MUSÉE À CROISSANCE ILLIMITÉE"
ル・コルビュジエ

「 成長する美術館 」

神谷武夫

東京
国立西洋美術館、1959、東京


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「無限に成長する美術館」の計画

 ユネスコ世界遺産に登録された「ル・コルビュジエの建築作品」(7か国、17作品)の中に、日本からは上野の国立西洋美術館(東京)が含まれている。チャンディーガルにも市立美術館があり、「成長する美術館」という 共通のコンセプトの上に設計されている。その最初に実現されたのものはアフマダーバード(インド)のサンスカル・ケンドラ美術館だった。つまり、3つの内の2つが インドの遺産なのである。日本のものとあわせて、ル・コルビュジエの一連の(成長する)美術館とは一体どういうものだったのかを、ここで簡単に説明しておこう。


チャンディーガル市立美術館

 「成長する美術館 」の出発点は 1928年の ル・コルビュジエの「ムンダネウム」(一種の国際連合の中心施設)の計画内の(誇大妄想的な)ピラミッド状の「世界認知の博物館」計画だと言われることが多いが、これは かなりコンセプトが異なる。ブリューゲルの「バベルの塔」を四角くしたような印象であって、そこでは「成長する」という概念がテーマになっては いない。最初に階段かエレベーターで頂部に行き、螺旋(らせん)状の展示室を降りてくるというのは、むしろ 後のライトのグッゲンハイム美術館の考えに近く、外観は「ファサードがない」どころか、ピラミッドのような モニュメンタルなものである。
 もしかすると ル・コルビュジエは、メソポタミアのジッグラト(階段式ピラミッド)に想をえたのかもしれない。ジェイムズ・ファーガスンの『世界建築史』(1893)には ホルサーバードにおけるジッグラトとしての「天文観測所」の復原図面(オリジナルは ヴィクトル・プラースによる)が載っていて、ムンダネウムの「世界認知の博物館」と比較するのは興味深い。

  (左)ムンダネウムの「世界認知の博物館」(Musée Mondial)屋根伏図
    ( From "Le Corbusier, Oeuvre Complète 1910 -1929", Zurich, p.194 )
  (右)ホルサーバード(イラク)の「天文観測所」平面図
    ( From "A History of Architecture" vol.1, James Fergusson, 1893, London, p.162 )
     どちらもピラミッド(ジッグラト)状で、螺旋型の建物である。

 「成長する美術館 」の原型は、年代順作品集第2巻に掲載の、『美術手帖(カイエ・ダール) 』誌の編集長・クリスチャン・ゼルヴォ(Christian Zervos)に宛てた 1931年の書簡形式での提案、パリの「現代美術館(Musée d'Art Contemporain)」である。
 これは、ある美術館という恣意的な「建物」の提示ではなく、美術館を実現させるための、自然界の有機的成長に倣った「方法」の提案であった。初めから予算が十分になくとも、どこかパリの郊外の畑の中に、建物を 最小部分から発して 順次 螺旋状に増築していくことによって、次第に本格的な美術館にするという考えで、その過程では 建物の外観は気にしない(ファサ−ドがない、あるいは見えない)という思い切った提案であった。つまり 観覧者は門から地下道を通って中央部に行き、そこから、最小の費用で造られた展示室を見てまわる、その展示室は螺旋状に延長し得る、絵の寄贈者は絵と同時にその部屋も寄付して (!) その名を残し得る、というものである。

「現代美術館(Musée d'Art Contemporain)」
十分に成長した姿の 平面図と鳥観図
( From "Le Corbusier, Oeuvre Complète 1929-1934", Zurich, p.72 -3 )

  "MUSÉE À CROISSANCE ILLIMITÉE"(無限に 成長する美術館)という言葉が登場するのは、年代順作品集第3巻 の中の、1937年のパリ万博用のプロジェクト C「現代美術センター(Un Centre d'Esthétique Contemporaine)」である。ここでは 地下道によるアプローチというのはやめて、普通にエントランスから中央ホールへと導く。その代わりに展示室をすべて2階に上げて、観覧者は中央ホールから 折り返し斜路(ランプ)で上階へ上がり、螺旋状に展示室をまわる、展示室は螺旋状に成長していくことができる というものである。

パリ万博用のプロジェクト C「現代美術センター」
"Un Centre d'Esthétique Contemporaine" a Paris
( From "Le Corbusier, Oeuvre Complète 1934-38", Zurich, p.152 -53 )

 さらに明瞭な「無限に成長する美術館」というプロジェクトを作ったのは 1939年で、その原理の説明と模型写真が 年代順作品集第4巻に載っている。アルジェリアのフィリップヴィルに建てるはずだったが、実現しなかった。フランスの植民地だった時代にフィリップヴィルと呼ばれ(「ルイ・フィリップの町」の意)、今は古名のスキクダ(Skikda)という名になっている町で、そこには ル・コルビュジエが シャルル・ド・モンタラン(Charles de Montalant)と共同で設計した市庁舎 (1932) と鉄道駅 (1937) がある(モダン・デザインではなく、伝統様式で)。そのつながりで 美術館も提案したのだろう。

「無限に成長する美術館」、アルジェリアのフィリップヴィルに計画。
巻貝のように 螺旋状に成長していく美術館の図式
"Musée a Croissance Illimitée" pour la ville de Philippeville
( From "Le Corbusier, Oeuvre Complète 1938-46", Zurich, p.16 -17 )

 フィリップヴィル市立美術館はピロティの上に建物を浮かせ、中央ホールから斜路(ランプ)で上がる2階の展示室が螺旋状になっていて、後に実現する3つの「成長する美術館」とまったく同じような空間構成と形態になっている。きちんとした模型まで作っているから、かなり設計を煮詰めたのだろう。
 しかし、もし本当に展示室が延長、増築されるとしても、それは渦の1巻きか、せいぜい2巻きぐらいが限度だと思われるから、「無限に」という言葉は、ル・コルビュジエ一流の ジャーナリスティックな 誇張的キャッチフレーズである。単に「成長する美術館」でよいと思う。

フィリップヴィルの 市立美術館 1939年計画

 このフィリップヴィルの「成長する美術館」は実現せず、結局 次の3つが実現した。年代順に、アフマダーバードと、東京と、チャンディーガルである。

アフマダ-バ-ドの サンスカル・ケンドラ美術館 1957年竣工

 これらの美術館のファサードが、ル・コルビュジエの作品にしては 造形的な立体感に乏しく ものたりなく感じられるのは、美術館が渦巻状に増築されていけば、新しい展示室に隠されてしまい 内部の 単なる仕切り壁になってしまうからであって、「ファサードをなくして」いるのである。

東京の 国立西洋美術館 1959年竣工


チャンディーガルの 市立美術館 1968年竣工

 東京の国立西洋美術館は 手ぜま だったので、展示面積を増やすために 1979年に新館を増築した。しかしそれは本館の展示室を螺旋状に伸ばすのではなく、本館の裏側(北側)に独立させて建設した。現在に至るも、美術館を螺旋状に成長させてはいない。「無限に成長する美術館」という、建築家としてのル・コルビュジエの美術館構想は、根本的に否定されたことになる。つまり、失敗作だと認めたことになる。こうした状態で、「ル・コルビュジエの建築作品」として国立西洋美術館を ユネスコ世界遺産に登録するというのは、実に奇妙なことである。登録運動をしてきた機関・人々は、建築家としてのル・コルビュジエの精神や芸術性を顕彰するのではなく、単に 日本で ネーム・ヴァリューのある「ユネスコ世界遺産」に登録して、観光収入を増やすことだけが目的だったのだろうか。代々の館長は「金勘定」ばかりしていて、「ル・コルビュジエの建築作品」については無関心だった というのだろうか。
 前庭の土盛りと植栽も 多すぎる。ユネスコ世界遺産に「ル・コルビュジエの建築作品」として登録したのであれば、もとの姿に戻すべきではないだろうか。ミュジアム・ショップも、新館か地下に移すべきだと思う。

( 2017 /08/ 01 )


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