BARACK OBAMA and THE CENTURY OF ENGLISH

バラク・オバマと 英語の世紀

(2009年2月1日「お知らせ」欄 より

神谷武夫

オバマ

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● アメリカに、バラク・オバマ新大統領が誕生しました。私も 評判の彼の演説集(2008、朝日出版社)を買ってきて、CD を聴きました。 彼が 率直に、そして力強く、国の理念を語り、理想を語って 大統領に選ばれたのは、実に素晴らしいと思います。理念や理想を まったく捨て去ったかのような日本と、何という違いでしょうか(日本の政治家も、日本建築家協会の会員諸氏も、ぜひこの本を読み、聴いてほしい)。
 オバマが初めて全米の注目を集める演説をしたのは、2004年の民主党大会の基調演説「大いなる希望」で、このとき彼は 42歳。イスラーム教のムハンマドが初めて神の声を聞いて、人々に伝え始めたのは 40歳の頃でした。そして ブッダが悟りを開いて、サールナートで説法を始めたのは 35歳の頃と伝えられます。ムハンマドやブッダが人々に語りかけて その心をつかんだのは、このオバマの演説のようだったのではないか、という気さえします。
 ところで 大統領就任演説において オバマが、アメリカは「キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥ教徒、そして無宗教の人々の国である」と述べたことを 意外に感じた人がいることでしょう。 アメリカに ヒンドゥ教徒がいるのかと。実は アメリカには、180万人ものヒンドゥ教徒がいます。ほとんどは インドからの移民と その子孫でしょうが、すでに 150年の歴史をもっています。そして彼らの必要を満たすために、各地にヒンドゥ寺院が建てられ、その数は 450 にも達しています。

HinduTemples

 フロリダ州のオーランドには、アメリカ・ヒンドゥ大学(HINDU UNIVERSITY OF AMERICA)さえも 設立されました。この大学からは 出版社と共同で、カナダを含む「北米のヒンドゥ寺院」(HINDU TEMPLES IN NORTH AMERICA)という 大きな写真集も出版されています。ヒンドゥ寺院の概説から各地の主要な寺院の解説まで なされていて、巻末には、寺院を設計した建築家たちも紹介されています。初版の発行部数が5万部というのも驚きです。興味のある方は ここ をご覧ください。



●● さて オバマ大統領は、パレスチナの和平交渉を推進すべく、新しい中東特使に 元連邦上院議員の ジョージ・ミッチェルを任命し、イスラエルに派遣しました。私が翻訳・出版した『ヒンドゥ教の建築 』をお持ちの方は、その著者である建築史家と 同姓同名だなと 思われたことでしょう。しかし 中東特使の綴りは GEORGE MITCHELL で、建築史家の方は GEORGE MICHELL です。翻訳当時、それを ジョージ・ミッチェル と読みましたが、その後 彼と親交を結ぶようになり、そのファミリー・ネームは フランス語風に ミシェル と発音するのだと わかりました(ついでながら、オバマ大統領の夫人のファースト・ネームも ミシェル で、これは女性形の e が語尾についた MICHELLE なので、完全にフランス名です)。本については もう直せませんが、この HP に出てくる他の部分は、ジョージ・ミシェル と書きなおしました。

 アメリカの前政権は イスラームを敵視していましたが、オバマ大統領は イスラームと協調路線を とろうとしていて、イランとの関係改善も図っています。大いに歓迎すべきことです。それに引きかえ日本では、私の『イスラーム建築 』の出版が妨害されていて、人々の イスラーム文化への理解が 妨げられたままです。
 また「原術へ」の「解題」などを書き始めてしまったために、「中国のイスラーム建築」が しばらく中断していましたが、他のことが一段落して、やっと再開することになりました。乞う ご期待。



水村美苗

●●● やはり評判の、水村美苗著『日本語が亡びるとき(英語の世紀の中で)』も、正月休みに読みました。実に面白い本でした(2008、筑摩書房)。
 現在、本や論文を著すのに、20世紀の「普遍語」となってしまった英語で書かなければ、学問たりえない、という指摘は 身にしみます。それを可能にするべく、日本人が英語の学習に費やす時間と労力を考えると、本当に つらいものがあります。英語は、日本語とは あまりにも違う言語なのです。私は 30代でフランス語を学び、翻訳を1冊行いました。 これに対して、10代から現在まで 英語の学習に費やした時間は、おそらくフランス語の 4〜5倍になるでしょうし、翻訳も2冊行いました。それにもかかわらず、今でも、フランスの映画を観れば その台詞(せりふ)の半分ぐらいが理解できるのに、英語の映画では、1〜2割しか わかりません。ネイティヴ英語の発音は、子供のときにネイティヴの間で育って 身につけない限り、日本人には聞き取れないし、正しく発音できないのです。
 日本人に習得しやすい、フランス語や イタリア語や スペイン語でなく、その反対の英語が 世界の「普遍語」になってしまったのは、日本人にとって 大いなる不幸です。

 さて この本の第6章で、もしも夏目漱石が現代に生きていたら、「漱石のような人物が 日本語で書こうとするであろうか ---- ことに、日本語で文学などを 書こうとするであろうか」という件(くだり )には 笑ってしまいました。「叡智を求める人」は、現代では英語で書かねばならないし、そのテーマは、今なら 小説よりも、地球温暖化問題とか 生物学上の発見とか イスラム世界の動き とかになるのではないか、とさえ 著者は言います。
 ところが、この章まで展開してきた話が、次の第7章で突然、「日本近代文学」擁護論に専心してしまうのには驚きました。英語に なじまない日本人が、英語の世紀に どう対処すべきか という(書かれるべき)一章が スルリと抜け落ちてしまったごとくで、何か、肩すかしを食ったような気分です。
 小中学校での国語教育を 現在の3時間から 4〜5時間に増やし、何よりも 日本近代文学 を教えることが解決策だ というのでは、 第6章まで、普遍語としての英語の必要性を さんざん力説し、とりわけ インターネット時代になって英語の優位は決定的になった という説明と、どう調和するのでしょうか。英語と日本語のバイリンガルになるべきエリートは、学校以外のところで自由に勉強すればよい、というだけでは、「危機的な現状」に 何ら対処していないのではないでしょうか。
 水村氏は、これからの日本の文学者(小説家)は、現地語としての日本語を捨てて、普遍語たる英語で書くべきだ と言いたいのか、あるいは、それは少数の バイリンガルの人にまかせておいて、多数の人は、やはり 今までどおり、滅び行く日本語で書くべきだ と言っているのか、それが わかりません。

 ところで、彼女が高く評価する 日本近代文学の成立の過程と 原因の考察は、日本近代建築のそれと比較するときに、実に興味深い観点を提示しています。今の私には、それを やっている余裕がありませんが。
 また 私には、英語で1冊の本を書く能力はありません。したがって、私のインド建築やイスラーム建築の研究は、「日本の学者の大多数は、優れた学者となる資質をもって生まれても、西洋の学問の紹介者 という役割に甘んじ、生涯に一度 海を越え、その著作を研究する西洋人の学者を訪ね、一緒に笑顔で写真を撮ってもらい、握手をして帰ってくるだけで 満足せねばならなかった」(p.256)というのと、同様の話でしか ないのかもしれません。
  それでも、「リュキア建築紀行」は、"Lycian Influence on the Indian Cave Temples" として HPに英訳を載せてあるので、日本の研究者からは一切 反応がなかったけれど、海外からは 時々 メールが来ます。最近では、インド在住のアメリカ人で、長年インドの石窟寺院と彫刻の研究をしてきた カーメル・バークソン女史から、私のサイトを読んで、「チャイティヤ窟の ファサードの形が あのように造られた原因が、初めてわかりました」というメールを もらいました。こうして、本でのみ名前を知る外国の研究者たちと 交信できるようになったのは、まさに インターネットと 英語のおかげです。   ( 2009 /02/ 01 )

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TAKEO KAMIYA
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