ナゴルノ・カラバフの建築 |
ダディ修道院(ヴァンク)** ナゴルノ・カラバフの最も北にあり、アルメニアで最大規模の修道院のひとつであるダディ修道院(ヴァンク)は、使徒・聖タデウスの弟子の聖ダディに献じられて9世紀に創建された。それ以前に4世紀の小聖堂があったとも伝えられる。1145-6年にセルジューク朝のペルシャに略奪、破壊されたものの、12〜14世紀に順次 聖堂や諸施設が建設されて大規模になり、建物の数は20を数える。15、16世紀には繁栄したが、18世紀の終わりにペルシアの支配と飢饉で荒廃した。長いこと放置されていたが、20世紀後半に修復された。
東側が聖堂地区であり、西側が住居地区と言えるが、ヨーロッパの修道院建築にくらべて全体計画に乏しいので、配置計画の妙に欠ける。一番大きな聖堂は北側の聖タデウス聖堂で、屋根の失われた単廊式の聖堂であり、筆者が訪れた時には 修復というよりは再建をしていた。 建立は9世紀とも12世紀とも言われる。その前面にある1224年のドーム式 ガヴィットは未完なのか、きわめて古い聖堂のように見える。堂内には2面の大きなハチュカルの石板パネルがある。
東端に建つ中規模の聖堂は完成されたドーム式アルメニア建築で、メインの聖堂である カトリケー(カテドラル)で、1214年建立の碑文がある。ブラインド・アーケードで飾られたドラムは14角形で、角錐屋根を戴く。南面の壁には、アルズハトゥーン (Arzu Khatun) 王の息子たちによる 堂の寄進を描くレリーフ彫刻がある。瓦葺きの小聖堂を間にして、南側には図書室、ターカル堂、そして食堂が連なっている。おおむね13世紀の建造である。西の住居地区は崩壊はなはだしく、荒廃している。( PC.245, AA.511, MH.198, RAA.3 p.74 )
ダディ修道院の平面図
カルミール修道院(ヴァンク) ダディ・ヴァンクの帰途に寄った カルミール修道院の遺跡。かつては規模の大きかったヴァンクのようだが、今は わずかしか残らない。
ガンザサール修道院(ヴァンク)*** ステパナケルトの北西約40kmの地に、13世紀に創建された ガンザサール修道院(ヴァンク)がある。標高が約 1,300mの高地で、ガンザサール村の南東 1.5kmの山上に、遺跡ではなく、今も実際の修道院として機能している。山奥の辺鄙な所なので、11、12世紀のセルジューク朝や、13世紀のモンゴル軍の侵略にもあわず、破壊されずに残ったのである。本堂はアルツァフの大司教座聖堂で、 聖ホブハネス (Surp Hovhanne) 、すなわち洗礼者ヨハネに献じられている。ハチェン Khachen 地方の領主ハサン・ジャラル・ダウラ Hasan Jalal-Dawla の寄進によって1216-38年に建設され、1240年に献堂された。
聖堂は十字形プランのドーム型で、四隅に2層の小祭室や聖具室がある。外形は完全な長方形 (17.4m × 11.8m) をしていて、各面に2か所づつ 三角形の切り込み(ニッチ)がある。きわめて豊かに装飾された聖堂で、特に16角形のドラムには多数の彫刻がある。その各面の仕切りは3本の束ね柱でなされていて、ハリチのハリチャ・ヴァンク (1210) を手本にしているようだ。屋根は唐傘型である。ガヴィットは1261年に、ハサンとその妻子によって寄進されたという。柱が4本ではなく2本で、大アーチを交差させて架構するという、ハグパト型である。天井の中央にはムカルナス装飾のトップライトがあり、その上に鐘楼が建っている。
首都 ステパナケルト * ステパナケルトは、古くはヴァララクン (Vararakn) という名だった。シュシの町が破壊されてから アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)の首都となったといっても、人口約5.5万人の のどかな小都市である。北部にはムロヴダグ山脈(最高 3,724m)があり、緑ゆたかな山あいの町である。かつてはハンケンディ (Khankendi) という名であったが、1923年に アルメニア人革命家ス テパン・シャフミヤンの名をとって、ステパナケルトと改名された。建築家 アレクサンドル・タマニアンが1926年に都市計画をしたということだが、その詳細は不明である。
聖アメナプルキチュ聖堂 *
かつてナゴルノ・カラバフの中心地だったシュシの町は、ナゴルノ・カラバフ戦争によって灰燼に帰した。アゼリー語ではシュシャという。ヴァガルシャパトの聖エチミアジン大聖堂に匹敵する巨大な聖アメナプルキチュ・カトリケー(カテドラル)は、モダンな要素を加えながら 見事に修復された。 ( PC.238, MH.234 )
ツィツェルナ修道院(ヴァンク)** ツィツェルナ修道院(ヴァンク)のバシリカは 4世紀に創建されたが、5世紀と7世紀に改装された。 要塞修道院のように 17世紀の壘壁で囲まれていて、かつてはこの構内に、多くの建物が建っていたと考えられる。構内の南端にある廃墟は、食堂だったらしい。 バシリカの下層は濃いグレーの玄武岩、上層は白っぽい石灰石で建てられている。上層を軽くして地震に強くしようと、こんな昔に考えたかどうか わからないが、そのおかげか、屋根以外の外壁はよく保存されていた。屋根も、近年すっかり修復された。
内部では、 あとから加えられたのであろう 外壁側のピラスター(壁付柱)と、内側のアーケードの壁柱の位置が ずれている。アプスの半ドームの上に 初期キリスト教聖堂として3連アーチが載っているのが印象的である。壁には 壁画の跡がわずかに残る。ツィツェルナ・ヴァンクとは「つばめ修道院」の意で、つばめはキリスト教伝来以前からアルメニアで礼拝されていたので、この聖堂は異教の神殿跡に建設されたのではないかと言われる。( PC.239, AA.509, MH.37, EC.114dr, 240-1, RAA.3 p.137 )
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