【 設計要旨 】
横浜の下町に先代から呉服屋さんを営んでいる建設主が、老朽化した木造 2階屋を建て替えることになった。店の面目を一新し、スマートな居間を作り、中学生の娘さんたちにも個室を与えたいと考えた。
けれど、敷地面積はわずか 16坪しかない。しかも間口が 4.5mに奥行きが 12mという、ウナギの寝床タイプの細長い敷地である。 こんな所ではロクな家は建つまい、と思っていたらしい。「美しく住みやすい家」への願いがかなえられそうだと思いはじめたのは、基本設計の図面と模型を目にした時からだったようである。
1階平面図 2階平面図 3階平面図
まず必要の床面積を得るためには3階建てにしなければならなかったが、ここはまた地盤も悪いのだった。杭工事を避けるためには鉄骨+ALC造ということになるのだが、将来の外壁目地の問題、プランの不自由度、外観の見劣り等を考えると、これも避けたかった。この新居で今後の人生をまっとうしたいという建設主の意向も思えば、RCの堅固な城にするしかないと思われた。
支持層は 30〜33mということだから、BH杭を4本打てばそれだけで 400〜500万円がとんでしまう。この費用を半減させるために採用したのが摩擦杭だったのだが、敷地の狭小さによる施工条件から、5.4mの杭を 40本しか打てず、そのために構造家から建物自重の軽減を求められた。
つまり、屋根まで RC造とすると杭耐力 200トンを大幅にオーバーしてしまう。 そこで登場したのが、3階の腰から上をすべて屋根の扱いにして、それを鉄と木でつくって軽量化する方法だった。こうしてできた屋根裏風の丸天井の子供室は、娘さんたちを満足させ、外観を特徴づけることとなった。

2階の居間 3階の子供室
ところで京都の伝統的な町家形式、とりわけ西陣地区のそれは、こうした細長い宅地割で商住同居の優れた住環境を創り出している。通り抜け土間や中庭、天窓、職住混合等といった町家形式の伝統を参照しつつ、現代的な店舗付き住宅を作れないものかと思った。
使用人のいない現代生活では、ここの主婦も店番をしながら毎日の料理、帯の仕立てや洋裁、それに英文タイプの仕事までこなす。 そのために、1階をワンルームにして、店から台所までを一体化して通り抜け土間の現代版とすること、3階の奥まった物干し場の床にガラスブロックを嵌めて天窓とし、その下を吹き抜けにして、2階の中廊下も1階の食堂も明るく快適なものとすること、小さいながらも吹き抜けを通して上階と視線や声を交わせるようにすること等の工夫に結実したわけである。
狭さを緩和するためのベンチ付き食堂は現代の茶の間で、多目的の作業台をかねた 3.5mの大テーブルは この家のヘソであり、いつも家族や来客の溜まる場所である。
トップライト 1階の隠し机
学生時代に 吉村順三先生に住宅を習ったことによって、その後の住宅観を決定されてしまったような気がする。 住宅とは、住み手の便利さ快適さのために細心の工夫を積み重ねたものである、といった具合に。安藤風の、ほとんど家具のないコンクリートばかりの室内写真を見ると、まるでシトー派の修道院のような禁欲的なたたずまいに魅力を覚えるけれども、それが住宅であるとは思いにくい。 極端に言うなら、住宅の住みやすさとは、造り付け家具の多さに比例するのではあるまいか。
とりわけ今回のようなコンパクトな住宅における狭さをカバーするには、隅々まで無駄にせぬ造り付け家具と「細心の親切設計」で勝負する他ないように思われる。その結果、ずいぶんと変化に富んだ大小さまざまの棚や収納や物入れで満ちた家とはなった。 多分それが、家狭くして物の多い日本の「都市住宅」の方向だろうという気がする。

1階の収納計画図 矩計詳細図
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