カリフォルニア |
神谷武夫
![]() ![]() バーンズドール邸の外観とホリホック装飾 ホリホック・ハウスは、ロサンジェルス市内の北東部、ハリウッド地区の東の端にあるオリーブ・ヒルの頂上に建っている。この邸宅が「ホリホック・ハウス」(たちあおいの家)と呼ばれるのは、ライトに設計を依頼した、石油企業の大富豪の娘で 芸術、特に演劇のパトロンだった アリーン・バーンズドール (1882 -1946) 女史が あらかじめ そう名付けていたからである。彼女は ホリホック、すなわち 立葵(たちあおい)の花を 溺愛していて、その住居の設計にも ホリホックの花をデザイン・モチーフとすることを求めたので、この邸宅には 立葵(ホリホック)の花を あしらった装飾が、内外 至る所に ほどこされていて、一度見たら忘れられない(これを 遠藤新が受け継いで、神戸の『山邑邸』の塔屋で 似たような装飾を試みている(バナナブックス p.38))。
![]() ![]() バーンズドール邸の子供室と、東側外観
ライトの住宅としては、ロビー邸と 落水荘の ちょうど中間の時期の作品となり、ライトはこの作品によって、北の寒冷地のプレーリー・スタイルに別れを告げ、強い陽ざしのカリフォルニアに適合した住宅へと 変貌する。このバーンズドール邸は コンクリート・ブロック造ではないが、次の4軒のテキスタイル・ブロックの家など、ライトのカリフォルニアでの仕事の 出発点となった作品である。 ![]() アリーン・バーンズドールは ロサンジェルスのハリウッドを見下ろすオリーブ・ヒルに 15ヘクタール近くの土地を買い、最初はライトに 豪邸の設計ばかりでなく、大劇場や小映画館、店舗や芸術家の宿泊施設なども含むという 壮大な計画を依頼したのだった。しかしアリーンは ライトに似た途方もない女性で、アナーキストのエマ・ゴールドマンなどとも付き合い、サッコとヴァンゼッティを擁護し、世界中を駆け回っていた。ライトも 日本の帝国ホテルの仕事で アメリカを留守にすることが多く、アリーンとの意思疎通が十分でなく、バーンズドール劇場は 結局 実現しなかった。
![]() ![]() バーンズドール邸の中庭と外庭 ライトは帝国ホテルの設計と着工のために日本に滞在していた1918年と1919年に、バーンズドール邸の設計を進め、1919年末に ルドルフ・シンドラーを助手にして、総ての部分を 20フィート(約6メートル)のグリッドに乗せた設計図を作成した。工事は1920年に着工したが、1921年の9月までかかり、当初は RC(鉄筋コンクリート)造の予定だったが、最終的に コンクリートは下半分だけとなり(構造用粘土タイルとも言う)、上半分は木造スタッコ仕上げとなった。そのせいで、家じゅうで 雨もりが ひどかったという。
![]() ![]() ホリホック・ハウスは 落水荘に劣らぬ大邸宅で、落水荘には無い外壁装飾やステンドグラスもあるので、別種の魅力に満ちている。ホリホック装飾は、「アート・ストーン」とライトが呼んだ コンクリート製の型枠を用いたコンクリート製を主とするが、木造モルタル造との境界は よくわからない。主暖炉まわりも、それまでのレンガや自然石のものとはずいぶん違うが、この広い家の内外を歩き回るのは、実に楽しい。
![]() ![]() バーンズドール邸の寝室とステンドグラス この家と バーンズドール劇場の計画案は、ヴェンディンゲン版『フランク・ロイド・ライト作品集』に 30ページを費やして扱われているので、世界に知られた。しかし アリーン・バーンズドールはこの家に満足せず(ひどい雨もりと湿気のために あまり住んでいなかったという)、1927年に この豪邸と 4.5ヘクタールの土地を、ロサンジェルス市に寄付してしまった。ライトは驚愕したことだろう。現在では、市は ここを「バーンズドール公園」 (Barnsdall Park) として、下記のように 他の文化施設も加えて、整備・公開している。
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現在のバーンズドール公園の 航空写真 (From Google Maps) バーンズドール公園 (Barnsdall Park) には ホリホック・ハウスのほかに、ライトの設計になる「住居 A」や泉屋 (Spring House) があり、ロサンジェルス市立アート・ギャラリー、バーンズドール・アート・センター、バーンズドール・ギャラリー劇場が新設され、それに「建築家シンドラーのテラス (Schindler's Terrace) 」がある。ライトの弟子で、ホリホック・ハウスの図面を主に作成し、工事監理も担当したルドルフ・シンドラーは、1925年に リチャード・ノイトラの協力も得て、ホリホック・ハウスの西側の バーンズドール幼稚園予定地だった所に、その擁壁を利用して、街と海を見晴るかす屋外テラスと 水遊びプールを作った。今は荒廃していて、少しづつ修復しているようだ。
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(左)ライトが設計した 住居-A 1923 .
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(左)泉屋 1920
(From "Frank Lloyd Wright Companion" 1993, p.212)
バーンズドール幼稚園の計画は「小北斗星」と名付けられ、テキスタイル・ブロックで擁壁と外壁が作られるはずだった。擁壁だけが残り、その上にシンドラーが、市街を見下ろすテラスと 水遊びプールを作った。 ![]()
バーンズドール劇場計画案(透視図)1919年
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バーンズドール劇場計画案(透視図)1921年 ライトは バーンズドール劇場の設計に ずいぶん入れ込んで、1915年、1918年、1919年、1920年と 何度も設計案を作り、その都度、精度の高い模型も製作した。そもそも アリーン・バーンズドールが 最初にライトに設計の話を持ちかけたのは、住宅ではなく 劇場だったのだ。
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バーンズドール邸を設計していた時の ライトのスタッフ、1918年
H. & S. FREEMAN RESIDENCE, 1922 -23, Los Angeles
カリフォルニアにおけるライトのコンクリート・ブロック(テキスタイル・ブロック)の4軒の家(1923年に設計)は
、「プレーリー住宅」時代と「ユーソニアン住宅」時代との中間をなす「テキスタイル・ブロック住宅」期と呼ばれたりする。ライトが 55歳前後の頃である。その第1作は「ラ・ミニアトゥーラ」という愛称のある ミラード夫人邸 (1923) だが、私は訪れることができなかった。 ![]() 次節のストーラー邸に続く第3作がフリーマン邸で、フリーマン夫妻はこの家を愛し、離婚後も 60年間住み続けたという。私が訪ねた時には、留守でもあり、荒廃もしていたので 中に入れず、詳しく見ることも できなかった。その後、これは南カリフォルニア大学の所有になって、きれいに修復されたようである。タッシェン社の 近年の『Frank Lloyd Wright』作品集 (2015) の表紙になっている。
JOHN STORER RESIDENCE, 1923, Los Angeles
カリフォルニアのコンクリート・ブロック住宅第2作のストーラー邸は、敷地が道路面よりも1階分高いという斜面地に、1階が高い擁壁となり、それがテキスタイル・ブロックで飾られているので、その上に建つ住居は、まるでマヤの神殿のような印象も与える。
![]() ストーラー邸 平面図 ( From website "Great Buildings.com" ) ![]()
![]() ![]() ストーラー邸の前面テラス
ストーラー邸は1階と2階の両方に暖炉つきの居間がある。ライトの弟子の建築家 ルドルフ・シンドラーの夫人も、離婚後 一時この家に住んで、この家の住み心地を 絶賛したという。
![]() ![]() ストーラー邸の内部(1階と2階の 暖炉のある居間)
CHARLES ENNIS RESIDENCE, 1923, Los Angeles
ロサンジェルスの4軒のブロック住宅の内、他の3軒はマヤ文明のイメージなのに、このエニス邸だけはチベットのラサ、ポタラ宮を原型としていると言われる。といっても、エニス夫妻はマヤ文明の愛好者だったので ライトに設計を依頼したらしい。しかし 内外を、繊細に「彫刻された」コンクリートブロック(テキスタイル・ブロック)で囲まれた空間に身を置いた時、私に思い起こされたのは、むしろインドのジャイナ教の建築(アーブ山やラーナクプルの寺院群)の 内部空間、あるいはアダーラジなどの階段井戸(ステップウェル)の 地下空間 だった。
![]() エニス邸の南庭 ![]() エニス邸 2階平面図 ( From website "Pinterest.com" )
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エニス邸、南側(都会側)からの望遠写真
![]() ![]() エニス邸の内部(居間と暖炉) 上のストーラー邸と同じように、テキスタイル・ブロックは 外部ばかりでなく、内部にも 至るところに用いられていて、この大邸宅の中を歩き回るのは、実に印象的で 刺激的だった。
![]() ![]() エニス邸の内部(ステンドグラスと食堂)
ANDERTON COURT SHOP, 1952,Beverly Hills ロサンジェルスの西部の高級住宅地、ビヴァリーヒルズにライトの唯一の小売店舗がある。バーンズドール邸の西10kmぐらいの所で、ライトの設計だというが、晩年に簡単なスケッチを描いて、あとは弟子がやったのではなかろうか。やや薄っぺらな ペーパー・アーキテクチュアといった趣で、わざわざ見に行くほどのものではないと思う。次の「モリス商会 ギフト・ショップ」とは 大違い。
V.C. MORRIS GIFT SHOP, 1948, San Francisco 学生時代に、初めてこのファサードの写真を見た時はアッと驚き、感心した。商店であるにもかかわらず、ショ―ウィンドウも作らず、街路から商品を まったく見せずに、ただレンガによるアーチの重なりによって 入り口を示しているだけの、実に美しいファサードを作っている。レンガは通常の2倍ぐらいの長さのものを特注して、アーチも厚みのあるものとし、また壁面の左端のほうにレンガ1枚分の隙間を縦一列に並べてアクセントとし、夕方になると ここから内部の光がもれ出る。実に憎い構成で、常人には思いつかないような 芸の細かさである。何を売っているのかも わからないような この禁欲的な外観が、却って人の眼をうばい、一度来た客は、何度も訪れたくなることだろう。高級小物を買う人の 自尊心を煽るのかもしれない。 ライトがカリフォルニアの実業家 V・C・モリスから依頼されたのは、既存建物の改修だった。ライトはその小売店舗のショーケースを撤去し、ファサードを全部レンガ壁にしてしまい、ただアーチ状のトンネルを作って 入り口にしたのである。このトンネルをくぐると、明るく天井の高い、しかも円形の内部空間に入って、その劇的な構成に息を呑むのである。円形の空間は、螺旋状の斜路で2階に上るようになっていて、途中の壁面にギフト用の高級小物が展示される。これを設計したのは、グッゲンハイム美術館の設計と同じ時期で、規模は全然違うが、コンセプトは ほとんど同一だと言ってもよい。ライト 81歳の時である。
![]() ![]() モリス商会 ギフト・ショップの外壁と内部
このショップは 1967年に売却されたので、私が訪れたときには 美術・宝飾品を展示販売する「サークル・ギャラリー」となっっていたが、インテリアは まことに素晴らしい。よく見れば、材料は すべて粗末なものであって、大理石のような高価なものは 全然使っていない。にもかかわらず、これだけ豪華なインテリアを作りうるというのは 驚嘆に値する。光り天井の作り方ひとつをとっても、近代建築、現代建築の無数にある光り天井のうち、これに匹敵するものがあるだろうか。これとて スチール・パイプのフレームの上に アクリル板を乗せ、一部を半球状にしただけなのである。こんな小さな作品のなかに、何と深い美的興趣が潜んでいることだろうか。
![]() ![]() V・C・モリス商会 ギフト・ショップ 1階、2階 平面図 ライトは 1945年と 1955年の2回、V・C・モリスのための住宅の設計案を作成している。どちらも実現しなかったが、その間の 1948年にギフト・ショップの設計依頼を受けて、これのみ実現させた。この絶壁上のモリス邸の案は「海の絶壁」と呼ばれ、海面から34メートルの高さとなる。建物よりも造成・基礎工事のほうに多額の費用が かかってしまいそうだが。
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ライトによる モリス邸 計画案の透視図、1945、紙に色鉛筆
MARIN COUNTY CIVIC CENTER, 1957-62, San Rafael
![]() マリン郡庁舎の遠望 サンフランシスコの北、約32キロメートル(車で30分)のカリフォルニア州北部、マリン郡のサンラファエルにある、ライトの遺作である。ライトの最晩年(90-91歳)の設計となった。1957年に設計依頼を受け、翌年の 1958年に種々の施設を含む 地区のマスタープランを作成、郡庁舎と法務棟の設計案を作って郡に提出したが、翌 1959年にライトは 91歳で死去し、ライトの弟子たちから成る タリアセン設計事務所(Taliesin Associated Architects)が仕事を引き継いだ。
![]() ![]() マリン郡庁舎の法務棟
![]() ![]() マリン郡庁、行政庁舎の屋根と換気塔
一見すると、奇抜な造形をしただけの建物のように 見えるかもしれないが、実際は、ここは楽しい所である。町から離れた、のどかな自然の中に、伸び伸びと、この大規模な建物は ある。 池(ラグーン)の向こうにはオーディトリアムがあり、さらに展示場が建っている(これらの別棟は ライトの死後に タリアセン設計事務所が建てたので 少々質が落ちる)。アプローチ側には、ライトが基本設計をした郵便局もある。
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マリン郡庁舎( シヴィック・センター )地図 ![]() ![]() ![]() マリン郡庁舎のエントランスと廊下吹抜け ![]() ![]() マリン郡庁舎、中廊下とホール ![]() マリン郡庁舎、図書館の内部
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マリン郡庁( シヴィック・センター ) 行政庁舎3階平面図 MARIN CIVIC CENTER POST OFFICE, 1957, San Rafael
ライトが最晩年にデザインした、マリン郡の郵便局。シヴィック・センターの東、丘の麓に建つ 愛らしい建物。円形ではないものの 円弧を組み合わせたプランの建物で、竣工したのは ライト没後の 1962年。 MARIN CENTER (Veterans Memorial Auditorium), 2007, San Rafael ライトの没後、ライトの弟子たちが作った タリアセン設計事務所(Taliesin Associated Architects)が設計・監理をした「マリン郡市民会館」。ラグーンの北側の建物で、外観はマリン郡庁舎のデザインを踏襲している。 |