第6章
HINDU TEMPLES IN KERALA
ケーララ地方ヒンドゥ寺院

神谷武夫

シヴァ寺院、ペルヴァナム


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南インドの ケーララ州

 インドの木造文化圏は 主として北インドのヒマラヤ山脈に沿って つらなっているが、インド亜大陸の大部分は 木材の乏しい乾燥した亜熱帯気候で、石造文化圏に属している。ところがインドの最南端にも木造文化圏がある、ということは あまり知られていない。通常「南インド」というのは ドラヴィダ系の言語が話される四つの州をさす。北側にはアーンドラ・プラデシュ州とカルナータカ州とがあり、亜大陸の最南部では東側のタミルナードゥ州と西側のケーララ州とが 西ガーツ山脈によって分けられている。

 紀元前3世紀のアショーカ王の磨崖詔勅では、インドの最南部には チョーラ王国とケーララプトラ王国があると記載されていて、前者が ほぼ現在のタミルナードゥ州、後者がケーララ州に相当する。チェーラ王朝が栄えた古代には 仏教やジャイナ教もひろまっていたが、今はその痕跡は ほとんどない。その代わりに 海上交易を通じて早くからキリスト教やイスラム教が伝えられ、現在は人口の 20パーセントずつが それぞれの信者であり、あとの 60パーセントがヒンドゥ教徒である。

 東隣りのタミルナードゥ州は 広い面積の乾燥した地域で、「南方型」の石造寺院は この地方で最も発達し、「ドラヴィダ様式」と言えば この州の寺院スタイルをさすことが多い。一方ケーララ州はアラビア海と 標高 1,000〜1,500メートルの西ガーツ山脈に挟まれた細長い地域なので、海からの風が山脈にぶつかって多量の雨を降らせるので 緑が多く、タミル地方とは まるで異なった木造文化圏となっている。
 両州の間は山脈で隔てられているので 交流は最南端の海沿いになされたために、ケーララ州も南部にいくほどタミル的な要素が濃くなる。両州の建築の対比は、寺院の門(ゴプラ)にくっきりと見ることができよう。タミル地方のゴプラは 石造の典型的なドラヴィダ様式であり、雨の多いケーララ地方のゴプラには 木造の勾配屋根が架けられている。

  
左:タンジャ-ヴ-ルの ブリハディ-シュワラ寺院のゴプラ
右:トリチュ-ルの ヴァダックンナ-タ寺院のゴプラ


ケーララ地方の建築

 ケーララ州では木材が豊富なので 家々は基本的に木造であり、屋根は切妻の勾配屋根が 瓦で葺かれている。古代、中世には そうした民家と似た木造寺院がいたるところに建てられていたであろうが、ヒマラヤと同じく そうした古い寺院は おおむね消失し、現存するのは ほとんどが近世のものである。木材は主としてチークが用いられ、それにジャック・フルーツ、ローズウッド、黒檀などが加わる。
 寺院の規模が大きくなるにつれて 壁面や主要な柱は堅固な材料で造られるようになり、その上に木造の屋根架構が載せられるようになった。石窟寺院や石柱、そして基壇は花崗岩であるが、西ガーツ山脈のふもとにはラテライトを多く産するので、通常、壁面にはラテライトが用いられる。ラテライトとは「紅土」とも訳されるように 紅い土壌である。切り出すときは柔らかいが、大気に曝されると石のように硬くなるので 安価な建設資材として用いられる。ただ気泡が多くて粗いので、表面はプラスターで仕上げられ、彩色されたり 彫刻されたりする。

イリンジャラクダの寺院のナ-ランバラム

 寺院は矩形の境内が ナーランバラムと呼ばれる回廊状の塀で囲まれる。ナーランバラムもラテライトで造られることがあるが、木造の場合も多く、しばしば奥が透ける格子状をなしていて 日本的な印象を与える。
 こうした木造のヒンドゥ寺院が、一見ネパールの木造建築とよく似ているので、両者の間には なんらかの影響関係があるのではないかと考えられてきた。しかし遠く 2,000キロメートルも離れた土地のあいだに 直接的な影響関係などあるはずがなく、両者は別個に木造建築を発展させてきたのである。それを最もよく示すのが、ケーララ寺院における切妻部の強調である。ネパールには切妻屋根があまりなく、あってもケーララのような装飾的な扱いはされない。

エットマヌ-ルのマハ-デ-ヴァ寺院


ケーララ寺院の3タイプ

 ケーララ州のヒンドゥ寺院は 宗教的に厳しく守られているので、インド政府考古局の H・サルカルでさえ、その調査が困難であることを 報告書に書いている。内部の撮影はもちろん、見ることさえも 拒まれることがある。まして 外国人の異教徒である筆者などは、ヒンドゥと同じように ルンギ(ドーティ)という腰巻きだけの姿になってさえ、内境内への立ち入りも できないことがある。ここでは 筆者が撮影することのできた寺院と、手に入れることのできた書物に基づいて ケーララ寺院の概要をお伝えしたいと思う。

( ヴァイコムの シヴァ寺院 )  ( ペルヴァナムの シヴァ寺院 )  ( パヤヌールの スブラマニヤ寺院 )
円形(楕円形)         方形           前方後円形
ケーララ寺院の平面の3タイプ
(From H. Sarkar: An Architectural Survey of Temples of Kerala, 1978, A.S.I.)

 まずケーララ州の伝統的なヒンドゥ寺院の本堂(シュリー・コーヴィル)の平面形であるが、これには3つのタイプがある。円形プラン、方形プラン、そして前方後円形プランである。このうち、よそには見られない円形プランが多いのは ケーララの特色で、時にはそれが楕円形のプランにもなる。ヴァイコムにあるシヴァ寺院は その一例で、楕円錐形の大屋根が架かり、銅板で葺かれている。この単純な全体像とは対照的に、壁面には極彩色の壁画が連続して描かれ、窓廻りの装飾と方杖状の木彫とがあいまって 華やかな外観を見せている。

ヴァイコムのシヴァ寺院の壁面

 スリランカのポロンナルワには ワタダーゲと呼ばれる 12世紀の円堂の仏教遺跡がある。中央に小ストゥーパを祀って2列の石柱をめぐらせ、円形平面の壁で周囲を囲い、さらに そのまわりに石柱が建ち並ぶ。上部は失われてしまったが、おそらく木造の円錐形屋根が架けられていたのであろう と考えられる。
 とすれば これは仏教とヒンドゥ教という違いはあるものの、ケーララ州の円堂と大変によく似た建築形式である。ケーララにおける円堂が北部よりも中・南部に多いことからしても、円堂形式はスリランカとの影響関係が推定されるのである。H・サルカルによれば、古代インドの仏教円堂形式が スリランカにもたらされ、のちに スリランカからケーララ地方に移住したイーラワル族によって 円堂形式が逆輸入されたのではないかという。

  
ヴァダックンナ-タ寺院の諸堂と ナマスカ-ラ・マンダパ、トリチュ-ル

 トリチュールの 有名なヴァダックンナータ寺院には 三つの祠堂が並んでいて、その内二つが円堂、もう一つが方形プランの堂である。方形の堂の前面には しばしば拝堂(ムカー・マンダパ)が突き出し、切妻屋根が架けられる。さらにその手前には、円堂の場合も、独立した礼堂(ナマスカーラ・マンダパ)があり、これは木造の方形屋根を石柱が支えるオープン・マンダパである。
 方形プランは最も一般的であり、その方形造りの屋根には 屋根窓(ドーマー・ウインドウ)がつけられていることが多いが、これは飾りであって本当の窓ではない。特異な姿を見せるのは ペルヴァナムの寺院 で、方形プランの頂部に華麗な八角錐状の屋根が架けられている。北インドでは 聖室の上に立ち上がる石造の塔状部をシカラと呼んだが、ケーララ地方では、こうした層塔形式の頂部の屋根を シカラと呼ぶのである。

 一方、前方後円形プランは もともと古代の仏教寺院から受け継いだものと考えられる。 アジャンターやエローラーなどの石窟寺院におけるチャイティヤ窟は だいたいこのプランである。 それが次第に南方に伝えられ、カルナータカ地方におけるアイホーレのヒンドゥ寺院などをへて ケーララ地方へもたらされたのであろう。前面の切妻部は、石窟寺院においては実際の 「チャイティヤ窓」 であったが、ここでは窓の機能をほとんど失い、木彫装飾の舞台となっている。

マンムンダのマハ-シヴァ寺院


彫刻と壁画

 聖室のまわりに繞道のない本堂は ニランダーラと呼び、繞道がまわるのをサーンダーラと呼ぶが、規模が大きくなると 二重の繞道を備えるようになる。巡拝者は礼拝行為として、これを時計回りに巡るのである。
 平面図に見られるように、円形の寺院では ドラヴィダ式の石造の聖室がまずあり、その周囲に繞道を得るべく石柱をめぐらせ、円形の壁面で囲んだ上に木造の屋根を架けて 全体を保護したものと理解することができる。しかし方形寺院においては 列柱によって繞道を区画するということはなく、二重の繞道の場合でも ラテライトの厚い壁で仕切られている。両者は 別々の起源の寺院形式なのであろう。一方、前方後円形は両者の中間型なので、聖室の周囲に列柱をめぐらせていることも ないこともある。
 木造の上部構造は たびたび修復や改変、再建をへていても、石造の基壇(アディスターナ)部分は創建当時のものが多く、しばしばそこに碑文が刻まれていて、寺院の歴史を知るよすがとなっている。その上部の壁面は 木彫の神像で飾られていることも多い。内境内は だいたいにおいて写真撮影が厳しく禁じられているので、それらのみごとな木彫を掲載することができないのは 残念である。

 後期の寺院では ナーランバラムの入口に 堂々たるエントランス・マンダパが建てられていて、カヴィユールのマハーデーヴァ寺院では その格天井に、彫刻のミニアチュールとでもいうべき緻密な木彫が見られる。その神像や戦士像はケーララ地方の伝統芸能である「カタカリ」の役者を連想させよう。

エットマヌ-ルの寺院の壁画

 壁画はコーチンのマッタンチェリ宮殿と エットマヌールのマハーデーヴァ寺院、それに パドマナーバプラムの王宮のものが有名で、いずれも 16世紀以降のものであるが、独特のケーララ様式を見せている。インドには 彫刻に比べて壁画の量が少ないが、これらは アジャンターの石窟寺院における壁画の伝統を 受け継ぐものであろう。
 われわれ木造文化の日本人にとってケーララ州の木造寺院は興味が尽きない。次回ではケーララ州の宮殿やモスク、そして宗教的な劇場を採りあげたいと思う。


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