世界の宗教建築 |
異なった宗教の建物は 視覚的に区別されうる。寺院と神社とモスクとでは 異なった形式をもっているだろう。それは 建物が機能的に作られるばかりでなく、あるシンボリズムをも まとうからである。ひとつの宗教が社会に根をおろし確立していく過程では、その建築形態は その土地の風土や社会構造、技術水準に基づいて作られていく。
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一方、建築史上に残る有名な宗教建築には、国家の財力や権力を基盤として作られたものが少なくない。それらは偉大ではあっても、本来の宗教的情熱とは遠いものであることが多い。では、本来の宗教建築とは どのようなものであったかと考えると、教団の初期において、その信者や聖職者たちが セルフビルドで建てたような施設であったろう。どんなにみすぼらしく見えようと、そこには純粋な宗教心の発露があったにちがいない。しかし、そうした建物は 建築的な成熟度が低いので、建築作品とは見なしにくいし、後世に残ることも少ない。そして財や物質性を徹底的に否定すれば、究極的には 建物は不要ということにもなる。 ![]() ![]() サン・フランチェスコ聖堂とサン・ダミアーノ 聖堂の内部の比較
宗教と建築とのこうした相克は、たとえばイタリアのアッシジに見ることができる。西欧キリスト教の歴史の中でも、とりわけ純粋無垢な宗教心をもった聖人と見なされる 聖フランチェスコは、13世紀に新しい托鉢修道会としての フランシスコ会を創設した。その「清貧」の思想が 最もよくあらわれているのは、彼が自ら石を積んで建てたとされる、簡素この上ない サン・ダミアーノ聖堂である。 宗教建築が こうしたあやういバランスの上に成り立つものであるからには、この連載は 国家的な建造物よりも、宗教の初心を保持しているような建築作品を選びながら、宗教建築とは いかなるものであるかを探っていきたいと思う。 ![]() ( 2004年 1月「中外日報」連載 第1回 )
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