ぶのでしょうか。   ( 2005 /03/ 01 )
 

彰国社 「 ヒンドゥ建築 」 

● 彰国社が『 ヴィジュアル版 建築入門 』という書籍を、全 12巻のシリーズで刊行しています。その第1巻『建築の世界、建築の楽しみ』に「エローラーのカイラーサ寺院」、第2巻『建築のかたち』に「ヒンドゥ建築」という原稿を書いたのは、もう3年以上前ですが、本はいまだに出版されていません。そこで、出版社の了解をえて、一足先にこのホームページで公開することにしました。「エローラーのカイラーサ寺院」は「ユネスコ世界遺産」のページの「エローラーの石窟寺院群」のあとにいれましたが、「ヒンドゥ建築」は、このお知らせ欄に載せました。お読みになりたい方はここをクリック してください。  ( 2003 /11/ 23 )

●● 出版社に原稿を渡したのは 2000年の 10月 27日ですから、もう4年半がたちますが、本は いまだに出版されていません。 このシリーズの他の巻は出版されているのですが、私が原稿を書いた巻は出版されないのです。  ( 2005 /05/ 13 )

インド建築案内 』の 英語版

● 『インド建築案内』は単なるガイドブックではなく、インド建築の最も基礎的な資料集の刊行を意図したものでした。この本によって初めてインド各地の主要な建築の所在とその基本情報が視覚的に得られ、またそれらを容易に比較研究できるようになりました。海外の研究者からも注目されて、英語版の出版が早くから要望されていましたが、このたびやっと インドで実現しました。  ( 2003 /09/ 20 )

●● 英語版のプレス・リリースは、2003年9月3日にデリーのアショカ・ホテルで、インド政府の文化・観光省の手によって行われました。私は文化・観光省から招待されて出席し、「インド建築の特質」という スライド・レクチュアをしましたが、これを皮切りに、インド各地で同様の プレス・リリースがなされ、9月 13日には最終地の ムンバイで 盛大に 出版記念会が開催されました。詳しい報告は こちらをクリック して、ご覧ください。

インド建築案内 』の 3刷り

インド建築案内 は「マフィア」によって 出版も販売も妨害されてきましたが、初刷り 10,000部と 第2刷 5,000部がほぼ売り切れ、このたび 第 3刷ができました。
その際、まだ残っていた誤植を訂正するとともに、近年 インドでは英領時代の地名を 古名にもどすことが行われていますので、その変更を盛り込んで アップ・トゥ・デイトのものにしました。また 各ページに、インドを 東・ 西・ 南・北・中 の5章に分ける ツメ を 辞書のようにつけるとともに、そのページの属する 州名を書き込みましたので、いっそう便利に 使いやすくなりました。 ( 2003 /07/ 30 )

この ホームページ への 攻撃

● このサイトは、今までも「マフィア」によるさまざまな妨害工作にさらされてきましたが、このごろは連日 ウィルス・メール を送りつけられています。以前は月に1、2通程度で、個人のサイトに来るものとしては平均的な、無差別のものでしたが、先月末からは 狙いを定められて、次のように激しく攻撃されています。
06/27 - 2通、 06/28 - 1通、 06/30 - 2通、 07/01 - 3通、 07/02 - 2通、 07/03 - 2通、 07/04 - 1通、 07/05 - 1通、 07/07 - 1通、 07/08 - 1通、 07/09 - 1通
 日曜日は休んで 平日にだけ送りつけてくるというのは、それが個人ではなく 組織の行動であることを示しています。いまのところはウィルスの侵入を防いでいますが、そのうちに このサイト あるいは 私のパソコンのデータが 破壊されてしまうかもしれません。
(ウィルス・メールのタイトルは、たとえば WORM-SOBIG. E Re: Application とか、TECHSUPPORT, SINGAPORE@ PANDASOFT Re: Movie などと つけられています)  ( 2003 /07/ 10 )

●● その後 攻撃はエスカレートし、今では 毎日 数十通のウィルス・メール が 送りつけられてきます(単なる迷惑メールではなく、ウィルスバスターが検索した「ウィルス・メール」の数です)。この3月に イランとトルコに旅行していた間には、また家宅侵入され、その際に コピー機の側面の扉が こじ開けられて 壊されてしまいました。彼らが盗もうとしている書類は、ここには ないのですが。それにしても、こういうことをしているマフィア系の企業に勤めている人たちは、自分たちの仕事に誇りをもてるのだろうか?  ( 2004 /04/ 01 )

ジェイムズ・ファーガスンインド建築

● 東大・生産技術研究所の村松伸さんの企画・監修で、『建築史家たちのアジア 発見 』という本が 風響社から出版される予定です。これは、近代において、建築史家たちによって アジア諸国の「建築史」が形成されていった過程を、現在の建築史家たちが分担執筆するものです。本当は、もう とっくに出版されているはずなのですが、まだ原稿を書かない人がいるとかで、刊行が遅れています。そこで出版社の了解を得て、私が担当した「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」を、HP上で先行して公開することになりました。お読みになりたい方は、ここをクリック してください。  ( 2002 /02/ 23 )

●● 原稿を渡してから もう3年近くになりますが、いまだに出版されていません。日本人が「契約の民」でないことを痛感しています。出版社は 5月に刊行予定と言っていますが、企画・監修者が きちんと仕事を進めないことには 話になりません。 ( 2004 /02/ 07 )
 

ザ・ネイバー 」誌への 連載

● YKKグループの PR誌『 ザ・ネイバー 』が 30年も続く長寿雑誌となっています。そこに「私流私考」という既設のコラム欄 がありますが、その中の 「快適私考」という小欄に半年間連載をしました(2003年 1月号〜6月号)。お読みになりたい方は ここをクリック してください。( 2003 /05/ 17 )
 

「 伊東忠太インド建築行脚 」

● 『 建築家 伊東忠太の世界 展 』が 2003年の4月12日から8月31日まで、青山のワタリウム美術館で開かれたのを記念して、伊東忠太を 広く世の中に紹介する本が出版されました。
伊東忠太を知っていますか 』(鈴木博之・編著、2003年4月発行、B6判、上製本、256ページ、王国社刊、2,200円)
私は「第4章 伊東忠太の世界旅行」の インド編「伊東忠太のインド建築行脚」を書きました。HPに採録しましたので、お読みになりたい方は ここをクリック してください。 (2003/06/01)

●● 展覧会にあわせて、「伊東忠太を探す」という 連続レクチャーが行われました(鈴木博之、藤森照信、神谷武夫、木下直之、隈研吾、井上章一、倉方俊輔)。私は5月 31日 に「インド建築史と伊東忠太 」と題するレクチャーをし、ジェイムズ・ファーガスンと伊東忠太の関係を軸にしながら、インド建築史を作っていった人々の中に忠太を位置づけるとともに、インドに関係した建築家として イギリスのエドウィン・ラチェンズとの比較をしました。

DVD シリーズインド編

● アメリカの Discovery Channel が世界の文化遺産や、自然、歴史、科学などのシリーズを DVDで製作していて、その日本語版を角川書店が発売し始めました。 私は第 1期の中の『白亜の霊廟 タージマハル』の巻の翻訳監修をしました。ただし、出版社がつけたこの題名はオリジナルとは違っていて、実際の内容は、南インドのチョーラ朝を主とするヒンドゥ教の寺院建築を描いたものです(タンジャーヴールの ブリハディーシュワラ寺院 など)。インドに旅行された人の多くは北インドの観光コースを回ったのみでしょうから、南インドの寺院建築の動画映像を楽しみたい方にはお勧めです。カラー、ビスタサイズ、約 53分、3,400円。 ( 2003 /01/ 02 )

『 週刊 朝日百科 』 ラージャスターン

● 朝日新聞社が『 週刊朝日百科 』で『 世界百都市、ここに行きたい 』というシリーズを刊行しています。2002年 10月に第 46号「デリーとアーグラー、ムガル帝国の栄華と愛の記憶」が出ました。私はその中に「砂漠に浮かぶ栄華の記憶、ラージャスターンを訪ねて」という記事を書きました。 A4判、32ページ、オールカラー、560円  ( 2002 /10/ 13 )

『 アート・トップ』 近代インドの 建築

● 伝統ある隔月刊の美術雑誌『 アート・トップ 』が 2002年6月刊の第 186号で、「インド、不思議パワーをたずねて」という巻頭特集をしました。私は 「 近代インドの建築 」という文を書いて、19世紀後半から現代までのインド建築の流れを簡略に描きました。お読みになりたい方は ここをクリック してください。 ( 2002 /06/ 24 )
雑誌は 芸術新聞社発行、B4判 112ページ、2,350円。 お問い合わせは、電話 03-3263-1638まで 。

TV番組『 ユネスコ世界遺産 』 パハールプル

● TBS テレビで 毎週日曜日の夜 11時半から、連続番組 『 ユネスコ世界遺産 』 が放映されています。私が監修した「パハールプルの仏教寺院遺跡」(バングラデシュ)は 2002年6月2日に放映されました。  ( 2002 /06/ 03 )

TV番組 「 デリーのクトゥブミナール

● TBS テレビで 毎週日曜日の夜 11時半から、連続番組『 ユネスコ世界遺産 』が放映されています。私が監修した「デリーのクトゥブ・ミナールとフマユーン廟」は 2002年2月 17日に放映されました。 ( 2002 /02/ 20 )
 

「 チャンディーガル 建築案内 」

● 近代建築の巨匠と言われる 20世紀の建築家、ル・コルビュジエ の人気は今も高く、インドへ旅行をしようという建築家や建築学生は、ル・コルビュジエが設計したチャンディーガルの都市を訪れたいと思うようです。そこで、団体旅行ではない人がチャンディーガルを訪れるための最新の情報をここに載せておくことにしました。ご利用になりたい方は ここをクリック してください。 ( 2001 /12/ 26 )

東京堂 『 世界宗教建築事典 』

● 早稲田大学の中川武教授の監修のもとに、世界の宗教建築を集成して解説した『 世界宗教建築事典 』が 2001年9月に出版されました。( A4判,380ページ,ハードカバー,東京堂出版発行,13,000円 )
その内、南アジアの中の次の9項を私が書きました。 ( 2001 /10/ 01 )
「ボードガヤーのボーティガラ・マハーボーディ寺院」 / 「パハールプルのソーマプラ・ヴィハーラ寺院」 / 「アーブ山のデルワーラ寺院群」 / 「ラーナクプルのアーディナータ寺院」 / 「シャトルンジャヤの山岳寺院都市」 / 「ハンピのヴィッタラ寺院」 / 「アイホーレのドゥルガー寺院」 / 「ビシュヌプルのケシュタ・ラーヤ寺院」 / 「ハリ・マンディル(黄金寺院)」

講座 「インドの都市と建築 」

● 早稲田大学教授の吉村作治さんが主宰する「世界考古学発掘アカデミー」(東京・エジプト考古学ビル)で、2001年度の講座のひとつとして5月に開講した、神谷武夫による「インドの都市と建築」と題する講座は 12月をもって終了しました。全 10回の講義内容は次の通りです。  ( 2001 /12/ 09 )
 前期 : 北インド ラダック地方の都市と建築、 カシュミール地方の都市と建築、
          ヒマーチャル地方の都市と建築 1、2、 首都・デリーの歴史と建築 1、2
 後期 : 東インド ビハール地方の都市と建築、 オリッサ地方の歴史と建築、
          ベンガル地方の歴史と建築、 首都・カルカッタとコロニアル建築

講座 「インド建築史 」

朝日カルチャーセンター(東京・新宿)で 2000年度4月に開講した、神谷武夫による「インド建築史」の講座は 10月をもって終了しました。 全13回の講義内容は次のとおりです。   ( 2000 /10/ 31 )

「インド建築史」の講座 パンフレット


学会誌「 末端肥大症 」

● 日本建築学会の機関誌『建築雑誌』が、2000年9月号で「人の空間・場所論」という特集をしています。 私は南インドのヒンドゥ寺院をテーマに「末端肥大症、あるいは、全体を構成する要素の自立性」という原稿を書きました。お読みになりたい方は ここをクリック してください。 ( 2000 /10/ 19 )
 

『 伊東忠太 その実績と資料 』

● 1997年4月より 2000年3月まで、日本建築学会の「伊東忠太未発表資料 特別研究委員会」の委員をつとめ、インド関係部分を担当しました。 このたび委員会の報告書として、『 特別研究 18. 伊東忠太 その実績と資料 』が出版されました(2,000円.お問い合わせは日本建築学会 TEL:03-3456-2051 まで)  ( 2000 /07/ 01 )

● 遺族より建築学会に寄贈された伊東忠太の フィールドノート の解題を各委員が分担執筆していますが、明治 36年から 37年にかけてのインド調査旅行の分については私が書きました。 『 6. 印度 自緬旬至孟買 』、 『 7. 印度 西方印度及カシュミール 』、 『 8. 印度 南印度及錫蘭 』 の3巻です。 ご覧になりたい方は ここをクリック してください。

世界遺産セミナー

● 亜細亜見聞倶楽部 「世界遺産セミナー」 開催のお知らせ。第3回 から 第5回 は、インド建築のスライドを映しながら、インドの文化遺産の解説をします。 ( 2000 /05/ 31 )
  講師 : 神谷武夫   定員 : 100名
  会場 : 新宿アイランドウイング 地下1階
  主催 : 近畿日本ツーリスト株式会社 第一海外旅行センター
  ・ 第3回 インドの世界遺産を巡ろう − 南インド  6月10日 終了しました
  ・ 第4回 インドの世界遺産を巡ろう − 東インド  9月 2日 終了しました
  ・ 第5回 インドの世界遺産を巡ろう − 中インド 10月 7日 終了しました

建築学会 伊東忠太 連続報告会

● 日本建築学会の「伊東忠太 未発表資料 特別研究委員会」の最終回の報告会が 1999年 10月 23日に行われました。私は「インド建築史と伊東忠太」の第1部として、伊東忠太と インド建築史家の ジェイムズ・ファーガスンとの関係、およびファーガスンと伊東忠太の間に存在した バージェス・スクール(スパイアズ、エマースン、コンドル、辰野金吾)について報告しました。 ( 1999 /10/ 26 )

TV番組『 ユネスコ世界遺産 』 ラホール

● TBS テレビで 毎週日曜日の夜 11時半から、連続番組『 ユネスコ世界遺産 』が放映されています。私が監修した、パキスタンの「ラホール城 と シャーラマール庭園」は 1999年7月 11日に放映されました。  ( 1999 /07/ 13 )

JIA インド建築・視察団

● 日本建築家協会(JIA)で、インドの世界遺産を訪ねる旅行団を出し、無事に帰国しました。 ( 1999 /03/ 15 )
第 26回 JIA 建築事情視察団  <インド建築視察 ・世界遺産の旅>
1999年 3月 4日〜 3月 14日 ( 11日間)  団長 : 神谷武夫
旅行主催 : 近畿日本ツーリスト株式会社・銀座海外旅行支店
訪れたユネスコ世界遺産  1.デリーのフマユーン廟  2.デリーのクトゥブ・モスクとミナール  3.タージ・マハル廟  4.アーグラ城  5.ファテプル・シークリーの都  6.カジュラーホの寺院群  7.サーンチーの仏教遺跡  8.アジャンターの石窟寺院群  9.エローラーの石窟寺院群  10.エレファンタ島の石窟寺院群

講演会 「 インドの木造建築 」

● 日本建築学会で『インド建築にみる木造構法 』の報告講演をします。 ( 1998 /11/ 14 )
   主催 ――― 建築計画委員会・木造建築 構法小委員会
   日時 ――― 1998年 12月 10日(木)18:00 〜 20:00
   会場 ――― 建築会館 会議室(東京都 港区 芝 5-26-20 )
   講師 ――― 神谷武夫 (神谷武夫設計事務所)
●● 講演会には定員以上の方々にご参加いただき、ありがとうございました。 椅子が足りずに 立ちっぱなしで参加していただいた方々には 大変申し訳ございませんでした。  ( 1998 /12/ 11 )
 

座談会 「 建築が示す インド世界の面白さ 」

● 現在、中央公論社から新しい『世界の歴史』全 30巻が刊行中です(各巻 2,650円)。その第 14巻の「ムガル帝国 から 英領インドへ」( 1998年9月10日発行)の付録の月報・座談会に出席しました。
この巻の執筆者である、佐藤正哲・亜細亜大学教授、中里成章・東京大学教授、水島司・東京大学教授とともに「 建築が示す インド世界の面白さ 」を語っています。お読みになりたい方は ここをクリック してください。  ( 1998 /11/ 03 )

『 インド建築案内 』誤植

インド建築案内 の初版の 406ページには 誤植があります。ある時期からは 出版社によって訂正シールが貼られ、また重版では正しく訂正されていますが、訂正シールの貼られていない 初版をお持ちの方は、ご面倒ですが、以下のように直していただければ幸いです。  (1998 /06/ 22)

<旅の情報(南インド編)> の <ケーララ州> で、その 17、18行目に
「 ほとんどのケーララ寺院は 朝 11時に門が開き、夕方の 5時で閉まるので 」 とありますが、正しくは、
「 ほとんどのケーララ寺院は朝 11時から夕方の 5時まで門が閉まるので 」 です。
昼間に門が閉じられてしまうからこそ、「 できるだけ朝早く出発したい 」 と続くわけです。

『 まちなみ 建築フォーラム 』

● 『 まちなみ建築フォーラム 』誌 に「インドの木造建築」を連載しています。それを 1ヵ月遅れでこのホームページに載せていますが、容量の関係で写真の数は大幅に減らし、地図なども省略しています。 詳しくご覧になりたい方は雑誌をご覧ください。バックナンバーは発行元の市ヶ谷出版社(TEL:03-3265-3711 )にお問い合わせ下さい。定価は各号 1,000円です。  ( 1998 /02/ 10 )

●● 現在4月号が出ていますが、5, 6月号のために書いた「ケーララ地方の木造建築」2回分の原稿を渡す日になって、突然、この雑誌が廃刊となり、制作元の 建築フォーラム社は解散する、と告げられ、原稿は返却されました。
依頼原稿が印刷されないというのも奇妙なことですが、編集中の雑誌がいきなり廃刊というのも異常なことです。つまり、雑誌はマフィアによって つぶされてしまったのです。 私の連載を続けていると マフィアの圧力によって広告が十分にとれない ということが明らかになり、出版社は 私の連載だけをストップすることよりも、廃刊の道を選んだのでした。  ( 1998 /04/ 25 )

講演会 「 インドの木造建築 」

● 『 インドの木造建築 』  講師 :神谷武夫 (神谷武夫設計事務所)
1998年3月 11日 に日本建築家協会(JIA)の建築家会館でおこないました。ご参加 ありがとうございました。  ( 1998 /03/ 13 )

TV番組『 ユネスコ世界遺産 』のビデオ

● TBS テレビで 毎週日曜日の夜 11時半から、連続番組『 ユネスコ世界遺産 』が放映されています。神谷が監修した「タージ・マハル と アーグラ城」は 1998年1月4日に放映されました。

● ビデオは、制作:TBS、協力:SONY、販売:SPE ビジュアルワークスの『世界遺産 18 』に「カジュラーホの寺院群」と一緒に はいっています (定価 3,800円 )



高校時代に描いた「花のスケッチ」



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