CHAPTER 7
Armenian Architecture in
NEIGHBORING COUNTRIES

TAKEO KAMIYA


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Map of Georgia
GEORGIA

Georgia is located to the north of Armenia, with about twice the area of territory and about 1.5 times the population of Armenia, but the scale of their capital cities, Tbilisi and Yerevan, are more or less the same. Although Georgia has had a quite similar history to Armenia and they can be said to be brother countries, they are completely different in terms of both nation and language, so these two small adjoining countries have never been integrated into one. In Japan Georgia was pronounced in the Russian manner as Gruziya, but this is recently changing into the English manner, though the Georgians themselves call their country Sakartvelo.
In the 4th century, it was the second country to adopt Christianity as the state religion after Armenia, and in the 5th century Georgian letters were created following the Armenian. Georgian church architecture also resembles the Armenian in their interrelationship. However, the Georgians seem to have displayed their talent more in painting than in architecture; in Armenian churches murals are seldom seen in contrast to Georgian, which is principally full of wall and ceiling paintings. This influenced Armenian churches within Georgia, which has many murals.
My eventual plan in this website is to fully present Georgian churches in an independent chapter on Georgian architecture. However, for now, in order to compare Armenian churches with Georgian, I will simply insert a few typical examples into this page: those written in blue letters on the above map.
The churches are treated on this page in the order from east to west, that is, from the capital city of Tbilisi to the second largest city, Kutaisi.


INDEX


TBILISI (TIFLIS) ***

SURP GRIGOR, 13c. 17-19c. *

トビリシ___トビリシ

 かつてティフリスと呼ばれた グルジアの首都 トビリシは、アルメニアの首都 イェレヴァンとほぼ同規模で、人口は約 120万人である。都が5〜6世紀に造られた当時からアルメニア人が居住し、特にアニの滅亡以後は多くのアルメニア人が流入した。18,19世紀には人口の多数派はアルメニア人だったようで、多くのアルメニア聖堂が建てられ、その数は24に達したと伝えるが、現在残るのは 14聖堂である。
 聖グリゴール・カテドラルは、富裕な商人のウメク・カリアン Umek Karian の寄進で1251年に創建されたが、17世紀に再建された。さらに1832年と1881年に改修されて現在の姿となった。躯体はレンガ造で、内部にはヨヴナタン・ヨヴァンタヴェアン Yovnatan Yovantavean の壁画で飾られている。ドラムが長い塔状部のデザインはグルジア風で、十二角形シャフトの頂部が外に広がっている。
( AA.586, Brd.115 )

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(GEORGIAN)____MTSKHETA ***

JVARI (HOLY CROSS) CHURCH, 586-605 **

ムツヘタ___ムツヘタ

トビリシの中心から北へ25kmの地に、5世紀までイヴェリア Iveria(カルトリ Kartli ) 王国の首都であった 古都ムツヘタがある。日本で言えば奈良のような聖都で、多くの古寺がある(アルメニアにとっての ヴァガルシャパトに相当すると言えよう)。なかでもアラグヴィ Aragvi 川とムトゥクヴァリ Mtkvari (クラ Kura)川の合流点に面する丘の上に建つジュヴァリ聖堂は、グルジア建築にとってもアルメニア建築にとっても 先祖と見なされ、古拙ながらも 歴史的に最も重要な聖堂である。アルメニア建築に特徴的な四アプス型の聖堂の原型をなしている(ヴァガルシャパトの聖フリプシメ聖堂や アテニの聖シオニ聖堂の平面図と比較すれば一目瞭然)。ビザンティン建築としては、コンスタンチノープルの聖ソフィア大聖堂や、ラヴェンナの聖ヴィターレ聖堂に半世紀くらい遅れる建立であるが、ここには モザイク装飾はない。
「ムツヘタの歴史的建造物群」として、スヴェティツホヴェリ・カテドラルおよびサムタヴロ聖堂とともに、1994年にユネスコ世界遺産に登録された(しかし 2009年には危機遺産に指定)。
( AG.31, 64, 80-87, 151, MG.386, AMG.50, Brd.139, Book )

Plan
Plan of the Jvari Church
(From "Art and Architecture in Medieval Georgia" 1980, Louvain-la Neuve)
ムツヘタ___ムツヘタ___ムツヘタ

INDEX


(GEORGIAN)___SAMTAVISI **

CATHEDRAL, 1030-68 **

サムタヴィシ___サムタヴィシ

トビリシとクタイシを結ぶ幹線道路の近くのサムタヴィシ村に、ヨーロッパのロマネスク前期と同時代の11世紀の聖堂が残る。東壁面の碑文は、この聖堂がイラリオン・サムタヴネリ Ilarion Samtavneli によって 1030年に建設されたと伝えている。オリジナルのドーム屋根は ムツヘタのスヴェティ・ツホヴェリ聖堂と同じく ティムール軍によって破壊され、現在のものは15世紀の再建である。
 ドラムの長い、典型的なグルジア聖堂で、アルメニア聖堂との違いがよくわかる。12角形のドラムに12の極長縦長窓があるのは、ムツヘタのスヴェティツホヴェリ聖堂などと同じである。内部には4本の独立柱が立ち、ドームを支持する。アプスとドームには17世紀の壁画、天井画がある。
( AG.116, 158-9, MG.113, 429, AMG.209, Brd.141 )

サムタヴィシ___サムタヴィシ

INDEX


ATENI **

SURP SIONI, 7c. **

アテニ___アテニ___アテニ

スターリンの生地として知られるゴリの南 12kmのアテニにあるアルメニア聖堂。風光明媚なタナ渓谷に建つ。1080年に制作された多くの壁画、天井画が残ることでも知られるが、それらの画工はグルジア人だった。聖堂のプランはムツヘタのジュヴァリ聖堂(6世紀末)と ほとんど同じ形状の四アプス式で、その他の類似点からも、建設年代は7世紀と考えられている。台座にあるアルメニア語の碑文は、建築家の名をトドス Todos と伝えている。10世紀および16世紀に修築されている。
 外壁の石材は下部が赤い砂岩で、上部は緑がかった黄灰色の凝灰岩。建設が一時中断したのかもしれない。塔状部のドラムは八角形で、屋根も瓦葺きの八角錐である。グルジア聖堂と違ってドラムが短く、ヴァガルシャパトの聖フリプシメ聖堂と似た、やや ずんぐりした印象を与える。ソ連時代の1976年から1982年にかけて すっかり修復された。
( AG.88, 169-71, MG.109, 288, AMG.67, Brd.146 )

Plan
Plan of the Surp Sioni
(From "Armenian Art" Jean-Michel Thierry, 1987, Harry N. Abrams)
アテニ___アテニ

INDEX


(GEORGIAN)___AKHALTSIKHE **

SAFARA MONASTERY (SAINT SABAS), 13-14C. **

サファラ___サファラ

ここには それ以前の 10世紀に建てられていた小聖堂があり、その隣に 建築家のパレザスジェが設計したのが、サファラ修道院の中心となる 聖サバス聖堂である。基本的に矩形のプランをしていて、三廊式ではあるものの 奥行きが短く、中央部が吹き抜けてドーム天井が架かっていることから、ビザンチンの集中式聖堂に近い。グルジアでは、ドーム天井の下のドラム(胴部)が異常に長い聖堂が多いが、サファラでは 適度な長さに調整されているので、装飾過多でない外壁とあわせて 爽やかな印象を与える(アルメニア聖堂に近いとも言えるが)。
聖サバス聖堂で 何よりも印象深いのは、中央ドーム天井に描かれた「キリストの昇天」である。4人の天使によって支えられたキリストが ドーム中央に描かれ、背景は鮮やかな朱色に塗られている。この天井画は 数あるグルジア聖堂の中でも とりわけ清澄感に満ちたドーム天井をなし、絵画と建築とが 最もよく調和した作品であると言えよう。
( AG.178, 218, AMG.314, Brd.175 )

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(GEORGIAN)___GELATI ***

GELATI MONASTERY (The Church of the Virgin) 12c. ***

ゲラティ___ゲラティ___ムツヘタ

ゲラティの大修道院は ダヴィッド建設王の命で 1106年に建設が始まり、その息子のデメトリオス王 Demetrius(1125-56)の治世に完成した。主聖堂 (Katholikon) は聖母に捧げられていて、その内部は16-17世紀の壁画・天井画で満ちている。( AG.173, 181ー88, MG.113, 328, Brd.188 )

Plan
PLAN of the Gelati Monastery
(from "Art and Architecture in Medieval Georgia" 1980, Louvain-la Neuve)
ゲラティ___ゲラティ___ゲラティ



INDEX
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map
TURKEY

The far eastern quarter of Anatolia (Asian side of Turkey) was once a part of Great Armenia, where there were a large number of Armenian towns and villages with monastic buildings. However, after the massacres of Armenian people (1894 and 1915) during the last phase of the Ottoman Empire, a lot of Armenians emigrated to the region of the current Republic of Armenia, all over the Middle East, to Europe, and further to America, becoming new diasporas, following an earlier period under the rule of different races in the 10th to 12th centuries.
Most Armenian churches in Turkey were destroyed or collapsed, with only a very few with upper structures intact. Even in later ages of political calm, restoration has not been as well done as in Armenia, to say nothing of reconstruction. Among those, the urban ruins of Ani, the medieval capital of the Bagratid dynasty, and the Surp Khach Vank on the island of Aghtamar in Lake Van are the worthiest to see. Since this page became too large, I have treated Ani independently, in the next chapter 8.
In the so called ‘Georgian Valleys’ to the north of Erzurum there remain three medieval Georgian cathedrals, Ishhan, Oshki, and Haho, written in blue letters on the map. I introduce them here because they are important to compare with the cathedral of Ani, not far from them.
In this section churches are arranged in the order of the Kars region, Georgian Valleys, Van region, and finally on the furthest west (off the map), Alahan Monastery in the Isauria region. The early intention of this website was to add a chapter that treats early Christian architecture in Anatolia, or Byzantine churches, but this was found to be impossible sue to time constraints, and I had to be satisfied with leaving only the Alahan in this section.


INDEX


KARS ***

CATHEDRAL OF ST APOSTLES, 930-943 **

カルス___カルス___カルス

カルスは、飛行場のある トルコ最東部の都市で、アニをはじめとする カルス県に残るアルメニア遺跡を訪ねるための基地でもある。
アニを首都としたバグラトゥニ朝のアショット3世の弟のムシェーグ王(在989-1020)がヴァナンド王国を開き、カルスを都として繁栄させた。1205年にグルジアの女王タンクルに支配され、1585年にはオスマン朝のムラト3世にに奪われた。1807年にロシア領となり、1920-21年のみアルメニア自治共和国に編入された。現在、カルスの人口の5%くらいがアルメニア人だが、皆ムスリムになっているので、アルメニア教会はない。
カテドラルはアニ(バグラティード朝)のアッバース1世(在929-53) によって建設された。1579年にオスマン朝によってモスクに転用された。現在トルコではキュンベット・ジャーミイと呼ばれているので、カルスの南方のアルメニア聖堂、キュンベット・キリセの遺跡とまぎらわしい。カルス近郊のアルメニア聖堂は、大半が崩壊してしまった。国境近くのものは、地雷が埋められていて、近づけないか、訪問不可。
( PC.441, AA.544, MH.98, Phai.340, Book )

平面図
Plan of the Cathedral of St Apostles
(From "La Cathédrale des Saints-Apôtres de Kars (930-943)" J.M. Thierry, 1978, Paris)
カルス"___カルス___カルス

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OGUZLU *

THREE APSE CHURCH, 9-11c.

オーウズル___オーウズル

小さな村とは不釣り合いに大きな聖堂の遺跡。三アプス聖堂とはいうものの、多くのアルメニア聖堂は三アプスである。  (PC.436, AA.562 )

INDEX

 

KIZIL KILISE *

DPRE VANK, 13c. *

クズル・キリセ___クズル・キリセ___クズル・キリセ

オーウズルからさらに東、アルメニアの国境近く。カルス近郊のものでは最も保存が良い。構内に住む農家が管理。現在は倉庫に用いられ、周囲に猛犬がたくさんいて、吠え立てる。( PC.439 )

INDEX


ANI ***
Ani

The medieval capital of Bagratid Armenia, ANI, was abondaned in the 16th century and has become urban ruins. Despite being now in the territoryof Turkey, it is treated in an independent chapter, since it still retains a large number of ruins of churches and mosques.
See Chapter 8 ( The Medieval Capital, ANI ).


INDEX


(GEORGIAN)____ISHHAN **

ISHHAN CATHEDDRAL, 1032, 15c. **

イシュハン___イシュハン___イシュハン

アナトリア地方、エルズルムの北の、いわゆるグルジア渓谷に、グルジアの大聖堂が3つ残っている。イシュハンのカテドラルは1032年竣工。創建時のものは東の柱廊つきアプス。サバン司教が828年に修復したという。( AG.98, 114, 148, Phai.97 )

平面図
Plan of the Ishhan Cathedal
(From "The Armenians" Adriano Alpago Novello, 1986, Rizzoli)
イシュハン___イシュハン

INDEX


(GEORGIAN)____ OSHKI **

OSHKI KATHEDRAL, 10c. **

オシュキ___オシュキ___オシュキ

エルズルムの北北東 90km、オシュク村ともいうが、小さな村には不釣り合いに大きなカテドラル聖堂(修道院聖堂ともいう)が、村の斜面地に堂々と聳える。竣工は 961年とも 970年とも。グルジアのバグラト朝のダヴィド・タイク王による。ラテン十字に近いプランだが、3アプス式で、交差部の4本柱の上にドーム屋根が架かる。グリゴール・イシュケリの工事という。南側の柱廊部が入口となっている。( AG.111, 138-41, 223, AMG.119, Phai.210 )

Plan
Plan of the Oshki Kathedral
(From "The Armenians" Adriano Alpago Novello, 1986, Rizzoli)
オシュク___オシュク___オシュク

INDEX


(GEORGIAN)____ HAHO **

HAHO MONASTERY, 976-1001 **

ハホ___ハホ___ハホ

エルズルムの北北東 90km。 グルジア語でハフリ Khakhuli 村(チャチュリ Chachuli 村とも)。エルズルムからグルジア渓谷を北上すると、最初に現れるのがハホの修道院で、主聖堂がモスクに転用されたおかげで 現在まで生き延びた。これもラテン十字のプランにドーム屋根を架けた聖堂で、タイク・バグラト朝のダヴィッド2世クロパラト王によって10世紀に建立された。( ET.II-10, MG.70-73, Phai.208 )

平面図
PLAN of the Haho Monastery
(from "The Armenians" Adriano Alpago Novello, 1986, Rizzoli )
ハホ___ハホ


INDEX


TATVAN *

KIZVAK KILISE, 13c. 17c.

タトヴァン___タトヴァン___タトヴァン

タトヴァンから 6kmのクズヴァク村に残る聖堂。外観は農家の納屋の趣で、実際、今は倉庫に用いられている。( PC.391 )

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AGHTAMAR ***

AGHTAMAR VANK (Surp Khach), 10-13c. ***

アフタマール___アフタマール

アフタマール___アフタマール___アフタマール

ヴァン湖は日本の琵琶湖の約5倍の面積をもつ。南のほとりのゲヴァシュ村からフェリー・ボートで 3kmのアフタマール島に聖十字架聖堂が残る。現代のトルコ語では アクダマール と発音する。
聖堂はアルツルニ家のガギグ王が 915〜921年に建立。小さな島に取り残されていたために破壊を免れ、修復を受けながら生き延びた。外壁にほどこされた数多くのレリーフ彫刻が、アルメニア美術の貴重な宝庫となっている。
( PC.331, AA.534, DOC.8, Book )

平面図
Plan of the Aghtamar Vank
(From "Documenti di Architettura Armena 8. Aght'amar", 1974)
アフタマール___アフタマール___アフタマール___アフタマール

アフタマール___アフタマール___アフタマール

アフタマール___アフタマール___アフタマール

* さらに対岸近くのクチュック島(チャルパナック島)にも、7世紀の聖ヨブハネス聖堂があるが、 未訪。 ( PC.332, AA.549 )


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OLD VAN *

CITADEL & VANKS, 10c. 15-17c.

ヴァン___ヴァン___ヴァン

岩山の上に城塞があり、丘の下に市壁で囲まれた都市が広がっていた。すべてはロシアによって1917年に破壊されてしまったが、いくつかのモスクや聖堂の遺址が見られる。
聖堂 1 はトプチュオール・ジャーミイ、 聖堂 2 はウル・ジャーミイ(大モスク)
( PC.326, AA.587, MH.86 )

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YEDI KILISE *

VARAG VANK, 10-11c. 17-19c.

イェディ・キリセ___イェディ・キリセ___イェディ・キリセ

イェディ・キリセとは、トルコ語で7つの聖堂の意だが、今は断片的にしか残っていない。( PC.322, AA.587, MH.224 )

平面図
PLAN of the Yedi Kilise
(from "Armenian Art" Jean-Michel Thierry, 1987, Harry N. Abrams )
イェディ・キリセ___イェディ・キリセ___イェディ・キリセ___イェディ・キリセ

INDEX


ALBAYRAK *

BARDUGHIMEOS VANK, 13c. 17-18c. *

アルバイラク___アルバイラク___アルバイラク

ヴァンの東方、イラン国境の近く。アルバイラク村の丘の上に、アクロポリスのパルテノンのように屹立している。軍のキャンプ内にあるので撮影は困難だが、キャンプの司令官から特別許可をとった。軍関係者以外でこの構内に入ったのは、私が初めてだという。なぜキャンプ内にしているかというと、この聖堂の地下には金銀が埋まっているという伝説があるので、放っておくと人々がこの聖堂を破壊してしまうので、軍がプロテクトしているのだという。
AAではアグバク。バシリカ形式の 聖バルドゥギメオス修道院聖堂。聖バルドゥギメオスとは、12使徒の一人、聖バルトロマイのこと。 1715年の地震で屋根崩壊。プランの外形は完全な矩形をしている。
( PC.315, AA.472, DOC.13, Phai.236 )

アルバイラク

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SORADIR ***

SURP EJMIACIN VANK, 6c. 17c. **

ソラディール___ソラディール___ソラディール

アルバイラクの北 20km、車で悪路を30分。イラン国境の近く 。標高2,300m。6世紀の四アプス聖堂。かつてはカルミール・ヴァンク(赤修道院)の一部だったという。現在、内部は保存がよいのに、床は汚物でまみれている。
プランはアフタマールの聖十字架聖堂ときわめて良く似ているが、天井の構成はユニークである。普通の聖堂よりもガヴィットに近い。二組の直行横断アーチの交差部にムカルナス型スキンチの小ドーム天井が架かり、トップサイド・ライトを設けている。角を丸くした方形の胴部(ドラム)は非常に珍しい。現在の形になったのは17世紀。
( PC.314, AA.577, Phai.230 )

ソラディール___ソラディール___ソラディール___ソラディール


INDEX


(BYZANTINE)____ ALAHAN ***

ALAHAN MONASTERY, 5c. **

アラハン___アラハン___アラハン

かつて南アナトリアにアルメニア人がつくったキリキア王国の西隣がイサウリア Isauria 地方で、ここに残るアラハン・モナスチールは、シリアの 聖シメオン聖堂 と並ぶ、最も重要な初期ビザンティン建築の遺構である。(イスタンブルの聖ソフィア大聖堂は別として)。イサウリア出身の、ビザンティン帝国の皇帝ゼノ Zeno (在位 474-491) が建立したと考えられている。 ここには石窟に始まり、西のバシリカ遺跡と東の聖堂、洗礼堂、それらを連結する長い列柱廊があった。なかでも重要なのは東聖堂で、三廊式バシリカに中央ドーム屋根という、アルメニア建築の一タイプの原型を、2世紀も早く示している(ただし、木造屋根だったという説もあるが)。ゼノの死後、国の内乱によって、イサウリアの高度な技能の建築家や石工たちは、新しい仕事を求めて離散の民(ディアスポラ)になったというから、アルメニアに移住した者たちもいたことだろう。
( Phai-52, Stierlin 45-47, Book )

平面図
Plan of the Eastern Church of the Alahan Monastery
(From "ALAHAN, An Early Christian Monastery in Southern Turkey" Mary Gough, 1985)
アラハン___アラハン



INDEX
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Map of Iran
IRAN

The northernmost part of Iran is called Azerbaijan (in Iran), whose largest group of inhabitants are the Azeri people. There are also many Armenians, who area able to travel back and forth freely to the north-neighboring Republic of Armenia through the town of Meghri, located in Armenia near the border.
In Azerbaijan there is the famous Surp Thaddeus Vank (monastery) near Maku and the Surp Stephanos Vank near Julfa (Jolfa), close to the border. Both became uninhabited when the Islamic Revolution broke out in Iran in 1979, and have been preserved as cultural heritage until now. In 2008 the Taddeus and Stephanos Vanks were inscribed on the UNECO World Heritage List as the ‘Armenian Monastic Ensembles of Iran’ together with the Surp Astvatsatsin Vank, which was reconstructed in Dzordzor (Corcor) near Maku but I have not yet visited.
On the other hand, in the old city of Isfahan in the far south, Shah Abbas of the Safavid dynasty made an Armenian quarter, New Julfa, to which he had Julfa’s Armenian merchants migrate and entrusted commerce in his capital to them. One can still see Armenian churches in Persian style there.


INDEX



MAKU ***

SURP THADDEUS VANK
(QAREH KALISA), 14, 17, 19c. ***

マークー___マークー___マークー

マークーの町はトルコ国境から22km。聖タデウス修道院聖堂は、現地ではカレー・カリーサー(黒聖堂)と呼ばれてきた。マークーの南、直線で 20kmの距離だが、道路が大きく迂回するので、車で1時間弱かかる。トルコ国境のバーザールガーンへも、車で1時間半弱。要塞修道院。最初にここに礼拝堂が建てられたのは 371年と言われるが、拡大されて聖堂になったのは7世紀という。14世紀はじめに大地震で倒壊し(1319年)、それから 10年間で再建された。古聖堂の祭壇まわりは10世紀という。14世紀の古聖堂が黒い石で建てられていることから、黒聖堂と呼ばれるようになった。西側の より大きな聖堂は 19世紀の増築である。
聖タデウス(タダイ)はキリスト十二使徒のひとりで、聖バルトロマイと共にアルメニアに宣教したと伝えられることから、アルメニアでは重要な聖人とされる。毎年6月19日頃が聖タデウスの祝日で、多くのアルメニア人巡礼者がここに集まって祝う(周囲にテントを張って宿泊キャンプを張る。)筆者が再訪した 2004年は 内部の修復工事中であった(ユネスコ世界遺産への登録をめざしたもの)。( PC.297, AA.589, DOC.4, 20-102 )

マークー  マークー  マークー

マークー___マークー___マークー

INDEX



DARASHAMB ***

SURP STEPHANOS VANK, 14, 16-17c. ***

ダラシャンブ___ダラシャンブ___ダラシャンブ

イランとアゼルバイジャンの国境近くの町 ジュルファ(ジョルファ)から、ナヒチェバンとの国境をなすアラス川沿いの道を車で20分、ダラシャンブ村の近くに 1979年のイスラーム革命まで活動していた聖ステファノス修道院(ヴァンク)がある。かつてはタブリーズで訪問許可をとり、猛烈な悪路をタクシーで行ったものだが、今では許可もいらず、道路も舗装されて、楽に行ってこられる。筆者が再訪した 2004年は 大々的な修復工事中であった(ユネスコ世界遺産への登録をめざしたもの)。
聖バルトロマイによって創建されたという伝説がある。
14世紀以降数度の地震で倒壊したのち、1814年にペルシアのガージャール朝の王子であったアッバース・ミールザーによって再建されたという。 ( PC.293, AA.547, DOC.10, 20-102 )

Plan
Plan of Surp Stephaos Vank
(Ffrom "Documenti di Architetture Armena 10. S.STEPHANOS", 1980)
ダラシャンブ___ダラシャンブ___ダラシャンブ___ダラシャンブ

ダラシャンブ___ダラシャンブ___ダラシャンブ___ダラシャンブ




SURP ASTVATSATSIN, 1518.

ダラシャンブ

聖ステファノスからさらに奥に行ったところにある 16世紀の小聖堂 (PC.294, DOC.20-88 )

INDEX



MUZUMBAR *

SURP HRIPSIME, 17c.

ムズンバル___ムズンバル___ムズンバル

ムズンバル村の中央に建つ3廊式のバシリカ型聖堂。( PC.303, AA.589, DOC.20-42 )



SURP ANEREVOYT, 1810

ムズンバル___ムズンバル

ムズンバル村の東の丘の上に建つ聖堂。( PC.302, AA.589, DOC.20-46 )

INDEX



SORHUL **

SURP HOVHANNES, 19c. *

ソルフル___ソルフル___ソルフル

ソルフル村はタブリーズの北。岡の上に孤立して建つ。( PC.304, AA.589, DOC.20 )
聖ホヴハネスとは聖ヨハネのこと。

Axometric
A Sectional Axonometric Drawing of the Surp Hovhannes
(From "Documenti 20. SORHUL", 1989)


INDEX




ISFAHAN (ESPAHAN)

Wood cut
An old Woodcut of New Julfa

イスファハーン南部のニュー・ジュルファ地区は サファヴィー朝のシャー ・ アッバース 1世が 17世紀につくったアルメニア人地域で、多くのペルシア型アルメニア聖堂がある。 シャー・アッバースはペルシア北部のジュルファ(ジョルファ)から多くのアルメニア人の商人や職人を移住させ、信仰の自由を与えるとともに、新イスファハーンの商工業の発展に寄与させた。それが現在にまで続くアルメニア人コミュニティとなり、13のペルシア型アルメニア聖堂を残している。( AA.561, DOC.21 )

Map

MAP of the CHURCHES in NEW JULFA, ISFAHAN
(From "Documenti di Architetture Armena 21, NOR DJULFA", 1991)
1 : Vank Cathedral,__2 : Surp Astvatsatsin,__3 : Surp Betghehem,
4 : Surp Gevorg__ 5 : Surp Grigor Lusavoric,__6 : Surp Stepanos,
7 : Surp Sargis, __8 : Surp Minas,__9 : Surp Nikoghayos,
10 : Surp Nerses,__12 : Surp Katerine




VANK CATHEDRAL
(Surp Amenaperkitch), 1108-12 **

イスファハーン___イスファハーン___イスファハーン

ニュー・ジュルファ地区の中心となるのがヴァンク・カテドラルで、1108〜1112年の建立という(1655〜64年とも)。DOCでは 1664年。境内には図書館やアルメニアの文化を展示する博物館もある。入口の事務所脇には売店があり、アルメニアの工芸品や書籍、音楽CDなどを販売している。
聖堂の内部は近代の壁画、天井画で満ち、ペルシアのイスラーム建築のような印象を与える。ただし壁画は19世紀もので、レベルはあまり高くない。中央ドームは、ペルシア式の二重殻。( AA.561, DOC.21-22, Book )

Plan       本
Plan of the Vank Cathedral and the Book of "New Julfa"
(From "Documenti di Architetture Armena 21. NOR DJULFA", 1991)
Isfahan___Isfahan___Isfahan___Isfahan



KHUCHAP VANK (Surp Astvatsatsin), 1062 *

Isfahan___Isfahan___Isfahan

カテドラルの東方にあるペルシア型のアルメニア聖堂。道路をはさんだ向こうに ベツレヘム聖堂のドームが見える。DOCでは 1613年。( DOC.21-37, Book )



BET VANK (Meydani Betghahem), 1077 **

Isfahan___Isfahan___Isfahan

聖母聖堂の向かいにあるペルシア型のアルメニア聖堂。一番古い。DOCでは 1628年。( DOC.21-45, Book )


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Relief at Bjni

© TAKEO KAMIYA
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