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『 建築と社会 』 7月号の 「インドの石 」

バラーバル丘の石窟寺院 ● 関西の建築関連団体に 「日本建築協会」 というのがあります。 大正 6年に 「関西建築協会」 として設立された、90年の歴史をもつ老舗団体です。 当初は 関西の建築家を大同団結しようとする組織でしたが、次第に 広く建築・建設関係のゆるい団体となったようです。 その機関誌 『建築と社会』 の 7月号が、「建築と石」 という特集をしています。 執筆者は、長尾重武、三宅理一、神谷武夫、渡辺明次、倉片俊輔、竹内良雄、新見隆、黒田龍二の諸氏です。
私は 「インドの石」 と題して、インド最初の石窟寺院であるバラーバル丘の石窟寺院と、タージ・マハル廟などの白大理石のドーム屋根について書きました。 お読みになりたい方は ここをクリック してください。
雑誌は 1,200円で市販も しているそうです。 ご希望の方は、日本建築協会・編集事業課 (大阪市中央区大手前 1丁目7番31号、大阪マーチャンダイズ・マートビル 7階B室) TEL:06-6946-6981、FAX:06-6946-6984  に、お尋ねください。 そのホームページは こちら 。  (2010/07/11

スペインと イスファハーン

ヘレス・デ・ラ・フロンテーラの城塞 ● 毎月 1日か 2日に、この 「お知らせ」欄に 新しい記事を載せるようにしていますが、しばらく スペインに行っていたために、今月の初めには 書くことができませんでした。 ポアされたわけでは ありません。 22年ぶりに訪れたスペインは、その後 オリンピックや万博を経て高度経済成長を遂げ、EUに統合されて、ずいぶんと様変わりしました。 当時は 物価の安い旅行者天国で、ひなびた町や村を 存分に旅することができましたが、今はそういうわけにいきません。 それに 観光客の激増で規制が厳しくなり、有名なところは 写真を撮るのも むづかしくなっています。 撮影禁止、三脚使用禁止、常時閉鎖、曜日や時間による入場制限、バスの本数減、タクシー代の高騰 等々で、持っていったフィルムの三分の一は 使わずじまいでした。
 今回の旅行の目的は、スペインのイスラーム史跡を しらみつぶしに探訪して 撮影することでしたが、そのルート上にある ロマネスク建築も若干再訪しました。 ところがロマネスクの修道院や聖堂は 大都市から離れたところにあることが多く、訪ねるのが 大変に困難な状況となっているので、今では 若者がロマネスク行脚をするのも むずかしく、ロマネスクの素晴らしさに 目覚めることもないでしょう。 思えば、私は 世界の どの国へも一番良い頃に旅をしたようです。 もちろん当時も大変でしたが、ゾディアック叢書で調べたロマネスク建築を スペイン、フランス、イタリアと存分に見て回って、大きな感動を得たものでした。 現在の混雑をきわめるアルバンブラ宮殿でさえ、25年前には 三脚を使って撮影できたし、入場料も安いものでした。
 スペインは 日本よりも はるかに大きな国土面積をもっていますが、経済や人口の面では 日本よりも小国です。 それにもかかわらず、旅行者の目には 日本よりも むしろ豊かに見えます。 それは 町々が美しいからです。 ヨーロッパに比べて、日本の都市は醜いと、誰もが そう思うでしょう。 そうなった原因のひとつ、それも大きなひとつは、日本に建築家の制度が確立しなかったからです。 建築教育 (建設教育ではない) が 工学部で 工学教育の片手間に行われ、建築家は 「設計技師」 あるいは 「ビルダー」としてしか 社会から認識されず、工務店や建設会社が設計部をもち、設計部員が社会への貢献よりは 会社の利益のために働き、「建築」 という言葉が 「アーキテクチュア」ではなく 「ビルディング」や 「コンストラクション」の意味に定義され、設計事務所は営利企業の株式会社となり、建築書 (工学書ではない) が 書店の理工学書売り場に置かれるために一般の人の目にふれず、そもそも 私の書いた建築書は マフィアの妨害によって 出版さえも妨害され、建築界の人間は 誰もがマフィアを恐れて押し黙ったままという、こんな国で 美しい都市が造られるはずも ありません。
 日本の建築界 (建設界ではない) は、じきに 韓国や中国やインドに追い抜かれるばかりでなく、早晩 崩壊するのではないでしょうか。 近年の建築雑誌を見ていても、その流れは明らかです。 そして 私が最も危惧するのは、このマフィアが支配する建築界の構図が 次第に世界に輸出され、将来、世界から 建築家が いなくなってしまうのではないか、ということです。
 スペインを旅行中に、日本の首相は 鳩山由紀夫氏から 菅直人氏に変わっていました。 小沢一郎氏も退陣して、民主党が 当初の期待にそった クリーンな政党になり、国民への目線を堅持することになりそうなのは、喜ばしいことです。 この閉塞した日本の社会も いよいよ変わっていくかもしれない という期待を、いくらかでも持たせてくれます。 それに比べて、日本の建築界には 一向に改革の動きが現れず、マフィアの支配に黙したまま 自滅の道を たどろうとしているのは、情けない限り と言うべきでしょう。  (2010/06/16

イスファハーンの王のモスク ● 私の書いた本 『イスラーム建築』 は、奥付の 著者略歴欄に 私のホームページのアドレスや住所を載せようと しているから、という 誰にも信じられない理由で、出版社の彰国社が 出版契約も守らずに、出版拒否したままで 3年以上が経過しています。 私は非暴力主義者ですから、テロに訴えることはなく、ただ HP上で、言論によって 世の中に訴えています。 で、今回も その第 1章 「イスラーム建築の名作」 から、イスファハーンの 「王のモスク」 (イスラーム革命によって王制が倒されてからは 「イマームのモスク」 と呼ばれている) の項を この HPに載せて、本の内容を 皆さんに判断していただきたいと思います。 お読みになりたい方は ここをクリック してください。

最近の本から (細密画入り写本)

古書の来歴 ● 昔から本が好きで、それも 単に読むためというだけでなく、本そのもの というか、美しい本を見るのが好きです。 となると、文字だけが並んだ本よりも、絵や写真や図面が入った、美術品のような本が好きです。 建築の本 (建設工学の本ではない) というのは、基本的に そうした本を主とするので、値段は高いけれども、ついつい 沢山買ってしまいます。 インドやイスラームの建築史研究者となってしまいましたので、建築史学上の重要な本に 目を通しておく必要ができてきますので、古書を買うことが多くなります。 そして、日本ではインドやイスラーム建築の本など ほとんど出版されていませんので、その ほどんどは洋書になります。 今から 15年以上前には、そうした洋古書を手に入れるのは 大変に困難でしたが、インターネットが発達してから というもの、世界中の古書店に いとも簡単に注文できるようになったので、実に便利になり、欲しい本がすぐに手に入るので、出費が かさむ一方です。
 そういうわけで、本に関する本 を読むのも楽しいので、あまり読まなくなった小説も、古書に関する小説 などと聞くと、つい手が のびてしまいます。 ここに紹介する 『古書の来歴』 というのもそうで、500年ほど前に スペインで制作され、奇跡的に現代まで生きのびた (実在の) ユダヤ教の細密画入りの古写本にまつわる、現代と過去を行き来する物語は 実に面白く読みました。 しかも、ジャイナ教の古写本 『カルパ・スートラ』 についての章を書いているところだったので、一層興味が増しました。 古写本に関わった書家、細密画家、製本師、そして修復家の数奇な生涯、過酷な境遇、残酷な運命。
 中世の修道院の写本室での 細密画入り写本制作というと、ウンベルト・エーコの 『薔薇の名前』 という小説を思い出します。 ショーン・コネリー主演で 映画にもなりました。 あの場合は ヨーロッパにおける古写本の話でしたが、今回の 『古書の来歴』 は 旧ユーゴスラビアの サラエボに伝わる古写本で、ユダヤ教の 「過越しの祭」 の式次第と 朗読される詩篇が書かれた 『ハガダー』、その歴史を 事実とないまぜにした小説家の想像力でたどると、サラエヴォから ヴェネツィアへ、セビーリャへ、エルサレムへと 物語が遡ることとなり、ユダヤ教、イスラーム教、キリスト教が さまざまに交錯する混沌とした世界へと導かれます。
 この本の邦題は 『古書の来歴』 ですが、原題は "People of the Book" です。 多くの日本人は この原題を見て、この小説には 『サラエボ・ハガダー』 と呼ばれる古写本をめぐって、中世から現代までの、さまざまな時代の さまざまな人物が 登場することから、「ある古書をめぐる人々」 として、この題名がついたのだろう と思いがちですが、People of the Book というのは もっと別な意味をもっていて、著者は むしろ その意味に基づいて この題名をつけたのです。 簡単に言えば、これは 「啓典の民」 という意味です。 'The Book' というのは 「啓典」 あるいは 「聖書」 という意味で、イスラーム教の 「聖書」 は 『クルアーン』 (コーラン)ですが、唯一の神から下された (啓示、神の言葉としての) ユダヤ教、キリスト教の 『聖書』 をも 啓典として認めます。 したがって、それらの啓典 に基づく宗教は イスラームにとっての兄弟宗教であり、その信者、すなわち ユダヤ教徒とキリスト教徒は、全くの異教徒や異端、あるいは 無明の民ではなく、友邦なのです。 それを、「啓典の民」 と呼びました。 この小説では、本来 友邦である筈の三宗教の徒が、互いに相手を抹殺したり 文化を破壊したり、あるいは逆に 守ったりする葛藤が描かれるので、それら三者をひっくるめた形で 「啓典の民」 という題名をつけたのです。
 しかし ユダヤ教徒は 'The Book' というのを、もう少し狭く 「ヘブライ語の聖書」、すなわち "Old Testament" (旧約聖書) と捕える傾向があり、その場合の 'People of the Book' というのは ユダヤ教徒のことです。 この小説では 三宗教の葛藤が描かれますが、とりわけ ユダヤ人の受難が徹底的に描かれます。 たいていのユダヤ人が この書の題名を見ただけで そう思うように、著者 (オーストラリア人、女性)の ジェラルディン・ブルックスは、ユダヤ人 (の血をひいている)のでしょう。 それが、小説の主人公の来歴に 反映しているのだと思われます。
 この小説は、現代の古写本研究と修復の学問世界の舞台である ニューヨーク、ウィーン、パリ、ロンドン、シドニーと行きつ戻りつしながら、主人公の女流古書鑑定家の 母親との葛藤を織り交ぜながら、テンポよく進む描写が、見事な翻訳とあいまって、手に汗を握る 知的なエンタテイメント小説となりました。 お勧めです。 ランダムハウス講談社刊 2,300円。  (2010/05/01

ISLAMIC ART ● ヨーロッパを旅していると、美術館や修道院が所蔵する 古写本の細密画を見て、写真では十分に伝わらない その美しさに魅了されます。 そうした細密画が 最も発展したのは、イスラーム世界だといえましょう。 細密画というのは 独立した絵画作品として描かれることもありますが、本来は 本の挿絵として生まれたものです。 偶像崇拝が禁止されていることから、モスクやマドラサなど、公的施設、とりわけ宗教建築においては まったく絵画 (壁画) がありませんので、絵画は、裕福な人が私室でプライベートに楽しむ 写本の挿絵として描かれました。
 最も盛んだったのはペルシア (イラン) と インドだったと言えます。 日本では、そうしたイスラームのミニアチュールに接する機会がないので、あまり知られていません。 で、その魅力を知るには、欧米で出版された良い画集を見ることです。 向こうでは沢山の本が出版されていますが、初心者への入門書の決定版 とでもいうべき豪華本が、2年前に出版されました。 『イスラーム美術の名作』 という本で、イスラームの建築と美術の権威、オレッグ・グラバールが執筆しています。 36cm×28cmという大型本に、目の覚めるような すばらしいカラー印刷で 各地方の名作が掲載されています。 なかでも、中世アラブの語り物として名高い 『マカーマート』 につけられた、アル・ワシティの作と伝えられる 13世紀の細密画が 19点も載っているのは圧巻です。 ( 「騙しの長老アブー・ザイド行状記」 というべきピカレスク小説の本文の訳は、平凡社・東洋文庫 『マカーマート』 全 3巻に、堀内勝氏の名訳と注で出版されています。)
 この本は、イスラームの細密画とは どんなものか知りたいという方に、最もお勧めです。 本はアマゾンでも買えますが、安く買うには 古書店を さがすことです。 私は新品を、送料とも 4,300円で買いました。
MASTERPIECES OF ISLAMIC ART, The Decorated Page from the 8th to the 17th Century : Oleg Grabar, English ed. 2009, Prestel Verlag, Munich, London, New York.

カルパ・スートラ表紙 ● 「ジャイナ教の建築」 の中の 「『カルパ・スートラ』 の写本」 の章は、気軽に書き始めたものの、正確を期すために、所蔵する多くの本を読みながら書いているうちに どんどん長くなり、時間が足りなくなりで、いまだに完成せず、未定稿のまま載せてあります (申し訳ない)。 『カルパ・スートラ』 という聖典名については、初めて耳にする方が多かったことでしょう。 インドに何度か行かれた方は、どこかの美術館で 目にされているはずですが、『カルパ・スートラ』 という名前を知らなければ、あまり記憶に残らなかったかもしれません。 で、そうした方、あるいは ジャイナ教に興味のある方に、本を紹介しておきます。
 残念ながら 『カルパ・スートラ』 あるいは ジャイナ教の細密画について、上記のイスラームのミニアチュールの本のような 見ごたえのある美術書というのは、インドでも欧米でも出版されていません。 経典としての 『カルパ・スートラ』 の訳本は、日本では 今から 90年も前に 鈴木重信氏が翻訳して、『耆那教聖典』 の中に 他の聖典とともに収められています。 これは改造社が 「世界聖典全集」 という大規模な出版をしたので 可能になったことです。 今でも古書店で入手可能です。 英訳本は、K.C. ラルワニ訳 "KALPA SUTRA OF BHADRABAHU SVAMI" が通常 用いられていて、多少の図版が入っています。

カルパ・スートラ もっと、見ても楽しい 『カルパ・スートラ』 が 1977年にインドで出版されていたらしく、4年前に新版が出たのを 今年になって初めて知り、取り寄せました。 インドにしては きれいな造りの上製本で、プラークリット語の原文と ヒンディー語訳、英語訳が対訳で載せられていて、そこに、ムンバイの プリンス・オヴ・ウェールズ博物館所蔵の 16世紀の古写本 『カルパ・スートラ』 からの、細密画の複製 36点が貼り込んであります。 この複製が 日本の美術印刷並みであれば 申し分ない本になったのですが、残念ながら 少々写真製版のレベルが低いのが難点です。
 とはいえ、『カルパ・スートラ』 の本を 1冊持っていたい、という方には お勧めです。 本の大きさは 27 x 14.5cmという横長の本で、古写本のように、ページを下から上に めくっていきます。 私は古書店で、送料とも 3,100円で買ったのですが、しかし今 調べてみると、4年前の本だというのに、アマゾンその他、現在はインターネット上で この本を扱っているサイトは無いようです。 入手希望の方は、インドに行った時に さがしてみてください。 現地なら 1,500円 くらいで買えるでしょう。
KALPASUTRA : Mahopadhyaya Vinayasagar (ed. and tr. to Hindi), Mukund Lath (tr. to English), Chandramani Singh (on Paintings), 3rd ed. 2006, Prakrit Bharati Academy, 440pp.

バルビエ表紙 ● ヨーロッパにおける 細密画入り写本の伝統を受け継いでいるのは、文学者と画家の組み合わせによる、近代の 「挿絵本」 です。 オーブリー・ビアズリーの絵で飾られた ワイルドの 『サロメ』 や、ウィリアム・モリスのケルムスコット本で バーン・ジョーンズが挿絵を描いた 『チョーサー作品集』 は、19世紀末の最高傑作に数えられます。 しかし それらは いずれもモノクロの絵であって、カラーの挿絵が普及するのは アール・デコ (1925年に展覧会) の時代です。 それを代表するのが、日本の浮世絵版画の影響を強く受けたフランスの画家、ジョルジュ・バルビエ(1882−1932)です。 彼は ファッション画で名をなしましたが、私は むしろ彼の挿絵本に魅了されます。 ゲランの 『散文詩』、ピエール・ルイスの 『ビリチスの歌』、ラクロの 『危険な関係』、アンリ・ド・レニエの 『ラ・ドゥーブル・メートレス』 など、約 30冊の挿絵本を制作しました。 これらは一種の 「写本」 と言うこともでき、いずれも 半ば手製なので、小部数の出版でした。
 荒俣宏氏や鹿島茂氏は、こうした 19世紀末から 20世紀初めのフランスの挿絵画家たちを 著書で紹介していますが、その最高の画家であると 誰もが認めるバルビエについて、あまり詳しくは書いていません。 その原因は、バルビエに関する評伝や研究書が 1冊も出版されていなかったからです。 挿絵画家やファッション画家は 二流の芸術家と見なされていたのでしょう。 近年 彼らの再評価が進み、特にバルビエは 2008年から 2009年にかけて、イタリアの ヴェネチア市立美術館で回顧展が行われ、その記念に出版されたのが、この本です。 バルビエについての 最初のまとまった本で、『ジョルジュ・バルビエ、アール・デコの誕生』 と題され、10人の研究者が執筆し、多くの作品がカラーで掲載されています。 優雅で、ちょっとエロティックな現代の 「細密画」 の作品集として、お勧めです。 アマゾンは こちら をご覧ください。 古書店をさがすと、もっと安く買えます。
GEORGE BARBIER, The Birth of Art Deco : Barbara Martorelli (ed.), 2009, Marsilio, Musei Civici Veneziani, 28 x 21cm-176pp.

『 カルパ・スートラ 』 の写本と、 株式会社

カルパ・スートラ

● 昨年の春に、アンドレア・マルコロンゴという イタリアの修復建築家からメールがきて、ラーナクプルのアーディナータ寺院 の実測をして、精巧なCAD図面にまとめたという。 その主要なものを 論文とともに送ってくれたのを見て、図面の美しさに感銘を受けました。 そこで、もし彼が希望するなら、私のホームページの中の 「ジャイナ教の建築」 のページに、それを紹介するスペースを提供する と申し出たところ、彼は喜んで、ぜひそうしたいとのことでした。 ところが、またしても マフィアから圧力がかかり (彼らは すべての私の電話を盗聴し、メールを盗み見ています)、彼は図面も英訳論文も送ってこず、音信を絶ってしまいました。 (こういうことが しばしば起こ るので、こちらは馴れっこになっていて 驚きませんが。)
 そこで、「ジャイナ教の建築」 の付録として せっかく用意したスペースは、私が所蔵する 『カルパ・スートラ』 の写本の紹介に充てることとしました。 『カルパ・スートラ』 というのは ジャイナ教の聖典で、マハーヴィーラを はじめとする ティールタンカラの伝記を描いたものです。 写本には しばしば細密画 (ミニアチュール) が描かれていて、インドの絵画史において 重要な役割を果たしました。 インドを旅行していると、各地の美術館で 時々目にするものですが、日本では まずお目にかかることがないものです。
 解説を 3月中に書き終えるつもりでいましたが、例によって、書き始めると次第に長くなってしまい (「ジャイナ教の建築」 の中で、一番長い章となってしまいました)、時間足らずで まだ未定稿ですが、ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2010/04/02

●● 月遅れの建築雑誌をパラパラとめくっていたら、『新建築』 2月号の巻頭エッセイに、建築家の仙田満氏が 「創造性を喚起する社会へ」 という文を書いているのが目につきました。 仙田氏は 日本建築家協会や 日本建築学界の会長もつとめた方です。
 建設省をはじめとして、公共建築の設計者 (設計事務所) を選ぶのに、設計料の入札で決めていることを嘆いていますが、では、本当に それを なくしたいと思っているのでしょうか。 日本では 驚くべきことに、大多数の設計事務所が 株式会社 の形態をとっています (有限会社でも同じことです)。 これは 建築家が、自分の事務所が 営利企業であることを宣言していることになります。 こんな国は、日本以外に 世界のどこにもありません。
 設計事務所の人は 工事会社やメーカーを 「業者」 と呼びますが、官庁では、営利企業のことを 「業者」 と呼んでいます。 そうであれば 株式会社の設計事務所も 「営利業者」 の扱いになるわけですから、そうした 「設計業者」 を選定するのに、最低価格で入札をする 「会社」 を選ぶことに、矛盾はありません。
 病院 (医院)や 法律 (弁護士)事務所は 株式会社となることはできませんから、「業者」 とは呼ばれません。 それらは、金儲けを目的とする業務であってはならないからです (そういう、公共に奉仕する業務を、本来は 「プロフェッション」 と呼びます)。 したがって、これらを選定するのに、価格競争の 「入札」 など しません。 また、画家や音楽家のような 芸術家もそうです。彼らは 「業者」 ではないのですから、価格競争ではなく、その仕事にふさわしい 才能をもった人が選ばれます。
 建築家が、株式会社の社長をやっていながら、弁護士や作曲家の場合と同じように 建築家を選んでほしい というのは、筋が通りません。 仙田氏の事務所も、株式会社なのでは ないでしょうか。
 「私たち建築家 および建築関係者は 日本を 「創造性を喚起するシステムを持つ国」 に変えるべく、粘り強く発言し続けていかねばならない」 と、本当に そう思っているなら、まず 株式会社であることを やめるべきです。 建築家を設計料の 入札で選ぶ (つまり、最も設計の手を抜く、と表明する設計事務所を選ぶ) という、世界のどこにもない、日本だけの堕落したシステムは、大多数の設計事務所が株式会社であるという、世界のどこにもない 堕落したシステムに 対応しているのです。
 春、4月となって、大学も 新学期が始まりました。 新しい気持ちで 建築を学ぼうとしている 「建築科」 や 「建築学科」 の学生諸君は、このHPの中の、「原術へ」 のページの 「解題」 を ぜひ読んでほしい。 そして 「文化の翻訳」、「何をプロフェスするのか」、「あいまいな日本の建築家」 を読んで、「アーキテクチュア」 とか 「アーキテクト」 の意味を知ってほしい。 そして これらについて、友人と議論してほしい、と願っています。

 どうぞ、何でも ご意見をお寄せください。 メールはこちらまで kamiya@t.email.ne.jp

エルサレムの 岩のドーム

岩のドーム

● 今月もまた 『イスラーム建築 』 の第 1章 「イスラーム建築の名作」 の中から、「エルサレムの 岩のドーム(イスラエル) を、『世界のイスラーム建築』 のサイトの 同名ページに載せることにしました。 これは、イスラームが誕生してから、最初に建てられた本格的なイスラーム建築です。 しかしモスクではなく、キリスト教の殉教者廟にならった 円堂(ロトンダ) で、太古からエルサレムの神殿の丘 (モリアの丘) にあった 「岩」 の上に、ドーム屋根を架けたものです。 その岩というのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教ともに先祖と認めるアブラハム (イブラーヒーム) が 息子イサクを神への犠牲として捧げようとした岩であり、また 『クルアーン』 の中で 預言者ムハンマドが 「夜の旅」 をして、そこから天へ昇天したという伝説の岩です。 私が訪れたのは、もう 24年も前のことですが、当時も今も パレスチナは紛争地で、安定した平和は訪れません。 こういう世界は、いったい いつまで続くのでしょうか? ここをクリック すると、「岩のドーム」 のページにとびます。   (2010/03/01

出版拒否が続いている間に、当の出版社から、火事場泥棒のようにして 本を出す人がいるのには 驚きました。

イブン・トゥールーン・モスク

カイロ

● 『イスラーム建築 』 の本は、あいかわらず出版されていません。 そこで 今月も その第 1章 「イスラーム建築の名作」 の中から、「イブン・トゥールーン・モスク(カイロ) を、『世界のイスラーム建築』 のサイトの同名ページに載せました。 エジプトのイスラーム建築というのは、ほとんどが首都のカイロにあり、その数は膨大です。 その中で 現存最古のモスクが イブン・トゥールーン・モスクです。 また、「マリのイスラーム建築」 で、ジェンネの大モスクのプランの もととなったと書いた、アラブ型の列柱ホール・モスクです。 日本の平安時代初期にあたる 9世紀のレンガ造のモスクですが、すっかり修復されて、今も礼拝に使われています。 お読みになりたい方は ここをクリック してください。 いつか 時間ができたら、「カイロのイスラーム建築」 というページを 作りたいと思っています。  (2010/02/01

謹賀新年 2010

カイラワーン

● 21世紀も 早や10年目にはいりましたが、今年もまた 昨年と同じ挨拶で始まります。 『イスラーム建築 』 の本は、彰国社が 3年にわたって出版拒否をしていますので、いまだに出版されていません。 長年続いた自民党政権が民主党政権に変わりましたが、建築界には変化がなく、腐りきったままです。 東大は村松伸准教授の無法行為を容認したままですので、私が彼から依頼されて書いた 「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」 を収録する 『建築史家たちのアジア 「発見」』 も、原稿を渡してから 8年以上になりますが、いまだに出版されていません (風響社)。
 また、私が翻訳した、イスラーム建築史の最良の本 『イスラムの建築文化』 は、長いこと絶版になっているために入手困難で、古書店で 10万円もの値段がついています。 そこで、需要にこたえるべく、もっとサイズを小さくした廉価版を出版してほしいと、K出版社に 4年前から頼んでありますが、一向に実現しません。 建築界の人間は皆、マフィアを恐れて沈黙しています。 実は、建築界だけでは ないのです。 マフィアの圧力は日本の あらゆる分野に及んでいますので、一般書の出版社でさえも 手出しができないのです。 北朝鮮の全体主義を非難できるような国では ありません。
 そういうわけで、日本におけるイスラーム建築への一般の理解は、諸外国にくらべて遅れるばかりですが、今月は、『世界のイスラーム建築』 のサイトに、『イスラーム建築』 の第 1章 「イスラーム建築の名作」 の中から、「カイラワーンの大モスク」 を転載することにしました。 カイラワーンはチュニジアの京都ともいうべく、建築遺産の多い古都で、私の好きな町です。 その中でも 大モスク (シディ・ウクバ・モスク) は、イスラーム初期の重要なモスクです。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2010/01/01

コナーラク

● TBSテレビで 毎週 日曜日に放映されている 『 THE 世界遺産 』 のシリーズ番組で、11月に 「タージ・マハルとアーグラ城」 の監修をしましたが、続けて インドの 「コナーラクの太陽神寺院」 の監修をしています。 このHPのトップ・ページの写真としても使っている、スーリヤ寺院です。 「ユネスコ世界遺産」 の中の コナーラクのページは こちら を ご覧ください。 TVの放映は、今月、1月 24日の夕方 6時です。

マリの イスラーム建築

ジェンネ

● 11月に、アフリカの マリ共和国 に行ってきました。 今までエジプトやアルジェリアなど、アラブ・アフリカへは何度も行っていますが、ブラック・アフリカに行ったのは初めてです。 土の文化圏におけるイスラーム建築の調査と撮影が目的でした。 マリの第一印象は、30年前の南インドに よく似ている、ということでした。 暑さも天候も、町の様子も、人々も。 通貨が固定相場なので 両替率が悪いのと、公共交通の不便なのには閉口しましたが、治安がよいのには感心しました。 有名な ジェンネの大モスクに行ったら、ユネスコ世界遺産に登録されているにもかかわらず、一部が破壊されているのに驚きました。 それは、なぜだったのでしょうか? 詳しくは、『世界のイスラーム建築』 のサイトに 「マリのイスラーム建築」 というページをつくり、概要を載せましたので、お読みください。 ここをクリック すると、そのページに飛びます。  (2009/12/02

Rokia Traore

● マリの歌姫、ロキア・トラオレ を紹介します。 アフリカ音楽というと ドラムを中心としたにぎやかな音楽を思い浮かべる人が多いと思いますが、ロキア・トラオレは むしろ静謐な、心に響く歌を歌う シンガー・ソング・ライターです。 1974年生まれというから、今 35歳。 初めて聴いたのは、昨年の春にモロッコに行った時、エッサウイーラの街に流れていた美しい歌を、そのレコード屋で歌手の名を尋いたら、それはモロッコではなく マリの歌手だとわかりました。 当時は知りませんでしたが、マリは音楽活動の盛んなところで、彼女のほかにも サリフ・ケイタを初め、世界に知られた歌手が多くいます。 その時買ったのは 『BOWMBOI 』 で、すっかり感心しましたが、後半の録音が悪いのには参りました (海賊版だったのだろうか)。 彼女は 4枚のCDを出していて、イギリスやフランスでいろいろ賞をとっていますが、おすすめは 最新の 『チャマンチェ』 で、アマゾンでも買えます。 『BOWMBOI 』 の中の "Mbifo" や、『チャマンチェ』 の中の "Dounia" など が ユーチューブで聴けます。 彼女のホームページは こちら です。

● 政情が安定しているマリとちがって、中央アフリカの コンゴ民主共和国では、内戦が続いています。 今年の 8月からの戦闘の激化によって数十万人の国内避難民が発生、そして避難民キャンプでさえも 破壊されています。 この 10年間の戦争、暴力、病気、飢えによる死者数は 540万人にのぼると言われています。 人びとの救援活動を行っている団体に、下記のサイトから、ぜひ 義捐金をお寄せください。

国連UNHCR協会   オックスファム   国境なき医師団


コルドバのモスクと、 TV番組・ユネスコ世界遺産

メスキータ

● 『イスラーム建築 』 の本は、いまだに出版されていません。 そこで、今回は その第 1章 「イスラーム建築の名作」 の中から、「コルドバのメスキータ (大モスク)」 (スペイン) を、本のデモンストレーションとして、『世界のイスラーム建築』 のサイトの同名ページに 載せておくことにしました。 かつてイスラーム圏に属したスペインの 最初のイスラーム建築作品で、アルハンブラ宮殿と並んで、南スペインに旅行する人は必ず訪れる建物です。 お読みになりたい方は ここをクリック してください。 建設段階を示す平面図も載せました。  (2009/11/01

タージ・マハル廟

● TBSテレビで 毎週日曜日に、連続番組 『 THE 世界遺産 』 が放映されています。 もう 13年以上も続いている長寿番組で、以前は夜の 11時半からでしたが、今は新シリーズとなって、夕方の 6時からの放送になっています (中高年向けの教養蕃組から、若い世代向けの番組への変化ということでしょうか)。 そこで新シリーズとして、かつて取り上げたサイトも作り直すことになり、10年前に私が監修した 「タージ・マハルとアーグラ城」 も、再度 私の監修で、新たに制作することになりました。 今回は 四分庭園 を造園している細密画や、このHPの 「ユネスコ世界遺産 (インド)」 中の 「タージ・マハル廟」 で作った、上の写真も出てきます。 放映は今月、11月 22日の夕方 6時です。

中国北部、 和僑辞典、 リンク

開封・清真寺

● 「中国北部のイスラーム建築」 は、大同 (だいどう) のあとを受け、太原 (たいげん) 、沁陽 (しんよう) 、鄭州 (ていしゅう) と進んで、やっと最後の開封 (かいほう) まで 書き終りました。 これで 「中国のイスラーム建築」 は、個別の建築サーヴェイの記述を全部終わりました。 ずいぶん長いこと かかりましたが、これで 中国の知られざるイスラーム建築の主要なものを すべて、日本で初めて紹介したことになります。
当初の心づもりよりも かなり詳細になってしまいましたので、各章を前後 2つのパートに分割して、ダウンロードの時間を軽減しました。 分量としては、中国南部の Part-1 が 12ページ、 Part-2 が 11ページ、中国西部の Part-1 が 12ページ、Part-2 が 22ページ、中国北部の Part-1 が 15ページ、Part-2 が 14ページ、全部を合計すると 86ページにもなります。
あとは総論として、「中国伊斯蘭教建築の特質」 を書いていく予定です。 これも 写真を駆使した ヴィジュアルなものになる予定ですので、ご期待ください。  ここをクリック すると、『世界のイスラーム建築』 のサイトの 「中国北部のイスラーム建築」 のページに跳びます。  (2009/10/01

和僑辞典

● インターネットの 検索エンジン としては、多くのひとが グーグルかヤフーを使っていると思います。 そのほかの 大手のプロバイダなどによる検索エンジンも このいずれかを使って 自分の名前を冠せているだけですから、ウェブサイトの検索方法は きわめて画一化してしまいました。 しかし、それら大手とはちがって、小粒ながらも 独自の検索エンジンを運営しているところもあります。 それらは 検索ロボットによってサイトを自動的に収集するのでなく、管理人が ひとつひとつのサイトを確かめながら、独自の方法によって 検索方法を構築するものです。 そうしたユニークな検索エンジンとして 「和僑辞典」 というサイトを紹介します。 「和僑」 というのはおもしろい言葉ですが、海外に進出した中国人を 「華僑」 と呼ぶのに倣って、海外に展開する日本の頭脳や企業を中心に構成した検索エンジンです。 そうした関心のある方には、大手のものと併用して、こうした専門的検索エンジンが役立つでしょう。 興味のある方は、ここをクリック して ご覧ください。 作者による紹介文は 次のようです。
<「和僑辞典」 は、新たな知識を検索する際の 糸口を提供しています。 日々の折節に 各国の地域情報や専門知識を補充する必要が生じたら、先ず 和僑辞典を覗いて下さい。何らかのヒントや 突破口を開く参考になるHPに出会えます。>

このHP 「神谷武夫とインドの建築」 に、リンクを張ったことのある方々へ。
リンク・アドレスの変更を お願いします。 最近、人に教えてもらったソフトで 被リンク・サイトの数を調べたところ、このサイトには 全部で 2,500以上のリンクが張られていることが わかりました。 一方、この春にHPを インド関係とイスラーム関係のふたつに分離し、「神谷武夫とインドの建築」 のサイトには新しいアドレス http://www.kamit.jp/ を充て、それまでのアドレス http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/ は、「世界のイスラーム建築」 という新しいサイトで用いることになりました。 ところが、ほとんどのリンクは 「神谷武夫とインドの建築」 というタイトルに、旧アドレスで張られたままなので、グーグルやヤフーで検索すると 混乱が生じてしまい、検索順位が低くなってしまうことがわかりました。 検索順位は、単にリンクの多さだけではなく、何という言葉にリンクが張られているか ということも 重要だったのです。 そこで、このサイトにリンクを張ったことのある方は、それが 何年前のものであっても、ぜひ思い出して、リンク・アドレスを修正していただくよう お願いします。 ブログの、ほんの片隅のものであっても、修正していただけると 有難いです。 ついでに、「世界のイスラーム建築」 にも 新しいリンクを張っていただけると、なお嬉しいです。

衆議員選挙 と マフィア

衆院選

● 8月 30日に 4年ぶりの 衆議院選挙 が行われ、民主党が圧勝しました。 民主党は、党のメンバーの由来を見ても、自民党と それほど違いがある政党とは思えませんが、しかし、政権を担う与党と 内閣の構成員がガラリと入れ替われば、政官業の癒着を 一時的にせよ、かなり 断ち切ることができることでしょう。 そして日本のよどんだ建築界にも、多少は凛とした風が吹いてくるかもしれません。 そう 期待したいところです。
 箱物行政を見直すこと、企業の政治献金を禁止すること、官僚の天下りを廃絶すること、これらが実現すれば、日本の社会も 建築 (建設)界も どれほど良くなることか。 (民主党の前代表が 西松建設とツルんでいたことを考えると、いったい何ほどのことができるのかと、心もとなくも思えますが)。
 政治の世界で一向に変革が起こらず、閉塞的な情況が長く続いた日本で、こうした思いがけぬ大変動が起こったのは、ひとつには 若い世代への、昨年のアメリカの大統領選挙の影響が 大きかったからに違いないと思います。 前職の大統領とネオコンの政治が あまりにもひどかったので、若者たちが立ち上がって 民主党のオバマを当選に導いたことは、若者たちの 異議申し立て が 社会を変えるひとつの力になるということを、日本の若者たちの心に強く印象づけました。 似たような情況にある日本でも 意思表示をしようと、それまで選挙に無関心だった若者たちが 投票所に行ったのに違いありません。
 思い出すのは、今から 40年ほど前、日本の若者たちが フランスの学生の反乱 (5月革命) に大きく影響されて、全国各地で立ち上がったことです。 独創性に欠けながらも 世界の動きに反応して、世の中に、大学に、異議申し立てをしたのです。 当時の大学町だった神田を、日本のカルチェ・ラタンにすると叫びながら。 しかし その全共闘世代も 今はすっかり活力を失い、かつて自分たちが異議申し立てをしたところの 順応主義者、守旧勢力となってしまったのは、情けない話ではありますが。   (2009/09/01

● 私のHPにおいて、マフィア というのが 何のことか解らない、というお便りをいただくことがあります。 日本のマフィアと言えば、暴力団のことを思い浮かべる人が多いでしょう。 しかしながら、私のいうマフィアは、暴力団とは 直接の関係はありません。
 マフィアの定義は 人によって いろいろですが、社会の暗部で、さまざまな (反社会的な) 秘密工作 をする組織を、ここでは マフィアと呼んでいます。 たとえば、坂本弁護士一家を殺したり、地下鉄サリン事件を起こしたりしたのは、ある宗教マフィアです (あとで オーム真理教と わかりました)。 朝日新聞の神戸支局を襲撃して 記者を殺害したのは 政治マフィアでしょうが、日本の社会には 大小さまざまなマフィアがあります。
 戦後の日本で 特に発達したのは 業界マフィアで、多くの業界にあります (談合などをします)。 巨大な業界マフィアは 政界に多大の政治献金をすることで 政治家も、そしてジャーナリズムも あやつり、またその業界利益を守るためには、CIAや 戦前の特高のような秘密機関によって、業界の不利益になる言動をする者 (つまり、正しいことを言う者) を迫害し、言論を封じる (抹殺する) のです。

「 ファーガソンとインド建築 」 の英訳

ファーガソン

● 東大・生産技術研究所の村松伸 准教授から、『 建築史家たちのアジア 発見 』 という本を 風響社から出版するので、建築史家の 「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」 について書いてほしい、という依頼を受けたのは 2000年のことです。 これは、近代において、建築史家たちによって アジア諸国の 「建築史」 が形成されていった過程を、現在の建築史家たちが分担執筆するものです。
 ところが、2001年の 7月に原稿を渡したにもかかわらず、それから 8年たった今も、出版されていません。 何度も催促したにもかかわらず、彼はそれを無視し、しかも、この東大教員の無法行為について相談した、東大・生産技術研究所の 西尾茂文 所長は、「大学の教員は、契約を守らなくとも、嘘をついて人の論文発表の妨害を続けようとも、自分の責任分担を放棄しようとも、研究活動の自立性のゆえに 許されることだ」 と主張して、村松准教授の無法行為を擁護しました。
  さらに 当時の東大・佐々木毅 学長に手紙を書きましたが、これはまったく返事もせずに、同じ態度を示しました。 戦時中に 大政翼賛会を主導した日本の最高学府は、現在もなお マフィアの言論抑圧に手を貸している というわけです。 その詳しい経過は、「東大の常識は世間の非常識」 に記録してありますので、ここをクリック して お読みいただければ幸いです。
   この 出版されていない 「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」 を 関心のある方々に読んでもらうために、このHPに載せてありましたが、このたび、その英訳を 全部終えました。 すでに できている 韓国語訳 とあわせて、日・英・韓の 3ヵ国語版が ネット上に出そろったわけです。本国のイギリスでも出版されていないファーガソン論が、どんな風に英米で受け止められるか、反応が楽しみです。 興味のある方は、 ここをクリック して ご覧ください。   (2009/08/01

中国西部と、HPの英語版

カシュガル

● 今年のはじめから、毎月 1日にサイトを更新して 「お知らせ」欄に載せることにしてきましたが、4月 1日に 「サイトの編成替え」 について書いたあとは、そのことに膨大な時間を費やしてしまったあとなので、5月はお休みとなってしまいました。 実を言うと、4月にエジプトとトルコに撮影旅行に出かけ、そのスライドの整理と書き込みに、またしても 大きく時間をとられてしまったのです。 で、だいぶ時間がかかってしまいましたが、 「中国西部のイスラーム建築」 が やっと全部終わりました。 当初は 簡単にHPに載せるつもりだった 「中国のイスラーム建築」 が、書いているうちに次第にエスカレートし、写真枚数も増え、図面も載せるようになってしまいました。 この 「中国西部」 は、最もイスラーム教徒の多い地区なので、扱う建物数も多く、「中国南部」 が全部で 21ページだったのに対して、33ページにも 増大してしまいました。 時間が かかったのも むべなるかなです。 これから 中国北部の続きを書いていきますので、請う ご期待。 ここをクリック すると、『世界のイスラーム建築』 のサイトの 「中国西部のイスラーム建築」 のページに跳びます。   (2009/07/01

Q&A page

● このHPは 英語版 もつくっていますが、英訳は なかなか進みません。 韓国語版もそうですが、かつて協力してくれた人、協力しようとしていた人たちが、マフィアの脅しにあって、あるいは その報復を恐れて、逃げ出してしまうからです。 そして今回、インド関係のサイトと イスラーム関係のサイトを分離してみたら、今まで英訳したのは すべてインド関係であったことに気がつきました。 そこで、今年は 私自身がイスラーム関係の記事を英訳していくことにし、まずは 「イスラーム建築入門」 の中の、第 1番目の 「イスラーム建築 Q&A」 を英訳しました。
 日本では、私の書いた 『イスラーム建築 』 が 彰国社の出版拒否にあって、一般の人々に読んでもらえず、イスラーム文化への理解が進みませんが、欧米では たくさんの美術書が イスラーム建築の本として出版されていますので、いまさら入門編でもない とも言えましょう。 それでもアメリカでは バラク・オバマ氏が大統領に就任したことによって、イスラーム諸国との対話ムードも醸成されてきました。 で、まあ 世界の初心者のために、 私のイスラーム建築入門編の 英語版にも 意味があるかなと思っています。 どうぞ 外国のお友達に 紹介してください。 これから続けて、「イスラーム庭園」 をはじめ、以下の章も英訳していく予定です。 ここをクリック すると、『INTRTODUCTION TO ISLAMIC ARCHITECTURE』 のサイト中の、「QUESTIONS AND ANSWERS」 のページに跳びます。

サイトの編成替え ( HPアドレスの変更 )

世界のイスラーム建築

「神谷武夫とインドの建築」 のサイトは、年々ページが増えて 全体の容量が大きくなりすぎてしまったために、インド関係のサイトと イスラーム関係のサイトに 分離することになりました。   
このたび新しいドメインを取得しましたので、「神谷武夫とインドの建築」 の新しいアドレスは、シンプルな http://www.kamit.jp/ となりました (kamit は Kamiya Takeo の略です)。 このサイトに リンクしていただいている方々や団体は、リンク・アドレスの変更を お願いします。

● 旧アドレス http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/ は、新設の 「世界のイスラーム建築」 というタイトルのサイトとなりました。 この分離に伴い、文献目録も二つに分け、イスラーム関係の書籍は 「イスラーム建築・文献目録」 として そちらに入れ、国別の項目を立てています。  「お知らせ」 欄は、今までどおり 「神谷武夫とインドの建築」 のみに置いて、イスラーム関係の新しい記事も ここから跳ぶようにします。

● サイトの分割と新設に 膨大な時間をとられ、「中国のイスラーム建築」 の執筆は、またしても お休みとなりました。 今月はまた カイロとイスタンブルに出かける予定なので、いったい中国は いつになったら終わるのやら。 分割した 2つのサイトは、まだ ページ相互のリンクの不具合などがあるかもしれませんので、お気づきの方は メールで 御一報ください。   (2009/04/01

最近の本から

オバマ ● アメリカに、バラク・オバマ新大統領が誕生しました。 私も 評判の彼の演説集を買ってきて、CDを聴きました。 彼が 率直に、そして力強く、国の理念を語り、理想を語って 大統領に選ばれたのは、実に素晴らしいと思います。 理念や理想を まったく捨て去ったかのような日本と、何という違いでしょうか (日本の政治家も、日本建築家協会の会員諸氏も、ぜひこの本を読み、聴いてほしい)。
 オバマが初めて全米の注目を集める演説をしたのは、2004年の民主党大会の基調演説 「大いなる希望」 で、このとき彼は 42歳。 イスラーム教のムハンマドが初めて神の声を聞いて、人々に伝え始めたのは 40歳の頃でした。 そして ブッダが悟りを開いて、サールナートで説法を始めたのは 35歳の頃と伝えられます。 ムハンマドやブッダが人々に語りかけて その心をつかんだのは、このオバマの演説のようだったのではないか、という気さえします。
 ところで、大統領就任演説 において オバマが、アメリカは 「キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥ教徒、そして無宗教の人々の国である」 と述べたことを 意外に感じた人がいることでしょう。 アメリカに ヒンドゥ教徒がいるのかと。 実は アメリカには、180万人ものヒンドゥ教徒がいます。 ほとんどは インドからの移民と その子孫でしょうが、すでに 150年の歴史をもっています。 そして彼らの必要を満たすために、各地にヒンドゥ寺院が建てられ、その数は 450 にも達しています。

HinduTemples フロリダ州のオーランドには、アメリカ・ヒンドゥ大学 (HINDU UNIVERSITY OF AMERICA) さえも 設立されました。 この大学からは 出版社と共同で、カナダを含む 「北米のヒンドゥ寺院」 (HINDU TEMPLES IN NORTH AMERICA) という 大きな写真集も出版されています。 ヒンドゥ寺院の概説から各地の主要な寺院の解説まで なされていて、巻末には、寺院の建築家たちも紹介されています。 初版の発行部数が 5万部というのも驚きです。 興味のある方は ここ をご覧ください。    (2009/02/01

● さて オバマ大統領は、パレスチナの和平交渉を推進すべく、新しい中東特使に 元連邦上院議員の ジョージ・ミッチェルを任命し、イスラエルに派遣しました。 私が翻訳・出版した 『ヒンドゥ教の建築 』 をお持ちの方は、その著者である建築史家と 同姓同名だなと 思われたことでしょう。 しかし 中東特使の綴りは GEORGE MITCHELL で、建築史家の方は GEORGE MICHELL です。 翻訳当時、それを ジョージ・ミッチェル と読みましたが、その後 彼と親交を結ぶようになり、そのファミリー・ネームは フランス語風に ミシェル と発音するのだと わかりました (ついでながら、オバマ大統領の夫人のファースト・ネームも ミシェル で、これは女性形の e が語尾についた MICHELLE なので、完全にフランス名です)。 本については もう直せませんが、このHPに出てくる他の部分は、ジョージ・ミシェル と書きなおしました。

 アメリカの前政権は イスラームを敵視していましたが、オバマ大統領は イスラームと協調路線を とろうとしていて、イランとの関係改善も図っています。 大いに歓迎すべきことです。 それに引きかえ日本では、私の 『イスラーム建築 』 の出版が妨害されていて、人々の イスラーム文化への理解が 妨げられたままです。
 また 「原術へ」 の 「解題」 などを書き始めてしまったために、「中国のイスラーム建築」 が しばらく中断していましたが、他のことが一段落して、やっと再開することになりました。 乞う ご期待。

昨年の 12月 27日から今年の 1月 19日にかけて、イスラエル軍によるパレスチナ自治区 ガザ地区への理不尽な爆撃で、1,300人以上のパレスチナ人が殺され (半数は民間人)、2万人以上の人々が家を失いました。 次のサイトから、義捐金を送りましょう。 とりわけ、税金の無駄遣いのような 「定額給付金」 をもらったら、その一部でも、ガザの不幸な子どもたちのために 役立てましょう。
 ■ ユニセフ、ガザの子供たちを救うために
 ■ 国際協力基金、ガザ地区への緊急人道支援活動
 ■ 日本国際ボランティアセンター、ガザ地区への緊急医療支援

水村美苗 ● やはり評判の、水村美苗著 『日本語が亡びるとき(英語の世紀の中で)』 も、正月休みに読みました。 実に面白い本でした。
 現在、本や論文を著すのに、20世紀の 「普遍語」 となってしまった英語で書かなければ、学問たりえない、という指摘は 身にしみます。 それを可能にするべく、日本人が英語の学習に費やす時間と労力を考えると、本当に つらいものがあります。 英語は、日本語とは あまりにも違う言語なのです。 私は 30代でフランス語を学び、翻訳を 1冊行いました。 これに対して、10代から現在まで 英語の学習に費やした時間は、おそらくフランス語の 4〜5倍になるでしょうし、翻訳も 2冊行いました。 それにもかかわらず、今でも、フランスの映画を観れば その台詞 (せりふ) の半分ぐらいが理解できるのに、英語の映画では、1〜2割しか わかりません。 ネイティヴ英語の発音は、子供のときにネイティヴの間で育って 身につけない限り、日本人には聞き取れないし、正しく発音できないのです。
 日本人に習得しやすい、フランス語や イタリア語や スペイン語でなく、その反対の英語が 世界の 「普遍語」 になってしまったのは、日本人にとって 大いなる不幸です。

 さて この本の第 6章で、もしも夏目漱石が現代に生きていたら、「漱石のような人物が 日本語で書こうとするであろうか ---- ことに、日本語で文学などを 書こうとするであろうか」 という件 (くだり) には 笑ってしまいました。 「叡智を求める人」 は、現代では英語で書かねばならないし、そのテーマは、今なら 小説よりも、地球温暖化問題とか 生物学上の発見とか イスラム世界の動き とかになるのではないか、とさえ 著者は言います。
 ところが、この章まで展開してきた話が、次の第 7章で突然、「日本近代文学」 擁護論に専心してしまうのには驚きました。 英語に なじまない日本人が、英語の世紀に どうすべきか という 1章が スルリと抜け落ちてしまったごとくで、何か、肩すかしを食ったような気分です。
 小中学校での国語教育を 現在の 3時間から 4〜5時間に増やし、何よりも 日本近代文学 を教えることが解決策だ というのでは、 第 6章まで、普遍語としての英語の必要性を さんざん力説し、とりわけ インターネット時代になって英語の優位は決定的になった という説明と、どう調和するのでしょうか。 英語と日本語のバイリンガルになるべきエリートは、学校以外のところで自由に勉強すればよい、というだけでは、「危機的な現状」 に何ら対処していないのではないでしょうか。
 水村氏は、これからの日本の文学者(小説家)は、現地語としての日本語を捨てて、普遍語たる英語で書くべきだ と言いたいのか、あるいは、それは少数の バイリンガルの人にまかせておいて、多数の人は、やはり 今までどおり、滅び行く日本語で書くべきだ と言っているのか、それがわかりません。

 ところで、彼女が高く評価する 日本近代文学の成立の過程と原因の考察は、日本近代建築のそれと比較するときに、実に興味深い観点を提示しています。 今の私には、それをやっている余裕がありませんが。
 また私には、英語で 1冊の本を書く能力はありません。 したがって、私のインド建築やイスラーム建築の研究は、「日本の学者の大多数は、優れた学者となる資質をもって生まれても、西洋の学問の紹介者 という役割に甘んじ、生涯に一度 海を越え、その著作を研究する西洋人の学者を訪ね、一緒に笑顔で写真を撮ってもらい、握手をして帰ってくるだけで 満足せねばならなかった」 (p.256) というのと、同様の話でしか ないのかもしれません。
  それでも、「リュキア建築紀行」 は、"Lycian Influence to the Indian Cave Temples" として 英訳を載せてあるので、日本の研究者からは一切 反応がなかったけれど、海外からは 時々 メールが来ます。 最近では、インド在住のアメリカ人で、長年インドの石窟寺院と彫刻の研究をしてきた カーメル・バークソン女史から、私のサイトを読んで、「チャイティヤ窟の ファサードの形が あのように造られた原因が、初めてわかりました」 というメールを もらいました。 こうして、本でのみ名前を知る外国の研究者たちと交信できるようになったのは、まさに インターネットと英語のおかげです。

謹賀新年 2009

コナーラク ● 新年を迎えて、 トップページのデザインを変更しました。 今年の トップ写真は コナーラクスーリヤ寺院 です。 今から 32年前に 初めてインドに旅行したとき、カルカッタ (コルカタ) から入国しましたが、その日の夜行列車でブバネーシュワルに行ったところ、何かの祝典があるとかで宿がとれず、さらに足を伸ばして コナーラクのトゥーリスト・バンガローに泊りました。 このバンガローが新築なったばかりで、まあ清潔な建物であったのは、インドで最初の宿泊地としては幸いでした。 そしてすぐ近くの スーリヤ寺院 は まだ それほど観光化されていず、廃墟であるにもかかわらず 実に魅力的で、すっかり心を奪われたものです。
 このコナーラクのスーリヤ寺院に関する本は 多く出版されてきましたが、昨年 新たに興味深い写真集 "KONARKA" が加わりました。 というのは、出版社は インドの D・K・プリントワールド社ですが、写真は日本の写真家の沖守弘氏の撮影によるもので、英文テキストは 日本の小西正捷氏と オーストリアのベッティーナ・バウマー女史とが分担執筆しています。 日墺印の協働出版というわけです。 A4判 138ページで、103点の写真はオールカラーです。 アマゾンで注文できますので、関心のある方は ここをクリック してください。   (2009/01/01

イスラーム建築 ● 『イスラーム建築 』 の方は、彰国社が 相変わらず 出版契約も無視して、2年にわたって 出版を拒否しています。 この二つ下の欄をご覧ください。
また、『ジェイムズ・ファーガソンとインドの建築』 (風響社の 『建築史家たちのアジア発見』) は、原稿を渡してから 7年半になりますが、編者であり、私に原稿執筆を依頼した東京大学・生産技術研究所の 村松伸 准教授は、いまだに本を出版しません。 詳しくは、ここをクリック してお読みください。
さらに 「ヒンドゥ建築」 (彰国社の 『ヴィジュアル版 建築入門 第 2巻』) と、「エローラーの カイラーサ寺院」 (同じく 『ヴィジュアル版 建築入門 第 1巻』) は、依頼された原稿を渡してから 8年以上になりますが、やはり彰国社は出版しません。
こうして (私の場合 ばかりでなく)、日本の建築界は マフィアによって 際限なく歪められていきますが、マフィアの報復を恐れて 口をつぐんでいる 建築家や評論家 (今の日本には 建築評論家は不在ともいえますが)、大学教授や ジャーナリストたちも、情けない限りです。

● ところで 建築 (アーキテクチュア) の本というのは、外国の書店では 「美術と建築アート・アンド・アーキテクチュア」 の売場に並べられます。 ところが日本では、世界標準とは異なった、大学 (工学部) における エンジニア教育中心の 「建設・建築 教育システム」 および その学会の構成を反映して、アーキテクチュアの歴史やデザインの本も 「建設工学 (ビルディング・エンジニアリング) 」 に分類されてしまい、「理工学書売場」 に並べられてしまいます。 しかし一般の人は、書店の美術書売場には行きますが、理工学書売場になど 決して行きません。 したがって、せっかく一般読書人や美術愛好家にも 興味をもってもらえる建築書が、一般の人の目に触れません。 そのために、わが国における一般人の建築的教養が ますます欠けることになります。 私が今までに出した本は すべて歴史やデザイン分野なのですが、やはり 理工学書売場に置かれてしまっています。

また、かつては たくさんあった建築雑誌も、廃刊や休刊になって数が少なくなりました。 そして、かつての建築雑誌は すべて 1ページの 「書評欄」 をもっていて、新刊書の中から 毎月 1冊を選び、外部の建築家や評論家に依頼した 「書評」 を載せていて、それが 若者たちの読書意欲を そそったものでした (自社の本の、手前味噌な 「宣伝書評広告」 とは 違います)。 それが どんなものであったかを示すために、建築雑誌における 私の本への書評を (今まで 遠慮していましたが)、今回一括して 「著書・訳書」 の それぞれのページに 載せさせてもらうことにしました。 また、建築雑誌以外のものも 2つ入れています。 それぞれの書評者の名前をクリックすると、そのページに飛びますので、興味のあるところを お読みください。 批評の仕方を 読み比べるのも 興味深いでしょう。

『イスラムの建築文化』石山修武『建築文化』 88年 6月号
『イスラムの建築文化』木島安史『AJAMES』 88年
『楽園のデザイン』有村桂子『日経アーキテクチュア』 89年 9月4日号
『楽園のデザイン』羽田正『史学雑誌』 89年 8月号
『楽園のデザイン』松枝到『建築知識』 89年 10月号
『ヒンドゥ教の建築』黒河内宏昌at 』 94年 2月号
『インドの建築』黒河内宏昌『SD』 96年 12月号
『インド建築案内』藤森照信『建築文化』 97年 3月号

「解題」 の後編 と ヴァルジアン、ハコビヤン

● 「原術へ」 の 「解題」 の後編を、やっと書き終わりました。 「文化の翻訳」 がJIAによって握りつぶされたあと、いかに復活し、その続編である 「あいまいな日本の建築家」 が書かれたか、それを契機にマフィアの迫害が いかに激しくなったか、などを記録しています。 日本の建築界の腐敗ぶりに興味のある方は、ここをクリック して ぜひ お読みください。   (2008/12/08

ソニヤ・ヴァルジアン

アルメニアの歌手の紹介 9. 今回は、一度に 2人の女性歌手を紹介します。 ソニヤ・ヴァルジアン Sonya Varoujian と シルヴァ・ハコビヤン Silva Hakobyan です。  アメリカ在住のアルメニア人であるソニヤの歌は、まだユーチューブに載せられていませんが、ホームページ にアクセスすると、彼女の歌が流れてきます。ギターを伴奏にするその歌声は、昔のモダーン・フォークのジョーン・バエズを思い出させます。 今までに 3枚のCDを出していますが、現在買えるのは ”JANAPAR" だけで、彼女のホームページからも注文できますが、アメリカの アマゾン でも買えます。  (その後、Hambouyr が ユーチューブに載せられました。)
 もう一方のシルヴァは大型 新星で、3年前に"Gisher" が シングルで出て、大いに人々を期待させました。 ユーチューブで聴けます。 ところが なかなかアルバムが出ずに やきもきさせましたが、今年になって "SILVA" が出るや、たちまち大ヒットしました。 その多くはユーチューブで聴けますので、Gisher の右側のコマをクリックしてください。 このCDはアメリカの アマゾン で買えます。

「 イスラーム建築 」 の出版

イスラーム建築 ● 昨年の 「謹賀新年 2007」 では、『イスラーム建築 』 の本が間もなく出版されると予告しましたが、出版社の彰国社は、本の奥付に私のHPのアドレスを載せるのは認められない、という実に奇怪な理由で色校のゲラ刷りを出さず、原稿を受け取ってから半年以内に出版するという出版契約も守らずに、2年近くにわたって出版拒否を続けています。 こんなことが本当の理由であるはずはありませんが、神谷の本は出版するな というマフィアの圧力に社長が屈してしまったために、現代世界で焦点になっている イスラーム の建築文化の概説書が、日本の読者に届かなくなっています。
 こうした言論の封殺が行われているのに、それを ジャーナリズムも学会も無視しているというのは、たいへんに 恐ろしい社会 です。 どうぞ、このホームページを見た方は、このことを友人や知人、特に出版人やジャーナリストに この事実 を お知らせください。 そして出版社 に強く抗議の電話、FAX、メールをお送りください。 ホームページや ブログを お持ちの方は、このことを お書きください。 このHPへのリンクをお張りください。 大学の教授や講師の方々は、学生たちに このページを読むように言ってください。
 こうした闇の構図が何十年も続いているのに、学者も評論家も出版人もジャーナリストも、マフィアを恐れて それに目をつぶっているこの国では、建築家のプロフェッションの確立 など できるわけもありません。 建築家を志している若い学生諸君は、こうした日本の腐った建築界の現実を認識して、できれば外国へ出て行ったほうが良いでしょう。 私の若い頃に比べれば、それはまったく自由で容易になりましたから。  (2008/10/06

こうした状況について 詳しくお知りになりたい方、何とかしたい と思っている方、また 建築家のプロフェッションの確立について考えている方、どうぞ 私の事務所をお訪ねください。 じっくりと お話をしましょう。 ジャーナリストの方は特に歓迎ですが、学生さんでも 遠慮なくどうぞ。  Tel:03-3949-9409、Mail:kamiya@t.email.ne.jp

鬼頭梓 と 「建築家の自由」

鬼頭梓 ● アルメニアに滞在していた間の 8月 20日に、建築家の鬼頭梓 さんが亡くなられたことを知りました。 また、その 2ヵ月前に鬼頭さんの本 『建築家の自由』 が出版されていたことも知りました (鬼頭梓の本をつくる会編、建築ジャーナル刊、1,800円)。 鬼頭さんといえば、建築界の良心、建築家のプロフェッションの確立のために尽力された方として、つとに知られています。 その目指したところが実現されずに、というより、もっと悪化したままに亡くなられたことは、さぞかし心残りだったことでしょう。 ご冥福を祈ります。
 さて、このHPの中の 「原術へ」 のページの論文にからんで、鬼頭さんと私の間にひとつの接点がありました。 ポール・ヴァレリーの ひそみに倣って、「原術へ」 の詳細な 「注解」 や 「解題」 を自分で書こうと思いながら、その機会がないままに何年もたってしまいましたが、鬼頭さんの遺著とでもいうべき本を読むにつれて、その発端と経過についてだけでも書いておきたいと思い立ち、「原術へ」 のページに加えることとしました。 今回は 「解題」 の前半部のみですが、興味のある方は ここをクリック してください。  (2008/11/13

全共闘世代のこと

この夏、ある同世代の友人にメールを出したついでに、次のようなことを書きました。
 近頃、楡周平の 『ワンス・アポン・ア・タイム東京』 という小説を読みました。 全共闘世代の その後の生き方、とかいう広告につられて読んでみたら、小説として面白くはあったけれど、これは当時の全共闘世代の心情に即したものではなく、むしろ その世代の滑稽さを戯画化して描いたものでした。 10年前の藤原伊織の 『テロリストのパラソル』 が、その世代の心情をひきずっていて、共感と愛惜の念をもっていたのとは対照的です。
 それも当然のことで、藤原伊織は 1948年生まれで、去年 60歳になるのを待たずに癌で死んでしまったのに対して、楡周平は 1957年生まれで、全共闘世代を批判的に眺めてきた世代の作家ですからね。
 それに 実際のところ、全共闘世代は当時、反体制だとか 実存だとか 主体性だとか叫んでおきながら、ひとたび社会に出るや たちまち体制に順応して、というより その積極的な推進者になってしまったわけですから、次の世代から批判され、戯画化されてしまうのも 無理はありません。
 昨年、一昨年あたりは、定年まぎわの団塊、全共闘世代がもてはやされ、定年になって会社の くびきを脱すれば、いよいよ初心を貫いて、続々と意義ある仕事、主体的な活動を始めるかのごとき アドバルーンが打ち上げられていました。 ところが、いざ定年になった全共闘世代は、長い会社人間の生活で すっかり骨抜きにされてしまったようで、何の叫びも、新しい活動の息吹も聞こえてきません。 ただ老後を心配して、カラオケで うさでも晴らす、というのが関の山のようです。 ジャーナリズムのほうも すっかり愛想をつかしたようで、団塊の世代への期待の記事も まったく途絶えました。
 無惨 の一語のような、現代の停滞した気分の時代を 突き抜けて 生きていくような 「老年世代」 は、現れないものでしょうか。

すると、その友人から、まるで ひとごと のような、次の返事が来ました。
 「全共闘世代」 が話題になったのは、マスコミの買いかぶりというか、幻想のようなものでしょうね。
 どの世代でも 他の世代とは違う時代を生きるわけですが、社会の枢要な場所から離れて、多くが何か新しい生き方を模索するなんて、われわれの親の世代を考えても、考えにくいことです。
 「全共闘世代」 の場合は、行動に参加した若者は多いけど、深く傷ついた者の多くは、ずっと沈黙を守っているか、畑仕事でも やっているんじゃ ないでしょうか。 多くが、あいかわらず カラオケに興じているのは、もともと その程度の影響しか 受けていなかったんでしょう。
 せっかくの体験を 深化できなかった世代ってことかな。 不勉強な世代 と言って いいかもしれません。 初心を貫いている人など ほんの一握りで、どの世代でも こんなものでしょう。

建築にたずさわる 全共闘世代の人々よ、定年を迎えたら、この国の後世の建築界のために、建築家のプロフェッションの確立に 挺身しては どうか。 そして、高橋和巳や 埴谷雄高や 吉本隆明を読みふけった人々よ、「人間の尊厳」 を蹂躙する マフィア勢力との闘いに 立ちあがっては どうか。       ( 2008/10/20
 

アルメニアの建築 と ペペリヤン

ゴシャ・ヴァンク ● アルメニアに行って来ました。 これで、アルメニア建築の撮影が ほぼ完了しました。 3年前に この欄に、アルメニアの建築を順次紹介していくと書きながら、なかなか その時間が作れず、時々歌手の紹介をするばかりでしたので、今回は、せめて 写真ギャラリーを開設して、アルメニア建築の素晴らしさを伝えようと思い立ちました。 写真キャプション以外には 総論や解説なしですが、各地域から代表的な修道院や遺跡を選び、全部で約 120枚の写真をスキャンしました。 ご覧になりたい方は ここをクリック してください。 中国のイスラーム建築が終了したら、本論を書く予定です。 (首都イェレヴァンの都市計画をした建築家、タマニアンについても。)

クリスチーヌ

アルメニアの歌手の紹介 8. 今回は、最も人気のある女性歌手のひとり、クリスチーヌ・ペペリヤン Christine Pepelyan です。 広く知られた代表作 "Mayrik" や "Kgnam" が ユーチューブで聴けます。 彼女は 1980年のイェレヴァン生まれで、いろいろ家庭の不幸があって苦労したようですが、24才で初めてCDの単独アルバムを出してから人気が出ました。今までに 3枚のCDを出していて (Vor Hishes 2004, About Me 2005, Live in Concert 2007)、それらは例によって Narek.com で注文できますが、最近 送料が高くなってしまいました。 ネットで探せば、もっと安い送料のところもあると思いますが、早くアマゾンなどが扱うようになってほしいものです。 ペペリヤンのホームページは こちら です。 アルメンチク とのデュエット "Inchu"、 および ハイコ とのデュエット "Ushatzatz Khosker" も ユーチューブで聴けます。  (2008/10/06

マグリブと アラクシア

トレムセンの大モスク ● 5月半ばから 6月半ばまで、1ヵ月間の マグリブ地方 の調査・撮影旅行を無事に終えて帰国しました。 マグリブとはアラビア語で西方の意で、エジプトより西のイスラーム圏、すなわち現在のリビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコをさしますが、リビアを除いた 3ヵ国をまわってきました (エジプトから東はマシュリクと言います)。 チュニジアとアルジェリアは 17年ぶり、モロッコは実に 23年ぶりの訪問です。 当時は十分な知識がなく、見過ごしたものが多かったのですが、今回はどこのモスクも中にはいって、マグリブ型モスクの細部を つぶさに観察してきました。 マフィアによって 発表の場が閉ざされていますが、将来 「マグリブのイスラーム建築」 をHP上に載せたいと思っています。

アラクシアアルメニアの歌手の紹介 7. 今回は、女性歌手の アラクシア・ヴァルデレシアン Araksia Varderessian です。 代表作 "Es Ov Inz Anidzets" がユーチューブで聴けます。素晴らしい歌唱力で朗々と歌っている この情感は、ある種の音楽と似ているとは思いませんか? そう、日本の演歌と似ています。 アルメニア人の感性は日本人のそれと大変に近いのです。
アラクシアのホームページは こちら です。 その VIDEO のページで、写真のアルバムの第 1曲目 "Tou Im Srdoum Es" のスロー・ヴァージョンが聴けて、これもなかなか良い、というより 素晴らしい。 アルメニア人独特の発声なので、初めはやや奇妙に感じられるかもしれませんが、何度も聴いているうちに やみつきになります。 (残念ながら、その後 アラクシアのホームページが なくなってしまいました。) 彼女はCDを 2枚出していて、その内、この "VERADARDZ"(2004年) のアルバムが Narek.com のサイトから注文できます。 もう 1枚の "Hayastann Im" は、もう買えなくなりました。
 ところで、アルメニアのポップスと日本の演歌の親近性について興味のある方は、アイダ・サルキシャンの歌で、12曲目の "Misht Hantzavor" を聴いてみてください。  (2008/07/06

中国 南部の イスラーム建築

寿県 ● 2005年から 中国のイスラーム建築について調査・研究を 続けてきました。 今年は そのまとめの段階にはいっていますが、資料が十分でなく、難航しています。 このHPで紹介するために、中国全土を南部、西部、北部の 3地域にわけて、まずは 中国で最も古いモスクの多い 南部 を書いていましたが、ついに時間ぎれとなりました。 というのは、明日からマグリブ諸国のイスラーム建築を調査、撮影に出かけるからです。 で、全部は終 っていませんが、オリンピックを前に 中国への関心が高まっていますので、とりあえず、8 割方できた 「中国南部のイスラーム建築」 を公開することにしました。 ご覧になりたい方は ここをクリック してください。 
 中国のイスラーム建築の 全体像を紹介するのは、日本で初めてのことですので (外国にも 満足すべきものはありませんが)、どうぞ ご意見、ご感想を お寄せください。   (2008/05/10

エロン・サラフィアン

エロン・サラフィヤンアルメニアの歌手の紹介 6. 今回は、男性歌手の エロン・サラフィアン Elon Sarafian です。 ロマンティックで 郷愁に満ちた美しい歌を作り 歌う、シンガー・ソング・ライターです。  エロンはCDを 3枚出していて、"TEMPTATION"(2006年) と "THE COLOR OF MY WORLD"(2002年) と "THE MEANING OF LIFE"(1999年) は、Armenian Music Center のサイトから注文できます。
このごろ アルメニアのCDが安くなり、どれも 送料とも 2,000円以下で買えます。それぞれのアルバムの曲は、Armenian Sound Network のサイトで聴くことができますので、タイトルをクリックしてください。   (2008/02/25

ハスミク・カラペティヤン

ハスミク・カラペティヤンアルメニアの歌手の紹介 5. 今回は 私の最も好きな女性歌手の一人、 ハスミク・カラペティヤン Hasmik Karapetyan です。 前に紹介した リリット・カラペティヤンと同姓ですが、姉妹というわけではありません。 ハスミクは 1977年生まれ。 グラゾール大学でジャーナリズムを専攻したそうですが、音楽が天職と知り、イェレヴァンの音楽学校に入りなおし、さらにアメリカに渡って シンガー・ソング・ライターになりました。 彼女のホームページは ここをクリック
ユーチューブ では 彼女の歌 AYS UKHIN ARMENIA が聴けます。 この歌には終末論的な映像が付いていますが、彼女の代表的な歌 HOGIS はこちら。 シュシャン・ペトロシアンとデュエットで歌っている美しい歌 SIRO ASHKHARH も聴いてみてください。 彼女はCDを 3枚出していますが、"MY SOUL" (Hasmik The Best) と "RAIN" は Armenian Music Center のサイトから注文できます。 "STRANGE WORLD" はベスト・アルバムと重複が多いので、買う必要はありません。   (2008/01/01

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