シャージャハーナーバード (現在のオールドデリー)の 1930年頃の地図
デリー(シャージャハーナーバード)は 市壁で囲まれた扇状のプランをしていて、その要の位置(右上)にデリー城 (Red Fort) がある。城の左下にあるのが金曜モスク (Jami Masjid) で、城のデリー門と結んでいた。城のラホール門から左(マッカの方向)へ真っ直ぐに伸びる道が チャンドニ・チョーク大通りで、今もオールドデリーの中心繁華街である。 赤い部分が市街地で、黄色く囲まれた部分は当時のイギリスが占拠していた カントンメント(軍営都市)地区。川に面した城砦部を軍が管理し、その周囲にヨーロッパ人が住むホワイト・タウンがあり、さらにその先に現地人の居住区であるブラック・タウンがあるという、通常の植民都市と同じパターンを形成した。 |