| 『 歴史的探究 』 |
前回、最初に書かれた 「世界建築史」 の候補として、エドワード・オーガスタス・フリーマンの本を取り上げましたが、『フリーマン建築史』 は、インド建築とアラビア建築を少々扱っているというだけで、全体が有機的な 「世界建築史」 の絵記述になっているとは、とても言えません。前回書いたとおり、「世界建築史」 としては、いまだ萌芽期の書物であったと言わざるをえません。
『歴史的探究』 版元製本の 初版
ファーガソンが最初に書いた 本格的な理論書は、1849年の 『芸術、とりわけ建築美に関する 正しい原理への歴史的探究(An Historical Inquiry Into the True Principles of Beauty in Art, More Especially With Reference to Architecture)』 という長い題名の本である (以下、本稿では 『歴史的探究』 と略すことにする)。
19世紀初頭、イギリスの建築界は それまで支配的であった新古典主義(新しい建物を 古代ギリシア・ローマの建築様式に基づいて設計する傾向)に異議を唱える 建築家や理論家が現れた。 ピュージンはその代表で、キリスト教建築の正しい姿はゴチック様式にあり、異教世界のギリシア・ローマの古典様式は ふさわしくないと主張した。
ピュージンや ジョージ・ギルバート・スコット(後にボンベイ大学の講堂と図書館を設計する)など リバイバリストたちは、新しい聖堂をゴチック様式で設計し、「中世賛美」 の潮流を イギリスの建築界に広めた。
『歴史的探究』 扉ページと石版画の口絵
ファーガソンは ピュージンと同じようにゴチック様式を高く評価したが、しかし中世とは社会システムも人々の心情もまったく異なった現代(ファーガソンの 19世紀)において、新しい建物に過去の様式を用いるのは誤りだ と考えた。 そしてまた ゴチック様式以外にも世界各地にさまざまな様式があり、それらは その時代と社会の要求に最も合致した様式であるがゆえに美しく、価値があるのだと判断した。 その正当性をこそ 「正しい原理」 と呼んだのである。
この 『歴史的探究』 に注目してくれたのは、老舗(しにせ)の出版社の社主、偶然にも ファーガソンと同年齢の、三代目ジョン・マレーであった。 彼は一般書から学術書まで 幅広い出版活動をした人であるが、世界の建築資料を探究、収集していたファーガソンに、それを地理的順序で書き直すことを勧めた。
小口木版の図版(アテネのリュシクラテス記念碑) 以上の記述は、ファーガソンの 『歴史的探究』 を、彼の 「建築論」 の書として紹介したものです。 というのも、こうした彼の建築論は この第 1巻の 「序章」 に書かれているのですが、ページ数からいうと、全体の 3割以上の 170ページにもわたります。彼の構想では、第 3巻の 「終章」 がその後編をなすもので、約 200ページになるだろうと「前書き」で予告しています。そして、合計 370ページにおよぶ 「建築論」 こそがこの書物の 「本文」 なのであって、他はその例証である、とまで書いています。ここから、この『歴史的探究』は、もっぱら彼の建築論の書と見なされて論じられることが多いのです。
では、その序章と終章以外の部分、第 2、第 3巻がそれぞれ第 1巻と同じページ数であるとするなら、全部で約 1200ページにおよぶ部分には、何が書かれているのか(また、書くつもりであったのか)というと、実は、これが 「世界建築史」 だったのです。つまりファーガソンは、世界の建築の歴史を調べていくにつれて独自の建築理論を構築していったわけで、それを書物にまとめるためには、「世界建築史」 と 「建築論」 がセットでなければならなかったのです。
銅版画の図版 (エジプト、カルナック大神殿)
では、未刊となった第 2巻、第 3巻はどのような構想だったかというと、第 2部(Part II)では、第 1章が東アジア(仏教建築と ヒンドゥ建築のインドを中心として、アフガニスタン、セイロン、ビルマ、チベット、さらにはジャワ島と中国まで含む)として100ページ。第 2章はイスラム建築で 100ページ、第 3章はビザンティン美術で 50〜60ページ、第4章はロマネスクとゴチックで(スペインとスカンジナビアを含み)約 200ページ。最後にドルイドやメキシコなど、その他の地域を扱う。
こう見てくれば、これらは後の『世界建築史』と『近世様式の建築史』の構想そのものであるということがわかります。つまり、不完全な『フリーマン建築史』と違って、この『歴史的探究』は、完全な「世界建築史」が意図された書物だったのです。インド建築でスタートしたファーガソンは、次第に世界中の建築の歴史を調べ、そこから一つの建築論を導き出し、それを証するために資料収集をし続けて、生涯にわたって 20巻を超える建築史の書物を執筆したのです。 さて、私の所有する 『歴史的探究』 は オリジナルの版元装幀で、革装ではなく、布装本です。前述のように大型本で、約 550ページもありますから、なかなかのヴォリュームです。装幀の印象は、前々回紹介した『図解・建築ハンドブック』の 初版の版元装幀 と、よく似ています(出版社はちがいますが)。 背表紙には金文字と図案の箔押しがありますが、表紙は焦げ茶色の布表紙に枠飾りの空押しがあるだけで、まったく派手さがなく、むしろ、ややグルーミーな印象です。しかし内部には多種の図版があるので、楽しめます。 この歴史書を、ジョン・マレーの勧めを受け入れて地理的順序で書き直した 『図解・建築ハンドブック』 では、すべての図版を小口木版に統一して、上下巻あわせて800点以上もの図版を入れた画期的な本となりますが、この 『歴史的探究』 は、まだ図版制作の過渡期の書物で、銅版画(エッチング)と石版画(リトグラフ)と木版画(ウッドカット)を共存させています。
フロンティスピース(クロモ・リトグラフ、15cm×22cm)。 フィラエ島の フィラエ神殿、エジプト まず 扉の向かいのフロンティスピース(口絵)は、ナポレオンによる『エジプト誌』の図版をもとにしたものですが、エジプトのフィラエ神殿を描いた彩色石版画なので、本全体に華やかな印象を もたらしました。これはフランシス・アランデイル(1807-53)の原画を 当時隆盛だったマイケルとニコラス(兄弟?)・ハンハートのリトグラフ工房の制作になるもので、彼らが得意とした三色刷りの クロモ・リトグラフです。この書が出版された2年後の 1851年がロンドンで開催された第 1回万博の年で、クロモ・リトグラフの最盛期でしたが、多色刷り版画を挿入するのは当然高価なので、このフロンティスピース 1点だけでした。 書物に挿入する図版としては、石版画が盛んになる以前は、銅版画が一般的でした。この 『歴史的探究』 にも 5点の腐食銅版画(エッチング)が挿入されていて、その内 2点は、2ページ見開きの大型版画です(27cm×36cm、エジプト、テーベの カルナック大神殿 と、ギザのピラミッドの内部構成図)、1ページ大の銅版画は、ペルセポリスの平面図、フィガリアのアポロ神殿、そしてローマのコロセウムの 3点です。 ロングマン社から出したとはいえ、ほとんど ファーガソンの自費出版でしたから、これだけの豪華本を出すのは、かなりの出費だったことでしょう。インドでの事業をやめてロンドンに居を構え、研究三昧の生活を送り、こうした本を全 3巻で自費出版するというのですから、インドでのインディゴ農園で、いかに大きな財を成したかがわかります。 そして、未刊に終ったとはいえ、この本はファーガソンの建築史研究および建築論の原点というべき書物だと言えます。 ところで、この本の題名ですが、背表紙に箔押しされている短いタイトルは ‘The Principle of Beauty in Art’ であり、本文の扉のタイトルは ‘An Historical Inquiry into the True Principles of Beauty in Art, more Especially with Reference to Architecture’(芸術、とりわけ建築美に関する 正しい原理への歴史的探究)ですから、略タイトルとしては、『歴史的探究』 ではなく、『建築美の原理』 としてもよかったのですが、今回は「世界建築史」に焦点を当てているので、『歴史的探究』 のほうを採った次第です。 ( 2011/ 08 /20 )
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