ENJOIMENT in ANTIQUE BOOKS - LXI
尾崎秀実 著(獄中通信)

『 愛情は ふる星のごとく 』

Hotsumi Ozaki
" LOVE LIKE A TWINKLING STAR"
1946, Sekai hyoron-sha, Tokyo



神谷武夫

尾崎秀実
尾崎秀実 著 『 愛情はふる星のごとく 』
昭和 21年 (1946)、世界評論社、定価20円


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尾崎秀実の 獄中書簡

  もう 知る人は 少ないでしょうが、戦後すぐに ベストセラーになった『愛情は ふる星のごとく』という本が ありました。今から ほぼ 80年前の本で、ある死刑囚から 家族に宛てた「 獄中書簡集」という、特異な本です。これも 今では知る人が少なくなってきた「ゾルゲ事件」に連座して、日本が敗戦を迎える直前(9ヵ月前)に 死刑になった 尾崎秀実 (おざき ほつみ 1901-44) の、獄中から 家族(妻・英子と 娘・楊子)に宛てた 書簡集です。敗戦の翌年 (1946) に、世界評論社という 今はない出版社から上梓されるや、大ベストセラーになりました。
 太平洋戦争で 300万人以上が死んで 戦争に負け、焼土となった国土で 日本人が虚脱状態になり、社会も経済も 混乱状態に陥り、モノ不足、ヒト不足のなか、活字に飢えていた人々に、終戦の直前に絞首刑になった 理想主義者の、妻と娘にあてた 愛情あふれる獄中書簡集は、干天の慈雨だったでしょう。たちまち人々の心をつかみ、涙を誘い、新しい日本を作ろうという人々の、熱列な支持を受けたのでした。

   尾崎秀実

● 尾崎秀実 著 『 愛情はふる星のごとく 』 表紙と奥付
1946年(昭和21)9月発行、世界評論社
敗戦 翌年の本なので、きわめて質素な用紙と 簡素な造本


 ■ 尾崎秀実 著 『愛情はふる星のごとく』昭和21年、世界評論社版  目次
  第1部 (昭和16年11月7日〜同12月1日)            1
  第2部 (昭和17年2月13日〜同12月18日)            11
  第3部 (昭和18年1月4日〜同12月21日)            43
  第4部 (昭和19年1月13日〜同11月7日)            145
  遺 書                               265

   夜明けの近きを信じつつ ー 序にかへて ー    尾崎英子     1
   人民のために捧げられた生涯          宮本百合子   275
   尾崎秀実について               松本慎一      278


 全書簡 243通のうち、本の紙数の制約から、 73通と遺書を収録しています。全体の1/3強で、書簡を選んだのは、尾崎の親友の松本慎一と、獄中の尾崎の留守宅を しばしば訪れて 英子夫人から尾崎の獄中書簡を読ませてもらっていた 風間道太郎だと言います。最初は 雑誌『世界評論』に連載され、家庭愛を軸に 編集、出版されました(のちの 青木文庫版以後は、もっと多くの、ほとんど全部の書簡が 収録されます)。出版を計画したのは 松本慎一ですが、編集にかかわった歴史学者の 今井清一(のち横浜市立大学教授)は、尾崎の娘の 楊子と結婚します。3年間にわたる 尾崎の 未決囚および 死刑囚としての獄中書簡は、もちろん 徹底的な検閲のもとに書かれたものですから、政治的なことや 思想的なことは 一切書けません。ただ ただ「死刑囚」の家族となった 妻子の苦労と、戦争末期の欠乏生活を思いやって、日常生活と、その中で生きて行く上での心の持ちよう、そして 楽しかった日々の思い出などを、淡々と綴っています。その行間にあふれる 家族愛が、人々の心を強く打ちました。まあ、涙なくしては 読めなかったことでしょう。

 世界評論社というのは、尾崎と親交があった 小森田一記(かつて『中央公論』の編集長で、1944年に「治安維持法」に違反したとして 60人から 90人の編集者や新聞記者が逮捕され、4人が獄死したという「横浜事件」で 投獄、拷問された人)が 戦後すぐの昭和 21年に興した出版社で、創刊号から 河上肇(はじめ)の『自叙伝』を連載した 硬派の論壇誌『世界評論』(1946-50) でも 知られています(フランスの『両世界評論 (La Revue des Deux Mondes) 』誌に倣った誌名でしょうが、「民主主義日本」を創ろう と言う 熱気に満ちた雑誌でした 。

世界評論

●『 世界評論 』 1946年2月 創刊号、世界評論社、復刻版表紙
創刊号には 河上肇の「自叙伝」連載第1回 や、
尾崎秀実の「遺書」が 載っている。 21cm、112pp、3円

  河上肇は この連載中に死去したので、すでに全編 脱稿していた『自叙伝』の原稿を 翌 昭和 22年に 世界評論社が出版しました。 その、京都帝国大学教授でマルクス主義の研究者、共産党員だった 河上肇でさえも、投獄中に「獄中独語」(実際運動とは関係を絶つという 転向宣言)を出して、社会に大きな衝撃を与えたのですから、次節で扱う「転向」ということが、思想上に いかに大きな問題であるかを示しています。
 余談ですが、私は『共同研究・転向』で藤田省三が論じている河上肇の『自叙伝』が 全5冊で岩波文庫で出た時 (1976) に買ってきて 読み始めましたが、その感性 (気質 ?) と叙述に どうしても なじめず、第1冊も読み終わらないうちに 匙を投げて 売り払ってしまいました。何が原因なのか、今も よく分かりません。その前に読んだ 荒畑寒村 の自伝は あんなに面白かったのに。

『 共同研究・転向 』

 私は 大学を卒業しても 就職せずに、1年近く 毎日 朝から晩まで 本を読んでいました。自分の進むべき道を見つけるために、世界の思想と文学を 歴史順に読み、そしてまた 日本の近代史の本を あれこれと 読みましたが、その中で 最も印象深かったのは、鶴見俊輔を中心とする「思想の科学研究会」による『共同研究・転向』全3巻でした(平凡社)。 日本の近・現代の代表的知識人、思想家、政治家、文学者を 数十人採りあげ、主に「転向」という観点から 一人ずつの 思想的変遷を「思想の科学研究会」のメンバー(藤田省三や 橋川文三、高畠通敏など 若き俊秀たち)が分担して執筆した(概して批判的な)論文集で、「戦前篇」「戦中篇」「戦後編」の3巻にまとめた、小さめの活字で ぎっしりと2段組みに印刷された、総 1,400ページになる 記念碑的出版です。読んでは考え、読んでは思索し、読了するのに3ヵ月くらいかかりました。

転向

● 思想の科学研究会 編 『 共同研究・転向 』上・中・下、函
382+ 492+ 530ページ、総 2.3 kg、1959-62年、平凡社
函のデザインは何度か 変わっている。 私が買ったのは
  1970年(昭和45)の版だが、1978年に 改訂増補版 が 出た。

 ここで「転向」というのは、それまでは、共産主義者(主に党員)が 国家権力によって弾圧されて その思想を捨て、国家の方針に順応すること(甚だしくは 国家主義者や天皇主義者となること)として、官憲によって用いられてきた言葉を、もっと広く 大きく、社会主義者も 自由主義者も 思想的転回 ないし変節をするし、逆に思想を深めていくこともある、さらには 戦前右翼が 戦後の平和主義者になることもある、そういった「外的強制による思想の変化」から、時代の大勢に従った「なし崩しの転向」まで含めて、総合的に、詳細に 理解しようとして 用いた言葉です。

 そういう意味では、20世紀は「戦争と革命の時代」だと言われましたが、見方を変えれば、思想家ばかりでなく、国の指導者から一般大衆に至るまで、「世界中に 転向の嵐が 吹き荒れた時代」であって、本格転向、仮面転向、偽装転向、追随転向、さらには 大勢順応転向、なしくずしの転向、無意識転向 等々、ほとんど 誰も彼もが、時代の荒波の中で 転向していった時代だった、と言うこともできるでしょう。
 それを 多くの学者や思想家、政治家や文学者の 個別事例を検討し、積み上げていくことによって(大衆ではなく「社会上層部」の人たちではあるけれど)、人と 思想と 時代の関係を探求しようという、壮大な集団著作でした。この本は 一般向けの 気軽に読めるものではないにもかかわらず、知識界に大きな衝撃を与えたので、20年ぐらい、毎年 1、2回増刷されていました。全部で 50刷りぐらいに なったのではないでしょうか。現在は 平凡社の「東洋文庫」に6分冊で入っています。

転向
●『 共同研究・転向 』平凡社「東洋文庫」(ウェブサイトより)
全6冊、2012〜2013年、各3,300〜3,600円

 この『共同研究・転向』の中で 私が一番興味深く読んだのは、上巻の 第1章 第9節、鶴見俊輔 による 「虚無主義の形成」(埴谷雄高論)でした。私が 埴谷雄高に のめり込む きっかけになったのは、この論文です(のちに鶴見の、埴谷雄高に関する論考や座談を集成した『埴谷雄高』(2005) が講談社から出版されました)。
 また 当時 非常に論争的だった吉本隆明についても、その評者(やはり鶴見俊輔でした)の、批判的であるよりは むしろ首肯するかのごとき論によって、逆に 吉本を読まねば という気になったものでした。要するに、日本の 近現代思想家たちの大多数についての個々の知見を得、知識人の生き方 あるいは「思想的変遷」というものに目を開かれた、最初の本だったのです。

 埴谷雄高の8歳上の 尾崎秀実 については(この二人は 父の仕事の関係で 幼児を 植民地の台湾で過ごし、台湾人に対する 日本人の横暴な態度を見て 日本嫌いになってしまった という点で 似ています)、中巻の 74〜91ページ(東洋文庫版では 3「戦中篇(上)」の 136〜165ページ)で、「第2章 自由主義者、第1節 翼賛運動の設計者」の所に、誰にも知られなかった「偽装転向者」(隠れ共産主義者)として、これまた 鶴見俊輔が 懇切な批評を書いています。私が 尾崎秀実について 最初に知ったのは、これだったでしょう。 今から 50年前に これを読んで、そこに触れられていた 尾崎の獄中書簡集『 愛情はふる星のごとく』を すぐに青木文庫で購入して読み、深い感銘を受けたのでした。
 この『共同研究・転向』によって、鶴見俊輔の柔軟な思考と正確な論理、若い時にアナーキストを自称していたことに示されるような 政治的、また倫理的な生き方に いつも共感しながら 彼の本を読むようになりました(もっとも 彼の著作は膨大ですから、私が読んだのは その半分ぐらいに すぎませんが)。

 

『愛情は ふる星のごとく』

 『愛情はふる星のごとく』は、日本のジャーナリスト(朝日新聞特派員)・政治評論家で ゾルゲ事件により 太平洋戦争末期の 1944年に 43歳の若さで刑死した、尾崎秀実の書簡集で、著者の死後、1946年9月に世界評論社から出版されました。副題は「獄中通信」です。誰にも知られない共産主義者でもあった尾崎が「治安維持法違反」(スパイ活動)の容疑で 1941年(昭和19)に逮捕された後、未決囚から死刑判決を下されて執行されるまで、収監されていた3年間に執筆された書簡には、獄中の尾崎から妻と娘に宛てられた個人的なメッセージが綴られています。

      尾崎秀実

(左)● 尾崎秀実 著 『 愛情はふる星のごとく 』上下2冊、1952年(昭和27)青木文庫
  世界評論社版よりも 手紙の数を大幅にふやした「決定版」の文庫本、各 120円
(右)● 尾崎秀実 著 『 新編 愛情はふる星のごとく 』2003年(平成15)
今井清一 編、岩波現代文庫、1,200円

 本は、尾崎の死刑が確定したとき、尾崎の親友の 松本慎一が 尾崎の妻 英子に働きかけて 出版を計画したものです。書簡は まず『世界評論』や『人民評論』などの雑誌に連載されました。上述のように『世界評論』誌の創刊号(1946年2月)には、尾崎の「遺書」(p.63-73) が 載っています。同号には 世界評論社から 刊行予定の本の一覧表があり (p.91)、河上肇の『自叙伝』や 平野義太郎編の『幸徳秋水全集』などと並んで、尾崎秀実の『遺書 ― 書簡選』があります。この半年後の出版になる尾崎の獄中書簡集の題名は、まだ決まっていませんでした。
 書簡集には、尾崎の残した全書簡 243通の 1/3 の 73通と「遺書」を収録することになり、「愛情はふる星のごとく」という題名に決まりました。それは 尾崎が 自分の 死刑確定に際して 妻に宛てて書いた 1944年4月の書簡の中の、次の一節から創られました。

「思えば私は 幸福な人間でした。 この一生 いたるところに 深い人間の愛情を感じて生きてきたのです。 わが生涯を省みて、今 燦然と輝く星の如きものは、実に 誠実なる愛情であったと思います。友情は そのうちに 一等星のごとく輝いています」

 この、当時のほとんどの本と同じような 粗末な造りの本が、世界評論社から発売されるや 爆発的な売れ行きとなり、1946年と 1947年の日本の書籍売上げで2位を占め、1948年には1位となり、その後も長く人気を維持して、大ロングセラーとなりました。総部数は 15万部近くになったということです(戦後の紙不足にもかかわらず)。

 本の冒頭に、尾崎の妻の 英子による「夜明けの近きを信じて ― 序にかえて ― 」という 4ページにわたる文が 掲載されています。その中に 英子は、

「この度、尾崎や 私たちに、蔭になり 日向になりして 深いお心づかいを して下さった 幾人かの お友達の手によって、この書簡集が 世に送られることに なりました。この手紙は、私たちの個人的な生活の範囲で 語られた言葉でしか ございません。そして 私の性分からいっても、人びとの前に 話題を提供することは、あまり 好ましいことでは ございません。
 しかし、尾崎が 自分の命と家庭とを 捧げて生きた道、それは 人類の幸福と 人間性の擁護とに あったと思います。それゆえ、この手紙が 尾崎の生きた道を 人びとに語り、人類の福祉について 何ものかを 人びとに訴えるならば、尾崎の生涯は、尾崎自身が 望んだやうに、人びとの歩みの中に、なほ 生きつづけていける と 思ふのでございます。」

と書いています。
 私は 1972年に、青木書店の 青木文庫から出ていた 改訂増補の「決定版」上下2冊本 (1953) の「新装版」 (1972) を買って読んだのですが(最初の「世界評論社版」の古書を入手したのは ずっと後です)、青木文庫のほかにも いろいろな出版社から出たようで、世界評論社版に掲載されていなかった全書簡を含めた「増補決定版」が、大月書店(1947)、三笠文庫(2冊 1951)、カッパブックス(1960)、勁草書房(「尾崎秀実著作集」1977−79)などからも出版され、今は「岩波現代文庫」に「新編」として 出されていますので(2003)、これが一番 読みやすいでしょう。
 青木文庫版を 今 読み返すと、当時の文庫本というのは 本当に字が小さいので、今では 読むのが 難儀です。世界評論社版の方が読みやすいですが、読んでいると 改めて、獄中にも関わらず、尾崎の読書欲と その多彩さに 驚きます(絶えず 妻の英子に「差し入れ」を頼んでいますが、洋書は 検閲官が検閲できない という理由で、差し入れが禁じられてしまいます)。

尾崎秀実    尾崎秀実

●風間道太郎 著 『 ある反逆 尾崎秀実の生涯 』1959年 (昭和34) 至誠堂、320円
●同、『 尾崎秀実伝 』改装版、法政大学出版局「教養選書」85、1995年、2,900円

 尾崎秀実の墓は「多摩霊園」にあり、多磨霊園の HPに 尾崎の略伝 が載っていて、尾崎秀実について 手っとり早く知るには 便利でしょう(ゾルゲと 尾崎の墓を訪ねる 27分に及ぶ ビデオ、『ゾルゲ事件の お墓ツアー』も 付いています)。
  尾崎秀実の生涯について詳しく知るには、一高と東大で尾崎の同級生であり、卒業後に しばしば尾崎と会って談論した友人の 風間道太郎が執筆して、『ある反逆、尾崎秀実の生涯』というタイトルで 1959年に出版した本があります(至誠堂)。 その後、『現代史資料』の「ゾルゲ事件」や、他にも多くの出版がなされたので、風間は 新たに知った事実などを織り込んで 全面的に書き直し(たとえば 尾崎が 魯迅と親しくなったことなど)、約 1.5倍の分量にして、写真ページを加え、題名も『尾崎秀実伝』と改題して 1968年に 法政大学出版局から上梓しました。尾崎に関する最も詳しい伝記として 長く売れ、1976年に新装 補訂版、1995年には ソフトカバーの改装版が「教養選書」第 85巻として重版されています。

 演劇では、1962年に 木下順二が ゾルゲ事件の尾崎秀実を『 オットーと呼ばれる日本人 』として戯曲化して 岩波書店の雑誌『世界』に発表し、宇野重吉などの「劇団民芸」が初演しました。オットーというのは、秘密裏に尾崎を呼んだ名前です(当時の駐日ドイツ大使 オイゲン・オットと紛らわしいですが)。ドイツ人のオット大使は ゾルゲがスパイであったことは知らず、むしろゾルゲの保護者でしたが、その夫人のヘルマは、ゾルゲのリーベであったと言われます(I-p.544)この戯曲では、ゾルゲは ジョンスン、スメドレーは 宋夫人、クラウゼンが フリッツ、石井花子が ゾフィーという名前で登場し、尾崎の 妻や娘まで出てきます。第1幕「1930年代初頭の上海」、第2幕「1930年代半ばの東京」、第3幕「1940年代初頭の東京」の3幕構成に、検事が尾崎に「転向書」を書かせようとする「エピローグ」から成りますが、私は やや尻切れトンボのような印象を受けました。でも、舞台で見れば、もっと違う印象を与えるのでしょうが。また、木下順二が この戯曲を書いたのは、のちにGHQ のエージェントであったことが明らかになる川合 貞吉の『ある革命家の回想』に基づいていたと言われます。

オットー    太田尚樹

 ●『 オットーと呼ばれる日本人 』木下順二 戯曲選 III,1982年、岩波文庫
●『 赤い諜報員 ゾルゲ、尾崎秀実、そしてスメドレー 』太田尚樹 著,2007,講談社

 近年は、歴史家の太田尚樹が『赤い諜報員 ゾルゲ、尾崎秀実、そしてスメドレー』という、小説のような 「歴史物語」を書いて、現代の目から見た この3人の活動と関係を、若い人にも 読みやすく、しかし詳しく 描いています。実に良く調べていて、「ゾルゲ事件」について 初めて知ろうという人には、大変優れた 読み物です。

 朝日新聞の 中国特派員(大阪朝日新聞社・上海支局員)である 尾崎秀実(1901-44)は、弱者の味方のジャーナリストとして 世界を股に掛けるアグネス・スメドレー (Agnes Smedley, 1892-1950) と親しくなり、またスメドレーと親しい ジョンソンと名乗る、実はリヒアルト・ゾルゲ(Richard Sorge, 1895-1944)と3人で、上海で 親しく つきあいました。尾崎はスメドレー の 自伝的著書 "Daughter of Earth(大地の娘) " (1929) を 白川次郎というペンネームで翻訳して、『女ひとり大地を行く』という題名にして、改造社から出版しました。そこには スメドレーの前半生、主にインド独立運動の亡命革命家であったヴィレンドラナート・チャットパディヤーヤと 1919年に同棲生活を始めてからの、インドの独立運動への協力が語られています。
 チャットパディヤーヤと別れると、スメドレーは、今度は ジャーナリスト(ドイツの自由主義的な新聞「フランクフルター・ツァイトゥング」の中国特派員)として 中国革命の現場に身を投じて、革命に協力しつつ ルポを書いてゆきます。上海で ゾルゲや 尾崎とも知り合い、 ゾルゲの恋人となりましたが、尾崎とも関係を持った と推測されています。

 スメドレーの、戦中に書かれた もっと長大な自伝 "Battle Hymn of China" (1943) は、高杉一郎の訳で『 中国の歌ごえ 』として 戦後の 1957年に みすず書房から出版されました。スメドレー女史の壮絶な生き方と、ヴィヴィッドな中国革命史を知る上で、面白く、非常に優れた本です。
 ろくに学校教育も受けなかった、貧農の家に生まれた女性が 、これほど大部の自伝(しかも中国革命史に重ねて)、毛沢東や朱徳らによる革命への随伴を書き、世界的ベストセラーにしてしまった というのは、尋常なことではありません(題名の "Battle Hymn of China" は、アメリカの 北軍の 進軍歌 "Battle Hymn of the Republic"「リパブリック賛歌」を もじっています)。その後、高杉一郎訳の『中国の歌ごえ』は 1972年に改訂版が出て、1994年には ちくま文庫に上下2冊で再刊されましたが、今は廃刊になり、アグネス・スメドレーの名も 次第に忘れられて きました。

スメドレー   スメドレー

 ●『 女ひとり 大地を行く 』アグネス・スメドレー著,白川次郎 訳、1934年
改造社(白川次郎は 尾崎秀実のペンネ-ム) (ウェブサイトより)
● 『 中国の歌ごえ 』アグネス・スメドレー著,高杉一郎 訳, 1957年,函
  21cm, 423pp, 400円、みすず書房「現代史大系 IV 中日戦争」

ゾルゲ事件と 尾崎秀実

 ゾルゲ事件の全体についての 概略の知識を得るには、国民の政治教育と啓発を旨とする「國民會館」の会長で、元 大和紡績の社長、しかも作家の 武藤治太(はるた)さんが書いた『ゾルゲ事件(ゾルゲと尾崎秀実)』(2020/09/30「金言」第98号)が、中立の立場で客観的に書かれているので、たやすく 全体像を知るには(といっても 16ページに及びますが)お勧めです(ここをクリック)。
 私が 毎日 朝から晩まで本を読んでいた頃の ひとつの柱として、日本の近代史関係の本を読んでいた時 「ゾルゲ事件」に興味を持ち、尾崎秀実の異母弟の 尾崎秀樹(ほつき)1926-1999) が書いた『 ゾルゲ事件、尾崎秀実の理想と挫折』(1963 中公新書)を読んで、尾崎秀実とゾルゲ事件について、初めて 詳しく知りました。「国賊」として処刑された尾崎は、実は「軍国主義」「帝国主義」の日本を倒そうとしていたのであって、心の根底は 日本に対する「愛国者」であったのです。

ゾルゲ

●『 ゾルゲ事件、尾崎秀実の理想と挫折 』 尾崎秀樹 著
   1963年、中公新書、1983年に 中公文庫に移された

 ドイツ人を父親、ロシア人を母親とする リヒアルト・ゾルゲ (Richard Sorge) は、1929年に ソ連の赤軍第4本部に所属し、満州事変の翌年の 1932年に 34歳で中国に配置されました。満州における 日本の動向を探るためです。日本帝国が満州の後、矛先をソ連に向けるかどうかが 最大の問題だったのです。ゾルゲはドイツの有力紙『フランクフルター・ツァイトゥング』の特派員の肩書で中国から日本に活動の場を移し、スパイ団として「ラムゼイ機関」を組織し、無線技師の マックス・クラウゼンや、電気通信員の ブランコ・ヴケリッチらを メンバーとし、近衛文麿の側近だった 尾崎秀実にも 協力者になってもらいました。当時のコミュニストたちにとって、最初の社会主義国家であるロシアの「ソビエト同盟」を守ることが、最重要事でした。
 ゾルゲは 祖父がマルクスの秘書をしていたということもあってか、根っからの共産主義者で、革命に成功したロシアを守ることが 世界をよくするために 最も必要なことだとして、ソ連のスパイになって 日本の情勢(特にロシアとの関係)を赤軍派に知らせつづけたわけです。しかし 尾崎秀実は共産主義の同調者ではあっても 共産党員ではなく、共産主義者であることを 妻にも隠して、公的には中国通として朝日新聞記者として上海に滞在しました。その間にゾルゲと知り合って、その中国情勢の判断をゾルゲに伝えていましたが、1932年に帰国命令を受けて大阪の朝日外報部に勤めて妻・英子と娘・楊子との平穏な家庭生活を送りました。
 ところが1934年に東京朝日の東亜問題調査会に移ると、後を追うように来日したゾルゲと再会し、ゾルゲがコミンテルンのメンバーであり、赤軍の諜報員であることを知らされた上で、全面的に協力していく決心をします。公的には近衛文麿首相の 中国問題についての重要なブレーンとして活動したので、鶴見俊輔のいう、完全な「偽装転向者」であったわけです。尾崎の最終目的は「日本を守る」ということであって、そのためには 日本の軍国主義をつぶすことが大事だと考え、そのためにゾルゲを通してロシアへの情報提供をしたのです。軍国日本は戦争でアメリカに負けた方が良いし、ソヴィエトは温存すべきだと考えましたが、日本政府から見れば、彼は国家への反逆者であり、死刑に価したわけです。

 リヒアルト・ゾルゲは非常に頭脳が優れ、しかも 誠実な性格で 勉強好き、日本文化についても深く研究して『日本書紀』や『源氏物語』を始めとする膨大な古典の英訳を読み、奈良、京都、鎌倉の古都を愛して しばしば訪れました。逮捕されて 後、彼の弁護士はもちろん、逮捕した特高刑事や 担当検察官、裁判官までからも、尾崎以上に 深く尊敬されました。彼は最後まで仲間をかばい、自分一人の罪だと主張して、特に 尾崎秀実と 石井花子に害が及ぶのを避けようとしました(石井は起訴されませんでしたが、尾崎は死刑になりましたが)。彼の心の根本は 故郷のドイツとロシアにありましたが、絞首刑になった時、最後の言葉を求められて、「ソビエト、赤軍、コミュニズム」と3度 唱えたそうです。

 一方、従容として刑死した尾崎秀実は、「遺書」の中で 妻の 英子に宛てて、次のように書いています。

私の最後の言葉を もう一度 繰り返したい。「大きく眼を開いて この時代を見よ」と。真に時代を洞見するならば、もはや 人を羨む必要もなく、また 我が家の不幸を嘆くにも 当たらないであろう。時代を見、時代の理解に 徹して行ってくれることは、私の心に 最も近づいてくれる所以なのだ。これこそは、私に対する 最大の供養であると。」  (『世界評論』1946年2月創刊号 p.72 )

ゾルゲ

●『人間ゾルゲ 』石井花子 著、305pp、1967年、勁草書房
       古在由重が解説。1986年に徳間文庫化、2003年に角川文庫化

 ゾルゲは、酒場「ラインゴールド」で ウエイトレスをしていて、教養もある 石井花子(母方の姓の 三宅華子とも称した)と知り合って 愛人関係になり、ほとんど一緒に暮らしました。石井花子は ゾルゲがスパイであることは知りませんでしたが、彼を深く愛して日本人妻となり、ゾルゲの死後に 回想録を書いて 本にしています。戦後には ゾルゲの遺骨を探し出して、その墓碑を建てました。石井の本は 1949年に日新書店から『人間ゾルゲ 』の題で出版されましたが、1956年に鱒書房から 増補版を出した時には『愛のすべてを』と改題しました。その 10年後の 1967年に 勁草書房が出版したときには『人間ゾルゲ 』のタイトルにもどし、第2章を「愛のすべてを」という章名にし、その後のことを 第3章として 「死者は眠れない」という章名で 書き加えました。これが「決定版」となり、徳間文庫や角川文庫に入ったこともあります。諜報活動員とは別の、私人としての ゾルゲという人間を知るにも、真に 男を愛した女性の 幸福と苦難の軌跡を知るにも、優れた本です。

 ゾルゲ事件は3回 映画化されています。1回目は 1956年と古く、尾崎秀実の書簡集に基づいて『愛情は降る星のかなたに』と題して、監督が斎藤武一、尾崎役を森雅之が演じたそうですが、『人間ゾルゲ』の p.265には 神山茂夫の言葉として、「なんと馬鹿気た 反ソ・反共の映画であることか!」と書かれています。

 2回目は 1961年の、まだ『現代史資料』も出ていない頃で、駐日ドイツ大使館で書記官だった ハンス・オットー・マイスナーが脚色して書いた『スパイ・ゾルゲ』(1958年に 大木坦 訳、実業之日本社)を原作に、石井花子の『人間ゾルゲ』などを参考にし、それらを読んで ゾルゲという人間に深く惚れ込んだ、当時 28歳くらいだった 知的な人気女優・岸恵子が映画化をもくろんで 主演もし、そのフランス人の夫の イヴ・シァンピ (Yves Ciampi) が監督した 日仏合作映画です。シァンピが脚本を書いた時の原題は「ゾルゲ氏よ、あなたは誰? (Qui êtes-vous Mr Sorge?) 」でしたが、松竹は「スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜」という題名に変え、内容まで メロドラマ風に変えてしまったという。しかし フランスとソ連では 大ヒットしたらしい(『岸恵子自伝』2024、岩波現代文庫、pp.184-190)。残念ながら ビデオにも DVDにもなっていないので、見ることはできません。

 映画     映画

● 映画 『 スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜 』1961年、監督:イヴ・シァンピ
ゾルゲの愛人・ユキを 岸恵子が演じた、日仏合作の松竹映画
● 映画 『 スパイ・ゾルゲ 』2003年、篠田正浩 監督・脚本・製作、DVD

 今年の3月に 94歳で世を去った 映画監督の篠田正弘は、72歳のときに 映画人生最後の作品として 2003年に 大作『スパイ・ゾルゲ』を撮っています。リヒアルト・ゾルゲを主人公として、尾崎秀実や アグネス・スメドレー、宮城与徳や マックス・クラウゼン、ブランコ・ヴケリッチらの行動を 史実に忠実に描こうとした3時間の映画で、見ごたえがあります。ゾルゲをイギリスの舞台俳優 イアン・グレンが、尾崎秀実を 本木雅弘が演じています。日本で初めて、フィルムを用いずに 全編デジタルシネマ撮影で制作されました。 しかし 21世紀の日本で、昭和 敗戦前後の ソ連のスパイとしての「ゾルゲ事件」に興味を持つ人は それほど多くはなかったし、映画評も あまり芳しくなかったようです。「スパイ」という言葉を 前面に押し出し過ぎるのも、人々に否定的感情を与えてしまいます。同じ内容であっても、ゾルゲよりも 尾崎秀実を主人公として、題名を『愛情は ふる星のごとく』としてでもいたら、もっと多くの人、とりわけ 事件を知らない若い人たちの 興味を引いたように思えます。

 「ゾルゲ事件」は、日本が真珠湾を攻撃して太平洋戦争を始めた昭和16年(1941)に、ゾルゲや尾崎秀実などスパイ・グループ全員が逮捕され、そのスパイ活動の詳細が報道されて国民にショックを与えました。しかし 戦後になると すぐに価値の逆転劇が行われ、終戦直前に死刑になった尾崎の『愛情はふる星のごとく』が出版されると、尾崎は「国賊」から反転して、むしろ 正義の使徒として 称えられました。しかし 事件の全貌が明らかになるには 時間を要し、最も重要な出版は、みすず書房を創業した 小尾俊人(おび としと 1922-2011)の偉業である『 現代史資料 』(全 46巻、続編 全 12巻)が 1962年に刊行され始め、その第1〜3巻で「ゾルゲ事件」の、検察調書から ゾルゲや尾崎の供述書など すべての記録、文書が収集・公刊されたことです(9年後の 1971年に出た第 24巻で、その補完資料も公刊)。この中で最も興味深い、尾崎秀実の上申書2通と ゾルゲの手記2編とは、のちに岩波現代文庫から尾崎秀実の『ゾルゲ事件上申書』(2003, 239pp.) と、リヒアルト・ゾルゲの『ゾルゲ事件 獄中手記』(2003, 284pp.) としても 刊行されて 読みやすくなっています(書名が似ているので注意)。

ゾルゲ

  ● 『 現代史資料 』第1〜3巻「ゾルゲ事件」 1962年 (ウェブサイトより)
    小尾俊人 編・解説、21.5 × 15 cm、555 + 557 + 723 pp. みすず書房
後に 第 24巻で補完資料 (石堂清倫 編)1971年

 上申書としての「尾崎秀実の手記(一)」は、まだ未決囚だった時に 尾崎が書くことを望み、裁判所からの要請の上で書かれました。それは妻子への追及・迫害を薄めるためのもので、1943年6月8日に提出されました。 「尾崎秀実の手記(ニ)」は、死刑判決がでたあとで 弁護士の勧めによって裁判所に出した「上申書筆記願い」が認められて書かれたものです。(一)の1年半後、1944年の6月から7月にかけて書かれました。これは「転向者の手記」などではなく、尾崎の思想家としての人生観や国家観をあきらかにしたものです。しかし それは 家族のために書かれた 減刑のための請願書でしたから、そこでは 国家および天皇制が肯定されていました。後に どこまでが本心なのか 議論されることになり、ここから、尾崎は偽装転向者だったのか、確信的転向者だったのか、そもそも それとは違う、風土と国体の保守・愛郷主義者だったのかが、さまざまに推量されることになります。

 一方、ゾルゲの上申書は「手記(一)」と「手記(二)」から成り、「手記(一)」は検察の求めに応じて書かれたものですが、「手記(二)」はゾルゲが拘置所で自分の思想と人生を表明・記録しておくべく、自主的に毎日タイプライターを打ち続けて書き上げたものです。第1編では主に中国における諜報活動、第2編では主に日本における諜報活動 が、実に詳しく語られています。ゾルゲは逮捕はされたものの、死刑になるとは思っていなかったらしい。  

 ゾルゲが絞首刑になった時の最後の言葉は「ソ連万歳、コミュニズム万歳」だったそうです。  スターリン時代に禁句であったゾルゲは、のちにフルシチョフ時代のソ連で名誉回復されて「ソ連邦英雄」となり、故郷バクー(アゼルバイジャン)には ゾルゲの記念公園や記念碑が建てられました。

ゾルゲ    ゾルゲ    ゾルゲ

  ●『 ゾルゲ事件上申書 』尾崎秀実 著、2003年、239pp. 岩波現代文庫、900円
  ●『 ゾルゲ事件 獄中手記 』リヒアルト・ゾルゲ 著、2003年、284pp. 同、900円
●『 ゾルゲ事件とは何か 』チャルマーズ・ジョンソン 著、篠崎務 訳、2013年
 ( 1990年の 原著・増補版の訳 )458pp. 岩波現代文庫、1,540円

 チャールズ・ジョンソン (1931-2010) はアジアの近代史の研究者で、その著『 ゾルゲ事件とは何か 』は ゾルゲ事件について徹底的に調べて書いた、最も学術的な本です。 1964年にスタンフォード大学出版局から出版され、1966年に『尾崎・ゾルゲ事件 ― その政治学的研究』という邦題で 萩原実によって邦訳されました。その後 みすず書房の『現代史資料』を始めとする 膨大な資料群や本が出版されたので、ジョンソンは 46年後の 1990年に『ゾルゲ事件とは何か』の「増補版」を出しました。増補の中心は、「伊藤律のユダ説」が 誤りであったことを「追補」として書くためでした。
 この本の原題は "An Instance of Treason" ですから、まさに「ある反逆」です。5年前に出ていた 風間道太郎の本の題名を、英訳して使ったのでしょうか。

ブランコ・ヴケリッチ

 ゾルゲのスパイ活動の有力な協力者に、ブランコ・ヴケリッチ (1904-45) というクロアチア人がいました。ゾルゲと尾崎の影に隠れて あまり知られませんが、下記の2冊の本の出版によって、はじめて ヴケリッチの人間性について知りました。彼は学生時代からコミュニズムに共感していて、1932年に 乞われてソ連の諜報機関員となり、フランスの アヴァス通信社 東京支局員として来日して 諜報活動をしました。11歳下の教養ある(津田英学塾の学生だった)日本女性・山崎淑子 (よしこ、1915-2006) と知り合い、恋愛して 1940年に結婚し、1年足らずになってしまいますが 東京で家庭生活を営みます。翌年 ヴケリッチはゾルゲとともに検挙され、3年にわたる未決囚ののち 無期懲役の判決を受けます。北海道の網走刑務所に収監されて半年後、終戦の半年前の1月に 刑務所内で病死しました。夫婦の間にできた息子は、慶応大学とベオグラード大学を出た 山崎・ラヴォスラヴ・洋で、父が 新聞の特派員として 祖国 ユーゴスラヴィアの日刊紙『ポリティカ』に書き送った セルビア語の記事 56篇を翻訳・編集して、『ブランコ・ヴケリッチ 日本からの手紙』と題して 2007年に 未知谷から出版しました。

ブランコ   ブランコ

●『 ブランコ・ヴケリッチ 獄中からの手紙 』山崎淑子 編著
19.5cm、271pp、2005年、未知谷、2,640円
●『 ブランコ・ヴケリッチ 日本からの手紙 』山崎洋 編・訳
       ポリティカ紙 掲載記事(1933−1940)(昭和8年〜15年)
19.5cm、301pp、2007年、未知谷、3,000円

 ブランコは パリ大学・ソルボンヌ校の 法科卒ですが、その前に ブルノ工科大学で建築を学んでもいて、「東京からポリティカへの手紙」の第 39回目「日本家屋は簡素で、家具や装飾は ほとんどないが、自然に向かって開かれている」(1935年3月3日) で、日本建築について よく観察した報告をしていて、当時 日本でチェコスロヴァキア領事をしていた 建築家 アントニン・レイモンドの活動についても 触れています (pp.196-201)。
 また、その直前の第 38回目「生活は つましくとも、物質的な富より 詩歌を貴ぶ」(1935年2月17日) では、戦前の 日本人庶民の、非常に貧しいけれども 規律正しく「きれいな」生活をしていることを描写しています (pp.190-196)。
 最初の方の第4回目「桜の花咲く国、恋愛と母性は別」(1933年6月11日) では、戦前の日本の女の地位や役割が 西洋人の眼から詳細に描かれていて、女性読者には 特に興味深いでしょう。

 その他、1933年(昭和8年)春から 1940年(昭和15年)末までの8年間に ヴケリッチが書いた 全 56編の記事で編んだこの書は、知的な 若い(29歳時から 36歳時まで)西欧人による 戦前の日本の観察記として、たいへん興味深く読めます。
 この本は、獄中の ヴケリッチと その妻・山崎淑子が 1945年に交わした 往復書簡集『ブランコ・ヴケリッチ 獄中からの手紙』(山崎淑子 編、2005年、未知谷)の姉妹編です。『獄中からの手紙』の「はじめに」で、淑子はブランコの生涯を 簡潔に描いていて、その中に、

「これらの手紙の中に 私が愛し、尊敬した 彼がいる。愛情深く聡明、陽気で冗談好き、悲壮がらずに 信念に忠実だった 彼がいる。」

と書いています。

( 2025 /07/ 01 )





< 本の仕様 >

 ● 『 愛情は ふる星のごとく、獄中通信 』尾崎秀実 著、尾崎英子 編註、世界評論社
   昭和21年(1946) 18cm x 13cm x 1.5cm、293ページ、200g、定価 20円

 ● 『 新編 愛情は ふる星のごとく、獄中通信 』尾崎秀実 著、今井清一 編、岩波現代文庫
   平成15年(2003) 15cm x 10.5cm x 1cm、440ページ、300g、定価 1,200円

 ● 『 現代史資料 』第1巻「ゾルゲ事件1」 1962年 555pp.  小尾俊人 編
          第2巻「ゾルゲ事件2」 1962年 557pp.   〃
          第3巻「ゾルゲ事件3」 1962年 723pp.   〃
          第24巻「ゾルゲ事件4」 1971年 644pp.  石堂清倫 編
          各 21.5cm x 15cm x 3.5〜4cm、800〜1,000グラム


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