THE DAWN OF
THE HISTORY OF INDIAN ARCHITECTURE

インド建築史黎明

神谷武夫

Ajanta


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インドの建築が研究され始めてから 約 170年になります。それは 初めの一世紀間の英領時代に、ジェイムズ・ファーガスンを始めとする イギリス人の建築史家や考古学者によって推進され、大きな発展をとげました。 日本から 最初にインド建築の調査に出かけたのは伊東忠太で、1902年(明治35)のことです。 しかしその後 欧米志向の日本では長いこと、インド建築は ほとんど建築界の関心の外となり、『インド建築案内』(1996年) が出版されるまでの 100年近くの間、研究の停滞が続きました。 ここでは インド建築史研究の、世界と日本における黎明期の一断面を、ファーガスンと伊東忠太という 二人の建築史家を中心に見ていきます。   ( 2016 /05/ 10 )

   第1章  ジェイムズファーガスン インド建築史
   第2章  インドサラセン様式コンドル インド建築史
   第3章  伊東忠太インド建築 インド建築史
   第4章  伊東忠太インド建築行脚 インド建築史
   第5章  忠太ールドノート 解題 インド建築史
   付    忠太インド建築調査 旅程 インド建築史
   年 表    ファーガスン著作年表 インド建築史
   年 表    インド 建築史人物年表 インド建築史
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伊東忠太未発表資料研究委員会


 1996年に、日本建築学会に「伊東忠太未発表資料研究委員会」が組織され、伊東家の遺族から寄贈された 忠太の「フィールド・ノート」を中心とする遺稿の研究が3年にわたって行われ、各委員の報告会が 年に数回行われました。 筆者は伊東忠太のインド関係部分を担当し、1999年の 10月 20日に「インド建築史と伊東忠太」と題して報告を行いました。
 この「インド建築史の黎明」と題するページは、その報告をもとにして作成したものです。もともと研究の中心テーマは伊東忠太であり、忠太とインド建築の関係を3期(3部)に分けて考察することにしました。研究の第1部は インド建築史の研究史全体の中で 伊東忠太が どのような位置にいたのか ということと、学生時代から大旅行までの、忠太とインド建築との 関わりを調べるものでした。これが学会における報告であり、それをもとにして、このサイトの 第1章から第3章までを 書きおこしました。

インド建築史
『伊東忠太未発表資料研究委員会』報告のレジュメ

 研究の第2部は、明治 35年のインド調査旅行において 忠太が何を見て 何を見なかったかを 明らかにするものですが、これは委員会の報告書 『伊東忠太 その実績と資料』における「フィールドノート解題」としてインド部分の原稿を書きましたので、それを そのまま第5章としました。本来は、この客観的な記録をもとに 詳しく論じるはずのものですが、今は そのままにしておきます。
 2003年に東京・青山のワタリウム美術館で、「伊東忠太の世界」という展覧会が開催されました。それに合わせて、当時 東京大学・建築学科の鈴木博之教授を編者として、『伊東忠太を知っていますか』という 一般向けの本が 王国社から出版されました。その時に 鈴木さんから 忠太のインド旅行部分の執筆を依頼されて 原稿を書きました。それに「伊東忠太のインド建築行脚」という題をつけて、ここに第4章として再録しました。 これら第3章と第4章は、この HP の「お知らせ」欄に掲載してありましたが、今回 内容を整理して、ここに組み込むことにしたものです。

インド    建築史
『伊東忠太 その実績と資料』と『伊東忠太を知っていますか』

 研究の第3部は、忠太が大旅行から帰国したあと、日本において インド建築史の研究を いかになし、また彼自身の設計活動において インド建築と いかに関わったかを研究するものとなる筈でしたが、これは まだ未完のままになっています。いつか 良い折があれば、彼のインド建築史記述と、築地本願寺を中心とする 建築作品の研究を続行したい と考えていましたが、マフィアの圧力によって、すべての出版社が私の本の出版拒否をしていますので、一向に実現しません。
 なお、直接インドには関係しませんが、伊東忠太が「アーキテクチュア」の訳語を「建築」と定めた功罪については、『原術へ』のページにおけるエッセイ、「文化の翻訳−伊東忠太の失敗」として収めてありますので、お読みください。
 また、上記委員会における発表をもとに、東大・生産技術研究所の村松助手(当時)の求めに応じて 「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」という論文を書きましたが、それを収める『建築史家たちの アジア「発見」』は、原稿を渡してから16年になりますが、助手から助教授、教授になった村松伸は、いまだに本を出版せず、あまつさえ 東京大学はその無責任行動を支持・顕彰しています。詳しくは、「東大の常識は世間の非常識」のページを ご覧ください。原稿そのものは、やむなく この HP 上に、「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」の題名どおりに 掲載してあります。

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 この「インド建築史の黎明」を じっくり読むには、まず2つの年表(『インド建築史と伊東忠太=人物年表』と『ジェイムズ・ファーガスン=著作年表』)をプリントアウトし、(報告会の時と同じように)手元に置いて 参照しながら読むことを お勧めします。50 % 縮小なら A4判(横使い)におさまりますが、やや字が小さいので、70 % 縮小で A4(縦使い)の2枚つなぎにすれば 見やすいでしょう。(2分割のポスター印刷)(その方法が難しい場合は、A4横判に 50 %で プリントアウトしたものを、 半分ずつ A5 → A4(140 %)に 拡大コピーして つなぎ合わせる、という手があります。 <人物年表>は、V.A. スミスの欄と J. コンドルの欄の間で切り離して、拡大コピーすると良いでしょう。)


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