『太陽を慕ふ者』 改造社版の扉
(参考)『太陽を慕ふ者』 戦後の 角川書店版の扉
『太陽を慕ふ者』 序
「あくがれなくて 如何して人の生きられやう。是は太陽を慕ふものの声である。
『太陽を慕ふ者』 目次
『太陽を慕ふ者』 挿図目次
『太陽を慕ふ者』1ページ、「レオナルドに逢ふ日」
あらゆる予想を裏切って 美しい、そして偉いレオナルド・ダ・ヴィンチの絵の前に坐って、
『太陽を慕ふ者』4ページ、レオナルド「岩窟の聖母」
「レオナルドの生きて居た同じ世界に 自分が生きて居るということは嬉しい自覚だ。
『太陽を慕ふ者』10ページ、ボチチェリ派「聖母・若きヨハネ・天使」
「西航の上に 私は大きい黒い眼を持った人に逢った。その人が 私を弟であるかの如く
『太陽を慕ふ者』38ページ、ストラスブール本寺「シナゴガ」
「けれども「シナゴガ」。彼女は 可弱い。身を護るべき鎧もない。槍も折れた。
『太陽を慕ふ者』71ページ、「太陽を慕ふ者」
「南へ行かう。おくれないうちに。「君知るや南の国、レモンの花咲く国」
『太陽を慕ふ者』81ページ、「フィレンツェの生活のうち」
「秋深く、アルノの谷沿ひにフィレンツェをこめて銀色の靄が降りた。
『太陽を慕ふ者』92ページ、ミケロアンゼロ「夜」
「然し ミケロアンゼロは より偉い詩人であった。彼は「夜」に代わって
『太陽を慕ふ者』139ページ、ボチチェリ「春」
「春を待遠しがって居る文子のために祈ってやってくれ給へ。
『太陽を慕ふ者』155ページ、フランソア・リュード「進軍」
「進軍である。人生の進軍である。苦しいと言って意気阻喪してはならない。
『太陽を慕ふ者』164ページ、「アルピの中」
「白い「心」が 私に恋である。透明と言ふには 余りに乳色に、白濁と言ふには
『太陽を慕ふ者』170ページ、レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖アンナ」
「山へ来て レオナルドの思はるる。彼に宿る「千百」の心を海と呼べば、それもいい。
「本書に集めたる随筆は 多く 東京日日新聞に 寄稿したるものである。
『太陽を慕ふ者』202ページ、奥付。定価1円 50銭
日照りて紅花緑草と人はよろこぶ。けれどもまた或時に 悲しき眸に、
遠き光のあるのかないのかと薄れ行く 太陽を慕ふ者、
慕ふて得ざるが故に なほも慕ひやまぬ、輝く国への思郷である。」
私は今 泣きさうになって居る。 私はこの世に こんな幸福に逢はうとは 思はなかった。」
バイロンと同じ様に、祖国を離れ行く船上から「悲しい故郷よ、
おやすみ」と叫んで、我に暗かった国と そして友達に挨拶した私は、
船が西にはせるにつれて 世界が明るくなった。母に遠くなる寂しい心よりも、
愛してくれた。淋しがりの私は その愛を どの位の感謝と愛着とをもって受けただらう。
姉を失ふて以来一人ぼっちの私が、餓えながら 憧れながら、つい忘れて居た兄弟の味を
あゝこれだ、私の欲しいのは是だったと 悩ましい程思ひ出すのだった。」
眼かくしをされて 捕虜の恥を 悄然と本寺の門に佇むで居る。信仰ある者は
教会 と共に 人生に勇み向かふであろう。その日の私は 唯一向に「シナゴガ」と共に泣いた。
細いからだを、眼 覆はれて 光から離れた心を、自らのやうに泣いた。」
―― 幾度引用されて 如何に甘いと言はれても仕方がない。唄う度に美しいミニヨンの歌は
私に ひと事とは思はれない。 あれを口ずさみながら 私はよく冬の天城を越して、
日はあかあかと照る 奥伊豆へ行ったものだ。 何時見られるとも知れない伊太利を
見当のつかぬ恋のやうに なつかしむ為であった。 伊太利。」
陰影を柔らかくし、女の皮膚を美しくする 銀灰色の靄。ジョコンダは
こういう日には レオナルドが自分を待って居ることを知って居た。 レオナルドも
自分の心の鏡であるかの如く ジョコンダの心を知って居た。
ジョコンダが 今日 きっと来てくれることを知っていた。」
ストロッチに、そして世の人に 答えた。「耻、害(そこな)ひの永く残る世に、
眠りこそ うれしきもの。さりながら、感覚(こころ)なき石の中に 生きてあるは、
更に更に嬉し。喜びて 我は見ることも捨てん。聞くことも捨てん。
―― おゝ、されば、我を起すな。 静かに! 小声に話せ。」
そして沢山 僕の話を、君の思ふ通り してやってくれ給へ。泣虫の文子は
きっと泣くだろう。あゝ僕は泣いた文子の眼をよく覚えている。それは白兎の
眼のやうだ。文子、文子、文子を愛すればこそ、是程 なやみ 戦ってる僕じゃないか。」
可哀想だと言って ひるんではならない。理想に向って進むものは、
死骸を踏み台にして向上しなければならない。・・・人生の進軍を自覚するものは
感傷に沈淪する余裕はない。軍神の叫び声は 進め!と叫ぶ。
さあ行かう。行かなければ。
余りに澄むだ 遠い白色を、そっと接吻すれば、唇に食い入るであろう冷たさを、果敢ない
恥かしい餓(うえ)のように、かくしきれず帰った。 春に目覚めるハイネの描く少年は、
「フロレンツの夜」に 廃園の草に 横たはる女神の像を抱擁に行く。」
ペーターが 変幻する水に たとえた譬えは、古典になった。太陽と呼ぶならば
それもあたるであろう。或はまた 大きい心の静まり耀けば、夜に かすかに
恒星を見て、人の世に遠い光を その人のように大切がる。自然の精は
何処にも宿るなれば、懐かしむ者の眼に レオナルドは一つの花の中にも
潜むけれども ―― 高山へ来て、直接にレオナルドに逢うものに 幸なれ。」
同新聞社が 私の留守宅を扶(たす)けてくれたことを 感謝する。」
改造社、大正14年6月18日発行、大正14年7月5日 第5版。
(1ヵ月足らずで5版だから、かなり良く売れたらしい。)
東京日日新聞(とうきょう にちにち しんぶん)は、毎日新聞の前身。