ENJOIMENT in ANTIQUE BOOKS - XVIII
堀辰雄 著
『 堀辰雄全集 』
Tatsuo Hori:
"The Complete Works of Tatsuo Hori"
1958, Shincho-sha, Tokyo, 6 volumes

神谷武夫

『堀辰雄全集』
『堀辰雄全集』 全6巻(1958年)


スタジオ・ジブリの 『風立ちぬ』 が、宮崎駿の 最後の長編アニメショーン映画になってしまいそうだ ということが 話題になっています。DVDになったら買おうと思っていたので、まだ 私は見ていませんが、これは 戦前の同時代を生きた、ゼロ戦の設計者の堀越二郎と、文学者の堀辰雄とを重ね合わせて モデルとしたストーリーだそうです。 これに事寄せて、「古書の愉しみ」の第 18回は、『 堀辰雄全集 』 を採りあげました。 建築書ではありませんが、私が今までに手に取った和書の中で、最も美しい造本・装幀の本です。


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 高校生の頃には、毎日絵を描き、小説を読んでいました。中学時代には吉川英治や野村胡堂、白井喬二らの「大衆文学全集」を読みふけっていましたが、高校に入ると世界文学に眼を開かれ、ロマン・ロランやらドストイェフスキイやらの、当時盛んに出版されていた「世界文学全集」に熱中しました。日本文学には やや縁遠くなっていく中で、堀辰雄(1904-53)と立原道造(1914-39)だけは、我が「青春の文学」として愛読しました。
 堀辰雄の 静謐な小説の世界と文体は、私の心に深い共鳴を呼び起こし、立原道造の詩と書簡の世界は、まるで現実の、同年代を生きる友人のような親近感をもたらしました。『美しい村』や『風立ちぬ』には、青春時代の 純粋な愛への憧れを託して読んでいたように思います。

 で、高校2年生の時に、乏しい小遣いを貯めて、古書店で『堀辰雄全集』を買い求め、後に大学に入ってから『立原道造全集』を買いました。古書といっても、まだ新刊本でも売られていたと思うので、少しでも安く買うために、いわゆる「新品古書」を求めたのでしょう。出版されてからまだ5〜6年の新潮社版・堀全集に比べると、1950年に出版された角川書店版・立原全集は 10数年経っており、しかも戦後の紙不足の時代を反映した用紙と造本なので、本自体は十分に魅力的なものとは映りませんでした。

立原道造全集
角川版 『立原道造全集』 全3巻(1950-51年)

 一方、堀全集の方は、完全に私の心を捉えてしまいました。当時としては、よほど上質の紙を使ったらしく、立原全集がどんどん黄ばんでいくのに、堀全集はいつまでもきれいな、淡いクリーム色を保っていて、半世紀以上経った今も、古書という感じがしません。もちろん買った当時は 本文用紙の質などには思い至らず、その装幀と造本に魅了されたのです。

 まず、その判型が独特です。普通の本は(ほとんど全ての文学全集がそうであるように)縦横の比率がほぼ 7:5の縦長の形をしていますが、この堀全集は、それまで どんな文学全集にも見たことのない、正方形に近い形をしています。このユニークな判型の本の背まわりは 革のような、白いコーティングを施した布による、カチッとした角背で(絶対に型崩れしそうにない)、革装本の背表紙に箔押しするような 小さ目の活字で タイトルが押してあります。十分な厚みをもった表紙自体は、深みのある青のミューズコットン紙で くるまれていて、そこには 文字も絵も まったくありません。私が青い色が好きだったということもあり、この飾り気のない シンプルな配色と質感の装幀が、たまらなく好きでした。

堀辰雄全集
普及版 『堀辰雄全集』 の表紙

 表紙の見返しは、ごく淡い青の繊維を散らしたミューズコットンで、表紙と 実によく調和しています。そして、扉、半透明の薄紙のカバーがついた著者の写真、目次、と続きますが、すべてが端正で、余計なものの何もない、見事なデザインです。そして正方形に近い判型を開いた時の、左右に広がる ゆったりとした本文レイアウトが、読み手を 実によい気分にしてくれます。正方形に近い判型というのが、別に 奇をてらったものではなく、堀辰雄の文学に 最もふさわしいと、装幀者が考えたのでしょう。この本をしばらく読んだあとで 普通の縦長の本を読むと、本文レイアウトが 妙に狭苦しく感じられてしまいます。

 要するに この『堀辰雄全集』は、私にとって 非の打ちどころのない、読む喜びとともに「所有する喜び」を与えてくれる、最良の本なのでした。この HP の「古書の愉しみ」シリーズでは、主にヨーロッパの革装本を紹介してきましたが、そうした革製本の伝統のない、しかし洋風の造本をした和書、今まで数かぎりなく手にしてきた 日本の書籍のなかで、この『堀辰雄全集』こそ、私にとって 最も「美しい本」だったのです。

 何を大袈裟な、と言われるかもしれません。たしかに これは豪華本でもなければ 斬新なデザインでもなく、華やかな挿絵が入っているわけでもなければ、カラフルな写真や 有名画家の装画で飾られたジャケットや函に入っているわけでもありません。多くの人にとって、これは ごく「普通の本」、あるいは「地味な本」に見えるかもしれません。しかし、「美しい本」というのは 必ずしも「華やかな本」を意味するわけではありません。用紙、本文レイアウト、活字の大きさ、組み方、余白、扉の扱い、表紙の厚み、表装の布や紙の配色、質感、本の開き具合、タイトル文字の大きさと入れ方、それらすべてが一つの美学に貫かれて、完全に調和して一つの世界を作っているか、というところにこそ「美しい本」の根本があるのだと言えます。
 この堀全集は、虚飾を排し、あらゆる要素、あらゆるページを「清楚」というイメージで統一しているように見えます。本には装幀者の名前が どこにも書いてないので、おそらく 社内のデザイナーが担当編集者とともに 推敲に推敲を重ねて造り上げたのでしょう。新潮社は、昔は良い本を出していたのです。

堀辰雄全集
普及版 『堀辰雄全集』 全6巻

堀辰雄全集は、何度か出版されています。最初は、堀辰雄の存命中でしたから「全集」ではなく「選集」で、戦後まもなくの 1946~ 49年に角川書店から『堀辰雄作品集』というタイトルの6巻、そして別冊として『堀辰雄小品集』2冊が 51年に出版されました。(この時から、堀辰雄の随筆風の短編作品を「小品」と呼ぶようになったようです。)戦後の騒然とした混乱期に、堀辰雄の静謐な文学世界は 一服の清涼剤として高く評価され、毎日出版文化賞を受賞しました。角川源義が 戦後すぐに始めた小出版社、角川書店は こうして世に認められ、その後も堀辰雄や立原道造の全集が看板のようになります。
 しかし、堀辰雄が 1953(昭28)年に世を去ると、親友だった神西清らが すぐに準備を始めた『堀辰雄全集』は、角川ではなく、老舗の新潮社から刊行されました(1954~ 57年)。これが、全7巻の背革装、布装函入りの豪華本全集で、定価は 各「壱千圓」でした。現在の物価水準に置き換えると、1万 5000円から2万円になるでしょうか。かなり高価です。

『堀辰雄全集』
最初の 『堀辰雄全集』 7巻本 1954-57 新潮社(ウェブサイトより)
布装の函入りで、背革装の豪華本だった。(川端康成・題字)

 角川書店は この後を追って、10年後の 1963年から 66年にかけて、全 10巻の『堀辰雄全集』を 革装の限定豪華版と並装の廉価版を同時に刊行していきました。さらにその 10年後の 1977~ 80年には、筑摩書房が「決定版」と銘打った『堀辰雄全集』を、全8巻+別巻2巻の 11冊で出版しました。資料的価値は、これが一番高いことでしょう。
 私が堀全集を買おうとした頃は、新潮社の全集が 1964年に重版されていましたが、戦後の激しいインフレの時代だったので、定価は 各 1,700円になっていて、とても高校生に買える代物ではありません。当時角川版が刊行中で、この廉価版なら十分に買えるものでしたが、その造本と装幀は、どうにも 私の気に入りませんでした。

 新潮社には早くから、値段が高くて手が届かない という、読者からの苦情が届いていたのでしょう、1958年に 注や日記、書簡などを省いた、全6巻の「普及版」が刊行されました。定価は 各 400円です。これが、私にとって最高の、「最も美しい」本で、前述のように 古書店で買い求めたわけです。当時の日記に、早稲田の古書店で一揃い 3,000円だったと書いてあります(現在の2万5000円から3万円になるでしょうか)。古書といっても、半分の巻は読まれた形跡もなく、ページをめくる度にパリパリ音を立てたと書いてあります。この全集の唯一の欠点は 書簡がないことで、それを補うために、角川版の 書簡の巻を買い求めた記憶があります。

 さて、どうして この全集が これほどまでに私の気に入る造本、装幀になったかというと、堀辰雄自身が、生前に美しい本への趣味と、自分の著書をそのように作りたいという意志を持っていたことの 反映だと思われます。
 この「古書の愉しみ」シリーズの第7回『青い鳥』の時に、19世紀末から 20世紀前半のヨーロッパにおける、「美しい本」を求めた「愛書家」たちのことを書きました。それを 自ら実現しようとした先駆者が、アーツ・アンド・クラフツ運動の旗手 ウィリアム・モリスで、彼は ケルムスコット・プレスという出版社を興しました。
 その姿勢を受け継ごうとした若き出版人が、昭和の初めの日本にも いました。江川書房の 江川正之(1909−?)と、野田書房の 野田誠三(1911−38)です。江川は 22歳で白水社から独立して「美しい本」を求める小出版社を始め、堀辰雄の友人の 横光利一と小林秀雄に顧問になってもらっていたこともあり、堀辰雄の中編小説『聖家族』を、限定 500部で最初に出版しました。その装幀は 堀辰雄自身が行ったといいます。

 私が学生だった時、神保町の古書店街をまわっていると、ある店の棚に 白い小さな函入りの本を見つけましたが、文字が何も書いてありません。函から出すと、真っ白な たとう に挟まれています。(「たとう」 というのは「畳紙」(たたみがみ)のことで、「帙(ちつ)」と呼ぶこともありますが、フランス語では「シュミーズ」と言います。本の保護のためのカバーですが、ジャケットとはちがって、表紙を巻き込むような 折り返しがなく、本体から そっくり はずした厚表紙のような体裁をしています。)
 この「たとう」にも まったく文字がなく、そこから 淡いクリーム色の本体を出して 初めて、おもて表紙に「聖家族」の3文字が刻まれていました。他には 著者名も出版社名もなく、背表紙も白いままです。本の扉を開いてやっと、これが江川書房による 堀辰雄の小説だと解ったのでした。いかにも堀辰雄の本らしい、実に清楚で美しい本だと感嘆しましたが、建築書を探しにいった私に、この高価な文学書を買う余裕はありませんでした。とはいえ 今では、それよりも 遥かに高い古書価格となっていますから、あの時 無理してでも 買っておくのだったと、何度も後悔したものです。しかし後に、この本は 日本近代文学館が、オリジナルと寸分たがわぬ復刻版を出してくれましたので(ほるぷ出版)、むしろ全く汚れのない「白い本」を入手することができました。

『聖家族』
江川書房版 堀辰雄 『聖家族』 の復刻版

 江川書房はわずか2年足らずでその活動を終えましたが、その志を継いだのが 野田書房で、やはり堀辰雄の『美しい村』限定 500部でスタートしました。「美しい本」を作ろうとする出版人が、しばしば堀辰雄の作品を選ぶのは、その文学的内容が、美しい本という器に最もふさわしいと感じるからなのでしょう。彼らが残した それらの本は、書物の本質を追及して、できる限り虚飾を排して、抑制された造本・装幀としましたので、野田誠三が標榜した「純粋造本」の名で呼ばれるようになりました。その 純粋造本の極北が『聖家族』です。「レス・イズ・モア」風に、あらゆる装飾や夾雑物を排除した この白い本は、建築でいえば、シトー会の修道院に相当するでしょう。「世界建築ギャラリー」の中の「フォントネーのシトー会修道院」に書いた一節を再録すると、

 「(クリュニー会の)こうした あり方に異議を唱えたのが、11世紀も後半の フランスの修道士 、ローベルトゥスと その同志である。「完徳」の生活を求め、華美をすて、白い僧服に身を包んで、寂寥の地 モレームに、そして シトーに 修道院を建てたので、これをシトー会と呼ぶことになる。彼らは「祈り、働け」の標語のとおり、農業による自給自足の生活をしながら 禁欲的な修道に身を挺した。修道院の建物からは 一切の装飾を追放し、彫刻や壁画のない、厳格な石の建物を求めた。」

 クリュニーの修道士が黒い僧服を用いたのに対して、シトー会士たちが 生成りの白い衣を着たこともあり、シトー会の修道院は「白い僧院」とも呼ばれました。

セナンク修道院
セナンクのシトー会修道院

 新潮社の普及版『堀辰雄全集』は、この「純粋造本」の理念を受け継いでいるので、南仏の ル・トロネや セナンクのシトー会修道院建築が私を感動させるように、この抑制的なデザインの堀全集が 私の心を捉えたのです。
 このように、私にとって本は、単に読むためだけのものではなく、物としての美しさを求める器でもありました。そうした「本への愛着」が、私にもまた 自分自身の本を造りたいという欲求をもたらし、高校2年の終わり近くに、学校新聞に書いた文章や日記や手紙などの文章を集めて、「美術評論集」と銘打った『ルノワールの涙』という本を造らせたのでした。文章が十分な量がないということもあって、絵や図版をたくさん入れたので、「純粋造本」とは言えませんが、油絵用のキャンバスの裏面を使った(廃物利用?)造本・装幀は、それなりにきれいに出来あがりました。
 後に角川書店の3巻本『立原道造全集』(1950-51年)を 古書店で買ったら(すでに5巻本の新全集が出ていましたが、金がないのと 古書好みとで、旧全集を買いました)、その本体が 私の本と非常によく似たキャンバス装で、大きさは全く同じ B6判、私のが横開きだという以外は そっくりな造本であることに驚きました。

『ルノワールの涙』
部数1部の 私家版 『ルノワールの涙』(1964)と、『立原道造全集』(1950)
同じ大きさ(B6判)で 同じキャンバス装だが、私の本は横使い だった。

 一部限定の特製本を造ったのは、立原もまた学校時代に よく手製の本(詩集)を造った、ということを読んでいたのにも 影響されたのですが、ついでに言えば、私が建築家になろうと思ったのにも、詩人であり建築家であった 立原の影響がありました。

 大学時代になると、私の文学的好みは 堀辰雄や 立原道造の抒情的世界から、次第に 高橋和巳や 埴谷雄高の思想的な文学の世界に移っていったので、『堀辰雄全集』を手に取ることも少なくなっていきました。で、姪が成人した時に、その成人祝いとして、プレゼントしてしまいました。
 ところが、それから 10年、20年と経つうちに、あの全集のことを思い出すことが多くなりました。べつに 全部を読み返したいと思ったわけでもないのですが、折にふれて、あの「美しい本」を手に取って、小品の一つ 二つ読むようなことをするために、もう一度 自分の手元に置いておきたくなったのです。図書館に行けば、決定版の堀全集などが借りられるにせよ、私にとって 堀辰雄の作品は、どうしても 他の堀全集や文学全集の1巻で読む気にはならず、まして 文庫本などにおいておや、なのです。
 そこで、出版から半世紀以上も経ってしまった『堀辰雄全集』を 古書店に探して、ついに、きれいなものを一揃い、手に入れたのです。なんだか 同窓会で初恋の人に会うような気分で、なつかしい本を 書棚に並べました。

 さて、昔買ったときに、主要な作品は皆 すでに読んであったので、初めて読む作品に興をそそられました。その中では『木の十字架』という珠玉の小品に、特に 心ひかれました。それは、堀辰雄を兄のように慕っていながら、先に(わずか 26歳の若さで)死んでしまった立原道造へのレクイエムというべきものです。
 堀辰雄と立原道造のほとんどの作品の舞台は 軽井沢と、その隣の信濃追分でしたが、軽井沢の旧道近くに、聖パウロ教会と呼ばれる 木造のカトリック聖堂があります。『風立ちぬ』の終章「死のかげの谷」にも触れられていますが、『木の十字架』には次のような一節があります。

「その教会というのは、―― 信州軽井沢にある、聖パウロ・カトリック教会。いまから 5年前(1935年)に、チェコスロヴァキアの建築家 アントニン・レイモンド氏が設計して建立したもの。簡素な木造の、何處か瑞西の寒村にでもありそうな、朴訥な美しさに富んだ、何ともいえず好い感じのする建物である。カトリック建築の様式というものを 私はよく知らないけれども、その特色らしく、屋根などの線という線が それぞれに鋭い角をなして天を目ざしている。それらが一つになって いかにもすっきりとした印象を建物全体に与えているのでもあろうか。―― 町の裏側の、水車のある道に沿うて、その聖パウロ教会は立っている。小さな落葉松林を背負いながら、夕日なんぞに耀いている木の十字架が、町の方からその水車の道へはいりかけると、すぐ、五、六軒の、ごみごみした、薄汚い民家の間から見えてくるのも、いかにも村の教会らしく、その感じもいいのである。」

聖パオロ聖堂  吉村順三の別荘
軽井沢の 聖パウロ教会と、吉村順三の別荘

大学に入ると、吉村順三(1908-97)の「建築概論」という講義があり、初夏の週末に 授業の一環として、皆を軽井沢の別荘に呼んでくれました。それは、住宅作家・吉村順三の代表作として名高い『森の中の家』(1962) です。吉村順三は堀辰雄より4歳若く、その 衒(てら)いのない作風、レイモンドの弟子として、ヨーロッパの合理的な近代建築と、繊細な感性の日本の伝統建築とを融合させた作風は、堀辰雄の文学を建築に移しかえた感じ、と言うことができるかもしれません。聖パウロ教会や、堀辰雄が一時住んでいた家からも近い、その「森の中の家」に、我々一年生 16人は一泊して、翌日は先生と一緒に 軽井沢を散策したものでした。

 堀辰雄の『木の十字架』には、立原道造が死の前年に、堀の結婚祝いとして、2枚の SP レコードを 軽井沢に送ってきたことが書かれています。1枚はフランスの「木の十字架少年合唱団」による パレストリーナとヴィットリオの聖歌、もう1枚は クロオド・パスカルという少年歌手(ボーイ・ソプラノ)によるドビュッシーの歌曲『もう家もない子等のクリスマス』でした。『木の十字架』は、このドビュッシーが作詞・作曲した最後の歌曲の内容と、堀辰雄が神保光太郎や津村信夫と連れ立って、大戦前夜の緊張した気分に包まれた聖パウロ教会のミサを のぞきに行った時の体験と連動して、実に印象的なスケッチとなっています。

立原道造全集
角川版 『立原道造全集』 全3巻(1950-51年)

 音楽では、私はバッハに のめり込み、彼の最晩年の『フーガの技法』を 最高の音楽作品と見なすようになりましたが、これは四声部で書かれているだけで 楽器指定が無いので、様々な楽器用に編曲され 演奏されてきました(現在では、クラヴィア(チェンバロ)用の曲だというのが 定説になっているようですが)。その中で、私が最も魅せられたのは オーケストラ編曲によるもので、カール・リステンパルトの指揮で ザール放送室内管弦楽団が演奏したものでした。すべての声部が 活き活きと鮮明な旋律を響かせて混声する様は、実に音楽の「饗宴」です。そのジャケットの解説を見て驚いたのは、この編曲をしたのが クロード・パスカル だということでした。ボーイ・ソプラノの少年歌手は、長じて作曲家となり、1961年に マルセル・ビッチュと共同で『フーガの技法』のオーケストラ編曲を行ったのでした。

『フーガの技法』

バッハの 『フーガの技法』 のCDジャケット(2011)
カール・リステンパルト指揮、ザール放送室内管弦楽団、1966年録音、ノンサッチ版のリマスター。
(このジャケットが、かつてのノンサッチ版のレコード・ジャケットというわけではないが)
< Klassic Haus Restorations >

 その LP レコードは 私の一番の愛聴盤でしたが、CD時代になって廃棄、後に CD化されたカール・リステンパルト盤を購入しました。ところが、これは違う、と思って調べると、それは クロード・パスカルではなく、ヘルムート・ヴィンシャーマンによるオーケストラ編曲なのでした。パスカル盤が欲しいと、CD化されるのを ずっと待っていましたが、とうとう、されず仕舞いに終わってしまいました。
 すっかりあきらめていましたが、ごく最近になって、その LP を CD変換して販売している アメリカの小さな会社を見つけ、十数年ぶりに手に入れて( Private Use Only と書いてあります)、立原道造と堀辰雄ゆかりの クロード・パスカル編曲による、なつかしくも素晴らしい演奏を聴くことができました。 ・・・というわけで、この懐古的で とりとめのないエッセイを、めでたく終わりにします。

( 2013/ 10 /01 )


< 本の仕様 >
"堀辰雄全集" 1958年、全6巻、新潮社。
 1954年から 57年にかけて出版された 新潮社の7巻本全集の「普及版」。
 広告には「普及版」とあるが、本自体には どこにも 普及版 の文字がないので、
 7巻本全集と混同されやすい(たいていの古書店は、新潮社版に2種あることを知らない)
 背布+紙製本(クォーター・クロス)、白い布+青いミューズ・コットン 18cm × 16cm。
 第1巻(詩、小説)322pp. 第2巻(小説、小品)322pp. 第3巻(小説、小品)305pp.
 第4巻(小説、小品)312pp. 第5巻(小品、翻訳)290pp. 第6巻(評論、雑纂)296pp.  



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