CLASSIFICATION of ISLAMC ARCHITECTURE
イスラーム建築の種別ー6
王侯の廟(クッバ、グンバト)

神谷武夫
メリカ
マラケシュの サード朝の廟(モロッコ)


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イスラーム圏における 王侯の廟

 廟は アラビア語で「クッバ」と呼ばれる。これはドームを意味し、木材の不足する中東において、墓の上に屋根をかけるには ドームが用いられたことを示している。その原型は ペルシアにおけるゾロアスター教の 拝火神殿に求められよう。4つのアーチの上にドームをかけ渡したもので、「チャハル・ターク」(四アーチ)形式という。クッバはペルシア語では「グンバド」、トルコ語では「キュンベット」という。インドでは庭園の中に配されることが多いので、ペルシア語の庭(ラウダ)に由来する「ラウザ」と呼ばれ、あるいはサンスクリット語の傘(チャトラ)に由来する「チャトリ」とも呼ばれる(屋上の小塔 チャトリと同じ原理である)。

アフラト
アフラトの ウル・キュンベット(トルコ)

 現存最古の廟は サーマッラーのスライビーヤ廟で、八角形の墓室を周歩廊が取り巻き、墓室の上にドーム屋根がかけられていた。この形式の起源がキリスト教の殉教者廟(マルチリウム)であることを思えば、用途は記念堂であっても、同じ影響関係にある『 岩のドーム 』が、イスラーム最初のクッバだと言えよう。その内部の華々しいモザイク装飾は、後の豪華な廟建築を予告しているかのようである。しかし本格的な廟建築が建設されるのは、10世紀まで待たねばならなかった。
 ブハラの『 サーマーン朝の廟 』は、小規模ながらレンガ造の廟建築を一気に完成の高みへと導いた。11世紀になると、北イランからアナトリアにかけて円錐屋根の「墓塔」が建てられるようになる。ゴルガーンの『 カーブース廟 』はその代表作で、高さ50mに達する実に力強い造形である。こうした初期の廟建築は 中央アジアから もたらされたもので、墓塔の原型を 遊牧民のテント屋根に求める学者もいる。また廟の中央墓室には空墓(セノターフ)を置き、本当の棺は地下室に安置するという 二重墳墓の形式も、同地から もたらされた。

カイロ
カイロの アミール・クルクマス廟(エジプト)

 12世紀になると いっそう廟建築が盛んになるが、同時に、廟を モスクやマドラサに併設することが行われた。前述のように、廟建築というのは 本来のイスラームの教義に反している。しかし トルコ系やモンゴル系の民族は 死者を敬い顕彰する欲求が強く、これを少しでも正当化するために 宗教施設と組み合わせ、王侯の廟を 聖者廟のように見せた。壁にはカリグラフィでクルアーンから引用をし、さらには 廟の中にミフラーブをしつらえ、モスクとの同一化を図ったのである。

クルクマス
クルクマス廟+モスク+修道場 複合体の 平面図
(From Doris Behrens-Abouseif "Cairo of Mamluks" I. B. Tauris, 2007)


国家事業としての 廟

 王侯の廟は国家の記念造営物ともなり、潤沢な予算と有能な建築家の手によって 高度な建築へと昇華する。本来のイスラーム建築の 内向性や皮膜的建築の性向に対して、中央アジアからインドにおける 外観重視の建築への欲求が、東方イスラーム圏における 廟建築の大発展を もたらした。ティムール朝の『 グーリ・アミール廟 』や ムガル朝の『フマユーン廟 』、そして『 タージ・マハル廟 』へと、幾多の傑作を生んだ。これらは二重殻ドームで、モニュメンタリティを いっそう強めている。
 中には こうした風潮を好まず、ムハンマドの教えに忠実たらんとする君主もいた。ムガル朝第6代皇帝のアウラングゼーブは 遺言により、塀で囲まれただけの簡素な墓に葬られている。けれども これは例外であって、権力者は 概して自己顕示欲にあふれ、生前から 自身の廟を計画することが多かった。

グーリ・アミール
サマルカンドの グーリ・アミール廟(ウズベキスタン)

 廟がクッバである限り、正方形プランにドーム屋根となるので、建築のヴァリエーションは 多くない。一般に 中庭型はとらず、インドでは 広大な四分庭園の中央に 彫刻作品のように建てられた。エジプトでは モスクやマドラサ、ハーンカーなどと組み合わせられることが多く(『 バルクーク廟 』など)、集合的な造形の一部に ドーム屋根が架けられる。セルジューク朝のトルコでは 墓塔の流れをくんで、アルメニア風の円錐屋根を戴くキュンベットを建造した。小規模なものが多いが、内部はドーム天井で 二重墳墓形式をとっている。

馬明心  馬明心
(左)カラチの ムハンマド・アリー・ジンナー廟(パキスタン)
(右)アンカラのケマル・アタチュルク廟(トルコ)

 近代になっても 廟は建てられた(「建国の父」は「王侯」ではないが)。パキスタンの『ジンナー廟』はクッバであるが、トルコの『アタチュルク廟』は、政教分離をした大統領らしく、ドーム屋根がない。むしろギリシア神殿のような印象である。
 これらに対して サウジ・アラビアのワッハーブ派は 厳格派で、決して廟を建てない。彼らの自称のムワッヒドゥーン(一神論の徒)は、12〜13世紀にマグリブとスペインを支配したムワッヒド朝の流れをくんでいる。この地方には あまり廟がなく、本格的な『サード朝の廟 』が マラケシュに建設されたのは、16世紀になってのことだった。

( 2006年『イスラーム建築』第4章「イスラ-ム建築の建築種別」)



● ゴルガーンの『カーブース廟』(イラン)については、
「イスラーム建築の名作」のサイトの「 カーブース廟 」を参照。


● カイロの『バルクーク廟』(エジプト)については、
「イスラーム建築の名作」のサイトの「 バルクーク廟 」を参照。


● デリー の『フマユーン廟』(インド)については、
「インドのユネスコ世界遺産」のサイトの「 フマユーン廟 」を参照。


● アーグラの『タージ・マハル廟』(インド)については、
「インドのユネスコ世界遺産」のサイトの「 タージ・マハル廟 」を参照。


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