CLASSIFICATION of ISLAMIC ARCHITECTURE
イスラーム建築の種別ー3

学院(マドラサ、メデルサ)

神谷武夫

ブハラ
ブハラのウルグ・ベク学院

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イスラームの教育施設

 イスラームの教育機関には初等教育を受けもつ「クッターブ」と、高等教育を担う「マドラサ」があった。前者は日本の寺子屋に相当し、読み書き算盤(そろばん)とクルアーンの暗誦を旨とする。エジプトでは給水所(サビール)の上階に設けられることが多く、町のいたる所に サビール・クッターブ がある。後者のマドラサ(学院)はクルアーン諸学やハディース学の学習と研究を主としながら、言語学や哲学、数学、天文学なども教授されたので、ヨーロッパで発達する大学に相当する。時には医学を教える専門学校(医学校)なども設けられた。

フェス
フェスの アッタリーン学院

 制度としてのマドラサが発達したのはイラン東部のホラーサーン地方である。アッバース朝の10世紀頃のことであるから、ヨーロッパの大学よりもだいぶ早かった。それまでは(あるいはその後も)モスクが教育の場に用いられた。
 マドラサを飛躍的に発展させたのは、セルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルク(1018-92)が1067年に、バグダードに自身の名を冠したニザーミーヤ学院を設立したことである。これに倣って、以後ペルシア圏各地の都市に、有能な教師陣をかかえるマドラサがあまねく設立されていった。1234年にはアッバース朝末期の ハリーファ・ムスタンシル(在位1226-42)が、同じくバグダードに大規模な ムスタンシリーヤ学院 を建設し、イスラーム諸学を隆盛に導く中心地となした。

ザーヒリーヤ学院  ザーヒリーヤ学院
アレッポのザーヒリーヤ学院

 平面図   ザーヒリーヤ学院の廊下

             ザーヒリーヤ学院の平面図
      (From "Islamic Architecture", R. Hillenbrand, 1994)

 このように ペルシア圏で発達したことによって、マドラサの建築形式は ペルシア型モスクに倣った 四イーワーン型式をとるのが基本となった。中庭を1層または2層の回廊的な小部屋群が囲み、それぞれの辺の中央にある イーワーンの半外部空間が、中庭を介して向かい合う。小部屋群は 教授と学生の寮室で、ほとんどのマドラサは 全寮制であった。内部の教室のほかに イーワーンも主要な講義の場で、背を壁に もたせかけて座る教授を 学生たちが取り巻いて床座した。4基のイーワーンは、スンナ派の四法学派(ハナフィー、マーリク、シャーフィイー、ハンバル)を表していると、しばしば こじつけ的な説明が行われている。

各地のマドラサ

 現在も多くのマドラサが残るのは 中央アジア、シリア、モロッコ、エジプトで、それぞれに建築のスタイルが異なっている。中央アジアのブハラ、ヒヴァ、サマルカンドでは、モスクよりもマドラサのほうが 数が多いくらいである。とくに天文学者でもあった ティムール朝のウルグ・ベク(1394-1449)は、学芸を保護して 多数のマドラサを建てた。すべてのマドラサはレンガ造で、正面に堂々たるピシュタークを構えた四イーワーン型のマドラサは、彩釉タイルでカラフルに飾られている。

 シリアでは 12世紀にザンギー朝の君主ヌール・アッディーン(1118-74)が 十字軍に対抗するための精神的基盤をつくるために、多くのマドラサを アレッポやダマスクスに建設したので、これらを ヌーリーヤ学院と総称する。それより少し時代が下るが、ここに掲げる アレッポのザーヒリーヤ学院に見られるように、シリアに移植されたマドラサは 石造となり、四イーワーン型式は やや崩れることになる。

 モロッコのマドラサは イブン・ユースフ学院で見たように、壁面が腰壁のタイル、中間のスタッコ、上層の木部と3層構成をとる。四イーワーンは ペルシアのような奥行の深い半外部空間をもたずに フラットな開口部となり、奥のイーワーンが 礼拝室の入口となる。

 エジプトでは最大規模の スルタン・ハサン学院 が 変形四イーワーン型式で聳え立っているが、多くのマドラサは モスクや廟など、他の用途の建物と組み合わされていることが多い。トルコのキュリエの場合もそうであって、エディルネのバヤジト2世のキュリエ には 癲狂院と組み合わせた医学校が設けられている。これらすべては アーチとドームを連ねて、厳格な幾何学で組み立てられた。

ビーダル
ビーダルのマフムード・ガーワーン学院

 インドには マドラサは多くないが、ビーダルには 完全な四イーワーン型のマフムード・ガーワーン学院が、大規模な3階建てで建設された。外壁にタイルが貼られているものの、中庭側には タイルもムカルナスもない謹厳なつくりである。ところが隅部には ミナレットを建て、各イーワーンの後ろには 小ドームを載せている。本来マドラサに ミナレットは不要であるが、大規模のマドラサでは しばしば飾りとして設けられ、またマドラサがモスクとして用いられるのも 珍しいことではなかった。

( 2006年『イスラーム建築』第4章「イスラ-ム建築の建築種別」)



● マラケシュのイブン・ユースフ学院(モロッコ)については、
「イスラーム建築の名作」のサイトの「 イブン・ユースフ学院 」を参照。


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