| 『 図説・建築ハンドブック 』 |
前回まで ファーガソンとフレチャーの 「世界建築史」 を紹介してきましたが、今回採り
あげるのは、そのファーガソンの 『世界建築史』 の前身となった 『 図説・建築ハンドブック 』 です。 これも このサイトの 「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」 に かなり詳しく書きましたので、その内容については、ここでは簡単に述べるに とどめます。
当時は、書物の内容を できるだけ伝えるべく 長い題名をつけながら、通常は その主要部分で呼ばれる、という習慣がありました。 この本の題名も、正規には 『すべての時代と国を代表する 様々な建築様式の、簡明にして平易な叙述からなる 図解・建築ハンドブック(The Illustrated Handbook of Architecture: Being a Concise and Popular Account of the Different Styles of Architecture Prevailing in All Ages and Countries 』 というものですが、通常は 『図説・建築ハンドブック』 と呼ばれました。 この出版は大成功をおさめ、イギリスばかりでなく、世界各地に輸出されたようです。 発行部数や増刷の回数は わかりませんが、4年後の 1859年には第 2版が出ました。 私は その初版と第 2版を ともに所有しています。 初版は版元装幀で、第 2版は モロッコ革による自家装幀です。 両者をつき合わせて調べたところ、違いは 扉と口絵(フロンティスピース)だけであって、他はまったく同一の内容であることがわかりました。 つまり、この第 2版というのは 改訂版ではなく、初版の増刷に過ぎなかったのです。 『インドと東方の建築史』 の時のように、初版の 「ニュー・インプレッション版」 と銘打ったほうが 適当だったでしょう。
『図説建築ハンドブック』 版元製本の 初版
版元装幀の初版は、焦げ茶色の布装で、植物図案の型押しはあるものの、やや地味で グルーミーな印象があります。 それに対して 第 2版の革装本は、すべてを赤で統一した 派手やかな装幀です。 これには、実は わけがありました。上巻の扉の前の遊び紙に、手書きで 次のような書き込みがあります。
『図説建築ハンドブック』 自家装幀の第 2版 さて、この第 2版にはありませんが、初版の上巻の巻末には、ジョン・マレー社の 32ページにおよぶ出版図書目録が付いています。 これをじっくり見ていくと、当時のイギリスの出版状況の一面がわかって 興味をそそられます。 ファーガソンは この本の成功によって、以後の ほとんどの著作をジョン・マレー社から出版することになりますので、ここで ジョン・マレーについて書いておきましょう。 というのも、この 「古書の愉しみ」 シリーズで おいおいに紹介していくことになる本を含め、多くの重要な本が ここから出版されているからです。 たとえば、インド美術史家、E・B・ハヴェルの大部分の著作、チャールズ・フェローズの 『小アジア紀行』 と 『リュキアにおける発見の報告』、さらにはダーウィンの 『種の起源』、岡倉天心の英文著作、『東洋の理想』 および 『日本の目覚め』 も そうです。
← 上巻末に付された、ジョン・マレーの 出版図書目録
この付録の出版図書目録のタイトルは "Mr Murray’s General Work" (マレー氏の出版目録) と、個人名で書いてあります。 つまり ジョン・マレーというのは社名ですが、社主の名前でもあります (John Murray の正しい発音は ジョン・マリーでしょうが、ここでは慣例に従って ジョン・マレー と表記します)。
ジョン・マレー 3世
ジョン・マレー 3世は二代目から出版の仕事を引き継いだ ばかりでなく、自ら本も書きました。 大学時代から 地理学や地質学に大きな興味をもち、その調査のために しばしば大陸を旅行したので、それをもとに ヨーロッパ大陸 (1836)、ドイツ、スイス (1838)、フランス (1843)などの 正確で文化的なガイドブックを出版しました。 これを 「ハンドブック・フォー・トラベラーズ」 というシリーズにして 多くの著者による本を続刊しましたので、ジョン・マレー社の出版物の 看板商品ともなりました。 この『図説・建築ハンドブック』 が大きな評判をとった理由のひとつは、その図版にあります。 上下巻合わせて約 850点もの図版を挿入したので、世界の建築を理解するのに、またとない画期的な視覚的資料となったからです。 19世紀には まだ写真製版の技術がなかったので、すべてを小口木版にしました。小口木版といっても ピンとこない人が多いでしょうから、今回は それを 多少詳しく説明しておきましょう。
小口木版の図版 (スペイン、ウマネホスの聖堂)
まず、初版の下巻の扉に載せられた、上の絵をご覧ください。 写真かと見まごうような絵ですが、これを クリックして拡大すると、絵だということが わかります。 しかし一見したところ、ペン画か銅版画 (エッチング) のように見えます。
と書いているほどです。
トマス・ビューイックの小口木版画 (from "Thomas Bewick, Selected Work"1989, Carcanet)
この木片を 活字の棒の長さと同じ厚みにすると、活字と一緒に製版することができ、文字と絵を一度に印刷することができました (銅版画や石版画では、そう できません)。 当時、すでに写真はありましたから、写真を もとに小口木版を制作すれば、写真のような絵入り新聞や雑誌が作れたので、新聞社や出版社は こぞって これを採用しました。その需要に従って、高度なテクニックをもった彫り師が輩出したのでした。
これが活字と一緒に印刷された ということは、これが凸版であることを意味します。 しかし、先の絵の拡大図を見れば、銅版画のように線を刻んだ 凹版画のように見えます。 これが、私にとっても不思議な点でしたが、そこで、上の ビューイックの彫版した リスの絵を見てみましょう。 リスの体や尾の毛が 1本 1本刻まれているさまは、まさにエッチングのようですが、木の枝の幹の部分を見ると、白い部分が ビュラン (彫刻刀) でカットした部分であり、残された部分が 黒くプリントされているのだということがわかります。 つまり、1本 1本の黒い線は、すべて彫り残された小口面なのです。
『図説建築ハンドブック』 の中の、見事な小口木版画 ( 2011/ 06 /12 )
< 本の仕様 >
"The Illustrated Handbook of Architecture" 第 2版、2 vols、ロンドン、ジョン・マレー社 |