CLASSIFICATION of ISLAMIC ARCHITECTURE
イスラーム建築の種別ー14

城砦(カルア、カスバ、アルク)

神谷武夫

城塞
アルハンブラ宮殿とアルカサバ (スペイン)

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イスラームの城塞

 イスラーム圏で 戦闘に備えた防御設備を主とする施設は、呼び名も内容も時代や地方によってさまざまだが、英語のキャッスル(城)にあたるのが カサバ、シタデル(城塞)にあたるのが カルアと考えるとわかりやすい。イスラーム圏では地域の守備のために山上に城郭を建てる というようなことが少なく、概して 都市との関わりのなかで設けられた。イスラームの城塞(カルア)というのは 単に軍事的な施設であるだけでなく、その中に都市機能を含み 住民をかかえる、言わば「都市の中の都市」である。

 アルハンブラ宮殿は カルアト・アルハムラー(赤い城)とよばれるように、その丘全体が カルアであって、元来は 宮殿はその一部にすぎず、砦や庭園、市民の住区まで含む 広大な城塞である。この城塞全体を守る砦が、カサバに定冠詞アルがついた アルカサバで、これは城を意味するスペイン語になっている。

マグリブ地方のカスバ

城塞  カスバ
スファックスのカスバの囲壁(チュニジア)
スースのメディナと カスバ(チュニジア)

 カサバは 北アフリカのマグリブ地方では カスバとなまり、都市内の小高い所 または端部に 城壁で囲まれて建ち、支配者の居城となっていたから、日本の城と似ている。チュニジアの スースのカスバは その典型で、望楼は天守閣である。スースの市街には またリバートがあり 支配者の居城ではないが 砦としての修道場であって、建築的には これも一種のカスバである。

カスバ  カスバ
アイト・ベンハドウの カスバ(モロッコ)

 モロッコ南部では、ベルベル族の集落が城砦化したものが 砂漠のオアシスにつくられ、カスバとよばれている。マラケシュからティヌリールへ向かう道は カスバ街道とよばれるほどに 多くのカスバが オアシスごとにあり、日乾しレンガによる一群の建物が積層した「群造形」となっている。住民はイスラーム教を奉じていても、これらのカスバは 中東やスペインのイスラーム建築の影響が あまりない、土着の技法と美学で 建てられている。

アレッポの城塞(シタデル)
地図   アレッポ
濠に囲まれた丘状の アレッポの 城砦 1211年(シリア)

 シリアのアレッポは、都市の中央に 濠で囲まれた 逆すり鉢状の丘が シンボリックな城塞となっていることで名高い。もともと この丘は 紀元前からの都市であったのが、周囲に市域が拡大し、十字軍に対抗したイスラーム時代に 城砦化して、首都を守る 難攻不落の城となった。しかし内部には 宮殿ばかりでなく 種々の施設があり、あくまでも 城内町をかかえる城塞であった。

アレッポ   平面図
  アレッポの 城砦の橋と門楼、 門楼の平面図
(アンリ・スチールラン『イスラムの建築文化』1987 より

城内への入口は1ヵ所で、堀をまたぐ石造橋の前後に 軍事建築の傑作というべき楼門がある。イスラーム初期の市門や城門は 単に扉がついているだけで、まっすぐに通り抜けるものであったが、ここでは 何度も方向転換をしなければならない。進入した敵軍は そのつど重量扉に妨げられ、それを破壊しようとしている間に 殲滅されるのである。この戦闘的な楼門の上階が 優美な宮殿の大広間となっているのも興味深い。

 トルコでは、城塞は カルアがなまった カレ、砦は ヒサルと呼ばれる。アンカラや カイセリ、ヴァンをはじめ、多数の城塞が 各地に残っている。イスタンブルでは 地中海と黒海を結ぶボスフォラス海峡の 最も幅の狭い部分をはさんで、ヨーロッパ側に ルメリ・ヒサル(1452年)、アジア側に アナドル・ヒサル(1391年)を築いて 航行を監視した。

東方の城塞

バム  ブハラ
バムの城塞と ブハラのアルク(ウズベキスタン)16世紀

 ペルシアでは アルクあるいは アルグというが、なぜかイランには あまり残らず、わずかに バムの遺跡が 日乾しレンガ造の城塞を見せている。砂漠の隊商路の中継基地の町で、城壁の中に11,000人が住んだという。城郭をはじめとする あらゆる施設が日乾しレンガでつくられていたが、150年前に放棄されてから 次第に大地に還りつつあったところへ、2004年の大地震で 壊滅的な被害を受けた。一方、中央アジアの ヒヴァや ブハラでは、都市の端部のアルクが 近年修復され、かつての城塞の姿を よみがえらせた。城壁の上からは 旧市街が一望のもとに見渡せる。

デリー城
デリー城の ラホール門(インド)

 インドでは、カルアがなまった キラーと呼ばれた。ムガル朝のもとで大発展し、アクバル帝が造営した アーグラの城塞も、シャー・ジャハーン帝が造営した デリーの城塞も、城壁や城門が赤砂岩で造られたので、どちらも ラール・キラー(赤い城)と呼ばれた。城内の宮殿群は 白大理石で建てられたものが多く、城壁と 著しい対照をなしている。そして そこには宮殿ばかりでなく、市民の住区があり、大モスクからバーザールまで かかえる 城内町であった。アーグラの二重の城壁や デリー城のラホール門は 最も保存のよい城郭建築で、造形的にも派手である。城塞は 君主の威光を誇示する装置でもあった。

( 2006年『イスラーム建築』第4章「イスラ-ム建築の建築種別」)



バムの城塞(イラン)については、
「イスラーム建築入門」のサイトの「 砂漠の城塞都市、バム」を参照。

アーグラ城(赤い城)(インド)については、
「インドのユネスコ世界遺産」のサイトの「 アーグラ城(赤い城)」を参照。

デリー城(レッド・フォート)(インド)については、
「インドのユネスコ世界遺産」のサイトの「 デリー城(レッド・フォート)」を参照。



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