| ラダック地方の木造建築 |
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インドは広大な国である。 ヒマラヤの寒冷地から西インドの大砂漠、ガンジス河の流域平野から南インドの熱帯雨林に至るまで、その広さはヨーロッパ全体に匹敵し、さまざまな気候風土を見せている。 そしてまた 4,000年の歴史をけみし、古代から現代まで多くの宗教を生んだ国でもある。
ムールベックの近くの大きな民家 しかし、壊れやすいもののほうが保護を必要とするなら、インドの木造建築の分布や内容を明らかにして保存の対策を講じる必要がある。 インド建築史の研究はもっぱら石造建築に向けられてきたので、木造建築が十分に明らかにされたとはいえない。 そして近年の経済自由化は、伝統的な家をとりこわして実用本位のコンクリートの箱に建て直す傾向があり、伝統的な景観を破壊しつつある。
実際にインドを旅した人でも石造建築ばかりを目にしてくるので、インドにも木造文化圏があるということはあまり知られていない。 古代では今よりも樹木が豊富であったから、インド全体にわたって木造建築が主流であったのだが、しだいに乾燥化が進んで樹木が減少し、モニュメンタルな建物は石材で建てられるようになったのである。
![]() レーの古王宮と街並み 古王宮の入口
そうした国土の中で一貫して木造文化を保ち続けた地域というのは、要するに雨が多く、それゆえに木材資源が豊富な地域に他ならない。 それは北のヒマラヤ地方と、インド最南のケーララ地方である。 アラビア海と西ガーツ山脈に挟まれた細長いケーララ地方は、海からの風が山脈にぶつかって大量の雨を降らせるので木造文化圏となっている。
レーの町並みを古王宮から見下ろす
ラダックは中国との国境地方にあり、中印紛争などのせいで長いこと外部の人々に閉ざされてきた。 それに海抜が 3,000mから 4,000mと高いので、インドからの交通も容易ではなかった。
カシュミール地方のシュリーナガルの町と、ラダックの主都であるレーを結ぶ街道も冬は雪で閉ざされてしまい、6月から 9月までしか通じない。 そうした孤立性のために、ラダックはインドとはずいぶんと異なった文化を育んできた。
ラカン・ソーマ (新堂) の壁画、アルチ
1974年から外国人の入域が許可されるようになると、「秘境」 の僧院とその内部に描かれた密教の壁画が一躍クローズアップされた。 しかし建築的研究はまだ十分に行われていないので、寺院の実測もあまりなされていない。
ストックの新王宮
レーの町を睥睨する北山の上には印象的な王宮が聳えているが、今は廃墟となっている。 チベットのラサの王宮はこれをモデルにしたとも言われているが、この古王宮を建てたのは 17世紀始めに即位したナムギャル朝のセンゲ・ナムギャル王で、彼はムスリムを母としながら最も熱心な仏教徒の王となった。
写真からもわかるように、古王宮は石と日乾しレンガで建てられ、土のプラスターで仕上げられている。 しかしそれは外壁だけのことであって、内部は木造である。
ケイロンの民家、2階平面図
ラダック地方とその南側のザンスカル、ラホール、スピティ地方の民家形式はだいたい共通している。 石や日乾しレンガを積んで外壁を 1層分つくり、その上に木造の梁と根太を架け、次いで 2層目の外壁を立ち上げ、また木造の梁と根太を架ける。 床および屋根は薄い板張りの上に土の層を固めた土間床に仕上げられる。
ケイロンの民家、室内 民家は 1階が家畜小屋として使われ、2階が家族の居室や台所、寝室、仏間となり、大きな家では 3階建てとなる。木材はポプラを主とし、その上に載る小材としては柳の細枝が使われる。 住宅ではポプラが丸太のまま使われるが、宮殿やゴンパ (僧院) では四角く製材されたり、柱頭や柱脚に凝った彫刻がほどこされ、華やかに彩色される。
さて、ラダック地方で最も古い木造形式を残しているゴンパ (僧院) は、レーの西方 66kmにあるアルチ・ゴンパである。 チベット仏教再興のために大きな役割を果たし、チベット語への仏典の翻訳に努めたのがリンチェンサンポ (958〜1055) であり、アルチのゴンパは彼による創建と伝えられる。 アルチ・ゴンパの三層堂のファサードと、ポーチの木組み
奥から文殊堂 (マンジュシュリ・ラカン)、翻訳官堂 (ロツァワ・ラカン)、大日堂 (ドゥカン)、三層堂 (スムツェク)、新堂 (ラカン・ソーマ) と並ぶうち、最も興味深いのは 11世紀の三層堂であろう。 約 7メートル角の堂を基本として、その三方に背の高い弥勒菩薩、観音菩薩、文殊菩薩の像を容れる仏龕が張り出し、前面には 2層のポーチが設けられている。
建築的に最も興味深いのはポーチの木構造とその彫刻である。 1層目は 2段構成となり、上段では柱の両脇に添え柱をつけ、梁の中央には仏像を飾り、3弁アーチと三角形で枠取っている。 こうした造形は明らかにカシュミール地方の建築や美術の影響である。 |