チャンディーガルの新聞 "HT City" のインタビュー記事


インド建築の素晴らしさに魅せられて、
日本からインドへ

ジーヴァンジョット・クメーダン

その著書と同様に、彼自身の経歴は驚くべきものであるが、もしかすると、著書以上にそうである。日本の建築家、神谷武夫氏はインドの建築に熱中したあまり、20年にわたってインド建築を調査し、解明し、ついにはインド中の建築を詳細にわたって記録してしまった。これは、強い意志がなければくじけてしまったであろうような、あらゆる困難を克服してなされたのである。その結果として、彼が自発的になした仕事『インド建築案内』の英語版は、高名な建築家 S・D・シャルマ氏によって、チャンディーガルの建築大学において、昨日リリースされた。

彼のインドすべてへの愛、とりわけ建築へのそれは、東京の大学の建築科を卒業してインドへ旅行した時に始まった。

「私の最初のインド訪問は 1976年でしたが、当時の旅は汽車やサイクル・リキシャ、そしてトンガ(馬車)によるものでした。そう、それは決して楽ではありませんでしたが、驚嘆すべきインド建築はそれを十分に埋め合わせてくれました。実際、それまでの私が心に描いていた世界のイメージは、日本と欧米という二元論的なものでしたが、初めてもう一つの世界を知ったのです。」

興味深いのは、その後彼がアフリカやエジプト、メキシコ、中東などの建築を見てまわったにもかかわらず、常にインドに戻ってきたことである。

「私はインドに古代以来の文化の連続性と、実に多様な建築の存在を見出しました。インドには基本的に二つの建築の流れがあります、民族的なものと近代的なものと。」
ラーナクプルのアーディナータ寺院にすっかり魅惑されながら、10年間はインドを縦横に旅してまわった。その結果、この多様で多産なインド建築のすべてを記録しようと決心したのである。

「そう、それは非常に困難な仕事ではありましたが、繰り返し旅をし、時には数ヶ月におよびました。詳細な記録のためにはインドを北部、南部、中部、東部、西部と分割して、それぞれに5週間を割り当てました。」

しかし現地を5週間旅するには、事前に1ヵ月間の予備調査を必要とした。

「何度も立ち返ってはペンで記録をとり、地図を作成したりしました。そうして何年ものあいだに2万枚もの写真を撮りましたが、本に使ったのはその9パーセントにすぎません。」

ついに 1966年に出版されたその著書は、好評をもって迎えられた。

「本当は全3巻ぐらいで出版したかったのですが、不況のせいで、一巻本にまとめざるをえませんでした。」

だが、予期せぬことに、インドの出版者がこの本に興味をもったのである。ゴアの建築家であり出版者でもあるジェラード・ダ・クンナ氏が申し出をした時、神谷氏は喜んだ。本のリリースのために一緒にチャンディーガルを訪れたクンナ氏は、

「これは紀元前3世紀から20世紀に至るインドとバングラデシュの建築を網羅するドキュメントです。ここには 287の都市や村から 612もの建物が選ばれ、それらを見てまわるための交通機関や宿泊の記事まで見出せます」

と言う。しかし神谷氏はこの出版の名誉にとどまってはいない。彼はインド建築史の著作に取り組んでおり、「もうじきです」と微笑みながら付け加えた。