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MITH OF SHIVA AND PARVATY
"恵み深い" シヴァ神が, "ヒマラヤの娘" パールヴァティーとダイス・ゲームをして負けたとき, シヴァ神は怒って 4本の腕でテーブルの上のダイスを床へ払い落とし, 妻のパールヴァティーに向かって, お前がずるをしたからだと言った. 大喧嘩になるかと思われた. しかしパールヴァティーは穏やかにダイスを拾ってテーブルの上に戻し, くるりと背を向けて, 怒っている振りをした. こうして彼女は夫のシヴァ神の怒りを収めたばかりか, 負けるも勝つも世の習いであると悟らせたのである.
周囲わずか 7km の小さな島である, エレファンタ島のヒンドゥ教の石窟寺院で, みごとな壁面彫刻の数々を目にするとき, 誰でも古代インドの彫刻家が残したメッセージに納得することだろう. 負けて潔くあれ, 勝って奢ることなかれと.
7つの石窟のなかのひとつに見られる, ダイスゲームの逸話を描いたすばらしいレリーフ彫刻は, the 6th century から the 8th century のあいだに制作された. しかし, シヴァ神をたたえてつくられたこのみごとな石窟寺院が, 人々から忘れ去られると, 雨風と盗掘者のおかげで, ほかのレリーフ彫刻と同様, 荒れるままに放置された.
エレファンタ島の石窟寺院には, ほとんど碑文が残されていないので, 開窟された時代の特定はむずかしい. 造営した王朝は, デカン地方を支配したヴァーカータカ朝が 6世紀に滅びたあと成立した, 北のカラチュリ朝か, 南のチャルキヤ朝であると考えられるが, いずれにしても 6世紀から 8世紀まで幅広く造寺活動を行ったので, Elephanta Island の石窟寺院も the 6th, 7th, 8th century の諸説が入り乱れていて, 定説はない.
Facade of Eastern
Shrine
SANCTUARY FROM RAIN AND HEAT
ムンバイ (ボンベイ) は特別経済保護地域として, 1534年にポルトガルの手にわたっていた. この島を訪れて, 石窟寺院の外に立つ大きな黒い象の彫刻を見つけたポルトガル人は, この島をエレファンタ島と名づけた.
次にやってきたイギリスの植民者は, 1864年に象を解体して海路イギリスへ運ぼうと企てた. しかしムンバイまで運んだところで計画は頓挫し, 1912年になんとか元の姿に組み立てられた大きな象の彫刻は, 以来ムンバイのヴィクトリア・ガーデンズの博物館の庭に置かれている.
エレファンタ島へはムンバイのインド門から連絡船で約 1時間. 船着き場から 1,000段の長い階段状の道を上がった所に, めざす石窟寺院があり, これを第 1窟という. エレファンタ島にはほかにも石窟があり, 最も古いふたつの石窟寺院は島の東側に位置する. そこは仏教遺跡とされる "ストゥーパの丘" のあるモーラという村の上方にあたる. ふたつの石窟の一方は未完成のままである. ポルトガル人だけに責任があるというわけではないが, 石窟の外側の土が取り除かれたことや, 意図的な破壊が行われたために, つくられた当初の輝きはほとんど失われてしまった.
第 1窟の facade も未完成のままで, 柱の並ぶ外側にはほとんど彫刻がない. 当時, 石窟寺院は木造の建物に囲まれていたようだが, それらの建物も今はない. 岩山を掘ってつくった石窟寺院は, 内部がひんやりとして涼しく, 雨と暑さをしのぐ場所であるが, そればかりでなく, "神の教えはこれを大地の懐に求めよ", というヒンドゥ教の教えを反映するものでもあった.
Plan of Cave 1 in the Isle of Elephanta
( from "The Hindu Temple" by George Michell )
COMPOSITION OF THE CAVES
第 1窟は主堂が一辺約 28m の正方形をした列柱ホールで, 北側に正面入り口がある. しかしこれとは別に東と西にも中庭に面した入り口がある. それぞれの中庭には別の祠堂も面していて, それを東院, 西院とよぶ. 主堂には 30本以上の柱が立ち, 各柱は北方型の溝つきクッション型の柱頭をいただき, 柱身は上部が円柱, 下部が四角柱となっている. 近年, 堂内の破損した柱はコンクリート製の模造柱に取り替えられている.
北側の入り口から進んで行くと, いちばん奥の南壁に主神シヴァ神の大彫刻があるので, 南北に中心軸が通っているようにみえる. ところが東西にも開口があるので, 三方から光が入り, しかも東西軸上の西寄りにシヴァ神の象徴である Linga (男根) をまつる祠堂がつくられているので, 2本の軸が直交する十字形の plan となっていて, それまでのインドの石窟寺院とはずいぶん印象が違う.
Great Triple-headed bust of Shiva
これと似たものは Ellora Cave No. 29 で, 仏教の石窟寺院の一元的な空間構成とは異なり, 多元的で惑乱的な内部空間となっているのである.
この破調の原因が何であったのかはよくわからない. 西寄りの聖室も四方に開口部をもち, それぞれが一対のドゥヴァーラパーラ (護衛神) によって守られている. この東西軸上の東側入り口が立派に作られているところをみると, 本来は東側が正面で, 北側入り口は後からつくられたのかもしれない. 東の中庭も岩山を掘った人工的な中庭であり, これに面する東院は, 小規模ながら均整のとれたつくりをしている. 一方, 西の中庭に面する祠堂はごく小さく, かたわらには池が設けられている.
Wall of main Columned Hall
SCULPTURES DEPICTING ASPECTS OF SHIVA
主堂の天井の高さは約 6メートルあり, いたるところの壁面にほどこされている深彫りのレリーフ彫刻が, エレファンタ島のいちばんの見どころといえよう. 南の奥壁は柱型によって 3面に分割され, 中央部には巨大な 「三面のシヴァ神の胸像」 が彫られている. 東を向いた顔は恐るべき破壊神 (バイラヴァ) の性格を表し, 西を向いた優美な女性 (神妃ウマー) の顔は歓喜と美を, 中央の均整の取れた瞑想的な顔は調和を表している. ポルトガル人はこれらの石窟寺院のひとつを, キリスト教の聖堂として使っていたので, 3つの顔が合わさった彫刻はキリスト教の三位一体の原理を連想させるため, この三面像は無傷で残された.
主堂壁面のレリーフ彫刻は全部で 15を数えるが, そこには驚くほど多くの, 古代インドの叙事詩に由来する神話的場面が描かれている. Siva 神が左半身女性, 右半身男性というアルダナーリー (両性具有) の像として表現されているものや, カイラーサ山での, Sive 神とパールヴァティーの婚礼の模様を描いたものもある.
この婚礼のレリーフ彫刻は損傷が激しいが, 他の神にかしずかれ, 美しい宝石で着飾ったパールヴァティーの姿が認められる. そばにはパールヴァティーの父, ヒマーヴァト神 (ヒマラヤの神) がいて, 娘の右手 (壊れて消失) を取り, シヴァ神の右手に重ねることによって, 娘の未来を託そうとしている. さらにマイナーカ山の神が純潔を象徴する天の聖水で満たされた器を持ち, ブラフマー神が司式を務め, ヴィシュヌ神が付添人をしているのである.
グプタ朝時代の様式で彫られた他のふたつの区画では, Siva 神が瞑想するヨガ行者, すなわちマハー・ヨギーの姿をしていたり, 舞踏王ナタラージャとして彫出されたりしている.
"Nataraja" or Dancing Shiva
GANGA AND CURLS OF SHIVA
焼かれて灰になった先祖の罪を信心深く贖罪していた苦行者, バギーラタを哀れんで, Sive 神がその先祖の霊を救済するために, ガンジス河の水を地上に与えようとしている情景が, 高さ約 6m, 幅約 4メートルのレリーフ彫刻に表されている. 慈悲深い神は河の落下の許しを与え, 河の女神ガンガーに命じてみずからの頭上に河水を降らせた. Siva 神の巻き毛を伝ったやわらかな水は大地に注ぎ, バギーラタの先祖の灰を純化した.
また, パールヴァティーをかどわかそうとした悪魔のアンダカとシヴァ神との, 劇的な対決の様子が彫られた壁面は, ひどく傷んでいるにもかかわらず, 暗黒の世界の魅力を失ってはいない.
シヴァ神の髪で編んだ王冠は技巧に富み, 髑髏がひとつと 1匹のコブラ, そして三日月が付いている. 左肩には髑髏の数珠がかかっており, 目は激しい怒りを象徴して眼窩から突き出ている.
神通力のある象の皮をまとった不死身の Siva 神が, 矢を持った敵に追いついて, トリシューラとよばれるシヴァ神の象徴のひとつである, 三叉戟を敵の身体に突き立てている場面もある. 魔物を皆殺しにすることが Siva 神の破壊神としての役割である. 開放的で静謐な石窟内の雰囲気と, これほど激しいコントラストをなすレリーフ彫刻はほかにない.

"Linga" is enshrined in Garbhagriha
春にエレファンタ島で催される舞踏の祭りは全国に知られ, 毎年多くの人々を楽しませている. とくに日曜日には, インドの各地から人々が連絡船でこの小さな島にやってくる. かつての石窟寺院に, 礼拝の声が聞かれなくなって久しいが, その代わり石窟入り口周辺の木陰はピクニックの人々であふれている.
Elephanta Island に残された偉大な文化遺跡は早急に保全の手だてを講ずる必要がある. わずか数km の所にある近くの島々には化学工場などがあるばかりでなく, 現代 India の象徴ともいうべきトロンベイ原子力発電所まであるのである.
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