ANTIQUE BOOKS on ARCHITECTURE - IX
ジョン・ラスキン

『 建築の七灯 』

John Ruskin :
" The Seven Lamps of Architecture "
1911, George Allen & Sons, London


神谷武夫

革装本の『建築の七灯 』

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 今回は、イギリスの美術評論家の草分けであり、ウィリアム・モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動に大きな影響を与えた ジョン・ラスキン(1819 -1900)の、『建築の七灯』 (The Seven Lamps of Architecture) です。
 『建築の七灯』が最初に出版されたのは、この「古書の愉しみ」シリーズの第6回で紹介した ジェイムズ・ファーガスン著『歴史的探究』が出版されたのと同じ 1849年です。ファーガスンのその本は全3巻の予定でいながら第1巻だけで終わってしまった、つまり売れなかった、のと対照的に、ラスキンの本は大いに売れ、1855年には第2版、1880年には校訂本である第3版が出版されました。第1,2版はロンドンのスミス・エルダー社からでしたが、第3版からはジョージ・アレン社に移り、1883年に第4版、1886年に第5版、1889年に第6版、1898年に第7版が出ています。それらはクワルト(四つ折り本)で、18×26cmという やや大型本ですが、1890年頃からオクターヴォ(八つ折り本)の小型本(13×19cm)が出版され始めました。またアメリカでも人気が高く、ロンドンで初版が出たのと同じ 1849年には早くもニューヨークのジョン・ウィリー社からアメリカ版が出て、以後 20回以上も重版されたようですから、アメリカでのほうが よく読まれたのかもしれません。
 私が所有するのは、ジョージ・アレン社から出版された 1911年の小型本ですから、今からちょうど 100年前の本ということになります。ラスキンはすでに世を去っていました。もっと初期の版本ではなく 1911年版を購入したのは、これが きわめて保存のよい、美しい革装本であったからです。

『建築の七灯』167ページ

 ラスキンは、この「古書の愉しみ」シリーズの第5回で紹介した エドワード・フリーマンより4歳年上で、同じオクスフォード大学の出身です。 しかも、二人とも建築を専攻したわけでもないのに(オクスフォード大学には、当時も今も建築科がありません。したがって、オクスブリッジ卒の建築家というのは、皆ケンブリッジ大学の建築科卒というわけです)、ふたりとも建築に強い興味をもち、若くして建築の本を書いてしまったのです。しかも、そのフリーマンの『建築史』と、ラスキンの『建築の七灯』が(先ほどのファーガスンの本とともに)奇しくも同じ 1849年の出版だったのです。日本では、建築に強く興味をもって本を書いた文人というのが、ほとんどいなかったのですが、日本と欧米における、建築芸術の社会的認知度の違いを、これは よく示しています。フリーマンは 26歳、ラスキンは 30歳のことでした。

 早熟なラスキンは、すでに 24歳の 1843年に『近代画家論』の第1巻を出版して社会から注目され、一躍有名になっていました(これが第5巻をもって完結するのは、1860年のことです)。そして『建築の七灯』(1849)の次に書いた『ヴェネツィアの石』全3巻(1851-53)は、彼の名を不朽のものとしました。
 ラスキンの生きた時代は、イギリスの黄金時代とも言われるヴィクトリア女王の時代で、経済的繁栄を遂げるとともに、産業革命がもたらした社会的荒廃をも生み出し、1873年から 96年の大不況期をも もたらすことになります。そうした背景のもとに、彼の関心も芸術から社会改革へと移っていき、後半生は社会思想家としての著作に専念していきました。クエンティン・ベル(ヴァージニア・ウルフの甥)の言葉を借りれば、

「ラスキンの考えでは、すばらしい芸術を生み出すためには、貧しく惨めな暮らしをする人々のいない、人間性が疎外されていない公平な正義に基づく社会の建設が、まず必要だった。このような考えかたは今日いささか単純すぎると思われるかもしれないが、ラスキンはこの点で マルクスと似た考えかたをしていたといえよう。」(出渕啓子訳『ラスキン』より

ラスキンの思想は、ウィリアム・モリスばかりでなく、バーナード・ショー、マルセル・プルースト、マハートマ・ガンディーなどにも大きな影響を与えたと言われます。

『建築の七灯』の各表紙 と小口面

 さて、『建築の七灯』というのはどんな本かというと、七つの観点から建築に照明をあてて、彼の建築観を表明しようとしたものです。それを七つの灯(ランプ)と称したわけですが、それが本の章立てにもなっています(ラスキンは、ランプのことを「スピリット」とも言っていますが)。

   第1章 The Lamp of Sacrifice 犠牲の灯(ランプ)
   第2章 The Lamp of Truth 真実の灯(ランプ)
   第3章 The Lamp of Power 力の灯(ランプ)
   第4章 The Lamp of Beauty 美の灯(ランプ)
   第5章 The Lamp of Life 生命の灯(ランプ)
   第6章 The Lamp of Memory 記憶の灯(ランプ)
   第7章 The Lamp of Obedience 服従の灯(ランプ)

 これらでどのようなことを主張したのかは、再びクエンティン・ベルの要約を引用させてもらいましょう。(出渕啓子訳『ラスキン』1989 晶文社 より

「 建築は神への捧げものであるべきだと彼は言う(犠牲のランプ)。それは誠実な職人精神を具現し、材料の質が重んじられるべきだという意味で、建築自体も誠実でなければならないーー化粧しっくい(スタッコ)は大理石を真似るべきでなく、セメントは石であるふりをしてはいけない(真実のランプ)。建物は土地をよく選び、その質量感(マッス)を明確にするために太陽の光線を利用して、何よりもまず形として考えられなければならない(力のランプ)。それはありきたりの形で飾られるのでなく、自然からひきだされた文様で飾られるべきである(美のランプ)。あらゆる種類の装飾や細工は、死んだような機械的統一を求めるのでなく、人間の手の性質をもつべきである(生命のランプ)。建築はそれがおかれた状況の純粋に形式的な性質ばかりでなく、歴史的な連想をもち、感情に訴える性質をも重んじなければならない(記憶のランプ)。最後に建築は、それがおかれた社会的文脈と関係をもたなくてはならず、それはある程度まで国家の政治形態、生活、歴史、宗教上の信仰を体現するべきである(服従のランプ)。」

 また、この本は多くの版を重ねたにもかかわらず、若干の註が書き加えられたほかは、基本的に、本文は改訂されていません。第3版(1880年)の序文に書かれているように、初版と同じ内容で第2版、第3版を出しました。したがって、版による異同も検討する必要がないわけです。

 ところが 興味深いことに、ラスキンは第3版において、本文に2種類の大きさの活字を用いました。彼が重要と判断した節の字を大きくし、行間も広げて、通常の部分と区別し、しかも、それらの節の内容を要約するように、短い文あるいは句を導き出し、それを欄外に記して「警句」(Aphorism)と称し、1から 33までの 通し番号を付けたことです。これらは、本文の「見出し」の役割をも果たしますが、場合によっては 言葉の定義であったり、彼なりの建築的道徳律であったりします。そのいくつかを、岩波文庫の高橋枩川訳で示せば、

扉と口絵(フロンティスピース)

 警句 2 実際的法則は 総て道徳的法則 即ち道徳律の代表者である。
 警句 3
. 
吾々の時代の美術は 贅沢であってはならぬ。また吾々の時代の形而上学も 安逸であってはならぬ。
 警句 4
. 
凡そ建築なるものは 人間の精神に効果を及ぼすを目的とするもので、単に人間の身体に役立つを目的とする のみのものではない。
 警句 5 家庭的贅沢は 国家的荘厳に犠牲にさるべきである。
 警句 6
. 
現代の建築家や建造業者は 僅かの能力しかない。而も 彼等の為し得るその僅かすらも その最善を盡すことをしない。
 警句 7 愛想よき、善意の虚言の罪と害。
 警句 8 真実は 苦心なしには固守され得ないが、然し それだけの価値はあるのである。
 警句 9 想像の性質と尊厳。
 警句 10 鉄の 適当なる構造的用途。
 警句 11 必要からではなく神命よりして 神の律法の犯すべからざる事。
 警句 14 建築の適当の色は 自然石のそれである。
 警句 17 建築の二つの智的力ーー崇敬と支配。
 警句 19 美は 凡て自然の形態の法則に基づかれる。
 警句 22 完成せる彫刻は 最も厳格なる建築の一部たるべきである。
 警句 27
. 
建築は歴史的ならしめなければならぬ、また左様なものとして保存しなければならぬ。
 警句 31 所謂 復旧とは 破壊の最悪の方法である。
 警句 32 自由というようなものは存在しない。

 これらを読むと、それぞれが第何章に属するのかが、だいたいわかり、またこの本で ラスキンがどんなことを主張しているのかも だいたいわかるでしょう。
 この書の中で、彼は宗教的道徳律と重ねあわせるように、建築における虚偽を排斥し、正直さ、真実さを称揚しています。つまり材料の性質を尊び、覆い隠してはいけないといったことが主張されます。そうしたすべてを満足させているのがゴチック建築であると考えていたわけですが(それは多分に、オーガスタス・ウェルビー・ピュージン (Augustus Welby Northmore Pugin, 1812 -52)などのゴチック・リヴァイバル運動の影響を受けたものでしたが)彼のそうした主張は、後の近代建築運動に(彼の後継者たる ウィリアム・モリスなどを通して)影響を与えることになります。
 しかし この本の内容全体を批評するのは なかなか大変なので、今回は これ以上 立ち入りません。

 一方『建築の七灯』には、銅版画の図版が 14枚組み込まれています。これらはすべてラスキンの手になるものです。彼は絵画も学んでいましたから、かなりのデッサン力があり、特にヴェネツィアには何度も調査旅行に出かけ、主にヴェネツィアン・ゴチック建築の細部を数百枚もスケッチして記録したと言います(私の撮影旅行に似ていますが、写真よりはずっと時間がかかったことでしょう)。そして彼は銅版画の技法にも通じていたようで、『建築の七灯』の 14枚の銅版画は、彼が原画を描いたというだけでなく、すべて自分で彫版したものです。第3版の序文によれば、ラスキンの独自の彫版技法は、メゾチントとエッチングとリトグラフを混合したような効果を獲得したと言います。

 しかし 版画というのは、当然ながら刷りを重ねるごとに 版面が磨滅してくるので、刷り枚数に限度があります。そこで、『建築の七灯』の第2版を出す時には、R・P・カフという彫版師が、ラスキンの銅版画を寸分たがわずにコピーして、新たな彫版をしました。おそらく、版が磨滅するごとに カフが彫版し直したのでしょう。
 したがって、ラスキン自身の手になる版画が組み込まれた本というのは 初版のみです。当然、古書価格も、この初版が高価になるわけです。しかし カフのコピーは あまりに精巧なので、ラスキンのオリジナルと見分けることはむずかしいでしょう。
 それらの銅版画の図版をすべて、ここに載せておくことにします。(本の中では、どの版画にも 薄い保護紙が かけられています。)それらの中で第9図だけが、ラスキンの筆勢が感じられない絵になっているのは、当時の銀板写真(ダゲレオタイプ)を用いて、アーミティッジという彫版師が、ぼかし技法を使って彫版したものだからです。本の扉の向かいの口絵(フロンティスピース)には、この銅版画が用いられました。

  ● 銅版画(エッチング)による図版 No.1〜No.14

1    2    3


4    5    6


7    8    9


10    11   12


13     14

 さて、私の所有する 1911年版は、先述のようにたいへん美しく保存のよい革装本ですが、表紙の見返しに蔵書票(エクスリブリス)が貼ってあり、その頂部にある紋章(十字架の上に鳥が3羽)が、表紙では、革の上に金の箔押しで 鮮やかに印されています。これはミル・ヒル・スクール(Mill Hill School)の紋章であるらしいので、てっきり、以前は この学校の図書館の蔵書だったのだろうと思っていました。ところが、あとで調べてみると、見返しに貼ってあるのは蔵書票(エクスリブリス)ではなく、献呈の書票であることがわかりました。
 この「古書の愉しみ」シリーズの第4回で採りあげた、ファーガスンの『図説・建築ハンドブック』第2版は、スコットランド建築家協会が、ジョン・ローリーという美術家 (?) を表彰するために、その本を立派な革製本にして贈ったのだということを書きましたが、この『建築の七灯』もまた、それだったのです。

 ミル・ヒル・スクールというのは、今から約 200年前の 1807年にロンドンに創立された、名門パブリック・スクールのひとつです。毎年、開校記念日に 最優秀学生を選んで表彰し、その賞品として本を贈る習慣があったようです。今から ちょうど 100年前の 1911年には、古典学で優秀な成績をおさめた ウィルフリッド・アールストン・マーラーという 第6年次の学生を表彰するために、ラスキンの『建築の七灯』の この年の版を 特別に革製本して、校長の J・D・マックルアー氏の署名入りのカードを貼って贈ったのでした。
 この学生は、栄誉(エドワード・シェフィールド賞)の贈り物たる『建築の七灯』を、生涯 誇りにして、大切に蔵書にしておいたものと思われます。おそらく、その死後に、蔵書整理で古書店に出され、めぐりめぐって日本の私の手元にやって来たというわけです。(実にきれいな本で、スタンプひとつ押してないのですから、図書館の蔵書であったはずもありませんでした。多分、ウィルフリッドによって二、三度 読まれたきりなのでしょう。)

 ずっと後に知ったのですが、幕末から明治33年にかけて イギリスと日本の架け橋になった外交官 アーネスト・サトウ (Ernest Satow, 1843-1929) は、1859年に このミル・ヒル・スクールを首席で卒業し、ユニヴァーシティ・カレッジに進学したそうです。(萩原延壽『遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄』1「旅立ち」、2007、朝日文庫、p.118-9)

 革は羊の革なのか、仔牛の革なのか、正確には わかりませんが、しぼのない、なめらかな革のフル・レザーで、そこに繊細な金線の枠取りがあり、5本のバンドで区画されたクラシックな背表紙には タイトルのほかに 華やかに金の箔押しで飾られています。手が込んでいるのは、表紙の三方の小口まで くまなく金の箔押しで飾られている(デンテル という)のと、さらに本自体の三方小口が すべてマーブル模様で染められていることです。これは表紙の見返しに用いられているマーブル紙と同じ模様です。

本の天端と背表紙

 マーブル紙というのは、日本の「墨流し」に起源をもつとも言われていますが、糊(のり)液の水面に何色かの絵の具の色を落とし、用具を使ってこれを撹拌すると、大理石(マーブル)のような模様ができます。この上に明礬(みょうばん)液を塗った紙を置くと、マーブル模様を吸収して、華やかな装飾紙ができるので、これを「マーブル紙」と呼びます。一枚採り終ると絵の具が動くので、まったく同じパターンというのは2度とできません。すべて手作りの一品制作というわけです。
 本の表紙に用いられることもありますが、豪華な本の見返しに用いられることが最も多いようです。さらにこれを、本の天金(てんきん)の代わりに、見返し用のマーブル紙に続けて天小口にも採ると、見返しのマーブルと連続した色と模様の小口ができるので、天ばかりでなく、三方の小口全部に染め付けることも行われました(高度なテクニックを必要とします)。私の所蔵する 『建築の七灯』は、まるでそのサンプルのように、三方小口マーブルが鮮やかに残って、前後の見返しと連続しています。「古書の愉しみ」を満喫させてくれる本と言えましょう。

( 2011 /12/ 01 )


< 本の仕様 >
  ”建築の七灯 THE SEVEN LAMPS OF ARCHITECTURE" 
    ジョン・ラスキン著、1911年、ロンドン、ジョージ・アレン・アンド・サンズ社
     (初刊は 1849年、スミス・エルダー社、第2版は 1855年、同社、第3版(校訂本)は
      1880年、ジョージ・アレン社、以上 クワルト(四つ折り本)、小型本は 1890年から)
    オクターヴォ(八つ折り本)、19cmH x 13cmW x 3.5cmD、700g、xviii + 444ページ。
      銅版画(エッチング)の図版 口絵(フロンティスピース)を含め 14枚。
      自家装幀による革装本(フル・レザー)、濃紺色、三方小口マーブル。



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