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TEMPLE TOWERS in the HIMALAYAS |
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もう 8年くらい前になるが, カシュミールからラダックにかけて, 旅をする予定だったのに, 紛争のためにカシュミールに入域できず, Himachal Pradesh State をまわってから, Ladakh に行くことになった. まず Chamba に着いたのだが, この州は, India の中でもあまり観光化していなくて, 本もろくに目にしないので, たいして見るべきものがないのだとばかり思っていた. ところが hotel in Chamba で, 思いがけない写真を目にすることになった.
それは高山の上に建つ寺院で, 低層の建物に囲まれた中庭に塔状の建物が立ち, それらすべてが, 反りのついた "入り母屋造り" の屋根をいただく, 実に魅力的な, しかも初めて目にするタイプの建築であった. これは一体どこの建物なのかと尋ねると, Himachal Pradesh State でも China に近い方の, a hindu temple at a village named Sarahan だという. in India , まだ未知の建築文化があるのだということに興奮し, これがヒマラヤの木造建築にのめりこむ, きっかけとなった.
Rairemool Devi Temple at Khadaran Village すべてが山の中にあるこの州は, ヒマラヤ杉と松で覆われた木造文化圏であり, カシュミール地方のモスクが木造であるように, この地域のヒンドゥ寺院が, 独特の木造であることを知ったのは, 大きな驚きであった. その木造建築のなかでも最も興味深いのは "角塔型" の寺院である. それは前回紹介した多層の "パゴダ型" 寺院とは, 全く異なっている. 水平に積まれた木と石がストライプ状の壁をつくるのは, Himachal 地方全体に共通するのだが, 東部地域においては, それが大きな壁面を見せて高く伸び上がり, その上にバルコニーが張り出し, スレートで葺かれた, 入り母屋造りの屋根を架けるのである. 当初の旅程にはなかったのだが, ぜひともそのサラハンを訪ねようと思ったのだった.
Badrinatha Temple, Kamru
この角塔型の "寺院塔" には謎が多い. その起源も機能も形態も, はっきりと解き明かした本がまだ出版されていない. ひとつには, 交通不便なためにそれらを訪ねるのが容易でなく, まだほとんど実測されていないこと, そしてこれらの寺院塔の内部には, 異教徒が入ることが許されないことである. さらに, 本来これは世俗建築であるのか, 宗教建築であるのか, という問題がある. 古来 Himachal region では, 木造の宮殿や館が, 後に寺院に転用されることがめずらしくないので, 形態だけからはその区別があいまいである. まず考えられるのは, 民家形式の高層化ではないかということで, この地方の民家は下階が石と木による堅固な壁で囲われ, その上に木造の居住部がバルコニー状に張り出している. 下階は玄関のほかに, 家畜と物置のスペースにあてられる.
A small Temple Tower near Chella チェッラの近くにあるごく小さな寺院塔を見ると, 階段が外についていることを除けば, ほとんど同じ原理であることがわかる. カムルの大規模な寺院塔も, この巨大化だとみることができ, しかもここはバシャール王国の都が, サラハンに移されるまで, 首都の城塞であったという. とすれば, 本来この寺院塔は, 城の天守閣であったとも考えられるが, それと寺院機能との関係がはっきりしない. Manan には, 前回紹介した "パゴダ型" の Durga Temple の近くの丘の上に, Mananeshwara Temple がそびえている. India 圏の木造建築を研究している Bernier によれば, これは Durga Temple の "bhandar" であり, 周囲の建物はマタ (monastery) か, 参詣者の休息所であったのではないかという. bhandar というのは祭器庫, あるいは宝蔵であるが, western India には bhandar と呼ばれるジャイナ教の施設があり, そこでは古い写本が集められ保存されている. それは一種の図書館, あるいは文書館というべきもので, 特に Jaisalmer の bhandar が有名である. Himalaya では本来は穀物倉であり, 寺院への捧げ物を納めたのだろうという.
Masks called "Mohra" in Triyuginarain Temple, Diyar ここにはまた, 聖像や "Mohra" が収蔵されている. Himachal region に特有の, mohra (mask) というのは, 神を含めた信仰の対象を意味する, "デヴァター" とも呼ばれ, 銀や真鍮でつくられている. しかし実際に顔につける仮面ではなく, (目や鼻の穴もあいていない) , ドゥセーラやシヴァラートリなどの祭礼の時にのみ, ratha (みこし) に載せられて, 祭礼場まで運ばれ, 公開される. 筆者はまだ出くわしたことがないが, その地区の諸寺院の Mohra が, 一同に集められるのは, 壮観であるらしい. ここにも下界の India 平原とは異なった, Himalaya の独自の民間信仰と結合した, Hinduism がかいまみえる. それにしても, bhandar の方が, 寺院本体よりも雄大で momumental につくられる, というのは理解しがたい. とりわけ Khadaran や Sungra では, Bhandar が村全体を睥睨するように抜きんでている. それは南インドの Dravidian style の寺院において, 本堂よりも Gopra (temple gate) の方が, 偉大に造られたのと同じ精神なのだろうか.
Newer Tower of Bhimakali Temple, Northern Sarahan
SOUTHERN SARAHAN Sarahan という地名は, Himachal Pradesh State に多いが, 重要な寺院があるのは, Sutrej 渓谷のサラハンと, チョパール渓谷の Sarahan なので, これを区別して, Northern sarahan と Southern Sarahan と呼ぶ. Northern Sarahan は, バシャール王国の首都である交易都市の, Ranpur から 1,000m も山を登った, 標高 1920m の高地にある. ここに威容を誇る Bhimakali Temple は, A.H. Francke が 1909年に Shimla から Kinaur, Ladakh を経由して Kashmir に至る大旅行をした時には, 王国の夏の宮殿であった. 当時 70歳になるサムシェル・シング王がここに住んでいて, その居城の美しさを自慢したという. たしかに, これは India の Himalaya で, 最も雄大で魅力的な建物である. その城郭が, 現在はすべて, Bhimakali Temple の境内となっている. 城と寺院との関係はいまだ詳らかでないが, おそらく当時から祭政一致の王国で, 両者が一体化していたのだろう. 寺院塔は, 天守閣の役割を果たしてもいたのだろうが, その Francke の撮影した写真では, 大きな寺院塔はひとつだけであって, その脇に建つ小さめの塔と bridge で結ばれていた. その写真によって, 新堂は, 今世紀になってから建設されたのだということがわかる. 古い寺院塔が老朽化して傾いてきたので, 小さめの塔を取り壊して, 新しい寺院塔を建て, Kali 女神を移したのである. 旧堂は bhandar となった.
Twin towers of Bijat Temple, Southern Sarahan 一方, Southern Sarahan の寺院は, ずっと遠い山奥にあり, Bijat 神を祀っている. ここではほとんど同形の寺院塔が, 二棟建ち並んでいて, その間が中庭への入り口となる, 特異な構成をしていて, 訪問者を驚かせる. しかしこれも左側の棟があとから建てられて, ビジャト神 (ヴィシュヌ神) が移されたのだという. これは寺院本体であって, bhandar ではない. しかも M.J. Singh によれば, これは釘を用いない伝統的な構法で建てられているという.
Himachal Pradesh State の北部の Manali から, さらに標高約 4,000m の Rohthang Pass を越えて, Ladack 地方への道をとると, Gondla という小さな町がある. かつては India と Tibet, そして Silk Road とを結ぶ, 隊商路の交易都市であった. ここに the 18th century 初めの古い城塞があり, それがこれまで見てきた寺院塔の, 原型のような形をしている. 石と木を水平に積んだ大規模な角塔の最上層に, 木造の居住部が balcony 状に張り出して, slate 葺きの入り母屋屋根をいただいているのである.
___ Old Castle Tower at Gondla 現在は荒廃して内部に入れないが, かつてはこの地域を守る砦であり, 領主の館であった. 1870年のハーコートの報告では, 全体が 6階か 7階建てで, 内部には柱で支えられた大きな部屋があり, 100人もの人が住むことができたという. 最上階には仏堂が二つもあって, Tibet の Lhasa やシガツェから持ってこられた仏像が祀られていたらしい. これは住居であり防御施設であり, 物見塔でもあった. この原初的な塔建築がクル渓谷からシムラ渓谷, Sutrej 渓谷へと伝えられて, 城の天守閣や寺院のバンダールになったのではないか, とも考えられる. Kuku 渓谷の Chaini にある, きわめて高層の Jogini Temple ともよく似ている. では Gondla の塔の起源はどこにあるのか, となるとよくわからない.
Yoghini Temple at Chini ( from "Art and Architecture of Himachal Pradesh" by M.G. Singh ) 似たような形状の塔としては, 遠くコーカサス地方の, グルジアの住居が思い起こされる. あの "Architecture without Architect", written by Bernard Ludofsky にも紹介されている, 城塞化した塔状住居である. はたしてそれが, 中央アジアを経由して Himalaya まで伝えられたものかどうか, 両者をつなぐ軌跡は見当たらないのである. 塔状住居は, 階段の登り降りだけでも苦労なのだから, 防御の目的がなければ建てないし, 下部を主に石で造るのも, 防御姿勢の表れである. Himachal region では, 村全体を周壁で囲んで要塞化することは希であったから, 個々の住居や寺院が, それぞれに身を守らねばならない. 下階を石造またはレンガ造として, 上階を木造の居住部とすることが, 古代から行われていたことは, Sanchi の torana にほどこされた relief 彫刻などを見ればわかる. 往古の豪族は塔状の住居に住んでいたともいうから, 寺院塔は古代 India の住居形式を, うけついでもいるのだろう.
Temple Tower, Manan ところで, この地方の木造建築のもつ大きな謎は, 屋根の "反り" にもある. これを中国の影響と考える人もいるが, それにしては Nepal でも Kashmir でも, そして西部 Himachal Pradesh でも, 屋根は直線であるのだから, それには同意しがたい. 屋根の反りの源泉は, 外部の建築の影響ではなく, Himachal Pradesh の自然にあったのではないか. つまりヒマラヤ杉の枝葉の "反り" が, 建築形態に反映したのではないだろうか. ヒマラヤ杉は英語でデオダルというが, これはサンスクリット語の, デーヴァダラ (神々の木) からきている. この聖なる木々に囲まれて生きる, Himalaya の人々は, その住まいや寺院の屋根にも, その優美な反りを取り入れたように思えるのである. |