日時: 2005/01/12 21:49
名前:
神谷武夫 <kamiya@t.email.ne.jp>
ヨーロッパの都市は 「広場」 を核にして作られ、日本の都市は 「道」 に沿って作られてきた、と大学時代に習ったものだけれど、実際にヨーロッパを旅してみると、広場が活き活きと機能して
都市の中心になっているケースなど ほとんど見ることができません。歴史的に有名な広場は 観光広場になっているし、実用的な広場は 交通広場や駐車場広場になっています。
かろうじて広場の体裁を保っているのは 教会堂前の広場ですが、そこには一種 「抹香くささ」 というものがあります。
イタリアのシェナに行って、夕刻、街を散歩したら、有名なカンポの広場は わずかな外国人観光客がいただけで、暗く静まり返っていたのに、広場を離れて道を歩いていくと、突然、大勢の市民が
そぞろ歩きをし、立ち止まって おしゃべりをし、ウィンドーショッピングをしている、実に楽しげな道筋が現れたのに驚き、これでは ヨーロッパの都市も広場ではなく、道を芯にしてできているのではないか
と思わされました。
そんな話をT.W.氏にしたことがありますが、昨年アルメニアの首都のイェレヴァンに行ったら、何と、これは本当に広場を核にして作られた都市でした。 大きな楕円形の整然とした
「共和国広場」 は、列柱アーケードをもった石造の建物群に囲まれ、大小の噴水があり、カフェテラスがあり、美しい たたずまいをしています。 車と切り離されているわけではなく、何本もの道路が通っているので、昼間は一見交通広場のようにも見えます。
しかし 夜行ってみると、周囲のクラシックな建物が すべて華々しくライトアップされ、アルメニアの暑い夏の夜、人々は広場に夕涼みに来て、立ち話をしたり、カフェテラスでお茶を飲んだり、お金を使いたくない人たちは
ベンチや噴水池の縁石、あるいは建物前の階段床に座り込んでいて、まさに この都市は広場で成り立っていると思わせました。
私が泊った、旧インツーリストのホテルには スナックバーしかなかったので、毎晩 夕食をとりにレストランに歩いていくと 必ずこの広場を通り、つい私もそこに座り込んで
アイスクリームをなめたりして時を過ごしたものです。 日によっては、広場に仮設ステージが作られて 催し物 (子供たちのダンスとか) が行われていました。
そして驚いたことには、味気ない無機的な現代都市と ちがって見えるこの古典的な広場、およびこの都市の大部分が作られたのは、20世紀前半のことだったのです。
イェレヴァンの町の歴史は紀元前に遡るものの、現在の都市の骨格と姿は、アルメニアの建築家、アレクサンデル・タマニヤンの案に基づいて、1924年から1936年にかけて建設されたのです。
20世紀になっても、このような都市計画がありえたのか、そして それはモダニズムの都市設計よりも はるかに活き活きとした、魅力的な市民生活を提供するものなのかと、目から鱗が落ちる思いをしました。
広場を囲む建物は、ホテルや銀行、中央郵便局、外務省に財務省のビル、店舗群の建物 など多様ですが、デザインには統一感があります。 正面に堂々と建つのは、教会堂でもなく、タウンホールでもなく、何と国立博物館
(上階は美術館) なのでした。 都市計画をしたタマニヤンは、財務省ビルと、イェレヴァンのオペラハウスを設計していて、500ドラム紙幣には彼の肖像と イェレヴァン市のプラン、そして裏側に彼の建物が印刷されていて、アルメニア人なら誰でも
彼の名を知っています。
渋谷のような巨大な商業集積地とは まったく異なった牧歌的な都市ですが、まことに面白い体験であり、新しい知見でした。
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