アルメニア南部の建築 |
ヴァヨツゾール県 VAYOTSDZOR PROVINCE |
キャラヴァンサライ **
セリム(スレマ)峠の隊商宿(キャラヴァン サライ)、14世紀。L字形のプランで、手前の短い棟がエントランス・ホールで、奥の長い棟が宿泊室。 三廊式の主身廊にあたる部分が人間の寝室と荷置場で、側廊にあたる部分が馬やロバのためのスペースであったろう。( AA.570 )
キャラヴァンサライ
セリムの南東すぐ近くに、もうひとつのキャラヴァンサライの遺跡がある。大きなヴォールト屋根で覆われているが、こちらには柱が無く、単廊の一室空間となっている。
聖ヌシャン聖堂 *
17世紀の ごく素朴な三廊式の四角い聖母(アストヴァツァツィン)聖堂で、ドームも鐘楼も無い、大きな納屋のような建物。 ( PC.194 )
ごく奥行の浅い小聖堂が山の上に建ち、いささか不思議な印象を与える。( PC.193, AA.592, MH.220 )
アラテス修道院(ヴァンク)** 三つの聖堂が並んでいて、それぞれが大小三つのアプスを持っている。19世紀にはガヴィットの骨組みが残っていて、ヴァルトルシャイティスは『アルメニア建築におけるオジーヴの問題』で その写真と図面を用いながら論じている。( PC.195)
アラテス修道院の平面図
聖母(アストヴァツァツィン)聖堂 ** スピタカヴォル(白っぽいの意)の 聖アストヴァツァツィン聖堂。 14世紀の小聖堂。 峻険な山道を ジープで 40〜50分登ると、崖地に忽然と現れる。 プロシアン家のプロシュ公が 1330年に建立した。( PC.200, AA.578, MH.218 )
アルメニアには珍しく、ヨーロッパの聖堂のように、この地方では聖堂入口のタンパンに聖母子像などの彫刻がほどこされることが多い(アマグ・ノラ・ヴァンクや アレニの聖母聖堂など)。
橋と 景観 *
タナハト(カラ)修道院(ヴァンク)**
13世紀の聖ステパノス聖堂には、愛らしいレリーフ彫刻が諸所に配されている。 玄武岩で建てられている。( PC.199, AA.582, MH.202 )
聖シオン聖堂 *
外から見ると、二棟の聖堂が並んでいるように見えるが、内部は一室で、二つのアプスが並んでいる。もともとは3棟が並んでいたという。( PC.208)
グンデ修道院(ヴァンク)** 峡谷の下のほうに残る要塞修道院。( PC.207)
聖母(アストヴァツァツィン)聖堂 ** アルパ川の左岸、アレニ村の近くの小高い丘の上に建つ。西側入口の碑文は、1321年に建築家モミク (Momik) によってオールベリアンのヨヴハネス大司教のために建てられたと伝える。彫刻家でもあったモミクは、中世アルメニアで最も有名な建築家のひとりだった。縦長でスレンダーな印象は、13,14世紀のアルメニア聖堂の典型的なスタイルである。ドラムは内部で円筒形をしているが、外部は24角形に面取りされ、8つの窓が穿たれている。次節のアマグ・ノラ・ヴァンクの影響のある正面扉口上のタンパンには、聖母子のレリーフ彫刻がある。聖堂は 1840年の地震で かなりの被害が出たが、1967年から72年にかけて修復された。( PC.202, AA.492, MH.216 )
ノラ 修道院(ヴァンク)*** イェレグナゾールの南方、アマグ村から3km の山上にあるヴァンク(修道院)である。長く失われたままになっていた頂部の鐘楼が再建されて 全体が綺麗になった聖母聖堂が 断崖絶壁の大峡谷の中に忽然と現れる姿は、超現実的な印象を与える。ノラ・ヴァンクとは「新しい修道院」の意で、1105年に司教ヨヴハネス Yovhannes によって設立された。シューニク地方の貴族、オルベリアン家の寄進になる。聖カラペト聖堂の南側に接している 全壊に近い小聖堂は、洗礼者ヨハネに献じられていて、これが古くから建っていたので、12世紀にここに建てられた修道院はノラ・ヴァンク(新修道院)と呼ばれた。13世紀から14世紀には、修道院はシューニクの司教の住まいとなり、グラゾールの大学、図書館とも連携して、南部の学芸の中心地となった。
聖アストヴァツァツィン(聖母)聖堂は1339年の建立で、寄進者ブルテル・オルべリアン (Burtel Orbelian) の名を取って、ブルテラシェン (Burtelashen) とも呼ばれる。峡谷に面したわずかな平地に、これと 聖カラペト聖堂の二つの聖堂が建つ。建築家の名はモミク (Momik) とシラネース (Siranes)と伝える。この造形力豊かな3層構成のブルテラシェンと同じ聖堂形式は、中部アルメニアのイェグヴァルドにある聖アストヴァツァツィン聖堂と、その近くのカプタンにある小規模なカプタ・ヴァンクにのみ見られる。頂部に大きな、しかし軽快な、円錐屋根の鐘楼を戴く聖堂というのは 造形的に派手であり、また壁面の彫刻も優れていることから、アルメニア建築の中でも 最も有名な作品のひとつである。ただしイェグヴァルドの方が10数年早いことから、アマグはその形式を踏襲して 拡大美化したのだとも見なされる。
もう一つの聖カラペト聖堂は、1221年から27年にかけて建設された。ここを訪れる人はまず聖アストヴァツァツィン聖堂に目を奪われてしまうので、ずっと奥にある聖カラペト聖堂は あとまわしにされてしまうが、こちらの方が古く、またノラ・ヴァンクの中心施設である。見晴らしのきく断崖の側にあって引きがないので、すぐには気付かれにくいが、西側ファサードには上下ふたつのタンパンがあって、その彫刻は中世アルメニア美術を代表するものである。とりわけ上部のタンパン彫刻は「天地創造」をする神の姿を描くという珍しいもので、その大胆で表現主義的な表現は諸外国にまで知られた。聖カラペトとは、洗礼者ヨハネのことである。
ガヴィットは スムバト・オルベリアンによって 1261年に建てられ、1321年に拡大再建された。現存のものは 無柱の大空間であるが、初めのものは4本柱型だったのではないかと推定されている。堂内には多くのハチュカルがあり、独立して置かれたり、壁にセットされたりしている。とりわけ 聖堂入口の右側の壁にセットされているハチュカルは 大きく立派である。聖カラペト聖堂の北側に接している小聖堂は 1275年に献堂された 聖グリゴール聖堂で、オルベリアン家の墓所の役割をしたらしい。かつては修道のための種々の施設があったが、基礎部分しか残っていない。( PC.201, AA.478, OK.437, MH.212, DOC.14 ) マルティロスの石窟聖堂は、ゲガルド以外の、唯一のアルメニア石窟聖堂である。
INDEX
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シューニク県 SYUNIK PROVINCE |
古代の 列石 * 紀元前 5世紀頃の巨石列(前15世紀頃という説もある)。 ゾラカレル(Zorakarer、石の軍団)と呼ばれもするが、古代の宗教センターであり 天文観測所であったのではないかと推測されている。石の高さは 2mから 3mで、その数は約 200。
聖ホヴハネス聖堂 ** シシアンの聖ホヴハネス聖堂は シウニ・ヴァンクとも呼ばれ、創建時には聖グリゴールに献じられていた。聖ホヴハネスとは聖ヨハネのこと。 ムツヘタのジュヴァリ聖堂の流れをくむ四アプス式の聖堂で、アプス間に コーナー・スキンチを架け渡して 8角形への移行をしているが、そのスキンチの下が 角の小祭室への入口開口となっているのが、アルメニアに特有の形式である。
プランの外形はヴァガルシャパトの聖フリプシメ聖堂のように完全な矩形をしている。PCでは Sisavan、ECでは Sissian ( PC.212, AA.576, EC.144dr, 317-21 )
葬祭記念碑 *
シシアンの東7kmのアギトゥ村の中央に、7世紀頃の葬祭記念碑 であろうと推測されるモニュメントがある。 碑文が無いので、誰のものかは不明である。高さは 約 11mあり、1階に2つのアーチ開口があり、大アーチの奥のヴォールト天井の部屋が 墓室であろう。しかし墓碑は発見されていないので、墓ではなかった可能性もある。小アーチの奥は、左側にも2連アーチの開口のあるギャラリーとなっている。その隣に小聖堂があったらしいが、詳細は不明である。
ヴォロトナ修道院(ヴァンク)** ヴォロタン川のほとりのヴォロトナ修道院(ヴァンク)、周囲が墓地になっている。メインの聖堂が 990年建立の聖ステパノス。アンサンブルすべてがグレーの石で建てられている。 近くにヴォロタン村があり、水力発電所のダム (?) がある。PCでは Orotnavank。( PC.213, AA.477, EC.170dr, 388-90 )
聖ステファノス聖堂 タナハトの聖ステファノス聖堂、ここに、名高いグラゾール(Gldzor) 大学が 1280年頃に、プロシャン家の保護のもとに、ネルセス・ムシェツィ (Nerses Mshetsi) によって設立され、タテヴ修道院と並んで アルメニア南部の文化と芸術の中心地になったという。
聖ステファノス聖堂はシンプルな単廊式の聖堂遺跡で、南側に列柱ギャラリーがあった。アプスのプランも 横断アーチも、南側内壁にあるニッチも、きれいな馬蹄形をしている。馬蹄形アーチは、どこから伝わったのだろうか。
トロス・トラマニヤンは、馬蹄形アーチはアルメニア起源で(5-7世紀)、
ここからアラブに広まり、スペインにまで伝えられたのだと主張したが。( PC.210, plan, EC.212-3 )
村の古い地区
ゴリスは、タテヴなどシューニク地方のヴァンクを訪れる基地となる町であり、またナゴルノ・カラバフに行くにも(イェレヴァンからの直行バスは別として)基点となる。特に重要な建物はないが、都市計画された新市には好いホテルもあって気持ちよく、川向こうの古い村の地区には穴居住居や古聖堂もあって、アルメニアの古い村のたたずまいを知る上で散策に価する。
洞窟住居と 小聖堂 * 洞窟住居群と聖堂のある岩山の地区で、森閑としたアルメニアの岩山の景観を眺め、今は村もないが、それに同化していた人々の暮らしを想像するのも悪くない。
ノラ 修道院(ヴァンク)**
タテヴの北東12kmほどの ブゲノの林間に建つノラ・ヴァンクは、小規模ながら グレーの玄武岩で きっちりと造られたヴァンクである。 三廊式の小聖堂の手前に3スパンのポーチがあるが、前面3連アーチの中央のみ入口として開け、あとは側面ともども 全部壁でふさぐという 珍しい作り方をしている。内部には主身廊と側廊をへだてる角柱のアーケードがあるのも、アルメニアには珍しい構成である。 彫刻ともども、同時代のフランスのルション地方における、プレ・ロマンの聖堂と彫刻を思わせる。 とりわけ主身廊の入口脇の壁の上部にあるレリーフ彫刻は、牧歌的な魅力を放っている。 ノラ・ヴァンク 平面図 . ノラ・ヴァンクとは「新しい修道院」の意であって、もともとは 936年に修道士ステパノスによって 聖堂とハンセン病の施療院が建てられ、1062年に 司教ヨヴハネスによって再建されたという。ポーチは あとからの増築と考えられる。( PC.216, AA.506, MH.145 )
タテヴ 修道院(ヴァンク)***
タテヴ 修道院(ヴァンク)は、シューニク地方が独立王国(982- )であった頃からの中心修道院。8世紀以来の大司教座で、政治・経済・文化の中心地だった。全国から学問僧が集まり、500人以上の僧、写字生、音楽家、画家、学生を抱えたという。その蔵書(写本)は、広い分野に及んだ。次第に要塞化した。
メインの聖堂は10世紀に創建されたが(Zod.310では895-906)、13世紀末に再建された聖ポゴス・ペトロス聖堂で、聖ポゴスとは、聖パウロのこと、聖ペトロスとは聖ペトロのことである。
ヴァハナ修道院(ヴァンク)** カパンの町の近くの山中にあるヴァハナ修道院(ヴァンク)、 カパンの町から西へ約 8km の山中にある。近年、修復工事が終わって、きれいになった。( PC.223 )
聖母(アストヴァツァツィン)聖堂 ** メグリの聖母(アストヴァツァツィン)聖堂、 メグリから 8km のアガラクの町にイランとの国境があり、アラクス川の橋でイランに通じている。メグリの聖堂は イラン的なレンガ造が多い。インテリアもイラン的で、壁画が描かれていることが多い。( PC.225 )
聖ホヴハネス聖堂には 多数の壁画が残っている。聖ホヴハネスとは聖ヨハネのこと。( PC.226)
メールはこちらへ kamiya@t.email.ne.jp
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