■ 広場・目抜き通り・路地

日時: 2004/11/25 22:06

名前: T.W.   <info@shibuyacommon.org>

渋谷に限らず伝統のある街は、その広場・目抜き通り・路地が魅力でしょう。世界中の素敵な広場や目抜き通りや路地について語りましょう。

 

 

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 ● アルメニアの首都、イェレヴァン

日時: 2005/01/12 21:49

名前: 神谷武夫  <kamiya@t.email.ne.jp>

 

 ヨーロッパの都市は 「広場」 を核にして作られ、日本の都市は 「道」 に沿って作られてきた、と大学時代に習ったものだけれど、実際にヨーロッパを旅してみると、広場が活き活きと機能して 都市の中心になっているケースなど ほとんど見ることができません。歴史的に有名な広場は 観光広場になっているし、実用的な広場は 交通広場や駐車場広場になっています。 かろうじて広場の体裁を保っているのは 教会堂前の広場ですが、そこには一種 「抹香くささ」 というものがあります。
 イタリアのシェナに行って、夕刻、街を散歩したら、有名なカンポの広場は わずかな外国人観光客がいただけで、暗く静まり返っていたのに、広場を離れて道を歩いていくと、突然、大勢の市民が そぞろ歩きをし、立ち止まって おしゃべりをし、ウィンドーショッピングをしている、実に楽しげな道筋が現れたのに驚き、これでは ヨーロッパの都市も広場ではなく、道を芯にしてできているのではないか と思わされました。
 そんな話をT.W.氏にしたことがありますが、昨年アルメニアの首都のイェレヴァンに行ったら、何と、これは本当に広場を核にして作られた都市でした。 大きな楕円形の整然とした 「共和国広場」 は、列柱アーケードをもった石造の建物群に囲まれ、大小の噴水があり、カフェテラスがあり、美しい たたずまいをしています。 車と切り離されているわけではなく、何本もの道路が通っているので、昼間は一見交通広場のようにも見えます。 しかし 夜行ってみると、周囲のクラシックな建物が すべて華々しくライトアップされ、アルメニアの暑い夏の夜、人々は広場に夕涼みに来て、立ち話をしたり、カフェテラスでお茶を飲んだり、お金を使いたくない人たちは ベンチや噴水池の縁石、あるいは建物前の階段床に座り込んでいて、まさに この都市は広場で成り立っていると思わせました。
 私が泊った、旧インツーリストのホテルには スナックバーしかなかったので、毎晩 夕食をとりにレストランに歩いていくと 必ずこの広場を通り、つい私もそこに座り込んで アイスクリームをなめたりして時を過ごしたものです。 日によっては、広場に仮設ステージが作られて 催し物 (子供たちのダンスとか) が行われていました。
 そして驚いたことには、味気ない無機的な現代都市と ちがって見えるこの古典的な広場、およびこの都市の大部分が作られたのは、20世紀前半のことだったのです。 イェレヴァンの町の歴史は紀元前に遡るものの、現在の都市の骨格と姿は、アルメニアの建築家、アレクサンデル・タマニヤンの案に基づいて、1924年から1936年にかけて建設されたのです。 20世紀になっても、このような都市計画がありえたのか、そして それはモダニズムの都市設計よりも はるかに活き活きとした、魅力的な市民生活を提供するものなのかと、目から鱗が落ちる思いをしました。
 広場を囲む建物は、ホテルや銀行、中央郵便局、外務省に財務省のビル、店舗群の建物 など多様ですが、デザインには統一感があります。 正面に堂々と建つのは、教会堂でもなく、タウンホールでもなく、何と国立博物館 (上階は美術館) なのでした。 都市計画をしたタマニヤンは、財務省ビルと、イェレヴァンのオペラハウスを設計していて、500ドラム紙幣には彼の肖像と イェレヴァン市のプラン、そして裏側に彼の建物が印刷されていて、アルメニア人なら誰でも 彼の名を知っています。
 渋谷のような巨大な商業集積地とは まったく異なった牧歌的な都市ですが、まことに面白い体験であり、新しい知見でした。

 

 ● Re: アルメニアの首都、イェレヴァン

日時: 2005/01/18 08:54

名前: T.W.

 

 神谷さん、アルメニアのイェレヴァンの共和国広場のご紹介、ありがとうございます。 さっそくインターネットで検索してみたら、共和国広場の全体像はありませんでしたが、広場に面して建つ(?) アルメニアホテルとか歴史博物館の画像を見つけました。 旧共産圏の新古典主義建築は、コルビジェのキャンペーンもあってか、一般に悪し様に言われていますが、こうしてみるとそれも再評価が必要なのでしょうね。
 以前あまりにヨーロッパ建築史に偏った建築史学のありように憤慨され、それまで日本に(世界に?)紹介されることのほとんどなかったインドの建築文化を体系的に紹介すると同時に、インド、イスラム、ヨーロッパを同等に視野に入れた新たな枠組みの建築史を構想されていると思われる神谷さんが、都市の歴史についても同じような問題意識で発見、発言されているのがうれしいです。

 ところでトスカーナの丘陵地帯にある中世都市シエナですが、これは3つの丘陵に立ち並んだ家並みがY字型に連なってできた街です。 3つの丘陵の尾根道が交わる交点の南側に半すり鉢状に広がる窪地が、有名なカンポ広場になっています。 すり鉢の縁には5階建てほどの建物が統一されたファサードで連続し、一番低い所に建つ市庁舎に向かって床には勾配がついていて、広場全体がさながら巨大な円形劇場のようです。
 ご存知のように渋谷も、渋谷川が屈曲するところに宇田川が流れ込む合流点、つまり3つの谷がY字型に交わる交点にできた街です。 凹凸関係が逆になっていますが、Y字型という極めて中心生の高い地形的枠組みを持っている点ではシエナと共通しています。 しかも渋谷の場合、そのY字型がスケールを変えて、道路の分岐パターンとして、街の各所に(ex.109、東急本店、丸井)フラクタル構造のように繰り返し現れる特徴があります。 以前 陣内秀信さんが講演の折りに、ハチ公広場に立つとカンポ広場を思い出すと言っておられましたが、それはあながち両者に共通するすり鉢型の形態のせいばかりではなく、普段は目に見えない地形的な同型性にも由来していると思います。
 当方がシエナを訪れたのは、1974年、その年の第2回目のパリオ (カンポ広場を周回する市内17地区対抗の競馬試合) の前日でした。 フィレンツェからローマに向かう友人達と分かれて、一人宿のあてもないままシエナに立ち寄ったのでした。 夕方街に着くと、狭い街路に面する建物の窓からは派手なバナーが垂れ下がり、中世の衣装に身をまとった一団が太鼓のリズムに合わせて大きな旗を振り回し時に投げ挙げ、街路をねり歩いていました。 日が暮れると、街のところどころのカフェとおぼしき店に面した一角には椅子が並べられ、その地区の人々が宴会を開いて気勢をあげている様子で、そうしたことさらに明るく賑やかな一角が、市内のあちこちに点在し、歓声が石畳とレンガの壁にこだまし、街全体が沸き立っていました。その日は酔っぱらいと小さな教会の前で夜を明かし、翌日まさに野外円形劇場となったカンポ広場の観衆の一人として、各地区の馬が試走したり、歴史衣装をまとった行列が派手なパフォーマンスを繰りひろげるのを見物し、本番の出走をいまかいまかと待ったのですが、ローマのテルミニ駅での友人達との待ち合わせの時刻が迫ってきて、肝心の競馬そのものは見ないまま、ローマに向かったのでした。 まるで幻のような思い出です。
 もちろん中世にヨーロッパ広域通商路の要衝にあり、フィレンツェと覇を争う都市国家でもあったシエナにとってのカンポ広場と、農業と観光以外にこれといった産業もなく鉄道幹線からも離れた現在のシエナ市にとってのカンポ広場とでは比べようもありません。 そこはかつてのようなにぎにぎしい儀礼もなければ外来の商人で賑わう市場も開かれない、ガランとしたオープンスペースに過ぎないでしょう。 でもパリオの日、たまたま訪れた旅行者に幻のように現れた13世紀のイタリアとおぼしき都市空間は、時空を越えて、現在の渋谷の地域によるまちづくりをインスパイアしてもいるのです。