ANTIQUE BOOKS on ARCHITECTURE - XVII
トマス・リックマン

『 英国建築様式を判別する試み 』

Thomas Rickman :
" An Attempt to Discriminate the Styles
of English Architecture "
Third Edition, 1825, Longman, Hurst, Rees, Orme, & Co., London


神谷武夫
『英国建築様式を判別する試み』
革装本『英国建築様式を判別する試み』第3版 1825年

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 今回採りあげる古書は、今から 200年近く前の 1817年に最初に出版された、トマス・リックマン(Thomas Rickman, 1776-1841)の『英国建築様式を判別する試み』(An Attempt to Discriminate the Styles of English Architecture)で、その 1825年の第3版、仔牛革装の やや 派手な製本の書です。トマス・リックマンは 19世紀イギリスの建築家で、オーガスタス・ウェルビー・ピュージンと並ぶ、「ゴチック・リヴァイヴァル」運動の立役者の一人です。建築家として成功し、幾多の作品をゴチック様式で残していますが、とりわけ この『英国建築様式を判別する試み』の著作は 若い世代に大きな影響を与え、一般社会にまで広く知られました。

 しかし、彼は大学で建築教育を受けたわけではありません。父親が医者だったので、その跡を継ぐべく促されて、初めは医学を学び、サセックスのルーイスで数年間 医療に従事しました。しかしそれに いやけがさして トウモロコシの仲買などの事業に乗り出しました。1804年に従姉のルーシーと結婚しましたが、1807年に妻に先立たれ、事業にも失敗しました。その失意が、リヴァプールに移ったリックマンを ゴチックの聖堂の研究に向かわせました。何年にもわたって、憑かれたようにイギリス中の聖堂を訪ねて実測をし、スケッチをしましたが、その数 3,000と、著書の題名には書かれています。その間 建築を独学し、膨大な調査活動で積んだ体験と知識をもとに、ゴチック建築についての記事を書くようになります。

英国建築様式を判別する試み
『英国建築様式を判別する試み』の第3版 開いたところ(p.128と銅版画)

 1809年に知り合った出版業者、ジェイムズ・スミスが 1815年に『芸術と科学の展望』という2巻本を出版することになり、その第1巻の中に ゴチック建築についての記事を依頼されて執筆しました。この小編がもとになって、今回採りあげる 彼の代表作、『英国建築様式を判別する試み』が書かれて、1817年に ロングマン社から出版されたのです。この初版は、ロンドンではなく リヴァプールで印刷され、部数も少なかったので、現在は ごくわずかしか残っていないようです。

 私がこの本を購入したのは、研究テーマであったファーガスンの著作活動との関係からです。この HP の中の『ジェイムズ・ファーガスンとインド建築』に書いたように :

 「こうして2冊のインド建築の本が ファーガスンの出発点となったが、彼が目ざしていたのは インドにとどまらず、世界の建築の全体を扱うことであった。 古代から近世にいたる 世界の建築文化を集大成しつつ、それらの本質と相互関連を考察していたのである。
 その取り組みに大きな影響を与えたのが、1817年に トマス・リックマン(Thomas Rickman, 1776-1841)が書いた『英国建築様式を判別する試み(An Attempt to Discriminate the Styles of English Architecture)』である。
 これは 建築家にして教会堂建築の研究者であったリックマンが、イギリスのゴチック建築を さらに細かく分類して、「ノルマン式」、「初期イギリス式」、「装飾式」、「垂直式」などの様式名を確立し、それぞれの様式的特徴を 明瞭に書き表した本である。すべからく 建築を分類し時代を確定するのは、何よりも 「様式」であるということを「科学的に」明らかにし、19世紀における建築史の基本概念を「様式」におくことを決定づけた書物であった。
 ファーガスンは この書に感銘を受け、その「様式」概念が イギリスにおいてばかりでなく、インドにおいては一層有効である とさえ考えたのである。」

 『英国建築様式を判別する試み』 は 大きな評判をとって 広く読まれ、1817年の初版のあと、1881年の第7版まで6回も改訂、重版されました。年代から見て、ファーガスンがインドにいた時代に この本を手に入れていたとすれば 第3版(1825)、1830年代の半ばにイギリスに帰国してから入手したとすれば 第4版(1835)で読んだ、ということになります。ファーガスンが読んだのと同じ版を用いたかったので、どちらを採るか迷いましたが、結局 第3版の革装本を、古書店から購入しました。

リックマン
『英国建築様式を判別する試み』の表紙

 1817年の初版の正確なタイトルは、『ギリシアとローマのオーダーについての概説と、500近くの英国の建物の略解を添えた、ノルマン人の征服から宗教改革までの、英国建築の諸様式を判別する試み (An Attempt to Discriminate the Styles of English Architecture, from the Conquest to the Reformation; Preceded by a Sketch of the Grecian and Roman Orders, with Notices of Nearly Five Hundred English Buildings) 』という長いものでした。

 1819年の第2版では、「500近くの」が「800の」に増えます。1825年の第3版では、「English Architecture」が「Architecture in England」と変わりますが、このニュアンスの変化が何に根差しているのかは、よくわかりません。そして英国の建物の数が「800」から、何と「3000以上」に増大しました。
 これは、リックマンが初版刊行以後も英国の聖堂の調査を、倦むことなく継続していたことを示しています。この英国の建物についての略解(Notices)は、「付録(Appendix)」として扱われているので、第1版から第3版までの変化は、もっぱら付録の調査建物数の増大ということでした。

 第3版を出したあと リックマンは、1830年と 1832年に北フランスに調査旅行に出かけ、フランボワヤン(火炎)式のゴチック建築を研究・記録してきましたので、1835年の第4版には、これを盛り込むことにしました。従って本のタイトルは、「・・・ 数々の英国の建物の略解と、フランスの建築についての所感を添えた ・・・ ( . . . Notices of Numerous British Edifices; and Some Remarks on the Architecture of a Part of France.) 」となりました。

 さらにリックマンは 第5版への改定作業を進めていましたが、未完のままに、1841年に肝臓の病で世を去りました。65歳でした。これを引き継いだのは、考古学者であり、著作家であり、さらに叔父のあとを継いで出版業を営んでいた、ジョン・ヘンリー・パーカー(John Henry Parker, 1806-84)でした。これが どの程度の改定だったのかは、現物がないので わかりませんが、リックマンの生前には ロングマン社から出ていたのが、第5版(1848)以降、第6版(1862)、最後の第7版(1885)まで、ジョン・ヘンリー・&・ジェイムズ・パーカー社から出版されることになりました。ジェイムズ・パーカーはジョン・ヘンリーの息子で、建築家でもあったといいます。ちなみに、トマス・リックマンの二人の息子も建築家となりました。エドウィン・スワン・リックマンと、トマス・ミラー・リックマンです。
 父 リックマンはその最晩年の1835年に、イギリス国会議事堂のコンペに応募しましたが、入賞を逸し、これはチャールズ・バリーとA・W・N・ピュージン共同の1等案によって実現されました。これが、英国のゴチック・リヴァイヴァルの代表作とされる、ウェストミンスター(新)宮殿(1836−68)です。

『英国建築様式を判別する試み』
トマス・リックマン『英国建築様式を判別する試み』 の内容

 『英国建築様式を判別する試み』の本の内容はシンプルで、前半の 30ページあまりの「ギリシア建築」と題する章は ギリシア建築の五つのオーダー(トスカナ式、ドリス式、イオニア式、コリント式、コンポジト式)の解説です。その当時の建築界の主流は新古典主義で、ギリシア・ローマ建築を範とするものでした。そこで、古典建築を正しく理解し、設計に組み込むための、ギリシア建築の正しいオーダーを、図版とともに解説したのです。
 しかし彼の主眼は 英国本来の建築としてのゴチック様式でしたので、後半の「英国建築」と題する 350ページあまりの章が、その詳解となっています。といっても、その内の約 260ページ(本全体の6割以上)は付録(Appendix)としての「英国建築の原理を例証する建物の目録」であって、イギリス各地の伝統的建築を、州名のアルファベット順にたどって略解したものです。重要な聖堂には数ページを充て(例えば デボンシャー州のエクセター・カテドラルには3ページ)、あまり重要でない建物は1行か2行で済ませています。(ここで「英国」と訳しているのは 'BRITAIN' ではなく 'ENGLAND' なのであって、スコットランドやアイルランド、ウェールズは、ごく簡単に扱われています。)

 これらの膨大な調査をもとに、リックマンは本文の「英国建築」の章で、英国ゴチックの様式分類を行っています。第1が「ノルマン式(Norman Style)」(これは 英国のロマネスクということです)、第2が「初期英国式(Early English Style)」、第3が「装飾式(Decorated English Style)」、そして第4が「垂直式(Perpendicular English Style)」で、それぞれ、扉口、窓、アーチ、柱、控え壁、銘板、壁龕、彫刻、尖塔、そして狭間や屋根といった、建築のエレメントごとに様式的特徴を述べています。単なる印象批評ではなく、十分な調査の裏打ちのある、科学的な記述であったわけです。この様式分類は、世の中から あまり異議なく受け入れられ、現在に至るまで用いられています。建物目録は辞典のような役割を果たし、学生たちの旅行案内の役割も果たしたことでしょう。

 さて、私の所有する第3版は、仔牛革のハーフ・レザー装で、188年の星霜を経た、貫録のある本です。表紙の 平(ひら)の部分に、見返しと同じ柄のマーブル紙を用い、三方の小口も、そのマーブル紙を作った時に同じ柄を染め付けています。ただ、この「古書の愉しみ」の第9回で採りあげた ラスキンの『建築の七灯』に比べると、それよりも 88年も古いので、三方の小口のマーブル模様は かなり色褪せてしまいました。
 背表紙のほうは豪華な作りで、バンドが5本つけられ、タイトルを箔押しした焦げ茶色の革を貼ったところ以外の区画は すべて唐草模様の金で箔押しされて、その初期状態が きれいに保存されています。外装に比べて 内部は、3,000 もの英国建築目録に いっさい図版がないのが、物足りない点でしょう。

 トマス・リックマンは ジェイムズ・ファーガスン(1808 -86)の一世代上で、32歳年長でした。この「古書の愉しみ」で紹介してきたファーガスンの本は 1850年代から 70年代の本でしたので、木口木版(ウッドカット)の図版が 大量に載せられていますが、『英国建築様式を判別する試み』が出た 1817年頃は まだ木口木版の時代ではなく、本の図版は 銅版画(エッチング)か 石版画(リトグラフ)で行われました。この本にはフロンティスピースのほかに14枚の銅版画が挿入されていて、その内の4枚がギリシア建築のオーダーに関する図で、あとの 10枚がゴチック建築の図版です。
 本文に大量の木口木版の図版が収載されて 活字と一緒に印刷されるようになるには、ファーガスンの『図説・建築ハンドブック』(1855)の時代を 待たねばなりませんでした。

『英国建築様式を判別する試み』
トマス・リックマン『英国建築様式を判別する試み』 と、
ジェイムズ・ファーガスン『ニネヴェとペルセポリスの宮殿』

 その ジェイムズ・ファーガスンの初期の著作に、この『試み』と大変によく似た装幀の革装本が、私の書棚にあります。『試み』の 34年後、ファーガスンの『歴史的探究』の2年後の 1851年に ジョン・マリー社から出版された、『ニネヴェとペルセポリスの宮殿(The Palaces of Nineveh and Persepolis Restored)』です。大きさは全く同じで、オーカー色の仔牛革、角革を付けた ハーフ・レザー、マーブル紙の表紙と見返し、同じ柄の三方小口の染め付け、5本のバンドと金の箔押しで飾られた 背表紙と、実によく似ています。これが 19世紀の革装本の 典型的なデザインだったのでしょう。
 『ニネヴェとペルセポリスの宮殿』の図版は 銅版画と木版画 が併用されていて、その量は『図説・建築ハンドブック』ほどではないにせよ、『試み』よりは ずっと多くなっています。この本の内容は、後の『ハンドブック』、さらに『世界建築史』に組み込まれていきますが、ファーガスンの建築史研究の中では、ペルシアやアッシリアの建築は 十分な発展を見たとは言えないようです。

ファーガスン
『ニネヴェとペルセポリスの宮殿』の表紙

 ところで、私がいつも「ゴシック建築」と書かずに「ゴチック建築」と書くことに 違和感をお持ちの方も いることと思いますので、ここで説明しておきます。ゴチック建築は、12世紀の終わりに 北フランスの、パリを中心とする イル・ド・フランス地方に生まれました。パリの北の町、今ではパリ郊外となっている サン・ドニの修道院聖堂の改築において始まったものです。
 この様式が 13世紀に 北フランスからフランス全体に広まり、さらには ヨーロッパ全体に伝播してゆきました。つまり、「ゴチック様式」というのは フランス起源であり、フランスで発展したものです。これをフランス語では GOTHIQUE と綴り、これが英語に入って GOTHIC となりました。
 フランス語の THI は TI と同じで、「チ」と発音します。英語では奇妙な発音をしますが、これを日本語では さらに奇妙に「シ」と表記し、そう発音するようになりました。多少なりとも フランス語をかじった者にとって、GOTHIQUE(ゴチック) を「ゴシック」などと 言ったり書いたりする気には、とても なれないのです。

『英国建築様式』

『ニネヴェとペルセポリスの宮殿』と『英国建築様式を判別する試み』の背表紙上半部。
どちらも 金色が だいぶ色褪せているが、パンドの位置は 全く同じ。
(バンドの数は5本を原則とするので、だいたい そうなるのではあるが)
ヨーロッパの古書では 背のタイトルを縦書きにするということがなかったので、
バンドの間に小さい字で横書きにするほかなく、長いタイトルは 短縮させた。
”RICKMAN'S ARCHITECTURE” は、少々極端である。

( 2013 /09/ 01 )



< 本の仕様 >
 "AN ATTEMPT TO DISCRIMINATE THE STYLES OF ARCHITECTURE IN ENGTLAND
  FROM THE CONQUEST TO THE REFORMATION; with Notices of Above Three
  Thousand British Edifices: Preceded by a Sketch of the Grecian and Roman Orders."
   by Thomas Rickman ロンドン、ロングマン・ハースト・リース・アンド・オーム社
   第3版 1825年、22cm x 14cm x 3.5cm、414ページ、鋼版画の図版 14枚挿入
   (1817年の初版から リックマンの生前の 第 4版までは ロングマン社だが、第 5版から
   最後の第7版までは ジョン・ヘンリー・アンド・ジェイムズ・パーカー社に移った。
   仔牛革製本(ハーフ・レザー)、黄土色、三方小口マーブル模様染付、重量:800g


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