かつて「岩のドーム」は、第 2代正統ハリーファ(カリフ)の名をとって
「オマール(ウマル)のモスク」と誤って呼ばれたりした。
ドーム屋根は、もとは 銅版の上に金箔が貼られていたのだが、
現在は鉄骨造に替えられ、金を含むアルミ合金で葺かれている。
撮影時、脇に建つ「鎖のドーム」が修復中だった。


ここが「神殿の丘」(Teomple Mount) と呼ばれるのは、
かつて ユダヤ教のヤハウェ(エホバ)神への礼拝場所であって、
古代イスラエルのソロモン王が紀元前10世紀に神殿(第一神殿)を建てた丘であるから。

神殿は前6世紀に破壊された後、ペルシャによって再建された(第二神殿)。
これを前20年頃にヘロデ大王が修理と大拡張を行ったので、ヘロデ神殿と呼ばれる。
紀元66年にはユダヤ戦争によって ローマ帝国がイェルサレムを滅ぼし、神殿も破壊した。
この写真は、イスラエル博物館に展示されている ヘロデ神殿の復原模型である。(ウェブサイトより)
左の茶色の屋根の棟が宮殿で、現在のアクサー・モスクの位置にあたる。

これ以後、神殿は再建されることが なかった(シナゴーグは集会所であって、
神殿ではない)。 この聖域を囲む西の壁は昔のままのもので、神殿を失ったことを
ユダヤ教徒が集まっては 嘆くので、「嘆きの壁」と呼ばれるようになった。