JAISALMER
A Desert City in Western India
TAKEO KAMIYA
Jaisalmer
Facade of Patwon-ki-Haveli, Jaisalmer
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There is a great desert in Rajasthan State in western India, named Thar Desert, which gets to the border of Pakisthan. in the cener of that desert, are there anastonishing town as if an medieval desert city appeard suddenly by a time capsule. Enclosed by city wall, from folk houses to the mausoleums, not to say temples and palaces, all buildings are made by yellow sand stone in the same color as the earth. Here intoducde the whole city of Rajpu in full view.
( from Architectural Magazine "at" July 1995 )



A MEDIEVAL CITY IN THE DESERT


The City in the middle of Thar Desert

As it was in 1976 that I visted Jaisalmer for the first time, it is long time ago. 今でこそこの city は, India の guidebook に必ず載せられているが, 当時はほとんど世の中から忘れ去られ, 眠っているような city であった. 巨大なThar Desert の入口にある Jodhpur という町から, 日に 1本, Jaisalmer 行きの night train が出ていて, それはいつもガラ空きであった. 1st class の Compertment を一人で占領すると, 持参の寝袋にくるまって, 一路 Jaisalmer へ向けて 10 houres の旅についた.

そして morning, 目が覚めると compartment の中は, 床といわず, 寝袋といわず, veil をかぶったように白っぽい. 何かと思ったら, それはピッタリ閉めた窓の隙間から, 走っている間にしのびこんだ, ごく細かな砂粒が積み重なって,膜のように覆っていたのだった. 寝ている間に走ってきたのは, 270km もの desert だったのだと, 改めて気が付くのである.

朝の 8時に Jaisalmer の終着駅に着くと, すべてが黄色い土に覆われた荒野の真ん中に platform が伸び, 平原から立ち上がる城塞が遠くに眺められた. 町は駅から 2km ほどの距離にある. ところが驚いたことに, platform からそのまま続く道には, taxi はおろか, 1台の vehicle もないのである.

それまで 3 months 近く旅した India のどんな町でも, 駅前には rickshow や tonga (馬車) が待っていて, 客を奪いあっていたものだが, ここにはどんな乗り物もなかった. いったい町まで, どうやって suitcase を運ぼうかと考えていると, そばにやって来た子供が, あそこに荷物を置けと指さす先を見ると, そこには畳 3帖ほどの木製の台車が何台か並んでいる. 列車で着いた人々は, 思い思いに荷物を台車の上にほおり投げている. これが町までの運搬手段なのだった. それぞれの台車は道筋が決まっていて, 荷物を満載した台車を子供たちがガラガラと押して行く. 自分の家の近くにくると, 人は荷物を取って, 子供に小銭を与えるのである.

当時, 旅行者が泊まれる唯一の宿泊施設は "tourist bungalow" という, 州政府の経営する簡素な hotel で, それは駅とは反対側にあったから, 私は一番遠い道のりの旅人であった. この, すべの buildings が地面と同じ yellow sandstone で造られた都市を横断しながら, 子供たちが押す台車の脇を歩き, そして荷物が少なくなると台車の上にあぐらをかいて座り, 町や城塞, 居並ぶ町家をながめながら, どんなに深い驚きに包まれたことだろう.

まるで死んだように眠るその町のたたずまいは, 中世のdesert city が, まるで time capsule に乗って, 忽然と出現したかのようで, いまだ night train の中の夢からさめやらないかと思われるほどに fantastic world だった. 半円形の towers を並べてうねるように連なる citadelが, 街並みの中からスックと立ち上がり, 蛇行する道筋に面する両側のbuilding は, palace といわず寺院といわず, small town houses に至るまですべて yellow sandstone で造られ, しかもその facade は, どの家も細かく彫刻されている. それらが紺碧の空をバックに, 朝日を浴びて金色に輝いているさまは, まさに夢のような世界だったのである.


Townscape beneath the castle

このような町を訪ねることになるとは, まったく知らなかった. それまで, この町に関する情報はほとんどなかったし, 銀座にある Indian government touris office で Jaisalmer について尋ねたときに得られた情報は, "その町にいく前に, 核実験の有無を Delhi で問い合わせたほうが良い" ということだけだった. というのも, India は Thar desert で核実験をすることがあり, その news は "Jaisalmer 発" となることが多かったので, tourist office の人も, Jaisalmer といえば核実験のことしか思い浮かばなかったのである. では, なぜ私がそんな町に行ったかというと, じつは目的は町ではなく, jaina temples なのだった.

前にも書いたが, India を 3 months 旅するにあたって, 目標の一つにしたのは, できるだけ多くの holy places of Jainism を訪ねることだった. その情報もなかなか得られなかったが, 幸運なことにこの 1975年が, ちょうど Jainism の開祖 Mahavira の生誕 2,500年を記念する年であった. そこで政府の刊行する薄っぺらい観光雑誌で, 今はない "YATRI" が, "Jain Shrines in India" という特集号を出したのである. 運良くそれを手にいれて, 私は Jaina 教の聖地を訪ねて回ることができた. その中の一つが, この Jaisalmer だったというわけである.

この町の中には車が 1台もなかった. desert の中の compact city だから, 人々はどこへでも歩いていくことができ, 乗り物を必要としなかった. city から遠くへ行くには, town hall と tourist bungalow がそれぞれ 1台づつの jeep を持ち, あとは昔ながらにラクダに乗って行くのであった. desert という海に浮かぶ, 陸の孤島. 車のない, 中世のたたずまいの, しかも絢爛たる町は, まさに India の Venice であった. かつて栄えた商業都市が, 今や観光を主産業とする博物館都市になったという点においても, ふたつの都市は兄弟格である.


HISTORY OF THE CITY OF JAISALMER

この驚異的な都市が, なぜ desert の中に取り残されるようにして, 私達の前に出現したのかを知るには, まず Rajput の概念を知らなければならない. Western India は, 北の Rajasthan State と南の Gujarat State からなるが, Rajasthan とは, "the Country of Rajput" という意味である.

Since the 5th century, Central Asia から進出して来た種族と, Western India の土着の民とが融合して,尚武の氏族が形成された. 彼らは Hindu 化して, 古代 kshatriya (王侯・武士階級) の子孫と称し, Western India 各地に王国を打ち立てた. なかには中部 India にまで進出して, Khajuraho に素晴らしい寺院群を残すChandella dynasty のような種族もあった. しかし我々の "千一夜物語" 風の India の Image を最もよく見せてくれるのは, Rajasthan 地方における, Rajput 諸族の乾燥した文化である.


Mud house and a girl at Chatrail village

今回の主人公である Batti Rajput 族は, もともとは Punjab 地方の出身であって, その dynasty の起源は 6世紀に遡る. (伝説では Krishna 神の子孫であるという!) 第 5代の King Batti の 623年に, Batti 族の名が始められた. Islam の東征に押されて Punjab を離れ, Western India の Thar Desert を転々とした. 10世紀になると, desert の中央部の旧都 Loderva を奪取して, ここに定着する. ところが 1026年には Mahmud of Ghazna フムードが, Gujarat 地方の Somnath への進攻の途上に Loderva を攻略. 1103年には Muhammad of Ghor が Gujarat へ進攻する途上に攻略し, Loderva の町を破壊してしまう.

たびたびの侵略をうけた Batti 族の Maharawal Jaisal (king) は, 防衛上ひよわで, また水源にも不足する Loderva の町を放棄することにし, 新しい都の地を求める. Loderva から 15km 離れたところに, 格好の要所があった. そこは desert の平原の中にありながら, 大きな窪地と, 小高い丘があった. 窪地は水源となり, 岩山は要害堅固な城塞となる. 1156年に新都市を建設して住民をここに移すと, 町は王の名をとって "Jaisalmer" と名付けられた. 以後 800年にわたって, desert という地の利と, 難攻不落の城塞とで, 次第に発展していくのである.

Rajput は, Rathore 族の Jodhpur をはじめとして, Bundelkhand, Mewar, Marwar, Bikaner などの王国を造り, 次第に相争うようになる. この "Rajput War" は, western India の諸地方を不安定にしたので, India と西方を結ぶ東西貿易にとっては, Thar Desert が比較的安全な通商路となった. 一方 Jaisalmer は the 16th century から 17th century に, 大きな戦争には巻き込まれずに平和を享受したので, 各地の商人や銀行家が, Jaisalmer を安全な避難地として移住するとともに, 多くの資産をも移した. それは Europe における Switzerland のような役割であって, western India の金融の一つの中心地となったのである.


View of the yellow town from Castle

Delhi の Mughals の Islam 政権が, northern India 全体を支配するようになると, Rajput の Hindu kingdoms も次第に Mughals に臣従するようになる. Jaisalmer も 1570年には Akbar 帝の Mughal Empire に服従し, Maharawal Harraj (1560- 1577) はその娘を, Akbar 帝の妃のひとりとして差し出した. islam と Hindu が融和した, この平和な 17世紀から 18世紀にかけて, Jaisalmer は東西貿易の中継地として, 絶頂期を迎えるのである.

その Mughals の没落はまた, Jaisalmer の斜陽化の始まりであった. 英国が開く, Bombay or Calcutta などの港湾都市と海洋貿易が急速に発展して, desert の隊商ルートの重用性が低下していくからである. 1818年には Maharawal Mulraj II が英国の East India Company と条約を結び, 以後 1947年に Republic of India が独立するまで, イギリス保護下の Jaisalmer 藩王国となった. さらに大英帝国による鉄道網の建設が, Delhi や Bombay と Sindh 地方 (現在の Pakistan 南部) とを結び付けると, Jaisalmer は陸上貿易の中継地としての地位も失ってしまう.

> India が英国から独立したときには, Jaisalmer の 70km 先に Pakistan との国境線が引かれ, 東西を結ぶ通路でさえもなくなってしまった. こうして外界からまったく忘れ去られてしまったこの町が, 再びよみがえり始めるのは, 私が初めてこの町を訪れた 20年前ほどからであった. Thar Desert から石油が採掘されるようになったのである.


JAISALMER, THE GOLDEN CITY

Jaisalmer の市民が最も好むこの町の形容は, "The Golden City" である. 近郊から採れる砂岩は良質で黄色く輝き, その黄砂岩で palaces から town houses に至るすべての buildings が造られたこの町の眺めは, その華麗な carvings of facades とあいまって, "The Golden City" と呼ぶにふさわしい.

それは Akbar による Mughal Empire の新都市, Agra の近くの City of Fatehpur Sikri と好対照をなす. というのは, 後者は palace も Grand Mosque も, すべてが red sandstone で造られた, 赤い都だからである. Fatehpur Sikri は水源の不足のために放棄され, そっくりそのまま後世に残された. けれどもそれは, 人の住まないゴーストタウンであって, 一方 Jaisalmer は現在もなお人々が暮らし活動をする, 生きた都市である. この, いずれ劣らぬ魅力を持つ両者のうち, Fatehpur Sikri ばかりが, history of Indian architecture に登場して, Jaisalmer の町が無視されてきたのは, 不公平というほかはない.

Jaisalmer の位置は, Indian desert とも呼ばれる Thar desert の中央にあり, Delhi からは 600km, Jodhpur から 270 Km の距離で, 狭軌の鉄道が連絡している. 広大な desert には 1本の river もないが, monsoon の雨がせきとめられて, 各所に小さな ponds を造り, これが desert の民にとっての唯一の水源となる. (それも乾季には干上がってしまうのだが).

Plan of Jaisalmer

Jaisalmer が栄えたのは, ラクダの隊商による東西貿易の通商ルート上にある, oasis town だったことである. Silk road とも結ばれ, 絹や香料, インディゴ, そして阿片などを運ぶ中継地として発展し,貿易の相手国は Persia, Arbia, Iraq, Egypt, そして Africa や Europe に及んだ. 隊商はこの町で一息つくとともに物資を仕入れ, 多額の通行税を納めて都市と宮廷をうるおした.

そうした状況は, Syrian desert の隊商都市, Palmyra を思い出させる. Helenism の時代に東西貿易の中継地として, Palmyra はあまりに栄え, Roman Empire から独立するほどになったために, ついに Rome に滅ぼされ, Queen Zenobia は捕えられて, Rome の町を引き回されたという. 破壊された Palmyra は, 今では desert の中の, 廃墟の都市遺跡となっているが, Jaisalmer は, (Palmyra ほどに古くはないにしても) すべての buildings がすっかり残る, 生きている町である.

かつてこの町が引きつけたのは, 商人や金融業者ばかりではない. Mughal Empire が north India を征服するにつれて, Jaisalmer は Hindus や Jainas の避難所となったし, Rajput 相互の争いは, ここを学者や文化人, 芸術家の集積地ともした. buildings の facade carvings や内部の壁画などは, 各地から集まったクラフトマンや石工, 画家たちが大いに貢献している. 一方隊商たちは, 雨季の間は Jaisalmer で暮らし, 雨季があけると家族を離れて諸国へ旅立つ者が多かった. そのために, 家族との離別の歌や望郷の詩, そして遠く離れた愛の歌などの文学を多く生んだのである.

さて都市の構造はというと, まったく中世的である. 街路は自然発生的で, 直線的な道路区画や Baroque 的な都市計画は見られない. 同じ Rajput でも, Jaipur の町が碁盤目状の都市計画をしているのとは, 対照的である. India では, 古文献には理想的な都市として, 幾何学的な図形が提示されているものの, 実際にはほとんどその実例がない. India に都市計画が始まるのは, Islamic culture の到来後であると思われる. それでも Jaisalmer の城内町と城下町では多少の違いがあり, 城下町のほうがやや碁盤目状をしていて, 時代の差を示している.


Salim Singh-ki-Haveli

城下町が発展するのは Maharawal Akhai Singh の治世の 1722年からであって, 城下の building はすべて 18世紀以降に属する. それまでは中世的な城塞都市で完結していたのだが, 都市が栄えるとともに人口が増え, 城内町では納まりきらなくなったのである. 城下町全体を囲む city wall ができたのは 1750年で, Maharawal Mulraj II によって建造された. そこには 4つの門が造られ, Gadisar gate, Amar sagar gate, Malka gate , Baron gate と名付けられている. 残念ながら, 市壁の多くは建設資材として持ち去られてしまい, あまり残っていない.

India の他の都市と比較して,Jaisalmer が際立っているのは, その密集性である. desert の都市として, 外敵から身を守るために都市の境界をはっきりさせて壁で囲むので, 平面的に広がることを制約された buildings は, 高層化していかざるをえない. arch を用いずに, 木造的な framework の stone buildings が, 4階, 5階と積み重なっているのは驚くべきことである.

黄砂岩の石切り場は, Loderva や Mul Sagar の近くにあった. 砂岩は細工しやすく, しかも陽光に晒していると, 硬化するという特徴がある. architecture は, 造形的には Rajput と islam の混合であり, ヨーロッパの影響はほとんどない. 家々は, 雨があまり降らないのでフラットの屋根をしている.

都市の人口は, 1815年に 35,000人だったのが, 1960年代の初めには 1万人以下にまで落ち込んでいた. しかし 1965年と 1971年の印パ戦争は, Jaisalmer の重要性を再認識させた. Thar Desert からの石油の採掘もあり, Rajasthan 運河や国道なども建設されるようになった. Jaisalmer への鉄道は 1968年に開通し, tourist bungalow は 1974年にオープンした. 70年代半ばから, Indira Gandhi 首相のきもいりで, 荒廃していたJaisalmer の町の保存と復興計画が始まり, 1981年には人口 2万 2,000人にまで回復した. 近年は観光都市として, 急激な変貌をとげつつある.


THE CITADEL

中世の treatise of architecture "Silpa Shastra" では, Indian forts は 9種に分類されている. (1) Mountain-fort (Giridurga) (2) Water-fort (Jaladurga) (3) Desert-fort (Dhanavanadurga) (4) Forest-fort (Vanadurga) (5) Earth-fort (Mahidurga) (6) Man-fort (Nurdurga) (7) Mixed-fort (Misrdurga) (8) God's fprt (Daivadurga) (9) Krataka (artificial fort) である.

後半はやや神話的な分類であるが, desert といえば Thar Desert のことであり, "Desert-fort" が 3番目に置かれているということは, そこが India と西方との接触面であり, India 防衛の城の必要性も高かったということだろうか. その "Desert-fort" の形を最もよく伝えるているのが, この Jaisalmer の城である. Rajasthan State に残る城のなかでは, Chittorgarh Fort に次いで, 2番目に古い.


View of a part of Citadel

Jaisalmer の城は, 軍事施設と支配者の palace だけでなく, 市民が住む城内町まで組み込んだ "城塞 (Citadel)" として, Citadel of Aleppo in Syria と, Citadel of Carcassonne in France の城塞を思い起こさせる. Aleppo の街並みの中にスックと聳える岩山の citadel は, Jaisalmer の citadel とよく似た構図であるが, 城内の街並みはまったく残っていず, モスクや palace などが散在するのみである. Baghdad の古都も残らない今, 城郭都市の姿を最もよく伝えるのは, Jaisalmer と Carcassonne が東西の双璧ではないだろうか. 日本には城下町はあっても城内町はないから, こうした城塞は見ることができない.

Jaisalmer の城塞は 1156年に, 平地から 76 meters の高さに聳える Tricuta Hill に建設された ("Tricuta" とは, "3つの峰" の意である). Loderva から移された住民はすべて城内に家を建て, 当初は caste ごとに地区を決めて住み分けたという. 1577年から 1623年にかけて, Suraj Pol (Gate of Sun), Ganesh Pol (Gate of Elephant God), Hawa Pol (Gage of Wind)が建造された. Suraj とは Surya (Sun God)であり, 朝日の昇る側, つまり東門に名付けられる. 入口の上部には sun disc と, torana arch が装飾として刻まれている.

城壁は高低 2重に作られ, その間に衛兵の巡警路がとられている. R.A. Agarawala によれば, 城壁の石積みはモルタルを用いずに, 正確な切石で積まれているという. 城郭の造形を印象的なものにしている, 半円形の稜保の数は 99. そのうち 92は砲台を設けるために, 1633年から 47年にかけて建造された. 稜保の内部は, 衛兵の住居や武器庫として用いられている. 城壁の上には丸い石が並べられているが, これは飾りではなく, 大砲が発達する以前の stone cannonballs で, 城壁まで迫った敵兵の上に投げおろしたのである.


Suraj Pol to the Citadel

城内へは, Suraj Pol を通ってから 180゜方向転換をし, すぐに Ganesh Pol をくぐって, 坂道を登って行く. 城内町の入口が Hwa Pol だが, その上部は王宮である. 日本の感覚でいけば, 王宮は城内の一番奥にありそうなものだが, India では, まず最初に palace があるというのが珍しくない. トンネル状の gate を出ると, そこが王宮広場である. Italian plazas のような造形性はないが, ここは王の謁見から caravans の市まで, さまざまな用途に使われる不定形の広場である. 道はここから四方に延びて, 市民の住居地区や寺院へと続く.


RAJPUT PALACES

Jaisalmer 王国の王族は, Marwar 地方 (Rajasthan 地方中西部) を制圧した Rathore Rajput 族の流れをくみ, 王族を Rawal という. 国王はよそと同じように "Maha raja (great king)" と呼んでいたが, 第 11代の King Devraj のときから "Maha rawal" と称するようになった. Jaisalmer から 15 km の Loderva に居を定めたのは, この王である.

the 12th century に第 17th king Jaisal が, 現在の Trikuta の丘に城塞を築き, 城内町を建設した. 当然, 王宮も造られたはずだが, それは今は残っていない. 現在, 王宮広場のまわりに見ることのできる palaces は, the 16th century から 19th century に至るまで順次建設され, 絶えず手をいれられたbuildings である. それぞれが独立したbuilding ではなく, お互いにくっつきあっているので, むしろ, 絶えず増築され続けたと言ったほうがよいかもしれない. それらを年代順に並べると, 次のようになる.

  1. Zenana Mahal (Palace for wemen), 16th- 17th century
  2. Sarvottam Vilas, in the reign of Maharawal Akhai Singh (1772- 62)
  3. Ramg Mahal (Palace of color), in the reign of Maharawal Mulraj II (1762- 1820)
  4. Moti Mahal (Palace of pearl), Gaj Vilas (Gaj Palace), in the regin of Maharawal Gaj Singh (1820- 46)


Gaj Vilas, old palace in the citadel

広場に面して, 城塞の中で最も華麗な姿を誇示している building が, Gaj Vilas である. 足元の 2層分の高さは堅固な壁とし, その上の階には "Chatri" を配置し, さらに上の階には, 小曲面の庇が連続する balcony をめぐらせ, 頂部は独立した曲面屋根のあずまやで飾っている. けれども, この華やかな姿をpalace がまとったのは, 19世紀になってからであって, それまではもっと質実な外観をしていた. この Gaj Vilas は, その奥に古くからある "Mardana (Palace for men)" の手前に増築されたものなのである. 写真をよく見ると, facade の一段奥の壁面, および右側の "Zenana (quarter for wemen)" の facade がずっと控え目であるのがわかる.

Rajput のpalaces を研究した G.H.R. Tilottson によれば, Zenana Mahal の裏手に連なる簡素な 4階建ての building が, 最も古い palace (Juna Mahal) ではないかという. また Moti Mahal の facade は, ほとんど Gaj Vilas のレプリカなので, 建設順序は Gaj Vilas の後であろうと推測している.

こうして palace を年代順に見ていくと, at the end of the 17th century に style の変更があったことがわかる. それまでの剛健なものから装飾的な表現へと変化していったのは, Jaisalmer の都が東西貿易の中継地として発展し, その通行税によって経済的に豊かになったのと符節しているのである. palace 群が増築を重ねて形成されていったのも, そのことと関連している. したがってこの palace 群は, Mughals の宮廷地区のように一気に計画されたものではない. Delhi や Agra Fort に見られるようなChahar Bagh (quartered garden) や cloisters もなく, 軸線に沿った配置もない. けれども全体計画の不在ということはまた, 城内の Jaina temples にも見られるように, Islam 以前の India の伝統でもあったと言えるだろう.

the 19th century の後半になると, 英国の保護下におかれた Rajput 諸国は, 次第に European culture を取り入れるようになる. それまでの palaces が新しい生活の style とあわなくなるにつれて, 各地で洋風の新 palaces を建てるようになった. Jodhpur や Baroda のように, English architects を招いて設計を依頼したケースも珍しくない. Jaisalmer もまた城内の palace を捨てて, 城下町に新 palace を建てることになるのだが, 他に比べると, 洋風化の度合は小さく, 伝統的な architectural style を大切にしていたように見える.

the 19th century 末から 20世紀初頭にかけて, Amar Sagar gate の近くに建設された新 palace は, Jawahar Vilas and Badal Vilas のふたつの部分からなる. 今も王族が住んでいるが, Republic of India に組み込まれて藩王国を失った王族は, 経済的に楽ではなく, 多くの王族がその palaces を博物館として公開したり, ホテルに転用したりしている. Jaisalmer も例外ではなく, Jawahar Vilas と, 次に述べる Jawahar Niwas が, 今では palace hotels として営業している.


Jawahar Vilas, a new palace

New Palaces のなかで一番目につくのは, Badal Vilas 5層の observation tower であろう. Islam の Shias がMuharram の祭りに街を引き歩く "Tazia (Hassan and Hussein の墓の写し)" と形が似ていることから, "Tazia Tower" と呼ばれる. 実は, これを建てたのは Muslim の職人たちであって, Muslim community から Hindu の王に献上されたのだという. これは Jaisalmer の architectural style と同じく, Hindu and Islam の融合がかなり行われていたことを示している.

Jawahar Niwas は Maharawal Bairisal Singh が, 英国の Indian Resident のために 1900年頃に建設したもので, 全体として Indo-saracenic style ではあるが, European architecture の影響が強く, Tillotson はこれを "Country house of Rajput" と呼んでいる. 市壁の外に位置し, 建設当時は "Ishal Bungalow" という名であった. hotel since 1982となっていて, 私も泊まったものである. 夕食には, こちらの注文どおりの中華料理を作ってくれた.
 

JAINA TEMPLES

Jaisalmer の王族は, 代々 Hindu であった. ところが Jaisalmer には Hindu temples にたいしたものがなく, architecture 的に見るべきものは, いずれも Jaina temples である. このことは歴代の kings が, jaina 教であれislam 教であれ, 異教徒に寛容であったことを意味している. そしてまた, 東西貿易や金融を通じて, この都市の経済的実権を jaina 教徒が握っていたことを示してもいる.

以前に書いたように, Jainism は 2,500 years の伝統をもち, "ahimsa" (non violence) をその中心的な教義としている. Mahavira を開祖とし, 仏教と同じく East India に生まれたが, 紀元前後の大飢饉のときに, South India や West India に移住したと伝えられている. 現在では Western India に最も教徒の数が多く, architecture 的な傑作も集中している.

非殺生, 非暴力の教義をつらぬくために, jaina 教徒は農業や漁業, 軍事などに従事せず, もっぱら商工業を生業とした. 特に商業や金融業での成功は著しく, 全人口の 0.5 percent しか信者がいないにしては, 経済的に大きな力を手にしてきた. そうした商人が寺院を寄進するので, 信者数と不つりあいなほどに, 立派な寺院を多く建立してきたのである.


Ranga Mandapa of Parshvanatha Temple

Jaisalmer の城内町には, "Shvetambara (White clad)" の Jaina temples が 8院あって, これは Hindu temples の数の 2倍であるから, 都市におけるマイノリティであるにもかかわらず, いかに Jaina marchants が王家に対して力を持っていたかを示している. しかしそれゆえに Jainas の側にも遠慮があり, 寺院内の彫刻には Hindu 教の神々の像をも多く作って, Hhindu との融和をはかったものと思われる.

Mahavira Temple が離れて建っているほかは, 7 temples が一か所に集まっている. しかしこれらは同時に建立されたわけではなく, 次のような順序で建てられた.

  1. Parshvanatha Temple, 1417 (also called Lakshmana Vihara, the name of the architect is Dhanna.)
  2. Sanbhavanatha Temple, 1431 (also 1420)
  3. Chandraprabha Temple, 1452
  4. Kunthunatha Temple, 1479 (Ashtapadi Temple)
  5. Rishabanatha Temple, 1479
  6. Shantinatha Temple, 1526
  7. Shitalanatha Temple, 1547

王宮と同じく一院づつ, 時をへだてて順次建設され, しかも城内町の限られた敷地であるので, (おそらくそのつど, 敷地が買い足されたのであろう) , 完全な形式を整えた寺院は少なく, それぞれに寺院形式が変形されつつ適用されている. そのことが, 同じ集合寺院群ではあっても, Mt. Abu や Kumbharia とは大いに異なった, 都市型の Jaina temples となっている. (それらの設計者は, 現代日本の architects と同じような苦労をつんだことだろう). 特に道路をへだてた寺院が上部ではつながっていたりするので, それぞれの寺院の相互関係がまことにわかりにくい. そのことが, Cave Temples at Ellora にも似た, 変化にとんだ space 体験を与えてくれもする. その相互関係を明らかにすべく, 3回目にここを訪れたとき, 私は実測を試みたのである.


PLAN OF TEMPLES IN THE CITADEL, 15th century
(click here to enlarge the plan)
Left side from top Shitalanatha Temple, Parshvanatha Temple, Sambhavanatha Temple,
Right side from top Rishabanatha Temple, Chandraprabha Temple,
Shantinatha Temple (Upper floor), Kunthunatha temple (Lower floor)

最も形式の整っているのは, 最初に建てられた Parshvanatha Temple である. しかし敷地が狭いために, 入口の前面にせっかくの "torana" (memorial gate) が建てられているのに, あまりにも引きがなさすぎる. この寺院の両側には敷地いっぱいに, ごく細長い寺院が増築のような形で建立された. こうした plan は, 他に類例がない.

もうひとつの異例は, Kunthunatha Temple の上に別の寺院, Shantinatha Temple があとから増築されたことで, これもまた過密都市ならではの工夫である. 最も密度の高い design を見せているのは, Chandraprabha Temple であろう. 小規模ではあるが, その吹き抜けた Ranga mandapa と, Chaturumukha 形式の Garbagriha (sanctum) は, Adinatha Temple at Ranakpur を思い出させる.

様式的にはいずれも, the 10th century から 13th century にかけて Gujarat 地方で発展した "Solanki style" を踏襲していて, Delwara Temples at Mt Abu と基本的には同じである. Mt. Abu ではすべてが白大理石で造られていたが, ここではすべてが黄砂岩で建造され, また異なった味わいを見せて魅力的である. それにしても, 西 India 全体で何百年も同じ style で建てられた寺院を見るにつけ, Indians の保守性を強く感じるのである.


Capital and Torana Arch in Parshvanatha Temple

architecture と離れて注目すべきは, Sambhavanatha Temple の地下にある, "Gyan Bhandar" である. "bhandar" というのは, 経典や細密画をはじめとする古文献を納めるjaina 教の書庫で, Gujarat 州, Rajasthan 州の各地に作られた. Gyan Bhandar は Pandit Jinabhadra が 1443年に設立したもので, 同師による他の 2か所は破壊されてしまったらしい. ここからは Jainism の写本のほかに, 仏教関係の sanscrit 経典が多数発見されたことでも知られている. desert の中の孤立した bhandar であるがゆえに, 純粋な保存が可能となったのであろう. 古い写本は 11世紀に遡り, 写本の数は約 3,000, そのうち 500が palm leaves に書かれている.

ところで Jaisalmer には, 独立前に 2,700家族の Jainas がいたというが, 今ではわずか 17家族しか住んでいない. Jaisalmer が東西貿易の中継地としての役割を終えるにつれて, Jaina 商人も Bombay やその他の都市に移住していったのである. 北方の Bikaner では, 今も Jaina 教徒が人口の 35 percent だというのに, Jaisalmer では 60 percent が Hindu , 40 percent が Muslims となってしまった. それでもこの町が気持ちよいのは, 昔からの伝統をひいて宗教紛争がなく, 異教徒どうしが友好的なことである.

Jaisalmer に移る前の古都 Loderva は, 1152年と 1615年に破壊されて, 今はほとんど跡形もない. Parshvanatha に献じられたJaina temple もまた破壊されてしまったが, 1675年に Thar Shaha という人物によって再建された. 20年前には修復工事の真っ最中であったが, 今は torana (memorial gate) まで含めて, 見事な姿を desert の中に見せている.


THE " HAVELI "

Jaisalmer ではpalace や寺院のような monumental buildings ばかりでなく, 街並を構成する town houses までが, その facade を華麗に構成している. yellow sandstone の壁面からは, 必ずといってよいほど balcony が突き出し, 小柱で支えられた庇が架かる. そして隅から隅まで緻密に彫刻されているさまは, すべての buildings が palaces ではないかと錯覚させるほどである.

そうした town houses のなかでも特に立派なものを "haveli" と呼ぶ. haveli は必ずしも石造とは限らず, Ahmadabad や Baroda には木造の haveli も残っていて, mansion in English に相当するが, Jaisalmer ではいずれも yellow sandstone で建てられている.


Patwon-ki-Haveli

town houses は稠密な街区に密集しているので, two stories or three stories, 時には 4, 5階建てのものも珍しくない. そして敷地は細長く, 間口が狭いので採光のために中庭を持っている. それは Nishijin in Kyoto などのJapanese town houses を思わせる. ただし plan としては, Nishijin のような通り庭の構成ではなく, 中庭が生活の中心をなして, 半戸外の livingroom のようになっている. ひとつにはあまり雨が降らないこと, そして気温が高いので, 内外の区別があまりないことによる.

1階は原則的に道路から半階分高くなっていて, 道の砂ぼこりや ごみ, 時には desert の砂嵐から生活を守るとともに, 住居のプライバシーをも保護する. その構成は London の townhouses の街並みを思わせよう. こうした住居形式は Jaisalmer だけの特徴ではなく, Western India に広く見られる. なかでも, Jaisalmer の北の Bikaner の old town には, 赤砂岩によるこうした街並みが多く残っている.

道路に面して高くなった半階分は, 倉庫やごみ置き場となって, 都市の美観と公共の用に役立っている. そのドアをあけると更に半地下となって, かなりの部屋になっていることもある. 上部の platform は ”ota" と呼ばれ, 町と家との間の緩衝地帯であり, Japanese "Engawa" のような役割をも果たしている. 家人はここに座り込んで仕事をし, 通りがかりの人と語り合うのである. Jaisalmer の人々は人なつこいから, 私が歩いていると, だれかれとなく話しかけてくる.

Jaisalmer で特に有名な Havelis が 3軒ある. 最大, 最美の Haveli は 5階建の "Patwon-ki-Haveli" である. 1805年頃, jaina 教徒の Patwa Guman Chand が 5人の息子たちのために建てた, 5連の家である. Patwa family は金銀細工の商人から始まり, 手広く貿易商や金融業を営んで, その勢力範囲は western India 全体に及んだ. やはり敷地は狭いから, 道路いっぱいに建ち, 中世ヨーロッパ同様, 上部が街路に迫り出して, 一部は道路をまたいでいる. 壁面がすべて出窓になって, 曲面の庇と細かい彫刻が施されている眺めは壮観で, その豪華さは王宮をも凌ぐ.

Jaisalmer の凋落と共に, 住み手がよそに移住して空き家となってしまったので, 政府が買い上げて一般公開するようになった. 上部は sanscrit school ともなっているが, 観光化が進むにつれて, 下階は観光客相手の店となっている.


Living Room in Nathumal-ki-Haveli

"Nathumal-ki-Haveli" は, 王の Diwan (Minister), Nathumal によって 1885年に建てられた (Badal Vilas palace と同時期). その Maharawal Bairisal が建てて, 大臣に与えたのだともいう. 今も Hindus が住んでいるが, 大邸宅にふさわしく 24人の大家族である. やはり 5階建で, 部屋数は約 40. 建てたのは Hati and Lalu という, Muslim の兄弟 architects で, building の左右をそれぞれ担当したと伝える. 2階の居間は, 壁画でカラフルに飾られている. 敷地の裏側も道路に接していて, そちらは主にサービス口, 作業場の中庭とラクダ小屋がある.

もうひとつの豪華 haveli は "Salim Singh-ki-Havel" といい, 王家の世襲の Diwan, Mohta family の住居である. Salim Singh は王にまさる権力を乱用し, 圧政を敷いたので, 多くの住民が町を逃げ出したという. その苛斂誅求のために, 1827年に毒を盛られて暗殺された.

その権力を体現するべく design されたこの haveli は, Patwon-ki-Haveli の 10年後, 1815年頃の建設で, 王権に対抗する高さをもち, バロック的な過剰, デカダンスを示している. 最上階が浮かんでいるかのような大胆な design のゆえに, Jahazmahal (palace of ship) とも呼ばれる. 近年の強風で, 東側の端部が破壊されてしまった.

こうした Haveli をはじめとする, Jaisalmer のarchitecture の特徴をなす要素は 3つある. まず "jali" と呼ばれる石の格子スクリーンがあげられる. 日本の連子窓とも似て風通しのある壁面を作るが, はるかに細かい彫刻をほどこす. 特に "Purdah" (lady's room) の女たちが, 外から見られずに外をのぞき見る壁面に重用される.

次に "jharokha" と呼ばれる, 装飾的な出窓が大活躍をする. Patwon-ki-Haveli には, 全部で 66もの jharokhas がつけられている. ここにも繊細な彫刻が施されているわけだが, jali もあわせ, これらの部材は, ある程度プレファブ化されていたのではないかと思われる. 一般庶民の家でさえも, facade を飾りたてることができたのは, こうしたプレファブ化された部材を組み立てて, あとから足していくことができたからではなかったろうか.


Jharokha at Patwon-ki-Haveli

もうひとつ特徴的なのは, 屋根の造形である. とりわけ balcony の庇に顕著なのだが, 両端部が大きく垂れ下がった曲面屋根が至る所に見られる. その起源は, 実ははるか遠く, Eastern India の Bengal 地方の folk houses (Bangla) の屋根にある. 今の Bangladesh も含め, Bengal には雨が多いので, こうした形の草葺き屋根が一般的であり, それは寺院にも採りいれられた.

Bengal 地方は Mughal Empire にとっての穀倉であったので, Bengal を征服した Mughals は, この屋根形態をも Delhiや Agra に持ち帰って, palace buildings に用いた. Rajput はこの "Bangardar roof" を愛好して, Jaisalmer にまで伝えたのである. 多雨地帯の機能的な形態が, desert の architecture の造形要素になったというのは, 皮肉な話である. 余談だが, 英語の bungalow もまた "Bengali house" を意味しているのだが, そこでは曲面屋根を前提とはしていないようである.

こうした様々な architectural elements をふんだんに用いて, 華麗に飾りあげた街は, 一種, 超現実的な造形の世界を形成して, 旅人を驚かせる. これに最も近いstyle のbuilding は, "Hawa Mahal (palace of wind)" in Jaipur であろう.


THE " SAGAR "

Thar Desert は, およそ 800 km の長さに 320 km の巾がある. desert を旅する上で, 水場は貴重な oasis である. その the biggist oasis が Jaisalmer であるが, その近郊にも small oasis が点在する. 多くは village となっているが, 王室によって, desert の中の庭園や離宮, あるいは墓園, さらには耕作地とされたところもある. 雨水をためて造った人工の池や湖を "sagar" と呼ぶが, desert のことであるから, 乾季にはすっかり干上がってしまうところが多い. それでもそうした所には地下水があるのだから, 多少の植物は育ち, それだけで desert の民にとっては "oasis garden" となるのである. 地下水位は場所によって, 30 to 130m の深さであるという.

desert といっても, すべてが砂地 (sand dune) であるわけではない. desert を "砂漠" と訳したのが間違いなのであって, 本来 "荒地" の意味である. Thar Desert の大部分も, 地下水のおかげで多少の潅木が生え, ヒツジたちはそうした刺のある潅木もムシャムシャ食べるので, 牧畜は可能である. 最近は "土漠" などと訳す人もいるが, それもおかしな言葉である. どうしても砂丘のdesert を体験したい人は, Jaisalmer からラクダ・サファリで, Sam Dune まで行くのが良い.

Jaisalmer の水源は Gadisar (Tank) といって, city wall の外にある. これでは外敵に攻められたとき, 水源を絶たれてしまいそうであるが, じつはこの町の下にも地下水があり, 城下町にも城内町にも井戸が設けられている. (とはいえ, 乾季には井戸の水も涸れがちであった). Gadisar Lake は Maharawal Jaisal が, 城塞とともに 1156年に造営し (窪地をさらに掘り, 堤防を造って雨水を溜めた), 1367年に Maharawal Gharsi (Ghadsi) が再建した. Gadisar の名は, "Ghadsi's sagar" が縮まったものである.


A Pavilion in the Gadisar Tank

独立後 Indian government は "Rajasthan Canal Project" を進め, desert を緑化しようとしている. 1987年には Indira Gandhi 運河が完成した. Jaisalmer には 1965年以来, 15km 先の Dabala village から飲み水が引かれているが, 今でも毎日女達が頭に金色の瓶を乗せて, Gadisar Tank に水を汲みに来る. 1993年からは, 40km 先の Deha village から水道が引かれ, この湖は乾季にも涸れることがなくなった.

町から Gadisar lake へ行くには, Teelon gate (pol) をくぐる. これは宗教心の厚い娼妓 Teelon が, その資産を社会に役立てるべく寄進した. 彼女は Heyderabad (現在の Pakistan 領) に住んでいたが, 毎雨季には故郷の Jaisalmer に戻るのを常とした. 廷臣たちは, 娼妓によるこの行為を快く思わず, この門を取り壊そうとした. これを防ぐために彼女は, 門楼の上階に idol of God Satyanarayana を設置して, 寺院のごとくにしたので, 誰もこれを壊そうとはしなかったという.

Gadisar lake の周囲には寺院や廟などが建ち並び, 湖中にはいくつもの pavilions が浮かぶように建っている. 人々はここに boat を浮かべて舟遊びをし, pvilions で憩ったことだろう. desert の民にとって, これは楽園の image だったにちがいない.

Jaisalmer から 7km の地には, Amar Sagarの離宮と庭園がある. Maharawal Amar Singh が 1688年に造営したことから, そう名付けられた. 人造湖に接する緑豊かな庭園は, islam 風に chahar bagh (quartered garden) の形をとっている.


Jaina Temple at Amar Sagar

けれども今では, Amar Sagar で一番興味深いのは Jaina temple である. 最初の建設時は諸説紛々であって, よくわからない. 私が初めて訪れた 20年前には工事中であった. その 9年後に訪れると, またしても工事中であった. さらに 9年後に訪れると, やはり工事中だったのである. ところが驚いたことに, それは 9年前より規模を拡大して建て直しているのだった. その内部は城内の寺院と違って, 広々とした矩形のホールをもっている. そして細部の彫刻の繊細さと密度は大変なもので, Alhambra palace in Spain を髣髴とさせるものがある. Agra から連れてきた石工たちが工事をしているという.

Jaisalmer から 9km の地, Mul Sagar の oasis にも離宮がある. at the end of the 18th century に Maharawal Mulraj II が造営した. 広い中庭を囲んで回遊式に作られた離宮は, 魅力的な空間構成をしているが, 建築的程度はあまり高くない.


TOMB GARDENS

Hinduism には輪廻転生の思想があり, 死んだものは必ず 49日後に生まれ変わることになっていたから, 死者のために墓を建てるという習慣はなかった. ところが Islam がやってくると, 王侯のために墓廟を建てる習慣が持ち込まれた. 特に Rajput は Islam の影響を深く受けたので, 歴代の王の墓を競って建てるようになった.

そうした墓地は公園のように整備されて一般に開放されたから, 墓園として親しまれることにもなった. なかでも Udaipur の近郊の Ahar や,Jaipur の近郊の Gaitor には壮麗な墓園が造られた. Jaisalmer ではそうした墓園が desert の丘の上にあり, 奇妙になつかしい, 不思議な眺めを作っている. そしてまた王侯の墓には年代が刻まれたので, その王国の歴史を知る上で大きな手掛かりを与えてくれるのである.


Chatris at the Sunset Point

Jaisalmer の町の北西には "Sunset Point" と呼ばれる丘があり, 日没時にここへ来ると, 夕日に染まる都市全体の姿を眺めることができる. ここにはチャトリ群があり, "Vias Chatris" と呼ばれている. "chatri" というのは, "chattra" というサンスクリット語からきた Hindi 語で, 本来は 「傘」 を意味する. それとの形の類似のイメージから, 4本またはそれ以上の柱で支えられるドーム状の屋根の pavilion を "chatri" と呼ぶようになった. 小さなものは building の装飾要素として用いられるが, 大きなものは単独で墓廟に用いられ, そうした墓をも "chatri" と言うようになったのである. (islam 圏では墓廟を "qubba" と呼ぶが, これはアラビア語で dome の意である. )

Jaisalmer の歴代の王の墓園は, 5km 離れたdesert のなかの Bada Bagh にある. "Bada Bagh" とは grand garden の意で, 1513年頃に Maharawal Jait Singh II が堤防を築いてsagar を造り, 農園と庭園にした所である. したがって当時は "Jaitasar" と呼ばれたが, それを完成させたのは, その息子の Maharawal Lunkaran であった. この丘の上にチャトリ群があって, 魅力的な眺めを作っている. Jaisalmer の市民がここへピクニックにやって来たときには, これらのチャトリが休憩所の役割を果たしたことだろう.


CULTURAL HERITAGE

Jaisalmer の architectural style は, 新しいものの開拓というよりは, それまでの Western India で発展したものの洗練と, 地方文化の爛熟期の成果ということができよう. 私達ががこの町を訪れて驚くのは, そうした "過剰の蕩尽" とも言うべき壮麗な世界が, こんなにも遠く離れたdesert のまんなかに, あたかも蜃気楼のように存在するということである. そして, ヒューマン・スケールのコンパクトな都市のすべての buildings が, 黄砂岩という同じ材料, 同じ装飾 style で豊かに飾られているミクロコスモスは, ここを訪れる architects にとって一場の夢, そして見果てぬ夢でもある.

Jaisalmer の stone buildings の造形と detail をつぶさに見ていくと, それは Persia や Rome の雄大な組積造の monuments よりも, むしろ Kathmandu region in Nepal にある wooden palaces を思い出させる. 降雨量が大きく違うので,かたや勾配屋根, かたや flat roof という違いはあるが, 全体の多層構成から彫刻の detail や出窓に至るまで, 実によく似ている. そこに木と石という, 建設材料の決定的な違いがあるとは信じられないほどである.


A Balcony of a Town House

このことは, Jaisalmer の architecture の構成原理を端的に示している. つまり, Jaisalmer の buildings はすべて石造であっても, それは根本的に木造起源なのである. palaces も寺院も Havelis も, 組積造としてのarch の原理は使われていず, 構造的には木造的な柱−梁構造で建てられている. temples のホールや墓廟のドーム屋根でさえも, arch の原理ではなく, India 的な持ち出し構造で造られている. そして木にほどこすような彫刻パターンを, そのまま石の部材にほどこしたのである.

このような, India にしか見られない独特の style ですべてが造られた都市が, 中世さながらにそっくり残っていると言うのは, きわめて貴重なことである. それは India にとってばかりでなく, 世界にとっても貴重な文化遺産であろう.

この 20年のあいだに, Jaisalmer の町はすっかり観光化して, 第 2の Kathmandu となりつつある. Jodhpur からの列車は, 毎日昼と夜の 2本が満員の旅客を乗せて通うようになり, 今では私営の航空会社が週に数便の小型飛行機を飛ばして, Delhi, Jaipur, Jodhpurと結んでいる. 20年前には車も看板もまったくない町だったのに, 今では main street に車と看板があふれ, 多くの民家が商店やホテルを営むようになった.

それでも町の規模は小さく, まだ big hotel がないので観光客のキャパシティは小さく, 町の味わいは十分に楽しむことができる. Kathmandu region には 3つの古都があるが, その中ではドイツの協力もあって, Bhadgaun の町が比較的うまく保存と開発がなされている. Jaisalmer もまた, そのように保存されることを願うばかりである.


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