BUDDHIST MONUMENTS at SANCHI
サーンチー
サーンチー仏教遺跡
神谷武夫
サーンチー
中インド、マディヤ・プラデシュ州、デリ-の南方約 580km
1989年 ユネスコ世界遺産の文化遺産に登録

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古代インドで支配的な宗教であった仏教は、インド亜大陸全土に寺院や僧院、ストゥーパを建造した。その大半は仏教の衰退と共に崩れ、焼け落ち、破壊されて、消え失せてしまった。しかしサーンチーの丘は樹木でおおわれ 人々から忘れ去られたために、かえって破壊を免れた紀元前後のストゥーパ群が 奇跡のように生きのびて、19世紀にイギリスの将軍によって発見された。大きな土饅頭のようなストゥーパの周囲には日本の鳥居にも似たトラナが立ち、そこに ほどこされた石のレリーフ彫刻は インドの古代美術の精華であるとともに、ブッダの教えを絵解きする「石の絵本」でもあった。



中核的な仏教センター

 古代の商業都市ヴィディシャーから9キロメートルほどのサーンチーの小高い丘の上には、マハー・ストゥーパ(大塔)として知られる第1ストゥーパを中心に、多くのストゥーパや祠堂、僧院址などが残っている。約 50の遺構のほとんどは、古い擁壁によって平らにされた約 380メートルに 200メートルの台地に散在する。
 イギリスのテイラー将軍によって発見された 1818年当時、この仏教遺跡は何世紀も前から廃墟と化して植物におおわれていた。本格的な学術調査と発掘が行われたのは 1912年から 1919年にかけてのことで、考古調査局の第3代長官 ジョン・マーシャル (1876〜1958) が指揮し、1940年に詳細な報告書を出版した。

 それによれば、これらの建造物の造営は2期に大別される。第1期は古代のマウリヤ朝から シュンガ朝、サータヴァーハナ朝の時代(前 3世紀〜後 1世紀)であり、第2期は 中世のグプタ朝以降の時代 ( 4世紀〜11世紀)である。したがってサーンチーは、インドにおいて仏教が栄えていた ほとんどの時代を通じて、一大仏教センターとして機能していたのである。ブッダの生涯と 直接の関係もないのに これほど栄え、多くの施設が建てられたのは、ヴィディシャーの商人たちの保護によるものと考えられる。

サーンチー遺跡の想像復元図
大中小のストゥーパや、前方後円形の祠堂、中庭型の僧院などが散在する
(From "The Architecture of India" by Satish Grover, 1980)



第1ストゥーパ

 サーンチーの遺跡の中心をなすのは、最大の規模を誇る 第 1ストゥーパ で、紀元前3世紀、マウリヤ朝のアショーカ王(在位・前 268頃〜前 232頃 )の時代に創建された。最初は 直径が現在の半分程度の大きさであったが、1世紀後のシュンガ朝の時代に その焼成レンガによるストゥーパを核として大幅な「増広」が行われ、全体は石でおおわれた。 その結果 第1ストゥーパは、ドーム状の「覆鉢(ふくはち)」の高さが約 16m、基壇の直径が約 36mという、大規模なものとなった。

第1ストゥーパ(大ストゥーパ)

 ストゥーパの構成は、ほぼ半球形の覆鉢の頂部を平らに削り、そこを柵で正方形に囲って、「平頭(ひょうず)」となす。ここに 舎利容器を納めたと考えられるが、調査の結果では、第 1ストゥーパのこの場所は 空であった。平頭の中心には「傘竿(さんかん)」が立ち、その上部に三重の「傘蓋(さんがい)」が載る。

 古来インドでは、聖なるもの(チャイティヤ) の周りを 時計回りの方向でめぐることが礼拝行為となり、その道筋を「繞道(にょうどう)」という。第1ストゥーパでは 繞道が2段構成をとり、高さ約5mある 上の繞道への階段は 南側につけられていて、その手すりには わずかにレリーフ彫刻が残っている。下の繞道は 高さ3mを超える石造の「欄楯(らんじゅん)」で囲まれているが、もっと古い時代には 木製の柵であったろう。繞道への四方の入り口には トラナ(記念門)が立ち、くまなく レリーフ彫刻がほどこされている。この門の形も、木造のものを石で置き換えた姿をしていて、これが 門というものの原型であることを示している。

第2ストゥーパ

 第1ストゥーパから西へ 320mほど丘を下ると、丘の中腹に第2ストゥーパがある。 これは紀元前2世紀末から前1世紀頃に建設されたもので、シュンガ朝の3基のストゥーパの中では 最も古い。
 覆鉢の直径は約 14mあり、頂部を平らに削っているものの、平頭や傘蓋はない。しかし 調査したところ、アショーカ王時代の長老比丘(びく)10人の名を記した、凍石(とうせき)製の 4個の舎利容器が埋蔵されていた。ストゥーパの周囲には、繞道を取り囲んで欄楯がめぐらされている。その四方に入り口が設けられているが、トラナはない。
 第2ストゥーパの見どころは、シュンガ朝時代に欄楯の柱にほどこされた、円盤形をはじめとする 多数のレリーフ彫刻である。そこでは蓮華などの植物紋や、さまざまな動物などが装飾モティーフとなっている。

  
第2ストゥーパと、第3ストゥーパ


第3ストゥーパ

 第3ストゥーパは 第1ストゥーパの北側 60mほどの所に位置し、1世紀に建造された。 規模は 基壇の直径が約 15mなので、第2ストゥーパと ほぼ同じである。形態上は 第1ストゥーパを小規模に模していて、傘蓋の数が1枚であること以外は、かつては第1ストゥーパと同じであった。しかし今では 外周の欄楯が失われ、トラナも南側の 1基しかない。

 このストゥーパの内部の小室からは、ふたつの凍石製の舎利容器が発見され、ブッダの十大弟子のうちの シャーリプトラ(舎利弗, しゃりほつ)と マハーマウドガリヤーヤナ(摩訶目ノ連, まかもっけんれん)の名が記されていた。その中には 数片の人骨、水晶、紫水晶、真珠などが入っていたが、それらはイギリスに運ばれ、ずっと後になって インドに返還されて、現在は丘の上の 新しい寺院に保存されている。

第1ストゥーパの トラナ

第1ストゥーパの西トラナ

 サーンチーの仏教美術の 最高の見どころといえるのが 第1ストゥーパの四方のトラナである。4基のトラナは、1世紀初めのサータヴァーハナ朝時代に 南、北、東、西の順で建てられたらしい。
 これらのトラナを彩る 浮き彫り彫刻の主なモティーフは、仏伝図、ブッダの前生の説話を描く「本生図(ほんしょうず)」、そして 仏教のシンボル群である。これらを基本に さまざまな光景の描写と装飾が、各トラナの2本の柱と、それをつなぐ 3本の梁の表面を、あたかも余白を残すことを恐れたかのように びっしりと埋めつくしている。

  
東トラナの「樹下ヤクシー像」と、西トラナの彫刻

 大きな象の背においた 豪華な鞍の上に身をゆらせながら、従者をつれて 街路を練り歩く王。マンゴーの枝に遊ぶ 雅びな樹木の精たちを、なにげなく眺める果樹園の管理人。素朴な農具で 畑を耕す農夫。 大きな瓶で水を運ぶ その妻たち。 猿の王や「6本牙の象」の奇想天外な冒険。さまざまな仏教説話からとられたエピソードが、日常生活の風景を背景として 生き生きと彫刻されている。

 これら「石の絵本」とでもいうべき レリーフ群が語る インドの古い説話のなかには、歴史上の事実に基づくものもあれば、ただの伝説にすぎない ものもある。そこには、サーンチーが位置するマールワー地方の都市や風景が刻まれている。それらを通して マウリヤ朝のひとつの中心だった この地方の都市や城郭の様子を、およそ知ることができる。また、持ち出しの梁を支える方杖(ほうづえ)の上には、当時の民俗信仰に根ざす インドの女神ヤクシーや 男神ヤクシャも見られよう。

 4基のトラナのうちで、彫刻の保存状態が最もよいのは 北トラナである。 その中央頂部に大きく彫り出された車輪は「初転法輪(しょてんぽうりん)」、すなわち ブッダが悟りに達したのち、バナーラス郊外のサールナート(鹿野苑, ろくやおん)で行った 最初の説法を象徴している。ほかにも ボードガヤーでブッダが悟りを開いたところの菩提樹(ぼだいじゅ)や、ブッダの誕生をあらわす蓮の花など、ブッダにまつわるシンボルを いくつも見ることができる。小乗期のこの時代には まだ仏像が彫られていなかったので、そうしたシンボルが礼拝されたのである。

寺院群と 僧院群

  
寺院 No.17、5世紀        僧院 No.51、7世紀

 サーンチーは ストゥーパばかりでなく、当時の寺院や ヴィハーラ(僧院)の姿を知るための 貴重な資料を提供してくれる。5世紀のグプタ朝によって建てられた 小寺院 No.17は、インドにおける 中世初期の石造寺院の典型である。ティガワーのカンカーリ・デヴィー寺院など、同時代の ヒンドゥ教の石造寺院ともよく似ている。 それまで木造文化の国であったインドが、初めて石造建築を作り始めた 最初期の建物なのである。そこでは 正方形の聖室の前に4本柱のポーチがついているが、シカラ(塔状部)は まだ無い。

 また、7世紀の寺院 No.18は ずっと規模が大きいが、土台と9本の柱以外は失われてしまった。これはプランが前方後円形をしたチャイティヤ堂で、内部にはストゥーパを祀っていたと考えられる。
 一方、サーンチーには 僧院が 7院あったが、第1ストゥーパから 西へ一段下がった所にある僧院 No.51は、広い中庭を 回廊と僧室が囲む 典型的なプランをしている。他の僧院と同じように、失われた柱と屋根は木造であったろう。


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