| エローラーの石窟寺院群 |

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かつて誰も夢想だにしなかった気宇壮大な計画をなし遂げたのは、往古のエローラーの石工たちである。8世紀にラーシュトラクータ朝の王クリシュナ 1世の命を受け、ヒンドゥ神話のシンボルであるヒマラヤのシヴァ神のすみか、カイラーサ山を地上にもたらすべく、石工たちは岩山を彫刻して巨大な聖山としての石彫寺院をつくりあげたのである。 エローラーに残る 34もの石窟寺院は仏教期からヒンドゥ教期をへてジャイナ教期へといたる時代をとおして、工芸の水準の高さを示すだけでなく 4世紀以上もの長きにわたる 3宗教の平和的共存の姿をも見せてくれる。 |
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アジャンター とならんで中部インドの石窟寺院を代表するのが、アジャンターから 100キロメートルばかり離れた山地にあるエローラーである。 ここでは 34の石窟寺院が岩山に沿って一列に並んでいるが、アジャンターと異なるのは、仏教窟とヒンドゥ教窟とジャイナ教窟とが、南から北へと場所を分けあって共存していることである。
ドー・タル窟とよばれる仏教の第 11窟
仏教窟は 7世紀から 8世紀にかけて、ほぼ 2キロメートルにわたる玄武岩の岩壁を彫って造営された。新しい型を生んでいるのは、第 11窟と第 12窟で、前者は 「ドー・タル (2階) 窟」 と誤って名づけられたが、実際は 3階建てであり、後者は 「ティーン・タル (3階) 窟」 の名前どおり 3階建てである。 ファサードには四角い柱とバルコニーが規則正しく並び、まるでオフィス・ビルのような印象を与える。 内部は列柱ホールで、壁面にはマハーヤーナ (大乗)期の仏教世界を構成する神々の姿が彫刻され、奥の仏堂には大きな仏坐像が彫られている。
カイラーサ寺院とよばれるヒンドゥ教の第 16窟
かつて岩山の山腹に、内部も外部も完全に仕上げられた大寺院が、そっくりそのまま彫刻されたことはなかった。 第 16窟のカイラーサ寺院をたたえる伝説によれば、ラーシュトラクータ朝の野心家の君主、第 2代のクリシュナ 1世 (在位 757〜783頃) は、シヴァ神に捧げるためのエローラー最大となる寺院造営をヴィシュワカルマ神 (建築と工芸の守護神) に祈念した。 それに応えて実現された寺院は、神自身さえ、驚きを禁じえない壮麗なものであった。
カイラーサ寺院のマンダパ内部から聖室を望む
エローラーの石窟寺院群の中央にそびえているのが、この驚くべきヒンドゥ寺院である。 もはや洞窟ではないインド最大の 「石彫寺院」 は、頂部に黒光りする玄武岩の巨大な冠石 (かむりいし) をいただき、足元までくまなく彫刻におおわれて、その技術の水準の高さを誇示している。岩を細工することにかけてはベテランの工匠たちは、クリシュナ 1世の野望に応えるべく、南インドのパッタダカルにおけるチャルキヤ朝の寺院建築をモデルにしつつ、パッラヴァ朝の建築芸術をも凌駕 (りょうが) するほどの寺院を造営しなければならなかった。 玄武岩の岩山から寺院を彫り出すアイデアは、マハーバリプラムの有名な 「ラタ」 がヒントになった。
![]() 第 16窟・カイラーサ寺院の立面図 ( from "Encyclopaedia of Indian Temple Architecture" vol. I-2, 1986 )
この石彫寺院に命を吹き込んだ、質量ともに他を圧倒する彫刻の数々は、多種多様な神々、悪魔、空想上の動物などで、人々を感嘆させずにはおかない。 一例を挙げれば、寺院への入り口の南側にはシヴァ神の妃でライオンの背に乗ったドゥルガー女神が描かれ、水牛の姿をした悪魔の王であるマヒシャと勇敢に対峙している。 この場面は叙事詩 『ラーマーヤナ』 や 『マハーバーラタ』 に基づいていて、悪魔の王を打ち負かすことができなかったシヴァ神とヴィシュヌ神は彼らのシンボルである武器をその女神に譲り、その美しくも残忍な女神は、8本の手を使って四方八方へ武器を投げつけるのである。
ドゥマル・レナ窟とよばれるヒンドゥ教の第 29窟
ヒンドゥ教の石窟寺院群のなかでは、ヴィシュヌ神に捧げられた第 15窟が有為転変を経ている。当初、仏教のヴィハーラ (僧院) 窟としてつくられたものが、ラーシュトラクータ朝時代にヒンドゥ寺院に転換されて、ダシャーヴァターラ (10の化身、つまりヴィシュヌ神) 窟とよばれるようになった。 2層の石窟で囲まれた前庭の中央には単岩のマンダパがあり、チャイティヤ窓の飾りをもつ壁龕 (へきがん) には彫像が彫られ、本当の窓には格子が嵌められている。おそらくはナンディ堂だったのであろう。 本堂である 2階建ての列柱ホールでは、周囲の壁がヒンドゥの彫刻家たちの活躍する舞台であった。
インドラ・サバーとよばれるジャイナ教の第 32窟中庭
この地で最後に開窟をしたのは、9世紀にやってきたジャイナ教徒であった。 彼らは第 30窟から第 34窟までを造営したが、ヒンドゥ教のカイラーサ寺院に刺激されて、盛んに石彫寺院を造営した。 第 30窟は幅 25メートルに奥行きが 40メートルあり、チョーター・カイラーサ (小カイラーサ) とよばれる。 しかしこの第 30窟は完成を待たずして放棄されてしまった。 大寺院カイラーサを小型化したこの建物の中には聖室がつくられ、その上部に南方型の階段状ヴィマーナがそびえ立っていたが、今は頂部が失われてしまった。
第 21窟の柱に彫刻された天女像 エローラーは、今日マハーラーシュトラ州の石窟寺院のなかでも最も多くの人々が訪れる窟院群である。 近くに交通量の多い幹線道路が通り、玄武岩はあちこちでひび割れているにもかかわらず、壮麗な寺院と僧院はその魅惑的な輝きをほとんど失っていない。 19世紀末にイギリス駐留軍のシーリー大尉がエローラーを目の当たりにしたとき、こうつぶやいたといわれる。 「宮殿は廃墟となる。橋は落ちてしまう。最も高貴な建物でさえ時の流れに道を譲るだろう。 しかしひっそりと生きてきたエローラーの石窟寺院は再評価され、過去の名声を取り戻し、いつまでも賛嘆されつづけるにちがいない」 |