ENJOIMENT in ANTIQUE BOOKS - XXVII
新渡戸稲造 著
『 武士道 』
Inazo Nitobe :
"BUSHIDO, The Soul of Japan"
An Exposition of Japanese Thought
Shôkwabô, Tokyo, 7th ed. 1901

神谷武夫
『 武士道』
新渡戸稲造の 『武士道』 裳華房版、第7版(おそらく 1901年)
「武士道の表徴たる桜花」 と 昇る朝陽を配した装幀。
一冊だけ写真にすると大きく見えるが、実は文庫本の大きさ。


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 前回は岡倉覚三(天心)の『茶の本』をはじめとする英文三部作を紹介しましたが、明治の日本人で、英語の著作を外国で出版した人といえば、誰しも、岡倉覚三と並んで 内村鑑三と 新渡戸稲造を思い浮かべることでしょう。今回は、岡倉覚三の本より わずかに早く出版された、新渡戸稲造(1862-1933)の、有名な『武士道』を採りあげます。
 岡倉覚三の英文三部作の初版を入手したあと、それまで特に関心があったわけではない新渡戸稲造の『武士道』も架蔵したくなり、いろいろと調べてみましたら、英文の初版は、岡倉覚三の『東洋の理想』よりも3年早い 1900年(明治33)に フィラデルフィア(アメリカ)のビーズ&リドル社から出版されたのですが、これは入手困難で、ほとんど古書市場にも出ないことがわかりました。で、これはあきらめましたが、折にふれてチェックしていると、米国版の直後に、日本の出版社の裳華房(しょうかぼう)が 新渡戸稲造から許可をとって、英文のままで同年のうちに国内出版をしています。そして、わりと保存のよいものがアメリカの古書店にあることを知り、これを購入することができました。
 少々不思議な話ですが、アメリカで出版された日本人著者による英文の本の、日本の出版社による当時の日本版が日本にはほとんどなく、アメリカに輸出(?)されて残ったものを、日本人の私が買って逆輸入した、というわけです。ビーズ&リドル社は重版しなかったのでしょうか。あるいは、たまたま来日していたアメリカ人が裳華房版を買って、アメリカに持ち帰ったのでしょうか(裳華房がアメリカから版権および専売権を買い取ったのかもしれません)。

 『武士道』は新渡戸稲造の 37才の時の著作です。それは 彼が序文で述べているように、自分の体験から、日本における倫理・道徳教育は宗教よりも武士道に基づいて(成文化せずに)行われてきたと確信し、では武士道とはどういうものかを西洋人に説明するために書いたものです。したがって、『武士道』の副題は “The Soul of Japan” (日本の魂)であり、また “An Exposition of Japanese Thought” (日本思想の提要)です。

『武士道』
新渡戸稲造 『武士道』 の表紙とジャケット

 叙述は、理論的・教科書的であるよりは随想的、観照的で、武士道を種々の観点から考察して日本の文化を縦横に見渡す、といった風なので、岡倉覚三の『茶の本』に似ているとも言えます。特色は、欧米の文学や歴史を絶えず引用して、日本との相似や対照を示していることでしょう。これが欧米人の「武士道」理解を大いに助けたわけですが、その読書量の多いこと、まだ日本語訳がろくに出ていなかった時代に、よくもまあこれだけ原語で読破し、記憶したものだと、その博覧強記ぶりには感嘆します。折しも日本は日清戦争で中国を打ち破り(1894-5)、世界の注目を集めたばかりですから、戦勝の原動力となったであろうと想像された「武士道」を論じたこの本は、岡倉覚三の『茶の本』よりもずっと多く読まれ、英語版からドイツ語へ、フランス語へ、イタリア語へ、ルーマニア語へ、ポーランド語へ、ハンガリー語へ、ノルウェー語へ、ロシア語へ、さらには中国語へ、マラータ語へ、ボヘミア語へと翻訳され、出版されました。
 最初に日本語訳が出版されたのは、米国初版の8年後の 1908年のことです(桜井彦一郎訳、丁未(ていび)出版社)。その後、新渡戸の直弟子の矢内原忠雄の訳が 1938年に岩波文庫から出て、決定版のような役割を果たしましたが、今では現代語訳やら英和対訳やら、多くの翻訳が出版されています。

 その内容は、章題を一覧すれば大体わかります。新渡戸は章に番号を振らなかったのですが、翻訳では、便利さ優先で 矢内原忠雄以来、章番号をふるのが慣例となりました。岩波文庫版で示すと、

第1章  道徳体系としての武道
第2章  武士道の淵源
第3章  義
第4章  勇・敢為堅忍の精神
第5章  仁・惻隠の心
第6章  礼
第7章  誠
第8章  名誉
第9章  忠義
第10章  武士の教育および訓練
第11章  克己
第12章  自殺および復仇の制度
第13章  刀・武士の魂
第14章  婦人の教育および地位
第15章  武士道の感化
第16章  武士道はなお生くるか
第17章  武士道の将来

一読して、特に解りにくいところはありませんから、英文で読んでも、それほどむずかしくはありません。

 さて、私のような世代の人間、それも活字の好きな人間にとっては、この本は素直に読め、納得できます。というのは、私の子供時代、日本はまだ貧しく、食うのが精一杯で、文化費にはあまり金をまわせず、十分に本を買う余裕がなかったので、それを補うために「貸本屋」というのが町々に開業して繁盛していました。一日1冊10円ぐらいで、雑誌やその付録、漫画本から小説本まで、人気のあるものは何でも借りられました。そしてどこの貸本屋でも必ず備えていた全集に 「落語全集」と「講談全集」がありました。小学生の私は本好きだったので、漫画本を一通り読んでしまうと「落語全集」を読破し、さらには 魅力的な挿絵の入った「講談全集」数十巻を、次から次へと読みあさりました(漢字にはすべて ルビが振ってありました)。

講談全集
講談全集(新島広一郎 『講談博物誌』 1992、昭和資料館 より)

 そこに登場するのは英雄・豪傑、歴史的偉人から武将・侠客まで(柳生十兵衛や柳川庄八、赤穂浪士や真田十勇士、太閤秀吉から遠山金四郎まで)、日本の封建時代の人物群の大活躍や悲劇が語られていました。この「講談全集」こそが、まさに「武士道」の世界だったのです。新渡戸が本の中で何度も繰り返し述べている通り、武士道とは「封建制度の子」です。学校では戦後の民主主義を習っていましたが、「美学的」には、講談全集を通底する「武士道」の倫理が、私の心に沁みわたっていたのです。

『武士道』
新渡戸稲造 『武士道』 の内容


 新渡戸の書くとおり、武士道には仏教や神道も影響しているでしょうが、一番大きな源は儒教であったでしょう。講談全集で読んだ 滝沢馬琴の『里見八犬伝』では、八犬士が持つ、伏姫の数珠の個々の玉に刻まれた文字が儒教道徳のエセンスを端的に示しています。それは「仁」「義」「礼」「智」「信」「忠」「孝」「悌」で、これに「勇」を加えたのが「武士道」だと言えるでしょう。こうした規範は「講談全集」ばかりでなく、時代劇映画や小説、歌舞伎や新派、浪花節や漫画、さらにはTVドラマを通じて、津図浦々の日本人の心に植え付けられてきたと言えます。近代人としての日本人も、心の底には、こうした封建時代の倫理や美学が染みついています。
 のちに私は文楽を好み、国立劇場によく見に行きましたが、その美学はよくわかるものの、ただ「忠」の観念と行動にだけは、常に違和感を抱きました。主君に対する「忠」をまっとうするために、自分ばかりか 我が子までも犠牲にするというストーリーは、いつ見ても後味の悪いものです。けれども、ひるがえって現代日本の「会社人間」たちを見ると、彼らは会社への「忠」に徹するあまり、その他の倫理・道徳や良心を捨て去っているように見え、あまり宮仕えしたことのない私には、違和感が湧きます。

 この「古書の愉しみ」の第25回「私家版『イスラーム建築』」に書いたように、『イスラーム建築』の印刷のために買ったエプソンのプリンターにおいて、インクに関するエプソンの悪徳商法のために、ひどい目にあいました。買ったインクの半分が、印刷に使われずに「廃インク吸収パッド」に捨てられて、どんどん新しいインク・カートリッジを買わされるのです。(限定 100部を印刷するために、全部で 50万円インクを買ったうち、半分の 25万円分は、ドブに捨てたられたことになります。廃インク吸収パッドが 何と10回も満杯になり、その都度 未吸収のものに交換したのです。)そのために、本の頒価も高くなってしまいました。

 100冊の印刷が終わった8月初旬以降は、このプリンターをほとんど使っていませんが、それまでは「廃インク吸収パッド」の交換をするたびに、インクを印刷に使わずに捨てる理由を説明するようエプソンに求め続けました。しかし エプソンの社員は誰一人としてそれを説明せず(できず)、現在調査中であるとか問い合わせ中であるとか言い逃れをして、現在に至るまで、一切の説明をしていません(金もうけのために、消費者をだましてインクを捨てさせ、新しいインクを ジャンジャン買わせるためだ、などとは白状できず、さりとて、もっともらしい嘘の説明をでっちあげることもできないわけです)。

 私に問い詰められた一人一人の社員は、心の中では これが会社の悪事だと知っても、会社を告発することはできず、会社をかばうために 自分の良心を犠牲にして、嘘をつき続けるわけです。これが会社への「忠」であり、封建時代のサムライの立場と似たようなものであって、これが「武士道」の倫理の成れの果てかと思うと、何ともやりきれません。

 エプソンの対応のいくつかは「私家版『イスラーム建築』」のページに載せましたが、大岩根 という社員は、「廃インク吸収パッド」を2〜3回交換した頃に電話をしてきて、自分がこの件の責任者だから、損害を弁償するなり何なり、自分が責任をもって解決する、と大見得をきっておきながら、上司に一喝されるや、結局何もせずに、説明責任からも逃げ回っていました。こちらは 100部の印刷がすべて終わって、「廃インク吸収パッド」の交換をすることもなくなり、エプソンの下請けの修理員も来なくなったので、もう 何も言わずにいました。

 すると1週間ばかりたった頃に、エプソンの代理人たる「国広総合法律事務所」の中村という弁護士から郵便がきて、私からの苦情でエプソンの担当者(大岩根)が「深刻な精神的打撃を被っている」ので、私からエプソンへは一切直接連絡をしないよう、「本件に関して通知、連絡、申し出等がある場合には、当職らに対し書面をもって行うように」と言ってきました。そして、「本件に関しましては、現在、通知人(エプソン)において解析作業を進めているところであり、解析作業が得られた時点で、貴殿宛に書面にて回答いたしますので、今暫くお待ちいただきたい」と書いていますが、この通知が来たのは8月1日です。それから2ヵ月以上、書面どころか、ウンともスーとも言ってきません(そもそも、解析することなど 何もありません)。それ以前の2ヵ月も合わせて 4か月もの間、いったいなぜインクの半分も無駄に捨てるのか、というユーザー(消費者)の問いかけに 一切答えないまま、担当者は回答要求に応じられずにノイローゼになっている、というわけです。これが「武士道」の現代版たる「会社人間道」だと思うと、ほとほと 愛想が尽きます。

*  *  *  *  *


武士道

『武士道』 と 「改造文庫」 との比較。 大きさはまったく同じで、布装・丸背という点でもよく似ている。 ただし、『武士道 は厚手のハードカバーだが、改造文庫は表紙が しなうように やや薄手にしている。
写真は、ジョン・ラスキン著、内田佐久郎訳、『建築と絵画』 1933年(昭和8年)
「改造文庫」 というのは、今はない。 改造社という、大正時代から昭和戦前にかけて精力的に活動した出版社のもので、岩波文庫(1927年〜)の次に出版された文庫本(1929〜1944年)である。 その最大の特徴は、ほかの全ての文庫本のような ペーパーバックの紙表紙ではなく、布装の文庫本だったことで、岩波文庫よりも、ずっと豪華な印象を与える(大きさは同じ)。 しかも、ページ数あたりの定価は、岩波文庫の半分だったという。 それで 赤字になって 撤退したのかもしれない。


 さて、「古書の愉しみ」としては、本の装幀や造本について語らないわけにはいきません。この『武士道』を採りあげることにしてから、私の所有する版と他の版との関係を調べ始めたら、次から次へと疑問点が出てきて、その解明に振り回されてしまいました。前回の岡倉覚三の英文三部作で だいぶ時間を使ったので、今回の わずか一冊の『武士道』は 簡単にすませるつもりでいたのに、前回に劣らず時間をとられ、ついに 10 月1日にはアップできなくなりました。まだ未解明のことが多すぎるのです。わかったことだけを、推測をまじえて書いておくほかはありません。

 英文『武士道』の日本版を出した裳華房(しょうかぼう)というのは、えらく古い出版社で、現在も出版活動を続けています。しかし、たいていの人がその名を知らないのは、今の裳華房は 文系の書物ではなく、数学や物理学、化学、生物学等の自然科学系の教科書や参考書の専門出版社となっているからです。会社の創立は、何と江戸時代にさかのぼり、享保年間(1716-35)には 伊達藩の御用板所として、仙台で「仙台書林・裳華房」として出版活動をしていた記録があるそうですから、約300年の歴史をもつ、老舗中の老舗出版社ということになります。
 明治維新によってすべての環境が変わってしまいましたから、明治28年(1895年)に東京に移ってきたので、私の所蔵する『武士道』にも、その住所が、東京市 日本橋区 大伝馬塩町(おおでんましおちょう)11番地と書かれています。今は無い町名です。

 まず裳華房のホームページにアクセスして、その「歴史」のページを見ますと、『武士道』の紹介があり、その 表紙のモノクロ写真 が載っています。ところが、その表紙は私のものと違うのです。本全体のプロポーションが私のものよりも縦長で、こちらの文庫本の大きさに対して 新書版のような印象です。それに 表紙のタイトル文字のフォントがちがう上に、副題が 私のは1行書きなのに、裳華房のHPでは2行分かち書きです。
 両者は別の版だとわかりましたが、そもそも 私のものが いったい 第何版なのか、正確には解らないのです。というのは、私の本の奥付では、明治35年(1902)12月1日発行の第7版と書いてありますが、本の扉には英語で第5版とあり、発行年度は 2561(1901)となっています。2561年というのは 日本皇紀年で、皇紀というのは神武天皇の架空の即位を西暦の紀元前 660年として、そこから換算したものなので、西暦 1901年にあたります。歴史的根拠がないので、戦後は使われなくなりました。
 さらに珍しいことに、私の本には 今から 111年も前の ダスト・ジャケット が残っていて、これには英語で、第7版、2563(1903)とあります。全部ちがうので、何が本当かわかりません。それでも、普通は奥付が一番信用されるので、一応これは第7版ということにします。しかしこの本には広告ページがあって、英文『武士道』の 第6版の広告 があります。第7版の本に第6版の広告を載せるというのは奇妙ですが、その下の 独文『武士道』の広告が主だったのでしょう。そこには、英文『武士道』は(初版)発行後1年を経ずして1万9千部を売り切ったとあります。初版は 1900年の10月発行なので、第6版は 1901年の10月以前ということになります。そうなると、第7版がそれから1年以上あと というのは考えにくいので、明治35年というのは明治34年の誤りだと判断されます。本当のことは解らないのですが、この版は 1901年(明治34)発行の第7版ということにしておきましょう。

 では 裳華房のHPにあるモノクロ写真は いったい第何版なのかを知るために、裳華房に問い合わせたところ、裳華房の事務所と倉庫は 昭和20年の東京大空襲で全焼してしまって、昔の本や記録は すべて失われてしまった と言うのです。そして 先代の社長は2年前に亡くなってしまったので、『武士道』の出版経緯や版による異同など、古いことは何もわからないと言います。このために、アメリカおよび日本での出版のいきさつは一切わからず、わずかな残存物から推測するしかありません。HPに載っているモノクロ写真も、当時の担当者が退職してしまって、その所在もわからないのですが、もしかすると、その写真ばかりでなく実物も、先代社長の息子さんである現社長が相続した沢山の未整理のダンボールの どこかに紛れ込んでいるかもしれない ということです。

 ただ、面白いことが解りました。今から20年前、先代社長の存命中の 1994年に、裳華房の東京移転 100周年記念として、『武士道』の復刻版 を作ったというのです。その1冊を譲ってもらって調べると、これは 第3版(明治33、1900年11月20日発行)の復刻なのでした。裳華房には何も残っていなかったので、先代社長が古書店を探し回って、やっと手に入れたのが 第3版だったようです。初版は、めったに手に入らないわけです。しかし この復刻版の表紙が、HPのモノクロ写真と違うのが また謎です。考えられるのは、本の中身はともかく、表紙があまりにも傷み 汚れていたので、表紙だけ よそから借りてきて使ったのでしょう。デザインは私のものと同じなので、第3版から第6版のどれかだと思われます。

武士道
裳華房版 『武士道』 は、豪華に 三方金が ほどこされている。
ただし、背の天端に花ぎれはなく、スピン(しおりひも)もないのは、改造文庫と同じ。

 こうして探究の旅を書いていると 果てしなく長くなってしまうので、細部を はしょって、推測をまじえた結論だけを書いておくことにしましょう。
 そもそもの発端は、前述のように、新渡戸稲造が 西洋人(その代表として、妻であるメアリー)に対して日本の倫理思想を説明することにありました。新渡戸が 1998年にアメリカのカリフォルニアで病気療養をしていた時、メアリーの友人の アンナ・C・ハーツホーン(1860-1957)を呼んで、1年間秘書の役割をしてもらうと共に、『武士道』の口述筆記をしてもらい、英語表現についての種々のサジェスションをしてもらいました。そこで、本の序文の最後に、新渡戸からアンナへの謝辞が述べられています。

「この序文を終えるにあたり、私は 友人アンナ・C・ハーツホーンに対し、多くの有益なサジェスションを与えられたことに感謝の意を表したい。」

この序文には 1899年の12月と書かれているので、これが初版の出版時期に関する混乱を生みました。序文は 1899年であっても、出版は翌 1900年の1月だったのです。新渡戸は その出版を見届けた上で、2月にヨーロッパに出発したのでした。これを出版した リーズ&ビドル社というのは、クエーカー(フレンド会)の出版を引き受ける小出版社だったようです。新渡戸稲造とその夫人のメアリーは敬虔なクエーカーだったので、ここに出版を頼みやすかったのでしょう。

 これを知った日本の裳華房は、その前年に新渡戸稲造の『農業本論』を出版していたので 新渡戸とは付き合いがあり、彼の本はぜひ うちで出したい、ということだったのでしょう、新渡戸の了解をとって、リーズ&ビドル社から版権を買い取ったようです。早くも同年の 1900年10月には 日本版の英文『武士道』を出版し、アメリカやイギリスにも輸出しました。(独占販売権も取ったのかもしれません。当時の詳しいことはわかりませんが、現在は、いくつかの出版社が出す場合、お互いに競合しないように、アメリカでの販売権、ヨーロッパでの販売権、アジアでの販売権などと 分けて契約します。ネットで外国の書店に本を注文すると、これは日本には送れない、などと言われることがあるのは そのせいです。)
 当時 日本で英語を読める読者層は ごく限られていたでしょうから、出版した大部分は 輸出用だったと思われます。前述のように、1年足らずで1万9千部も売りつくすベストセラーになったというのは、そのおかげです。裳華房は短いあいだに 次々と版を重ねていきます。1904年までに9版も出しました。私の所有するのは 第7版です。

 今回の「古書の愉しみ」を書くにあたり、まずもって明らかにすべきは、この第7版の装幀・造本が 米国の初版や 裳華房の初版と同じだったのかどうか、という点でした。先述のように、裳華房ではすべてが戦災で失われてしまったので、詳しいことは解りません。現在のHPに載っているモノクロ写真が第7版とよく似ていながら、いろいろな違いがあるので、おそらく この写真が初版だったのではないかと推測しました。
 では、米国初版はどうだったのか。グーグルが世界中の本の ディジタル・データ化を推し進めているのはご存じでしょう。そのおかげで、ハーバード大学が所有するリーズ&ビドル社版 ”BUSHIDO” 1900年初版の全ページを Google American Library で見ることができます。そして、その表紙を見て驚いたのは、これが裳華房のHPにあるモノクロ写真とそっくりなことです。ただし横巾が小さくなっているのと、桜の絵がそっくりであっても描きなおしていること、文字がやや太くなっていることなどから、裳華房では日本版を出すにあたり、できるだけ米国版と同じにしようと、そっくりな装幀を製作したのだろうと考えられます。

 これで一件落着かと思われましたが、驚くべき事実が立ち現れました。「盛岡市先人記念館」という博物館に「新渡戸稲造記念室」があり、そこに『武士道』の 米国初版が収蔵展示 してあります。(新渡戸稲造の令孫より寄託されている資料で、メアリー夫人より代々引き継がれていたものを展示保存しているとのこと。)これを博物館のHPで見ると、緑色の表紙をしているではありませんか。メールで問い合わせると、スタッフが実に素早く、的確な返事を、参考画像と共に返信してくれました。(こういうことは、自分の博物館とその展示品に誇りを持っていなければできないことで、すべての博物館は、かくありたいものです。)

 その本の扉の画像を見ると、これは確かにリーズ&ビドル社の 1900年版です。グーグルのハーバード大学本と見比べてもらいましたら、本文内容は同じであるということです。では、米国初版には2種類の装幀があったのでしょうか? さらにアメリカのウィキペディアに 米国初版の表紙写真 が大きく掲載されているのを見つけ、これを盛岡市先人記念館のものと比べると、ほとんど同じなのに、タイトル文字がわずかに違うことがわかりました。すると、米国初版には3つの異本があったことになります。
 ただ古書カタログを調べると、米国初版は緑色の表紙だったようなので、もしかするとハーバード大学本が、表紙が傷んでしまったために、日本版の表紙に付け替えてしまったのだろうか、という疑いも出てきます。ただし、緑色表紙版は大きさが日本版(105 × 153mm)よりもひとまわり大きいので(125 × 185mm)表紙の付け替えは難しいのではないかと思いましたが、裳華房のHPにあるモノクロ写真は、写真、実物とも行方不明なので、大きさはわかりません。裳華房が、日本の初版は米国版と同じにしながらも、第2版、あるいは第3版から小型にした という可能性も ないではありません。

 調べれば調べるほど不可解な事実が出てくるわけですが、私の興味は、表紙のデザインをしたのは誰なのか、という点に及びます。というのは、またしても不審な点があるのです。『武士道』の序文に、アンナ・C・ハーツホーンへの謝辞があることを 上に書きましたが、新渡戸は「アンナの有益なサジェスション」ばかりでなく、「この本の表紙のために彼女が作った独特な日本的デザイン」に対しても感謝しているのです。これは 私の第7版にも、第3版の復刻版にも、そしてハーバード大学の所蔵する初版にも載っています。ところが 私の知るかぎり、岩波文庫をはじめとする、日本のどの訳書でも、この部分が削除されているのです。原文は、  (太字引用者)

I wish to express my thanks to my friend Anna C. Hartshorne for many valuable suggestions and for the characteristically Japanese design made by her for the cover of this book.

 これによって、地の色は不知としても 『武士道』の表紙はアンナ・ハーツホーンによってデザインされたのだと知れるのですが、その部分が訳書にないのは、後述の 「増補・訂正 第10版」(1905年、明治38)において、英語原文のその部分が 削除されたからのようです(一体なぜ?)翻訳書はすべて、第10版以降のものをテキストに用いているのでしょう。したがって、アンナの表紙デザインへの寄与は、日本では知られなかったのです。
 (岩波文庫で、「第一版序」として訳しているのは、嘘だということになります。正しくは、「第十版以後の版に「第一版序」として掲載された序文」ということになります。この嘘は、訳者である矢内原忠雄の意図だったのでしょうか、メアリー夫人の工作だったのでしょうか、あるいは岩波書店の弥縫策だったのでしょうか?)

新渡戸夫妻
新渡戸稲造と、妻 メアリー
(松隈俊子 『新渡戸稲造』 1969、みすず書房 より)

 いったい第10版で、何があったのでしょうか? 第9版までは、前述のように裳華房が出版していましたが、新渡戸は第10版を出すにあたって増補訂正するとともに、出版社を、日本版は丁未(ていび)出版社、英米版はニューヨークおよびロンドンの G・P・パトナムズ・サンズ社(George Palmer Putnam's Sons)から出すことに変更しました。裳華房は 版権を両社に売却したらしく、これによって新渡戸稲造との縁も切れたようです。

 装幀については、リーズ&ビドル社版の緑色の表紙と 裳華房版のベージュ色の表紙をパトナム社および丁未出版社が踏襲したのだろうとばかり思っていましたが、盛岡市先人記念館が パトナム版の表紙の画像 を送ってくれたのを見て吃驚しました。スキャンによる色彩は どこまで忠実かわかりませんが、このデザインは ひどい。ちょうど日露戦争(1904-05)の時代だったから日の丸のイメージを用いたのだとしても、色も形も文字も、まるで児戯のようなデザインです。こうまでしてアンナ・C・ハーツホーンのデザインを捨て去る理由は 何だったのでしょうか?
 ただ 米国初版の緑色の表紙 については、私は不可解な思いを抱いています。その緑色の地に赤い日の出と桜花、そして金文字というのは、赤緑色弱の人がデザインしたかのような、色彩的にきわめて不調和なものです。アンナは 美術学校を卒業 しているそうなので、こんな色彩計画を立てるとは思えません。この緑色の原画は別の人が描き、裳華房版を出すにあたってアンナがリメイクしたのではないだろうか、とも考えましたが、ハーバード大学所蔵の米国初版の序文にも アンナの表紙デザインと書いてあるので、この仮説は捨てざるをえません。

 ところで、竹中英俊という方の「風信 2011」というブログ に、新渡戸稲造と裳華房のあいだに、版権と印税についてのトラブルが生じたらしいことが記されています。詳しくは、それをお読みいただくとして、私には一つ気になることがあります。竹中氏が引用している、新渡戸稲造の『幼き日の思い出』に付けた メアリー夫人の「はしがき」についてです。
 メアリーが編纂した新渡戸の少年時代の思い出は、のちに日本図書センターからも「人間の記録」シリーズの第 23巻、『新渡戸稲造、幼き日の思い出/人生読本』として 1997年に刊行されていて、その巻末に「参考」として、メアリー夫人の「はしがき」が再録されています。そこには版権・印税のトラブルについて、出版社(裳華房)への厳しい非難が記されています。その大きな要素として、

『武士道』は「アメリカで書かれたものです。この本は、1900年にアメリカで最初に出版されました。私は新渡戸に、ぜひとも日本で同時に版権を取るように求めましたが、彼はその必要はないし、日本では誰もこの本を読みたいとは思わぬ、出版など考えもしないだろう、と思ったのでした。ところが結果は、彼が 1、2年後に帰国しますと、『武士道―日本の魂』が、すでに9版を重ね、学校の教科書にも使われていたことがわかりました」

とあります。しかし、これはメアリーの勘違い、というより、かなり嘘がまじっているように思えます。というのは、第3版(明治 33年11月)の復刻版と、私の所有する第7版(おそらく明治 34年12月)とを見比べてみますと、諸所に加筆・訂正がなされているからです。それらは、出版社側で できるようなものではありません。明らかに新渡戸稲造の加筆・訂正です。
 ひとつだけ顕著な例を挙げますと、第3版(これは ハーバード大学所蔵の米国初版 と同じです)の巻末に近い 119ページの、下から7行目の Past のあと、Christianity の前に、第7版の 120ページ、下から6行目の Mocking から 121ページ7行目の people までの 12行分が、加筆されているのです。訳文では、岩波文庫の 163ページ、4行目から11行目の

「たといエールバー もしくはスタインウェイの最良の製作にかかるものでも、名音楽家の手によらずして、ピアノそのものが リストのラプソディ もしくはベートーヴェンのソナタを弾奏し出すことがあるか。さらに もし銃砲が戦に勝つものならば、何故 ルイ・ナポレオンは そのミトライユーズ式機関銃をもってプロシャ軍を撃破しなかったのであるか。或いはスぺイン人は そのモーゼル銃をもって 旧式のレミントン銃をもって武装したるに過ぎざりしフィリッピン人を 破ることをえなかったのであるか。活力を与えるものは精神であり、それなくしては 最良の器具も ほとんど益するところがない、という陳腐の言を繰り返す必要はない。」

の部分です。この部分は米国初版にも、日本版第3版にもありません。でも 第7版にはあります。つまり 第4版から第7版の間に加筆されたのです。しかし訳書は、いずれもこの部分を翻訳しています。訳書には しばしば、リーズ&ビドル社の米国初版から翻訳したと書かれていますが、実際には そうではなく、第 10版以後の版を用いているのです。上記の部分が掲載されているかどうかで、すぐにわかります。原書にない部分を翻訳できるわけもありません。(これ以外にも、第7版には 多くの加筆・訂正があります。)
 つまり新渡戸夫妻は、日本版が第9版まで出ているのを知らなかった、などということはなく、裳華房と連絡を取り合いながら、改訂をしていたのです。第10版で 初めて増補改訂が行われた、というわけでは ありません。

 こういうことを知ると、表紙のデザインについても、新渡戸夫妻と アンナ・C・ハーツホーンの間に何らかのトラブル(たとえば メアリーとアンナの仲たがい というような)があり、第10版の時に アンナ・ハーツホーンを切り捨てたのではないか、というような想像も起きてきます。そうとでも考えなければ、せっかくのアンナの(素晴らしいとまでは言えなくとも)それなりのデザインを捨てて、幼稚な表紙デザインに変えたわけが解りません。(新渡戸は第10版で序文を書き直し、そこでは 感謝の言葉をアンナに対してではなく、全面的に妻(メアリー)に宛てました。)

* * *

 ここに書いてきたようなことは、本来『新渡戸稲造全集』を出版する折に、編集委員なり出版社なりが調べて、その結果を 解題なり解説なりに記録しておくべきことですが、そういったことは何もなされなかったようで、今回の「古書の愉しみ」を書くにあたり、『新渡戸稲造全集』は あまり役に立たず、次々と現れる謎に翻弄された1ヵ月でした。(こうしたことを あれこれと調べるのも、「古書の愉しみ」のひとつだ とも言えますが。)

( 2014/ 10/ 03 )



< 本の仕様 >
 新渡戸稲造 Inazo Nitobe: 『武士道』 "BUSHIDO The Soul of Japan"
  An Exposition of Japanese Thought  Shôkwabô, Tokyo, 1901
  東京、裳華房、扉では 1901年(明治34、皇紀 2561年)第5版(11,000部)
  奥付では 1902年(明治35)第7版、ジャケットでは 1903年(明治36)第7版(21,000部)
  Simpkin, Marshall, Hamilton, Kent & Co. Ltd, London
  袖珍本、15.5cm x 10.5cm x 1.7cm、130+30ページ
  布製本、淡黄色、三方金、重量:220g



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