アルメニア雑纂 |
神谷武夫
キリスト教は 中東のシリア・パレスチナで誕生し、急速に周囲に広まっていったが、当時 ヨーロッパから中東地域を支配していたローマ帝国からは 激しく弾圧された。庶民のあいだに定着していったキリスト教を ローマ帝国が公認するのは 313年のミラノ勅令によってであり、それを国教にするのは テオドシウス帝の 350年のことである。しかし、それより半世紀も早く、301年に世界で最初にキリスト教を国教にしたのは 中東の北部にあるアルメニア王国であった。
アルメニア教会を確立したのは(アルメニアの)聖グレゴリウスであったから、アルメニア正教は 東方キリスト教の中の グレゴリウス派とも呼ばれる。伝説が伝えるところでは、カッパドキアで修行したあと アルメニアに戻って布教していたグレゴリウスは、トリダテス3世王によって ホール・ヴィラプの地下牢に幽閉されてしまった。
ザカフカス(英語では 外コーカサス)の小国アルメニアは、内陸国という地理的位置のために 絶えず外部から侵略され、国を滅ぼされ、異教徒の支配を受け、民族虐殺の苦難に会い、離散(ディアスポラ)の民ともなった。ソ連の崩壊によって やっと独立を獲得したが、かつては その 10倍くらいの国土をもっていたこともあった(大アルメニア)。独立後の国土の復興には、逆に海外在住の成功したアルメニア人ディアスポラに助けられてきた。 その境遇からユダヤ人にも比されるアルメニア人が 最も偉大な芸術的達成を遂げたのは、ユダヤ人とは違って、建築においてだった。隣のジョージア人が絵画的民族であったとすれば、アルメニア人は建築的民族である。早くも7世紀に大きく発展したアルメニアの聖堂建築は、ビザンティンとも違った独自の建築をはぐくみ、そのスタイルは ヨーロッパよりも何世紀も早く ロマネスク建築のもつ美学と特質を獲得していた。 近年、わが国でも 11〜12世紀のヨーロッパ各地のロマネスク建築を愛好する人が多くなってきた。 クラシック音楽にたとえるなら、力強いベートーヴェンのようなゴチック建築(13〜14世紀)や、軽快なモーツァルトのようなルネサンス、バロック建築(15〜17世紀)とちがって、もっと ずっと内面的なバッハのような建築が、ロマネスクである。どっしりとした堅固な石の塊のような外観と、洞窟のような薄明の内部空間は、一見 地味で 派手さに欠けるが、逆に深い精神的な満足を与えてくれる。その源流のひとつとしてのアルメニア建築は、将来 必ずや多くの日本人の心をとらえることだろう。 ( 2008 /10/ 14 ) TOP
● 映画芸術の愛好家なら、パラジャーノフ の名作『ざくろの色』(1969, The Colour of Pomegranates )という映画を ご存知でしょう。DVDが売切れとなって、中古 DVD市場では えらく高い値段がついていましたが、このたび、やっと新版が デジタル・リマスター版として発売され、入手しやすくなりました。
映画監督のセルゲイ・パラジャーノフ(Sergei Paradjanov)というのは ロシア風の名ですが、本来の名を サルキス・パラジャニアン(Sarkis Paradjanian)という、アルメニア人です(アルメニア人の姓は、アンを語尾とすることが多い)。18世紀のアルメニアの詩人、サヤト・ノヴァ(Sayat Nova)の生涯を描いた この映画は、演劇的であるよりは 絵画的な映画として、そのきわめて美しい画面構成によって世界中から賞賛された、映画史上に残る傑作です。 パラジャーノフノは 映画をつくることのできなかった時間を、もっぱら 美術家 として、ひそやかな創作活動をしていたようです。油絵や水彩画もありますが、むしろ さまざまな素材を組み合わせ、加工して タブローとする コラージュ の手法を好みました。それらの作品は ユーモアがあると同時に 超現実的でもあり、また常に アイロニーや サーカズムが 込められていたようです。
そうした彼の美術家としての作品集としては、フランスで行われた彼の展覧会の 図録 がありますが、実物が見られる 彼の私設美術館 が、アルメニアの首都 イェレヴァン にあることは、あまり知られていません。それは、彼が世を去った翌年の 1991年に遺族が 自宅を改装して、彼の作品のみを展示する美術館としたものです。2階建ての小さな美術館ですが、所狭しと飾られた、それら 自由奔放な興味深い作品群を見ていると、時のたつのを忘れます。下に、サイト上の展示をしましたので、各写真をクリックして ご覧ください。 ( 2011 /01/ 01 )
パラジャーノフの作品>
パラジャーノフの作品
パラジャーノフの作品
● ところで イェレヴァンにはまた、イェレヴァン市の都市計画をし、オペラ座などの設計をした建築家、アレクサンドル・タマニアン (Alexandr Tamanian) の記念館もあります。しかしこれは、彼の仕事をきちんと紹介するページを作ったときに、詳しく紹介する予定です。(と言いながら、前に予告してから すでに2年以上がたっていますので、いつになったら実現するのか わかりませんが。 ・・・・ というのは、タマニアンに関する本を入手してきたのですが、ロシア語の本と アルメニア語の本なので 私には読めず、館長をしている タマニアンの ひ孫のハイク氏から もらってきたフランス語の資料も、じっくり読む時間が 一向に とれないのです。) ( 2011 /01/ 01 )
アルメニアの 500ドラム紙幣、建築家・タマニアンの肖像と、イェレヴァンの都市計画図
500ドラム紙幣の裏面、タマニアンが設計した 財務省ビルの透視図と、オペラハウスの断面図
● 建築家の渡辺徹さんに依頼されて、彼のサイト「渋谷コモン」の掲示板に、
● 第二次大戦中に ナチスによってユダヤ人が徹底的に虐殺されたのにも似て、第1次大戦中には オスマントルコによって アルメニア人が大量虐殺されました。一種の「民族浄化」と言われています。英語では、ユダヤ人の虐殺は「ホロコースト the Holocaust」 と言い、アルメニア人などの虐殺は 一般的に「ジェノサイド Genocide」と呼ばれます。
● 今回の「古書の愉しみ」は、ジョージアの ルスダン・メピサシュヴィリとヴァフタン・ツィンツァゼという建築家と建築史家の夫妻がドイツ語で書き、写真家のロルフ・シュラーデが撮影した『ジョージアの美術と建築』の英語版です。 三段組の詳しい本文、大型のカラーおよびモノクロ写真、それに大量の図面と、ぎっしりと内容のつまった、ジョージア美術 の理想的な一巻本の概説書と言えます。 英訳版 "THE ARTS OF ANCIENT GEORGIA" は2年後の 1979年に、ロンドンの老舗出版社 テムズ・アンド・ハドスンから 同じ体裁で出版されました。 今からちょうど40年前の古書です。 ここをクリック すると「古書の愉しみ」の第 49回「ジョージアの美術と建築」の英語版のページが 別のウィンドウに出ますので、興味のある方は ご覧ください。 ( 2019 / 10 / 01 )
● 『アルメニアの建築』のサイトで、ずうっと遅れていた解説を 現在作成中ですが、資料を読み直しながら執筆し、同時に英訳も進めているので、かなり時間がかかります。その中で、最も重要な ハグパト修道院 は、 単独で「世界建築ギャラリー」のディヴィジョンで扱うべきだと思い至りました。アルメニアで一番大きなヴァンク(修道院)であり、建物の数も多く、私は3回訪れて、撮った写真は 130枚のスライドになっています。「アルメニア北部の建築」の章では16点の写真を掲載していましたが、大幅に増大させて33点とし、詳しく紹介します。 ここをクリック すると「世界建築ギャラリー」のディヴィジョンの『ハグパト修道院』のページが 別のウィンドウに開きますので、じっくりとご覧ください。 ( 2021 / 02 / 01 )
● 『アルメニアの建築』のサイトから、前回のハグパト修道院に続いて、 ゲガルド修道院 も「世界建築ギャラリー」のディヴィジョンに単独で扱うことにしました。 ハグパト修道院 と並んで、アルメニアで最も重要な修道院建築で、ユネスコ世界遺産に登録されています。「アルメニア中部の建築」の章では12点の写真を掲載していましたが、大幅に増大させて33点にします。 ここをクリック すると「世界建築ギャラリー」のディヴィジョンの『ゲガルド修道院』のページが 別のウィンドウに開きます。 ( 2021 /03/ 01 )
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『神谷武夫とインドの建築』 のサイトの「お知らせ」欄では、かつて断続的に、現代のアルメニアの歌手を 簡単に紹介していたことがあります。それをまとめて、ここに日付順に収録しておきます。書いた時のままなので、歌手のHPなどには すでに失われたものが 多くあり、また リンク切れになっているものもありますが、ご容赦。 ( 2013 /01/ 01 )
● リリット・カラペティヤン Lilit Karapetyan といっても、知る人はほとんどいないことでしょう。 中東の小国・アルメニアの女性歌手です。 アルメニアは、今から 30年ほど前に 洋書輸入店の東光堂の田口さんから、発行されたばかりのアルメニア建築シリーズ(ミラノ工科大学建築科と アルメニア科学アカデミーの共同調査報告書)の第1冊を紹介されて以来、私にとって一種のあこがれの地でした。 しかしソ連領であったために 自由に旅行をしたり写真を撮ったりすることができなかったので、もっぱら、かつての大アルメニア領で、今はトルコやイランに残るアルメニア聖堂や、かつての首都 アニの遺跡を訪ねるばかりでした。1991年にソ連が崩壊して いよいよ自由化するかと思ったら、ナゴルノ・カラバフ地方をめぐって 隣国のアゼルバイジャンと紛争状態になってしまい、アルメニア本国の旅は さらに延び延びになってしまいました。近年この紛争がおさまり、国土の復興が進められつつある昨年(2004年)、やっとアルメニア本土を旅することができました。 そのリリットがホームページを作ったのを見つけたら、驚いたことに、そのサイトでは彼女のレーベルの歌が すべて無料で聴けるようになっています。(もう存在しませんが)まず 私が選んだベストの2曲を聴いてみてください。 それは 2枚目のアルバム "Shala La La" (Private Label CD ? 今は入手困難 ) の中の第4曲目 "Legenda o Tebe" と、第6曲目の "Bud' so Mnoy" です。 前者はややスローな曲で アルメニア語の歌詞はまったくわかりませんが、まさに「アルメニアの悲しみ」を情緒纏綿と歌い上げたような曲。後者は もっと賑やかな歌なのに、ここにも無意識の「アルメニアの悲哀」が流れているように感じられます。 ( 2005 /11/ 20 )
●● アルメニアの歌を一日中放送しているアルメニア・ラジオ放送がありますので、紹介します。首都の名をとった 「イェレヴァン・ナイト」 というサイトで、アメリカ在住のアルメニア人が運営しているようです。ここでは演奏中の歌手名、曲名、アルバム名が出ますので、気に入った曲のアルバムは次のサイトから注文できます。ひとつのサイトは Armenian Music Center で、もうひとつは Narec com. です。 アルメニアの歌は、じつに心にしみいるようなものが多いので、私はしばしば聴いています。CDも、もう 20枚ぐらい買いました。 ( 2006 /10/ 20 )
● しばらくこのサイトに新しい記事を載せなかったので、神谷は マフィアに ポアされたのではないか、と思った方もいたかもしれません。今からちょうど 20年前に 坂本弁護士一家が 宗教マフィアに惨殺され、朝日新聞・阪神支局が右翼(?) マフィアに襲撃されて 小尻記者が射殺されたように。しかし、私はまだ健在です。3月から4月にかけて イランに調査旅行に出かけていました。今回も 1,000枚ばかり、イランのイスラーム建築 その他の写真を撮ってきましたので、その整理と、マウントへの書き込みに1ヵ月を要しました(未だに ディジタルではなく、フィルムで撮影しています)
● アルメニアの歌手の紹介 2. 前に書いたように、音楽では、3年前からアルメニア音楽の とりことなっています。「アルメニアの歌姫」として、以前に リリット・カラペティヤンを紹介しましたが、この頃 ぞっこん惚れ込んでいるのは、ヘギーネ という歌手です。
(Kami というのは「そよ風」という意味です。アルメニアで一日タクシーを雇うと、運転手はすぐに私の名を覚えて、私のことを いつも カミー(そよ風さん)と呼びます。)
● アルメニアの歌手の紹介 3. 現代のアルメニアの歌手のうち、リリット・カラペティヤンとヘギーネを紹介してきましたが、最近 すばらしい歌手を発見しました。ロズィ・アルメン ROSY ARMEN という、フランスに帰化したアルメニア人です。かなり年配の歌手らしく、シャルル・アズナブールと同じ頃の世代ではないかと思います(彼もまたアルメニア人で、本名はシャーヌール・アズナブリアンといいます)。しかし、日本ではシャルル・アズナブールは有名ですが、ロズィ・アルメンは まったく知られていません。
たいていの歌手は 歳とともに声量が衰え、声のツヤや輝きが失われていくものですが、不思議なことに ロズィ・アルメンはその逆らしく、このCDにおいて素晴らしい声量と張りのある美声で、まるでオペラのアリアのように、朗々と歌いあげています。アルメニアの最高の女性歌手では ないでしょうか。
● アルメニアの歌手の紹介 4. 今まで女性歌手ばかり紹介してきましたので、今回は男性歌手、それもアルメニアの最高の歌手、アルトゥール・メシアン Arthur Meschian です。彼はイェレヴァン工科大学で建築科の学生だった 60年代末に「APOSTLES」というバンドを結成して音楽活動を始めた シンガー・ソング・ライターです。初めに建築家を志しながら、そのうちに 心に響く歌を 作り 歌う ミュージシャンになったという点で、アメリカのサイモンとガーファンクル、日本の小田和正にも似ています。ソ連時代には演奏を禁じられもしましたが、1989年にアメリカに渡ってアルバムを制作し始めました。 それらを集大成したのが 2001年に発売された、4枚組みの「HIT COLLECTION」です。
● アルメニアの歌手の紹介 5. 今回は 私の最も好きな女性歌手の一人、 ハスミク・カラペティヤン Hasmik Karapetyan です。前に紹介した リリット・カラペティヤンと同姓ですが、姉妹というわけではありません。ハスミクは 1977年生まれ。グラゾール大学でジャーナリズムを専攻したそうですが、音楽が天職と知り、イェレヴァンの音楽学校に入りなおし、さらにアメリカに渡って シンガー・ソング・ライターになりました。
● アルメニアの歌手の紹介 6. 今回は、男性歌手の エロン・サラフィアン Elon Sarafian です。 ロマンティックで 郷愁に満ちた美しい歌を作り 歌う、シンガー・ソング・ライターです。エロンはCDを 3枚出していて、"TEMPTATION"(2006年)と THE COLOR OF MY WORLD"(2002年)と、THE MEANING OF LIFE"(1999年)です。 ( 2008 /02/ 25 )
● アルメニアの歌手の紹介 7. 今回は、女性歌手の アラクシア・ヴァルデレシアン Araksia Varderessian です。 代表作 "Es Ov Inz Anidzets" がユーチューブで聴けます。素晴らしい歌唱力で朗々と歌っている この情感は、ある種の音楽と似ているとは思いませんか? そう、日本の演歌と似ています。アルメニア人の感性は日本人のそれと大変に近いのです。(残念ながら、その後 アラクシアのホームページが なくなってしまいました。) ( 2008 /07/ 06 )
● アルメニアに行って来ました。これで、アルメニア建築の撮影が ほぼ完了しました。 3年前に この欄に、アルメニアの建築を順次紹介していくと書きながら、なかなか その時間が作れず、時々歌手の紹介をするばかりでしたので、今回は、せめて 写真ギャラリーを開設して、アルメニア建築の素晴らしさを伝えようと思い立ちました。写真キャプション以外には 総論や解説なしですが、各地域から代表的な修道院や遺跡を選び、全部で約 120枚の写真をスキャンしました。ご覧になりたい方は ここをクリック してください。 中国のイスラーム建築が終了したら、本論を書く予定です。(首都イェレヴァンの都市計画をした建築家、タマニアンについても。)
● アルメニアの歌手の紹介 8. 今回は、最も人気のある女性歌手のひとり、クリスチーヌ・ペペリヤン Christine Pepelyan です。 広く知られた代表作 "Mayrik" が ユーチューブで聴けます。彼女は 1980年のイェレヴァン生まれで、いろいろ家庭の不幸があって苦労したようですが、24才で初めてCDの単独アルバムを出してから人気が出ました。今までに3枚のCDを出していて (Vor Hishes 2004, About Me 2005, Live in Concert 2007)アルメンチク とのデュエット "Inchu"、および ハイコ とのデュエット "Ushatzatz Khosker" も ユーチューブで聴けます。 ( 2008 /10/ 06 )
● アルメニアの歌手の紹介 9. 今回は、一度に 2人の女性歌手を紹介します。ソニヤ・ヴァルジアン Sonya Varoujian と シルヴァ・ハコビヤン Silva Hakobyan です。 アメリカ在住のアルメニア人であるソニヤの歌は、まだユーチューブに載せられていませんが、ホームページ にアクセスすると、彼女の歌が流れてきます。ギターを伴奏にするその歌声は、昔のモダーン・フォークのジョーン・バエズを思い出させます。 今までに3枚のCDを出していますが、現在買えるのは ”JANAPAR" だけで、アメリカの アマゾン でも買えます。
●● もう一方のシルヴァは大型 新星で、3年前に"Gisher " が シングルで出て、大いに人々を期待させました。ユーチューブで聴けます。ところが なかなかアルバムが出ずに やきもきさせましたが、今年になって "SILVA" が出るや、たちまち大ヒットしました。 ( 2008 /12/ 08 )
● 前に、アルメニアの歌手 を断続的に紹介していましたが、長い中断のあと、久しぶりに新しいCDを紹介します。今回は 歌手というよりは器楽のグループで、ベルギーの アラックス(ARAX)という名のグループで、アルメニア人の男4人、女1人の編成です。チェロやフルートやギターなど 西洋楽器を用いますが、中心になるのは、ヴァルダン・ホヴァニシアンによる ドゥドゥク という、アルメニアの民族楽器です。オーボエに似た木管の縦笛で、実に繊細で 哀愁に満ちた音色を奏でます。 私は昔 ブロックフレーテ(リコーダー)で バッハなどのバロック音楽を吹いていましたので、アルメニアに行った時に試みてみましたが、ドゥドゥクは 音を出すのが はるかにむずかしく、買ってくるのを あきらめました。
■ ロズィ・アルメン (Sar Tarter と、Hove)[Rosy Armen]
何度も書きましたが、アルメニア人は悲劇の民族なので、その苦難の歴史を反映して、多くの歌の根底には 深い悲しみが流れているように思えます。 これらの歌を、一枚の音楽 CDにまとめてみました(昔はテープで編集したものですが、今は パソコンで簡単に音楽 CDが作れるようになりました。便利になったものです)。これらの歌のはいった 元の CDアルバムの多くは、今では入手困難になっていますので、これを是非聴きたいという方は、メールで ご連絡ください。CDのコピーを お送りします(無料)。 ( 2011 /01/ 01 )
● アルメニア系フランス人のシャンソン歌手・俳優の シャルル・アズナブールが、昨日(10月1日)亡くなりました。94歳だったそうで、まあ 十分に生きて大活躍をした人と言えるでしょう。 両親がアルメニアからの移民(離散の民)で、彼の本名はシャーヌール・アズナブリアンというアルメニア人に多い「ーアン」という語尾を持ったもので、シャルル・アズナブールというのは それをフランス風にした芸名です。 ( 2018 /10/ 02 )
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