MAHABODHI TEMPLE at BODHGAYA
ボードガヤー(ブッダガヤー)

大菩提寺(マハーボーディ寺院)

神谷武夫

マハーボーディ寺院
東インド、ビハ-ル州、ガヤ-の南、10km
2002年 ユネスコ世界遺産の文化遺産に登録

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『インド建築案内』(TOTO出版)より

マハーボーディ寺院 (大菩提寺)

Bodhgaya (Buddhagaya) / Mahabodhi Complex / 7世紀以降 / 仏教

 釈迦が修行と瞑想の後に悟りを開いたのは、ガヤーの町から 10kmの地の、ピッパラ樹の下であった。 ボーディ(菩提、悟り)を得たゆえに 釈迦はブッダ(覚者)となり、この樹は菩提樹と呼ばれ、仏教徒にとって最も重要なこの聖地は ボードガヤー(ブッダガヤー)と呼ばれるようになった。
 ここには寺院をはじめとして多くのストゥーパや僧院が建てられ、大巡礼地となる。ブッダが座した場所の金剛宝座と、周囲の石造の欄楯(らんじゅん)は前2世紀に遡るが、大寺院が菩提樹の横に建てられたのは7世紀頃のことである。

  
マハーボーディ寺院の菩提樹と塔上部

 けれどもインドにおける仏教の衰退によって、15世紀には放棄されてしまう。その廃墟が修復されるのは英領時代からで、19世紀末にはミャンマーの仏教徒が大改修をして、今の形となった。完全ではないにしても、古代の仏教寺院の上部構造を伝える唯一の遺構として重要である。
 寺院は四方に小塔を従える「五堂形式」をとっているが、小塔は 19世紀に付加されたものである。レンガ造の主塔は高さ 53mに聳え、表面はプラスターで仕上げられた。そのシルエットは直線的であるが、本来の姿はもっとヒンドゥ寺院のシカラに近い、砲弾形のものであったかもしれない。いずれにせよ、塔状の仏教寺院はストゥーパの発展形ととらえることができよう。
 現在のボードガヤーの町には、日本を含むさまざまな仏教国の寺院が建てられて、あたかも仏教の建築様式の博覧会場のようである。

基壇の壁面


『世界宗教建築辞典』(東京堂出版)より

ボードガヤー、 ボーディガラ と マハーボーディ寺院

宗教 -------- 仏教 (部派仏教期、大乗期)
建設年代 ----- ボーディガラは前 2世紀頃、寺院は 7世紀以降、19世紀に大改修
所在地 ------ インド、ビハール州、ボードガヤー(ブッダガヤー)

平面図
(From "Mahabodhi" by A. Cunningham, 1892)

宗教的背景
 上古のインドでは、ヒンドゥ教の前身であるバラモン教が支配的宗教であった。 それは「ヴェーダ」 文献を至上とし、バラモン階級による神々への供犠を中心とする祭式宗教であったが、前6〜前5世紀に、それに反旗を翻す自由思想家が続々と現れた。その一人ゴータマ・シッダールタ(釈迦)は 29歳で出家し、6年間にわたる苦行と瞑想の後に悟りを開いてブッダ(覚者)となったと伝えられる。その成道地はガヤーの町から 10kmのナイランジャナー川(尼連禅河)のほとりのピッパラ樹の下であったので、この樹をボーディ・ブリクシャ(悟りの木、菩提樹)と呼び、この土地をボードガヤー(仏陀伽耶)と呼ぶようになった。
 ブッダの教えは仏教として広まり、特に前3世紀のアショーカ王の時代にインドの支配的宗教となった。仏教徒にとって四大聖地とされるのはブッダの生誕地(ルンビニー)、成道地(ボードガヤー)、初転法輪地(サールナート)、涅槃地 (クシナガラ)であるが、最も重要とみなされるボードガヤーでは菩提樹の下に石の台座(金剛宝座)が造られ、欄楯で囲まれてボーディガラ(菩提祠)と呼ばれる聖域になった。後にその東側に寺院が建立され、これをマハーボーディ寺院(大菩提寺)と呼ぶ。

  
マハーボーディ寺院の菩提樹と欄楯

建築的特質
 インドで仏像が制作されるようになるのは1世紀末のことであるが、それ以前はブッダを象徴するものとして菩提樹、法輪、仏足石、台座などが礼拝され、それらはチャイティヤと呼ばれた。やがてストゥーパがその代表になるが、それらはしばしば欄楯や柱廊で囲まれ、また屋根で覆われて堂となることもあった。ボードガヤーにおいては前 2世紀頃にボーディガラが成立し、神聖な巡礼地となった。現存する金剛宝座はマウリヤ朝時代のもので、もとは祭壇の天板だったのではないかといわれる。
 大乗期になると仏堂としての寺院が重要視されるようになり、7世紀にはボーディガラの脇に現在の規模の寺院が建立された。レンガ造の主堂は高い基壇の上に建ち、高さ約 53メートルに聳える。
 インドで仏教が滅びると、15世紀には放棄され荒廃した。19世紀後半にミャンマーの仏教徒および考古調査局のカニンガムによって大改修がほどこされ、主堂の四方に小塔が付加されて五堂形式(パンチャーヤタナ)となった。寺院の細部は変形をこうむっているが、全体としては玄奘による7世紀の『大唐西域記』の記述と一致した、古代インドにおける塔状仏教寺院の形を伝える唯一の遺構である。


参考文献
A. Cunningham : Mahabodhi, or the Great Buddhist Temple under the Bodhi Tree at Buddha-Gaya, 1892, Reprint, Indological Book House, Varanasi, c.1982
Ananda K. Coomraswamy : Early Indian Architecture, Cities and City-gates, Munshiram Manoharlal, New Delhi, 1991, pp. 23〜33
Janice Leoshko (ed.) : Bodhgaya, The Site of Enlightenment, Marg Publications, Bombay, 1988


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