病院(ビーマーリスターン) |
バヤジト2世の精神病院、中央ホール
1484年、エディルネ、トルコ
ペルシア語で病人のことをビーマールということから、ペルシア語のビーマーリスターン、あるいはマーリスターンが病院をさす言葉としてイスラーム圏で最も広く用いられる。アラビア語では ダール・アッシファーというが、トルコでは ダーリュッシファー、あるいは ビマルハネの語を用いた。建築的に保存のよいものはシリアのアレッポ(アルグン)や ダマスクス(ヌール・アッディーン)のビーマーリスターン、トルコの ディヴリイや エディルネ(バヤジト2世)の ダーリュッシファーである。そのうち、ダマスクス以外の3つが精神病院(癲狂院)であったというのは驚きで、中世において精神病者を狂人として抹殺するのでなく、病院で治療しようとしていた点においてヨーロッパよりもずいぶんと進んでいた。
最初の病院はウマイヤ朝の707年に、ハリーファ・ワリード1世がダマスクスに建てたというから、これも早かった。しかしイスラームの医学が発達するのはアッバース朝の9世紀以降、ギリシア医学のヒポクラテスやガレノスなどの著作が翻訳・研究されるようになってからで、インド医学もサンスクリット語から翻訳されたという。哲学者でもあったイブン・シーナー(980-1037)が著した『医学典範』は、12世紀にラテン語に翻訳されて、ヨーロッパ医学に大きな影響を与えた。公共の福祉を重視したイスラームにおいては、病院もまたワクフ(寄進財産)によって各地に建てられ、運営された。
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