TRAVEL TO HIMACHAL PRADESH 3
州北部の合掌型の寺院
神谷武夫

カイス村の入母屋造りの住居集落

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クル渓谷の合掌型寺院

 ビアス川をさかのぼって、標高約 4,000mのロータン峠へと至る道筋は、中心都市の名をとって クル渓谷と呼ばれている。
 クルの町の定宿である ホテル・サルワリを出発して北上すると、街道は川の右岸と左岸の 2本に分かれる。 今回は左岸の道をとって ビジリー、カイス、ナガル、ガザン、シュルと寄って、近年避暑地として大発展をとげているマナーリに着いた。 ここでジープに給油して ロータン峠を越える準備をしたあと、まずはゴシャルへ。
 マナーリから 6kmばかり行ってから ビアス川を渡渉すると、古い格調の高い民家が傾斜地に建ち並ぶ ゴシャルの村である。 家々に気をとられながらも、すでに夕暮れが迫っていたので急ぎ足に村の一番奥まで登って行くと、ここに小規模ながら 見事な合掌型の木造寺院、ガウタム・リシ寺院が いくつかの小堂を従えながら 山の麓に建っていた。
 シンプルな矩形の平面の単室型寺院で、深い軒の出の屋根の上に 棟飾りのついた太い棟木を戴いていて、日本の神社建築を思わせる。


ゴシャルのガウタム・リシ寺院

 ヒマーチャル地方の寺院形の分類の中で、合掌型は最も単純にして 原始的なタイプであるといえる。 切妻、または入母屋造りの屋根の平屋形式は 民家にも多く見られるものであるが、通常、民家は平入りであるのに対し、寺院は妻入りという違いがある。
 かつては木の板だった屋根が 今はスレート葺きとなっているが、単純なだけに いっそう森厳な雰囲気の漂う この寺院のファサードを見た時、これがヘルマン・ゲーツの 『チャンバ地方の初期木造寺院』 (1955) という本に スケッチ が載っていながら 名前の記載のない寺院であることに気がついた。
 ゲーツは、後期グプタ朝の建築様式を伝える ヒマラヤの木造ファサードの例として このスケッチを載せている。 扉口を何重にも囲む門型装飾に 神々や人間、唐草文様などを彫刻するのは、確かに 5世紀のグプタ朝に始まるインドの石造寺院に常に見られるものである。

   
ガウタム・リシ寺院の扉口彫刻と、脇の小堂のナーガ彫刻

 しかし下界のヒンドゥ寺院では、この扉口の脇に 北インド平原の生命の源としてのガンガー女神とヤムナー女神 (ガンジス河とヤムナー河の精) が彫刻されているものだが、それら両河とは関係のないヒマーチャル地方には それがない。 代わりに しばしば登場するのが、ナーガ (蛇) である。
 ガウタム・リシ寺院の本堂では、それは ごく小さなレリーフ彫刻であるが、隣に建つ小堂では、扉口の両側に 大きなナーガの彫刻しか ほどこされていない。
 これは何を意味するかというと、古来、カシュミール地方とヒマーチャル地方には ヒンドゥ教伝来以前から ナーガ・デウタ (蛇神) 信仰が盛んであった。 ナーガは地底の王であり、農耕に必須な水 (川、湖、雨、雲) を支配する 恐るべき神である。 こうした土着信仰は、ヒンドゥ教が優勢になるにつれて ヒンドゥ神話に組み込まれるようになり、ナーガ神は人格化して ヴェーダのリシ (聖者) に仕立てられるようになった。
 ゴシャルの寺院に祀られる ガウタム・リシ (聖者ガウタム) も本来はナーガであったので、扉口にも ナーガが彫刻されているのである。 こうした寺院は、パラーシャル・リシ寺院をはじめとして数多い。

 また、ゲーツのスケッチでは わからなかったのだが、この本堂が土のプラスターで塗られていて一層わかりにくいのだが、ガウタム・リシ寺院の四隅には 太さ 60〜70cmもの木の柱が立ち、太い梁が架け渡されている。 壁面自体はヒマーチャル地方に一般的な、木と石を積み重ねた 「カトクニ」 であるものの、建物全体は柱・梁構造なのであった。
 勾配屋根が 反りをもたずに直線であることと あわせて、ヒマーチャル・プラデシュ州南部の合掌型の建物とは、明瞭な違いを見せている。


パンギ地方の合掌型寺院

 さて、ロータン峠を越えて ケイロンの町に宿をとり、翌朝早くに出発して チャンバ県北部のパンギ地方まで 日帰りの計画を立てたら、この考えは甘かった。 トリロキナートとウダイプルを過ぎると ひどい悪路が続き、ジープのスピードが出ないので、目的地のミンダルに着いた時には とっぷり日が暮れてしまったのである。
 標高 2,750mの山上にあるチャームンダー・デヴィー寺院を 長時間露光でかろうじて撮影はしたものの、じっくりと調査する時間は とれなかった。 碑文によると、プリティヴィ・シング王が 1641年に ミンダルの土地を寄進したというから、寺院もその時の創建であろう。


ミンダルのチャームンダー・デヴィー寺院

 パンギ地方のヒンドゥ寺院は、冬の豪雪のために 合掌型寺院の屋根が急勾配となり、妻部分は正三角形に近い。 軒の出がないのは、石造の聖室 (ガルバクリハ) を囲んで 木造の繞道がめぐり、その全体に すでに大屋根を架けているからである。 正面には大梁を支えて 2本の円柱が立つのを原則とする。
 前記の クル地方の寺院が日本の神社建築に似ていたとすれば、こちらの寺院の姿は ギリシア神殿を思い起こさせる。 初期のギリシア神殿は木造で、急勾配の屋根を木造の円柱が支えていたと考えられているし、両側壁の間に 2本の円柱が立っていたメガロン形式や、日乾しレンガ造のナオス (神室) を円柱の周廊が囲む周柱式など、パンギ地方の合掌型寺院との間には ずいぶんと類似点が多い。

   
左 : 初期の木造ギリシア神殿の推定立面図 (ヘラの第 2神殿、サモス)
右 : デルフォイの宝庫 (ギリシア)

 妻部分 (テュンパヌム) に 彫刻パネルが嵌められることも共通である。 はたして これらが、古代において ギリシア建築とインド建築が融合したことの名残りであるのかどうか、興味が尽きないところである。
 チャームンダー・デヴィー寺院では、妻部分の 3段の彫刻パネルに 近年極彩色がほどこされてしまったのは大いに遺憾であるが、これらのパネルは 庇がないだけに傷みやすく、しばしば 取り替えられるもののようである。
 従って 現在の彫刻パネルは新しいものであるが、その中に 東インドのナガランド州におけるナガ族の装束を身につけた人物が大きく彫刻されているのが 目を引いた。 遠く離れた両者のナーガ信仰が 古代において同根であったのかどうかは不明だが、それを意識した上での彫刻なのだろう。


アルテミスの神殿、復元立面図 (ケルギュラ、ギリシア)
(上図とも出典:スピロ・コストフ著 『建築全史』 1990, p.220)

 ところで、この寺院はチャームンダー・デヴィーという女神を祀っている。 こうしたデヴィー(女神)信仰がまたヒマーチャル地方の大きな特色であって、下界のヒンドゥ寺院のほとんどが シヴァ神かヴィシュヌ神に献じられているのに対し、ヒマーチャル地方には デヴィーを祀る寺院が圧倒的に多い。
 これもまた ヒンドゥ教伝来以前からの 恐ろしい地母神信仰であり、後にヒンドゥ教に組み込まれて ドゥルガー (パールヴァティー) 女神と 同一化されるようになったのである。


キラールのパールヴァティー寺院

 完全に日が落ちて 真っ暗になったミンダルを後にして、悪路を 5時間半 ジープで走り続け、ケイロンのホテルに帰りついたのは 夜中の 1時だった。


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