GELLERY of WORLD ARCHITECTURE
バドガウン (ネパール)
プジャーリ・マト (僧院)

神谷武夫
プジャーリ・マトの孔雀窓
プジャーリ・マトの孔雀窓、バドガウン

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カトマンドゥ盆地の都市

 ネパールのカトマンドゥ盆地は カトマンドゥ郡、ラリトプル郡、バクタプル郡の 3郡から成り、それぞれの中心都市が カトマンドゥ、パタン (ラリトプル)、バドガウン (バクタプル) である。 首都のカトマンドゥと、隣接したパタンは 経済的発展と観光化によって大きく変質し、市域が大幅に拡大したが、東に 10kmばかり離れたバドガウンの町は 小規模のままであることもあって、中世の町のおもかげを よくとどめている。 14世紀に 3つに分裂したマッラ朝の内のバドガウン王国の かつての首都として、往時をしのばせる豊かな文化遺産に満ちている。


プジャーリ・マトを側面から見る

 町の一番古い地区は、王宮地区であるよりも、ダッタトレーヤ寺院のある タチャパル・トル (広場) 周辺である。 ここにはマッラ朝の建築伝統を伝える 多くの木造建築が残り、それらのファサードや、中庭に面した窓やドア廻りの華麗な木彫が、今も燦然と輝きを放っている。 一昔前には、近代化の波に取り残されたこの町はかなり荒廃し、建物は崩れ、町は汚物に満ちていた。 それを今のように美しく甦らせたのは ドイツとユネスコの援助による 1970年代後半から 80年代初めにかけての 修復と保存活動によるところが大きい。 建築家や大学の研究室グループが 町や建物を実測し、復原図を起こし、道や広場を舗装し直し、建物を改修して 新しい用途に適合させるなどして、この町全体を博物館都市のように よみがえらせたのである。 私が初めてこの町を訪れたのは 1976年のことであったから、そのプロジェクトが始まった頃であったが、1991年に再訪した時には どこも驚くほど美しく整備されていて、その落ち着いた佇まいが、カトマンドゥやパタンの商業化した騒がしさとは 著しい対照を見せていた。


プジャーリ・マト 平面図
( from "The Traditional Architecture of the Kathmandu Valley" by Wolfgang Korn, 1976 )


ヒンドゥ教の僧院 (マト)

 ネパールはアショーカ王の時代 (紀元前3世紀) から 仏教が支配的宗教となっていたが、6世紀頃からヒンドゥ教が優勢となった。 といってもネパールでは、両者が混交して分かちがたく結びついている。 それでもカトマンドゥやパタンに比べると バドガウンの方にヒンドゥ的色彩が濃く、それは僧院の数の違いにも現れる。 もともと仏教の僧院 (ヴィハーラ) が至る所に建てられていたのだが、あとから作られたヒンドゥ教の僧院 (マト、サンスクリット語ではマタ) が、カトマンドゥの 1院、パタンの 5院に対して、バドガウンには 12院も作られたのである。 その内の 7院がタチャパル広場に面して建っている。 中でも重要なのがプジャーリ・マトであるが、これは僧院としての機能を失って荒廃していたのが すっかり修復され、今では木彫美術館として保存されている。 その展示品もさることながら、建物自体が最も重要な美術品である。


プジャーリ・マトのメインの中庭

 仏教の僧院が おおむね正方形のプランをして、大きな中庭 (チョーク) を囲う 2階建てであるのに対して、ヒンドゥ教の僧院は もっと不整形で、3〜4層からなり、小さな中庭を囲む住居が いくつか結合したような構成をしている。 このプジャーリ・マトにも 3つの小中庭があり、Bがメインの中庭である。

 ネパール建築の一番の特徴は、木造とレンガ造を合わせた 混構造となっていることで、レンガの厚い壁が耐震壁となる。 外壁では、レンガは木の骨組みの間にプレーンに積まれ、彫刻的要素はすべて木部に集中している。 とりわけ窓まわりは細密に彫刻され、その格子窓や出窓がネパール建築の最も印象的な要素である。 その窓格子に孔雀をモチーフとしたものが、カトマンドゥのクマリ・チョークと このプジャーリ・マトにあり、ネワールの木彫工芸の粋を見せている。 有名なのは脇の小路に面したものだが、私はもっと大きな 正面の窓 を、ネパールの木彫窓の最高作としたい。


プジャーリ・マトの内部

 ところで、こうして見てくると、木と石という違いがあるにもかかわらず、この住居建築風のマトは、前回見たジャイサルメルのハヴェリーと まことによく似ていることがわかる。 小中庭をいくつもかかえた 4階建てであること、出窓や格子窓、軒などの緻密な彫刻、さらにその彫刻パターンの類似など、ネパールと西インドの間には 建築上の交流があったように思えてならないのである。

( 2004年 1月 "EURASIA NEWS" )

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