| サーンチーの仏教遺跡 |

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古代インドで支配的な宗教であった仏教は、インド亜大陸全土に寺院や僧院、ストゥーパを建造した。 その大半は仏教の衰退と共に崩れ、焼け落ち、破壊されて、消え失せてしまった。しかしサーンチーの丘の上には樹木でおおわれ、人々から忘れ去られたために、かえって破壊を免れた紀元前後のストゥーパ群が奇跡のように生きのびて、19世紀にイギリスの将軍によって発見された。 大きな土饅頭のようなストゥーパの周囲には日本の鳥居にも似たトラナが立ち、 そこにほどこされた石のレリーフ彫刻は、インドの古代美術の精華であるとともにブッダの教えを絵解きする 「石の絵本」 でもあった。 発見当初は乱暴な調査や盗掘で損傷を受けたが、その後、学問的な調査と忠実な復元によって往古の仏教センターの姿を髣髴させる。 今ではサーンチーは世界の仏教徒にとって、貴重な聖地のひとつである。 |
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古代の商業都市ヴィディシャーから 9キロメートルほどのサーンチーの小高い丘の上には、マハー・ストゥーパ (大塔) として知られる第 1ストゥーパを中心に、多くのストゥーパや祠堂、僧院址などが残っている。約 50の遺構のほとんどは、古い擁壁によって平らにされた約 380メートルに 200メートルの台地に散在する。
サーンチー遺跡の想像復元図 ( from "The Architecture of India" by Satish Grover )
サーンチーの遺跡の中心をなすのは、最大の規模を誇る 第 1ストゥーパ で、紀元前 3世紀、マウリヤ朝のアショーカ王 (在位前 268頃〜前 232頃 ) の時代に創建された。 当初は、直径が現在の半分程度の大きさで、1世紀後のシュンガ朝の時代にそのレンガ積みのストゥーパを核として、全体を石でおおう増広が行われた。 その結果第1ストゥーパは、ドーム状の覆鉢 (ふくはち) の高さが約 16メートル、基壇の直径が約 36メートルという大規模なものとなった。
丘の下の第 2ストゥーパ
第 1ストゥーパから西へ 320メートルほど丘を下ると、丘の中腹に第 2ストゥーパがある。 これは紀元前 2世紀末から前 1世紀頃に建設されたもので、シュンガ朝の 3基のストゥーパのなかではいちばん古い。
第 3ストゥーパとトラナ
第 3ストゥーパは第 1ストゥーパの北側 60メートルほどの所に位置し、1世紀に建造された。 規模は基壇の直径が約 15メートルで、第 2ストゥーパとほぼ同じである。 形態は第1ストゥーパを小規模に模したと考えられ、傘蓋の数が 1枚であること以外は、かつては第1ストゥーパと同じであった。 しかし今では外周の欄楯が失われ、トラナも南側にしかない。
第 1ストゥーパの西トラナ詳細 東トラナにおける 「樹下ヤクシー像」
サーンチーの仏教美術の最高の見どころといえるのが第 1ストゥーパの四方のトラナである。 4基のトラナは、1世紀初めのサータヴァーハナ朝時代に南、北、東、西の順で建てられたとみられる。
これら 「石の絵本」 とでもいうべきレリーフ彫刻群が語るインドの古い説話のなかには、歴史上の事実に基づくものもあれば、ただの伝説にすぎないものもある。 そこには、のちにマールワーとよばれる地方の都市や風景が刻まれている。 それらを通してマウリヤ朝のひとつの中心だったこの地方の都市や城郭の様子を、およそ知ることができる。 また、持ち出しの梁を支える方杖 (ほうづえ) の形で、当時の民俗信仰に根ざすインドの女神ヤクシーや男神ヤクシャが、仏教の守護神としてトラナを飾ってもいる。
寺院 No.17、5世紀 僧院 No.51、7世紀
サーンチーはストゥーパばかりでなく、当時の寺院やヴィハーラ (僧院) の姿を知るための貴重な資料を提供してくれる。 5世紀のグプタ朝によって建てられた小寺院 NO. 17は、インドにおける中世初期の石造寺院の典型である。 同時代のヒンドゥ教の石造寺院ともよく似ていて、正方形の聖室の前に 4本柱のポーチがつき、シカラ (塔状部) はまだ無い。 また、7世紀の寺院 NO. 18はずっと規模が大きいが、土台と 9本の柱しか残っていない。 これはプランが前方後円形のチャイティヤ堂で、内部にはストゥーパを祀っていたと考えられる。 |