Travel to Himachal - 4
BUDDHIST GOMPAS and VILLAGES
TAKEO KAMIYA

Tibettan traditional style houses, Kibbar

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VILLAGES ABOVE AN ALTITUDE OF 4,000M

Lahul region の Keylang をあとにすると、jeep は national highway を東へ進み、標高 4,550mの the Kunzum Pass を越えて Spiti region に入る。 峠のあたりは一木一草も生えない、まことに荒涼たる風景で、月世界もかくやと思わせる。
二つの地方はなぜか行政的に一つの県にまとめられているが、古くからこの峠を境として異なった文化地域を形成していて、the Spiti River の流域地方は純然たる Tibet culture zone である。 川の流域以外にはほとんど緑のない峨々たる山々が並び、小さな村が遠く離れて点在するだけの過疎、僻遠の地の風景は、北方の Ladakh 地方と同じである。 Spiti region への外国人の入域が可能になったのは、ほんの 10数年前であった。

中心の町である Kaza に泊って翌朝起きると、高山病の頭痛がし、歩くと体がフラフラするが、澄みきった空気の中に広がる渓谷の姿は絵のように鮮やかである。 ここには Hinduism は存在せず、Tibet 系の人々が仏教を信仰して住んでいるので、建物も基本的に Tibet 式であり、見るべきものは村と gompas (monasteries) である。


Kii Gompa (monastery) on the mountain

最大、最古の gonpa とされるのが Key Gompa で、山の上に僧坊と礼拝堂が積み重なるように建つ姿は、Italian の山岳都市のような gompa の典型と言えよう。 しかし、この gompa は何度も戦乱で破壊されてしまって、古い堂はほとんど残っていない。 中心になる Dukhang も一昨年 Dalai Lama がここで Kara-Chakra 灌頂をしたのを記念して、American の寄進によって建てられたものである。

Key から北西の山奥へ 6kmばかり進むと、Spiti で最も picturesque な Kibber village に着く。 土一色の背景の中に、白く塗装された家々が紺碧の空をバックにして階段状に建ち並ぶ姿は美しい。 村の最上部には gompa があり、ここの前庭でレンガ職人が日乾しレンガを作っていた (あまりにも簡単な作り方なので、職人と呼ぶのもためらわれるが)。 木の枠組みの中に泥を流し込み、上部をコテでならすと、じきに型枠を抜いてしまうので、まだ乾いていない土塊は多少の変形をするのだが、気にする様子もない。 一個の大きさは約 15×15×38 cmと大きめで、焼成レンガよりも concreet blocks の大きさに近い。


A man making sun-dried bricks, Gompa

家々はこれを破れ目地に積んでいくので、土の plaster を塗って白く塗装したあとも、高さ 15cm間隔に水平線が残る。 屋根は flat で、parapet に tamarix の小枝を積み重ねること、窓廻りを黒く塗装することなど、Tibet or Ladakh と同様である。しかし最近の家は一見伝統的なスタイルだが、よく見ると concrete の柱に鉄骨の梁を架けている。 こんな僻遠の地にも、近代化 (?) の波が押し寄せているのである。


GOMPAS OF WESTERN TIBET

Ladakh や Spiti など Western Tibet に仏教が栄えるのは、10世紀末に Guge 王国が Kashmir に留学生を送って当時の大乗仏教 (密教) を学ばせてからである。 その中心人物となったのが、大量の仏典を Tibetan 語に翻訳したので 'the great translator' と呼ばれる Rin-chen-bzang-po (958-1055) であった。
日本でいえば、さしずめ弘法大師というところだが、彼は Western Tibet に 108の寺院を建立したとされ、その中で芸術的に最も重要なのが Ladakh の Alchi Gompa と、ここ Spiti の Tabo Gompa である。 両者は Key Gompa のような山上型ではなく、古式の平地型で、いくつも建ち並ぶ堂の内部にはところ狭しと the 11th century 以降の壁画が描かれ、仏像が安置され、仏教美術の宝庫となっている。


Byams-pa'i Lha-khan and Brom-ston Lha-khan, Tabo

Tabo の一番大きな Tsug-Lhakhang は 996年の建立なので、6年前の 1996年に盛大な千年祭が行われ、Dalai Lama が Kara-Chakra 灌頂を行った。 しかし建築的な興味は Alchi に劣る。 すべての外壁は日乾しレンガの上に厚く土の plaster が塗られ、装飾のない土のかたまりと化しているから、まるで Morocco の casbah を原始的にしたもののように見える。 それも一つの迫力ではあるが、木造の架構は内部に入らないと見られない。 あいにくと数年前に Arcaeological Survey of India の管理下にはいってから内部の撮影が禁止となってしまい、十分に用意していったフィルムの使い場がなくなってしまった。


Plan of Tabo Chos-'Kor Gompa
(from "Buddhist Monasteries in the Western Himalaya" by Romi Khosla)

Tabo で私が驚いたのは、Kyil-Khang (the Mandala Temple) の内部に立つ 2本の柱で、その柱頭に、昨年 Pakistan のUpper Swat region で見た木造建築の 'leitmotif' と言うべき、左右に 3つの渦を持つ 柱頭 とそっくり同じ形が彫刻されていたことである。 これは Gandhara 地方で Greece の Ionian style の影響を受けた柱頭の形が Kashmir から Ladakh へと伝わり、ここ Spiti まで伝来して、後に逆流してイスラム化した Upper Swat region (North of Gandhara) の wooden mosques にもたらされたという、実に息の長いリレーを見出したのである。

Tabo Gompa の華麗な内部空間を更に凝縮して見せてくれるのは、the Spiti River の支流の the Lingti River を遡った、小さな Lhalung 村の gompa である。 これもまた Rin-chen-bzang-po による創建と伝えられるが、かつてあった 9堂の内のほとんどが破壊されて、今は Serkhang のみが残る。 本来は flat roof なのだが、雨漏りによる壁画の汚損を防ぐために、最近トタンの勾配屋根が架けられた。

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Lalung Gompa and interior of Ser-khan

若い僧に案内されて入口をはいると細くて暗い通路があり、突き当たりには垂らされた幕が topside light で照らされている。 その後ろのドアをあけて一歩堂内に入ると、アッと驚いた。 この劇的な効果の堂内には、中央の釈迦三尊像を取り囲むように周囲の壁面の隅から隅まで、後背をもつ丸彫りの小仏像がびっしりと取り付けられ、極彩色と金色で荘厳されているのである。 窓は入口の上部に小さな高窓が一つあるだけなので暗く、闇の中に仏像群が幻想的に浮かび上がる光景は、baroque 的というよりも、霊気の漂うような異形の空間であった。


WAY TO THE END OF THE WORLD

ところで、jeep が Tabo の村に夜の 8時に着いた時、村は停電で真っ暗であった。 懐中電灯の光をたよりに guesthouse に部屋を得、裏の食堂でそそくさと食事をすませるとさっさと寝てしまったのだが、ちょうどその頃、New York で同時多発テロが起き、世界中の人がテレビの前に釘付けになっていたのだった。

それを知ったのは 2日後の Rohru のホテルに着いた時で、その映像を見ながら、昔読んだ Anatole France の "The Island of Penguins" という 100年前の小説の終章を思い出していた。 文明が爛熟して末期的になったペンギンの島には 'dyanamiters' たちが現れて high-rise buildings を次々と爆破し、世界は滅びの道へと突き進むのである。 この予言の書のように、いよいよ欺瞞に満ちたこの現実の世界にも最後の審判が下ったかと思ったのは、取り越し苦労であったろうか。



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